~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

初クワガタ

2006年05月31日 16時44分21秒 | 雑感
今朝、玄関ドアを開けるとなにやら平たい虫が・・・
「アマメ??(鹿児島弁でゴキくんのこと)」

いえいえクワガタくんでした。
ツノ(アゴ?)部分を含め体長4センチ弱、油をぬったような黒光り!
クワガタは冬越しする虫ではありますが、これはまさに<かえりたて>の感じです。

以前住んでいた一軒家は、庭に木が多過ぎるせいか、虫類は逆に隠れてしまい、
セミとハチ以外ほとんど目にすることがありませんでしたが、
このマンションに越してからは、しょっちゅういろんな甲虫類が飛んできます。

とりあえず捕獲。
コクワガタのオスですね、きっと。


私だって緊張します

2006年05月31日 01時45分08秒 | ピアノ
今年もコンクールのシーズンが始まった。

思えば4年前初めて出たときの動機は、「いろんなホールでいろんなピアノを弾いてみたい」というものだった。
それ以来、おかげさまで発表会等あわせて3つの区民ホール、2つの大学ホール、
いくつかの民間のスペース、県外のふたつのホールとあちこちで弾く機会に恵まれた。
ピアノの方は、ヤマハとスタインウェイの2種類だが、それぞれに個性があった。
とはいっても、実際は失敗の許されないたった1回の本番(時間的には10分に満たない場合が多い)なので、ホールやらピアノやらを楽しむ余裕はとてもないのだが・・・。

毎回それなりに練習はしなければならないし、緊張もするし、
直後は、演奏自体ひどいできで「もう二度とやりたくない」と思うこともしょっちゅうなのだが、
それでもたったひとりで広い舞台に一歩を踏み出すあの恐ろしい瞬間が、
時間がたつと「またやってみたい」一瞬に変わってくるので不思議だ。

そうはいってもやっぱり恐ろしいものは恐ろしい。
裏にコンテスタントがずらーっと並んでいる場合もそれはそれで、
緊張の増幅みたいなことが起こって、どこを見ていいんだか、なにをしていいんだかわからないのだが、
ひとりずつが袖で待つ場合はさらに苦手だ。
特に出番が1番で、係りの人以外誰もおらず、会場にはなんの音もせず、
広い舞台にぽつんとピアノが望めるだけ・・・という場合は、
この空間を自分の音だけで満たしていかねばならないのか・・・と思うと、
回れ右して帰りたい。
たった数分の演奏時間でもこんだけ恐ろしいのに、2時間近くもリサイタルをされる場合はいくらどんなに慣れても、
本当のところは絶対にオソロシイはず・・と思う。

特に緊張するのは、音を出し始めて「あれ、こんな響きではなかったはず」と
日常聴いている音とかなりの差があるときだ。
それはピアノが違うせいもあるし、ホールのせいもあるし、調律のせいもあるし、
緊張のせいもある。
たくさんの出場者のあとで弾くときは、すでに音に相当の狂いが生じていることもある。
ただこれは本番でなくても、繰り返し録音して練習してみると、自分の出しているつもりの音と、実際に出ている音には相当な開きがあることに気付く。
私など特に最近録音し始めたばかりなので戸惑うことばかりだ。
まず、思っているよりスタカートが短い。いや、短すぎる。
次に、思っているより音が明るい。暗くあってほしいところまで明るい。
つまり、総合すると自分が「出しているつもり」の音より、はるかに軽薄で
平板な表現である・・ということになる。
舞台ではこれがさらに増幅される。
とくにホールでは響きがフィードバックされるので、「あ、こんな音じゃない」と思った瞬間に緊張が走り、ボタンの掛け違いが始まる。

こういったことがなるべく起きないように、努力はしているのですが・・・。





月なみでない趣向です

2006年05月30日 01時58分39秒 | 見る・読む
昼のドラマでなかなか奇妙なものをやっている。
『我輩は主婦である』

これは簡単にいうと、「家計のやりくりに頭を悩ましつづけていたある主婦に、
千円札の夏目漱石が乗り移ってしまう」というものなのだが・・・

内容はともかくとして、なにが面白いって喫茶店に入っていきなり
「おい、給仕!」
お姑さんにむかって
「おい、女中!」
旦那さんにむかって
「ちょっと、厠へ行って来る!」
という言葉のアナクロさ。

『我輩は猫である』に出てくることばを現代で使うだけで、こんなにも抱腹絶倒モノなのか、と改めて思う。
だいたい、斉藤由貴扮する主婦に、漱石のもったいぶった言葉をしゃべらせようという発想自体、尊敬に価する。

ある日突然、奥さんに漱石が乗り移り、おろおろする旦那は及川光博。
誰にも相談できずに、喫茶店でぼんやりしている。
ミュージカルしか興味のないマスター相手に何を話すわけでもないのだが、
「漱石の本なんて知らないですよねえ・・」

マスター、そんなことはない、と『坊ちゃん』をまずあげるが、
次も『坊ちゃん』を連呼したまま黙り込む。

「あ、そうだ・・・『きもち』」
「それは『こころ』」でしょ」
「あ、そうか。たしかひらがな4文字のやつもあったなあ・・
そうそう『ところで』」
「もう・・・・、『それから』ですよ!」

どうということないのだが、やっぱりおかしい



笑う世界史

2006年05月29日 01時09分33秒 | 家族・友人等
家族で散歩の帰り、どういうわけか満州国の話になった。

で、フギがどうのこうの・・・

息子「フギって誰?」
私 「満州国の清朝最後の皇帝」
息子「フギって、名前?」
私 「そう。愛新覚羅溥儀(←こういう漢字名前にはなぜか力が入ってしまう)」
主人「・・いつから(何代目から)清朝の皇帝は愛新覚羅になったんだ?初代はヌルハチだろ?」

ヌルハチ

ひさびさに登場した名前。しっかしインパクトあるよなあヌルハチという語感。
みごとに<ヌルハチ>笑いのストライクゾーン・・いや、ホームラン状態。
私、ほとんど悶死

ヌルハチはだいたい女真族で・・という旦那のお話のまっ最中・・

息子「えっと、だれか音楽家でヌルハチって人いなかった?」
私 「いないよ、そんな人」
息子「いや・・・だれか・・う~ん・・」
3人「・・・ブレハッチ!!!」

まだまだツボに入ったままの私に、金髪の貴公子ブレハッチに辮髪(べんぱつ)の皇帝ヌルハチは厳しすぎた・・・・

だ、だれか助けてくれ~~~

しかも息子、続けて「ぬるはち任三郎」とかいってるし・・・



怒れるプレスト

2006年05月27日 22時33分12秒 | ピアノ
<クリスチィアン・ツィメルマン リサイタル>を聴きに行った。

兵庫県立芸術文化センターは、西宮北口駅直結の新しいホール。
エントランスの採光やシースルーエレベーター、植物の配し方、
と設計のこまやかさを感じる、大変すばらしい建物であった。
大ホールも椅子、手すりを始め壁面もすべて木製。
まさにホール自体が楽器といった風情。
ここで今宵どんな演奏が聴けるのか・・。


<プログラム>

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K330
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ショパン:バラード第4番

~~~~~休憩~~~~~

ショパン:4つのマズルカ 作品24
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番「葬送」


プログラムは当初の発表とは多少変更があったが、
インタビューによると、ツィメルマンはピアノの調子等さまざまなことに配慮し、
プログラムについてはフレキシブルに考えているようだ。

モーツァルトについては、演奏者自身が大変楽しそうであり、
茶目っ気たっぷりのしぐさもあったりで、こちらも心から楽しめた。
左右のペダルをとにかく細かく使い分けて、
強弱とは関係なく巧みに左ペダルで音色のコントロールをするあたり、
やはり当時の楽器をふまえての奏法かと思われた。

次のラヴェル・・
さあ、どんな音色で始まるのかと固唾をのんで待つ中、
なんと数人の客が席探し。
たしかに曲と曲の間は短めかもしれないが、
いくらなんでも後ろからホールに入り、前から数列目の席に到達するのは無理だ。
数人がうろうろする中、曲は始まった。

そうこうしているうちに、今度はセキの大合唱。
モーツァルトの時から、コホンコホンとあちこちから聞こえてはいたが、
「ガマンできません・・・・コホン・・」という類のものではなく、
どうきいても「ごほん!」という遠慮のない咳払い、
そしてそれに便乗して私も私も・・・・と。
さらに、最悪なことに最後のこれ以上ないという超弱音とかぶるように
「ぴーーーーーーー」という電子音が!

マエストロ、挨拶もせずに舞台を下がられました。
「私は1つの曲を完璧に準備するのに10年を要します」とおっしゃるくらい周到な用意をされても、
こんな聴衆では・・・・
残念なことにこの曲に関しては、私もほとんど集中できなかった。

続くショパンプログラムに関しては、
音を作りに作り、練りに練った演奏という感じではなく、
よくいうと「感興にまかせてストレートに」といった趣。
テクニックは冴え渡り、バラード4番の怒涛のコーダもまさに完璧。
ツィメルマンのバラードは昔の映像を見たことがあるのだが、
それとは明らかに違っていて、もしかしたら曲が生まれた時点での姿というのは
案外こういうものだったかもしれない・・と思った。

マズルカは、4曲のつながりを強く感じ、とても新鮮な思いで聴いた。
独特なリズムをここまで自然に演奏するのは、
やはりポーランド出身ということを思わずにはいられない。

そして・・・「マズルカ」と「葬送」はどうも続けて弾くつもりだったようなのだ。
だが、拍手。。しかたなく立ってお辞儀。

「葬送」はもう、驚くしかなかった。
まずテンポがすごく速かった。
ツィメルマンがいつもどの程度の速度で弾くのか知らないので、私にはなんとも言えないのだが、
若きポゴレリチの「葬送」よりももっと速く、マエストロの超絶技巧をもってしても、冒頭かすってしまう音があったほどだ。
オクターブの連打なんか眩暈がしそう。
はっきり言って、これは「怒れる超高速葬送」だった。
第3楽章は終わり近くは左ペダルを踏みこみ、もはやフォルテになることもなく、
あたかも葬列が遠く遠く過ぎ去るように、消えるように終わった。
第4楽章、息もつかせぬプレスト。
が、またまた早過ぎる拍手。

結局、アンコールはなかった。
どうもツィメルマンは怒っていたのではないだろうか・・・
CDなどからは聴かれないような、感情をぶつけるような音も出ていた気がする。
それはそれで、聴衆としては貴重な機会だったといえなくもないのだが。

「ナイスミュージックやったなあ」
と、出口で兄ちゃんたちが語り合っていた。
いつもなら、ちょっと笑わしてもらうが、今日はちょっと・・な気分だ。



腹は立ってもお金は盗るな

2006年05月26日 19時47分59秒 | 雑感
今朝どうも体の節々が痛かった。
思い当たることあり。
昨日公園で、子供らに大人気のチャーシュー号を押して、公園を何周もしたこと(しかも二人乗り)、
「イナバウアー」とかいいながら、リンボーダンスよろしく鉄棒くぐりをしたこと、
・・・年を考えなさい!ということですね、きっと。

「市内を走る路面電車の車掌が運賃を着服していた」という記事が新聞に載っていた。
よくある話とはいえ、そんなことしてたんだ・・・
この電車、ペリペイドカードで支払わない場合は、
客は必ず両替をして、きっかりの額を運賃箱に入れるようになっている。
ただ降り口に車掌がいるもんだから、急いでいる時とか両替を忘れた場合、
うっかり500円等をほいっと渡してしまう。(私だけか?)
すると必ず一回両替をしてくれ、しかるのちに正確な額の運賃を支払うのだが、
この際車掌に渡すと「箱に入れてください」といわれる。
「入れてくれたっていいじゃん、ケチ」と思ったこともないわけではない。
いやいや手渡しするとポケットに入れちゃう車掌さんがいるなんて、
思いもしないもんですから・・・。

でも、車掌さんは時々気の毒なのだ。
以前、<ちょっと大丈夫か・・>な感じのおじさんが降りようとして
「○○から乗ったんじゃが、兄ちゃんなんぼじゃ」と車掌にたずねた。
「140円です」
「バカかお前は!120円じゃろが。そんなことも知らんで車掌やりよるんか」
そのあとも、そのおじさんは、ずーっと大声で車掌を罵っていた。
・・・知ってるなら、なぜきく?

昨日も・・・・
ゆずりあいの席全部を占領して一人宴会のおっさん。
全身迷彩服。
付近には液体が四方八方に流れ出している。
どうやら、その液体はおっさんが持っている500mlのビール缶に発したものらしかった。
つかつかと車掌、「こういうのこぼされたら迷惑なんで」かなんか言ってる模様。
赤ら顔で一人ゴキゲンなおっさん、
「しょうゆや油じゃあるまいに、なぁにをいいよるか。
こんなもん、す~ぐ蒸発するんじゃ、なあ」

と、アホウの同士と見なされた私に力強い視線。

おっさん、私だって、びいるに蒸発しない成分が含まれていることくらい
知っとりますがな・・・・。


ラフマニノフ&ブラームスの夕べ

2006年05月25日 22時29分54秒 | ピアノ
「樋口麻理リサイタル」を聴いてきた。

~~~~~前半のプログラム~~~~~~
<バッハ=ラフマニノフ>
無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番より
―プレリュード、ガヴォット、ジーグ

<ラフマニノフ>
ライラック 作品21―5
プレリュード 作品23―6
コレルリの主題による変奏曲 作品42

~~~~~後半のプログラム~~~~~
<ブラームス>
バラード 作品10
ソナタ第1番 作品1 


という技術的にも内容的にも重量級のプログラムで、聴く方も自然に気合いが入った。

最初のプログラムでは、細かな技術もさることながら、
広いホールのすみずみにまで強音も弱音も豊かに響かせる幅の広さと、
ピアノのコントロールの巧みさに大変驚いた。

「コレルリ」では上下行する音列のそれぞれの意味や、宙に漂う高音の不可思議さ、鐘を突くような強打、
・・・それらが「ラフマニノフの音楽に必須の要素なのだ」ということが私のような不勉強なものにもダイレクトに伝わって来、
演奏者の楽曲への深い深い理解がうかがわれた。

後半プログラムでは一転、
ブラームスの音楽が、自然に演奏者自身の中から紡ぎだされるという世界だった。
とくに「バラード作品10」の4曲は、「曲の勢いで聴かせる」といった類の曲ではないだけに、
音色・響き・構成、こういったもので聴衆をひきつける、非常に高度な次元の演奏だったように思う。

特筆すべきは低音の多様さであろうか。
歌う、語る、叫ぶといった人の声を思わせる表現の一方で、
森に吹く風、海底にくぐもる潮の音、といった自然の音が左手から生み出されていた。
今まで私は、何回かCDでこの曲を聴いていたのだが、こんなにも素晴らしい曲なのだという感想を初めて持ち、
幸せなひとときだった。

ラストのソナタは圧巻。
特に終楽章は、技術的にも「跳躍」「オクターブの連打」「3度のスケール」が相当速いテンポで繰り広げられ、見ていてもほんとに大変な技術なのだが、
これを聴き手に特に難しい感じも与えず、どんどん終結へ向けてたたみかけるように展開していく。
まさに「ブラボー!」。


樋口氏はこれまでもベートーベンピアノソナタ全曲演奏など、
非常に硬派な活動をされておられる。
地元におられるので、また聴く機会にも恵まれるかと思うが、
私にとって、続けて聴いていきたい演奏家の一人となった。




禁止される以前の問題

2006年05月24日 19時32分19秒 | 雑感
6月から、自転車の片手運転が禁止になるそうだ。
片手で傘をさしたり、携帯を持ったりしながらの運転はいけません、ということらしい。
ニュースでも特集していたが、この一件ではからずも「桶屋」になったのは
傘をハンドルにつける便利グッズの製造・販売関係者で、
逆に長年の伝統と効率の点から苦境に立たされているのが、
蕎麦等の出前だということだった。

便利グッズはともかくとして、
市民としては、片手出前の光景が見られなくなるというのはちょっと寂しい気もする。
ということは、「出前一丁」のパッケージも古き良き時代のスタイルということになるのだろうか?

歩行者の立場としては、危険と思われる行為がひとつでも減っていくのは大変望ましい。
私自身、自転車には上の子が幼稚園時代の3年間乗ったが、今は自転車自体処分してしまった。
そのころ子供を後ろに積んで走るのは日常的だったが、傘を差して走ったことはない。
いや、走れない。
走り始めの頃は道路脇の電柱をチラと眺めただけで、次の瞬間はそちらにすり寄ってしまうという状態だったので、
ましてや片手でハンドルを制御するのは3年たってもまったくダメだった。

以前も運動能力の偏りについて書いたことがあったのだが、
私<ながら>はできても、左右の手で違う種類のことをやるのは苦手。
なので、弦楽器をやるなんてもう絶対にムリと思われ・・・・
「ピアノだって左右違う動きじゃないか」といわれるかもしれないが、
基本的に鍵盤上を左右に動くという点では同じですから。
別に右で弾いて左で掃除してとか、そういう違ったことをするわけではない。
空中で「右手で3拍子、左手で4拍子」は振れても、
右でハンドル、左で傘はできないと思われ・・・・・
ただ、下の子が生まれてからは左でピアノを弾き、
右でアンパンマンのお絵かきということは訓練によって出来るようになったので(どんな訓練じゃ・・)、
もしかしたら、右ハンドル左傘も出来るようになるかもしれない。

・・・って、禁止されるんだから、今から練習しないように!


お食い初め by 親知らず

2006年05月23日 21時15分08秒 | 家族・友人等
歯が生えてきた。
息子の話でも娘の話でもない。私のことだ。

もちろんいわゆる「親知らず」といわれる、あってもなくてもいいような、
あると逆にやっかいなことの多い、例のあの歯だ。

私は、ほかのことはだいたいにおいて早熟傾向にあったのだが、
歯に関しては、永久歯が出揃うのも遅く、
「親知らず」にいたっては、20代後半になってもなかなか生えてこなかったので
たぶん生えないのだろう・・・とタカをくくっていたら、
28~29くらいになって突如生えた。
たしか、ちゃんと生えたのは1本だったような気がするのだが、
レントゲンに「生えかかってる」2本を見つけた歯医者氏、
もう舌なめずりをせんばかりに「抜きましょう!抜きましょう!」と。
左上以外の3本は、うれしそうな歯医者氏のペンチに次々とおさまっていった。

私の大きな誤解だとは思うのだが、
どうも歯医者氏というのは、歯を抜きたいのではないか・・・と思えてしかたがない。
まだ乳歯がたくさん残っていたころ、父に連れられて歯医者にいったら、
やはりレントゲンを見て「これも抜いておきましょう」と
いっぺんに2本抜かれ、貧血を起こしてしまったらしい(私は記憶していないが・・)。
それとも、私の歯が「抜き心」をそそるのか?

「親知らず」が、あと1本残っているということは完全に忘れていたのだが、
なんだか、左上がかゆいな、と思っているうちに生えてきた。
10数年ぶりだ。
だいたいがこの年になって、新たに「生えてくる」モンなんてロクなものがなく、
場合によっては命にかかわるようなものばかりだ。
それが、なんだか体にとりあえずは無害のものが生えてくるなんて妙な感じ。
かわりにどっか抜けなければいいが・・・。

いや、とっくに記憶の方は抜け始めてるのですけどね  



耳穿つプレリュード

2006年05月22日 13時33分24秒 | ピアノ
またまた明日から雨だそうで、
洗濯機を何回回したか記憶にないくらい、洗いものをした。

ピアノの方はおととい「悲愴」を弾いて、とりあえずまたベートーベンはお休み。
シューマンとグリーグは7月に本番があるので継続しているけれども、
そればかりでは技術が偏るので、弾いたことがあり、かつ短い曲・・・と思って、
ショパンのプレリュードをまたぼちぼち見直すことにした。

プレリュードは「単品でもいけるのだけど、コースの方がより味わえる」という曲で、
24曲通し、または数曲ずつまとめて弾くとより面白いといわれる。
なにしろ最初の方は曲も短いし、極度に難しいわけでもないので、どんどん進んでうれしいのだが、
16番あたりからエチュード並みのものも混ざり、全曲やるのは少し根性がいる。
私は、エチュードは「見ただけで挫折」組なので、たった4曲しか弾いたことがなく、
それすらもまともに弾けないし、これからも弾くかどうかはあやしい。
でも、プレリュードは好きなので、2巡目を始めることにした。

久しぶりにプレリュードのCDも聴いてみた。
アルゲリチとポゴレリチ。アルゲリチは好きなピアニストではあるのだが、
加速したときの制御不能な感じが好ましい曲とそうでない曲があって、
プレリュードに関しては、私としてはもう少し落ち着いた部分も欲しいように思っている。
ポゴレリチのCDは初めて聴いたときは、あまりの濃さに24曲続けて聴くことができず、半分くらいでやめた記憶がある。
今日はどうかな・・と思ってかけてみたら、洗濯し<ながら>だったおかげか
2巡は軽く聴くことができた。
もしかしたら、ここ1年のあいだに、自分自身の「濃さ」が上がってきたせいかもしれないが・・・・(笑)。

ポゴレリチは稀代の超絶技巧の持ち主であり、
速い曲に関してはもちろんただただ驚くばかりなのだが、
耳を奪われてしまうのは遅い曲だ。
「雨だれ」・・・・・
・・・こんなゆっくりした濃い雨だれが落ちてきたら屋根に穴があく。
このテンポをおしまいまで保つのも至難。アルゲリチが4分51秒で弾いているのに対し、7分22秒。
聴いているほうも胸を締め付けられる思いがするが、
まさにこれは「雨だれ」というよりは「胸の鼓動」のようであり、
それがあまりにゆっくりなので聴いているほうは息苦しくなるのではないか。
心臓が一回収縮し、体のすみずみにまで血液を送りこむ・・・その映像をスローモーションで再現されているかのようにも感じる。
これはおそらく演奏者の意図した遅さなのであり、近年ポゴレリチはこの傾向が一層強まっているとも聞く。

洗濯機を回し終わり、干しながら聴いていたところ、
18曲目で洗濯機のホースが残り水を「ゴゴ・・」と吐き出した。
・・・・・いやそうではなく、その音はCDから聴こえていた。
ノイズか・・・・耳をつけて聴いてみたが、どうもそれはポゴレリチの鼻息?!
これ、はんぱじゃない音です。
子供のころ「レコードに幽霊の声が入ってるよ」とみんなで耳をそばだてたものだが、
そばだてる必要なし。

鼻孔ならぬ耳孔を突かれました。