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~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

こんな半世紀ですが、なにか

2017年08月03日 08時57分36秒 | 雑感

おはようございます。

 

いきなりですが、私は「くだらないこと」「無駄なこと」「寄り道」が大好きです。

どういうわけか「無駄のない効率の良いこと」を好むように思われがちなんですけれども、まったく違う。ただし心底「ボーッと」していることはあまりないです。外からはそう見えることがあったとしても、頭のなかはくだらないことでフル回転状態。

ふだん徒歩での移動が多いのですけれども、とにかく裏道に寄っては、他人んちの構えや、小さいお店をチェックする。

寄り道はともかく、「くだらないこと」と「無駄なこと」については、結果そうであっただけで、自分としては大真面目です。

たとえば、映画『死霊の盆踊り』が、あそこまでくだらない、世にもまれなZ級映画であるなんて、事前には予想もつかない。これはくだらなさすぎて、むしろ得難い経験でした。映画は今はそこまでみてないですけども、事前リサーチしないで、ドバっと借りていた時期は、打率3割以下だったような・・・・

今では、ネット上で妙なところにちょいちょい入り込んでは、「ほえええ、こんな世界があるのか」と感心することたびたび(殴)。

 

これは「くだらないこと」「無駄なこと」というより「寄り道」といえるのかもしれませんけれども、「将来つきたい職業」なんて、大学4年になっても二転三転。公務員試験も一般企業も受け、教育実習も受け、出版社の紹介もあったようななかったような・・・・、結局はデパートに就職。当時としてはけっこうありふれた話ではあります。

就職してからも、デパート→医学系出版社→病院秘書と7年程度の間に3つも職を変え・・・・、どう考えても落ち着きのないやつだ。

それも別にクビになったり、会社があぶなくなったわけではなく(今でいうブラックな会社もあるにはありましたが)、むしろ、頼まれもしないのに残業したりのめり込みすぎては飽きる・・・というパターン。

趣味にしても、表向き「学生時代4年間ピアノサークルに所属し」となっており、そのこと自体は決してウソではないですし、ちゃんと発表会にも出ていたのですけれども、所属していたサークルは、ほかに「筝曲」「日舞」。あと個人的に「茶道」を週2、「着付け」も習っていたので、ほぼ毎日なにかの課外活動があり、さらに、夜のアルコール活動とか、寮の仕事もたまにやったり、ごくまれにアルバイトやったり、・・・ほんとにまとまらないやつだ。

それからすると、来年で結婚25周年だとか(内容・実態不問)、子供がとりあえず育っているとか、ピアノを再開して18年だとか、同じ師匠に10年もついているだとか・・・・驚きです。奇跡です。今、道に迷ってる若い衆、安心してください。

そういえばですね、病院秘書やってるとき(たしか28~29歳時)に、あるアルバイトの方から面と向かってこうきかれました。

「うちの娘(都下でも有名な進学校に通っていらしたはず)が、あなたに似ているんです。あなたのような人生を送らずに済むにはどうしたらいいと思いますか?」

・・・・・・知らんがな、そんなこと。こっちがききたい。

 


効いてくるまでの時間

2017年08月01日 10時11分08秒 | 私のピアノ歴

・・・という2回の前置きのあとで、やっとこさ、2007年3月の公開レッスンの話です。

これは、当時の記事のままがよかろうと思いますので、貼っておきます。<松本氏、公開レッスン>

この記事と私の記憶によると、この日は大荒れのどしゃぶり。替えのスカートを持っていって着替えたことを覚えています。

継続性のない公開レッスンとはいえ、どこの馬の骨、じゃない、どこの怪しいおばさんのピアノを、27の新進ピアニストに聴かせるってどういうことよ・・・って今にして思いますけども、やはりアヤシかったらしく、かなり身上調査されてますね(笑)。

 私はこの年(2007年)は、2月に、60分くらいの仲間に聴いてもらう会(リサイタルなどとは似ても似つかぬもの)をやり、

その後、3人くらいの演奏会をやり、3月ですべての人前演奏が終わっておりました。

コンペもこの年は出る予定はなく、4月以降まったくのフリー。目標を失ったような状態でもありましたので、

とりあえずこの時のレッスンのアドバイスを元に、1年間ひとりで、基礎的なトレーニングや脱力について来る日も来る日も考え、試行錯誤。

考えてみたら、1回のレッスンで1年間もつってすごいことです(笑)。

 

そのあとはたしか1年間があき、その後しばらく3か月に1回くらいだったような気がします。

だいたい1か月に1回(たまにドバっと間隔あきますけど)のペースになって数年。

もちろん教え方そのものが変わってきた点もありますし、先生自身のマイブームっていうんでしょうか?楽曲や奏法で意識が向いていることに関しては、自然レッスンにも反映されますけれども、変わらないこともありますね。

こちらからの疑問点、困っていること、奏法については、丁寧で詳しい指導ですけれども、

音を聴くこと、あと演奏や音楽そのものについての姿勢(体のことではないです、精神的な)という、コアなことに関しては、妥協を許さず、こちらが自分で探り当てるまで待ち、安易な助言はしない。

私は、師事しているのが松本氏だけであり、しかも長期の定期の生徒であるのでよくわかるのですけれども、

その場では「ひどい」とか「きつい」とか「意味わかんない」とか思ったとしても(笑 そうめったにありませんけれども)、

2,3年たってくると、「ああ、こういうことだったのか」というより、すでに自分の中に備わりつつあることがわかる。

基礎的なこと、譜面上のことはともかく、

そういう根源的なことというのは、サジェスチョンを与えて、あとはそれが萌芽し、成長してくるのを待つしかありません。

週単位月単位ではなく数年単位の話です。これは、おそらく、大人でも子供でも変わらない。

よって(というわけでもないですけれども)、私に関していうと、目先の楽曲に関しては、いろいろ間に合わないことも多く、

常に課題は残っていくんですけれども、2年たって3年たって再び立ち返ったとき、なにか確かなものとして残っている。

これは音楽に限らずなんでもそうだと思うんですね。教える側、教えられる側、どちらも焦ってはいけない。

そういう意味で、長期に師事するというのは、どちらにとっても重いことであるし、必要なことだと思っています。

 

ここからは余談です。

私の敬愛する数人の音楽家の方々、

演奏しているとき、話をしているとき、どの時でも素敵だと思うんですけれども、

演奏しているときも話をしているときも、どこかコントロールが効いているんです。

ぱっと楽譜に目を移し、集中している無心な瞬間(演奏せずに譜面をだけを見ている時)、

この時、ちょっと姿が透明になるんですよ、ほんとうに。

いつもこの時「ああホンモノだ」って思います。

 

 

 

 


結局きっかけは己が招いている

2017年08月01日 08時47分34秒 | 私のピアノ歴

8月に入りました。

別にブログ強化週間とか、夏休みの日記とか課題というわけではないのですけれども、昨日より若干、左脳過活動状態(笑)。

お時間のある方はお付き合いいただければ幸いです。

さて、昨日の「ピアノなんかにうつつを抜かして・・・」の続きです。そうそう、今師事している先生の話。

 

私、子供時分、某音楽教室専門コースに籍をおいておりまして、曲作りがメイン。演奏はそう好きでもなく、「たまたま楽器がピアノであった」という程度。当時は、電子オルガンの方がはるかに素敵でイケてる楽器だったんです。

当時は、というべきか、自分の先生が、というべきかはわかりませんが、奏法はいわゆる「ハイフィンガー」というもので、とにかく「指をしっかりあげて1音ずつはっきりくっきり出す」というトレーニングを受けました。

同時どんな弾き方をしていたのか・・・優秀作品集レコードが自作自演(文字通りの)ですので聴いてみるとわかるのかもしれませんけど、LPなのでハードもないし、面倒です。まあ、いいや。

13歳でやめたあとは、一般大学のピアノサークルに入って盛大に遊び弾きし(月に1回だか隔週だかレッスンはうけてましたけども)、その後再開したのは、35過ぎてです。・・・といってもすでに17年あまりが経過しました(笑)。

再開の動機は、これまた何度も言ってますけども、幼児の音楽教室に入った息子が、それはもうちょろちょろして出たり入ったり、一時もすわっておらず、こちらのストレスがすさまじく、「ええい、もうそういうことならこっちが弾いてやる」というよくわからない逆ギレしたことです。

逆ギレまではよかったんですけどね、指は動かないし、楽譜は両段一緒には読めなくなってるし、あったはずの絶対音感もあやしく、ピアノを弾くことでさらにストレス倍加。・・・ピアノストレス倍増スパイラル。

そういう状況からなんとか2年弱で抜けたような気がします。それで、今度は「子供が弦楽器かなんかやり始めたら、せめて簡単な伴奏のひとつでもできるように」が目標。もちろんまだ電子ピアノです。

そのころ、東京から広島に転居しまして、ある日、楽譜売り場で、<PTNAコンペティション アミューズ部門(いまでいうグランミューズ部門コンペティション)>の要項を目にしました。「なんと、趣味のおとなでこんなもの好きなことをする人がいるのか?! ほええ、上手い人は考えることがおかしい」と思ったはずなのに、その1年後か半年後にひやかしで出てしまい、その後はこの体たらく。振り返ると、あれがいけない。・・・ええ、うつつを抜かすことになった元凶です(爆)。

そしてその後2-3年の間に、ピアノは電子ピアノ→中古アップライト→グランドピアノと変わり、演奏会を聴きに行ったりもするようになっておりました。そういうある日、「HIROSHIMA MUSIC FESTIVAL 室内楽セミナー」というパンフレットをこれまた目にする。当時、弦楽器の友人ができたりして室内楽で遊んでいたこともあり、ちょっと興味がありました。で、どういうわけか「こういうものをやってみたい(弾く方でなく事務の方ですね)」と瞬間思ったのがなにかの間違い。その6年後か7年後に、呉の室内楽セミナーの事務局をやる羽目になるとは・・・。

セミナーの事務局のことはおいといて、その「HIROSHIMA MUSIC FESTIVAL 室内楽セミナー」の日程のなかに、ピアノの公開個人レッスンがあったんですね。もちろん私は申し込んでないです。どうも友人は申し込んでいたらしい。その友人がその日身内の都合でどうにも出られなくなり、「代わりに受けない?」と頼まれた。・・・・・それが今の師匠との出会い。まったくの偶然というか一種の事故です(笑)。

 

      ・・・・前置きどんだけ、長いん・・・・(つづく)

 


ピアノなんかにうつつを抜かして・・・

2017年08月01日 00時26分46秒 | 私のピアノ歴

そういえば、今の師に出会ってからから約10年になります。

もっとも2007年3月の初回は公開レッスンであり、その次は1年後、そのあとは3か月とか半年おきくらいのこともあり、

だいたい月1回くらいになったのはここ数年というところです。

2007年時点ではまだ27歳でいらして、当時私が40台前半ですから、

見かけはともかく(逃)、年齢的にはよほどの差です。

このブログにもたびたび書いておりますけれども、当時私は誰にもついておらず、ひとりでピアニストの録画等をみては、ああでもないこうでもない、とやっておりました。

・・・ま、それでも良かったんです。まだ小さい子もおりましたし、コンクールとか受けたことはあっても、趣味道の一線を守っておりましたので(笑)。

 

ちょっと話はそれますけれども、私、昭和30年代九州の生まれでして(とりあえず県庁所在地)、

高校生までは、身近にピアノを弾く人はいても、弦楽器など弾く人はみたこともなく、

舶来のピアノ(スタインウェイだったと思います)を初めてみた、弾いたのは、高2の時。合唱部の雇われピアノ伴奏で大分の遠征について行き、「わああ、なんだこのピアノは?!こういうピアノがあるのなら13歳でやめなきゃよかったな」と思った記憶がございます(笑)。

で、大学に入って、ピアノも手元にないのにピアノサークルに入り、好き勝手に弾き(顧問の先生のお宅で連弾や2台、レア楽譜の初見大会などで遊び暮らしました)、

就職してから、子育て初期までは、ピアノのことなんかほぼ忘れてました。

その後30台後半くらいで、調律師さんの本を読み、調律って音合わせるだけじゃないんだ!?とたまげ、音色がどうこうって、そういう話できる調律師さんと話してみたい・・・と思い、

どういうわけか、短期間に、電子ピアノ → 中古アップライト → グランドピアノ と買い替え、

なぜか、今まで見たことも触ったこともしゃべったこともなかった、演奏を生業とする人種に接する機会をも得るようにもなった、

・・・・・という波乱万丈の人生です(違)。

 

そういう歴史を踏まえての話なんですけれども、

なにごとも、「一線を超える」って勇気いるじゃないですか?

専業主婦の趣味なのに、グランド買うとか防音室作るとか、子供預けてまでレッスン受けに行く、とか、コンクールとかで遠征するとか。

ふつうに考えると完全にイカれてます。実際、私の亡き父は、主人に「うちの娘がピアノになんかうつつを抜かして誠に申し訳ない」と両手をつきました。

これはですね、もう、申し訳ないけれども、「うつつを抜かしたのが、ホストやクスリや賭け事でなくてよかった」くらいに思ってもらうしか仕方ないです。たぶんピアノでなくても、遅かれ早かれなにか別のものにつぎ込んでいるに違いありません。一種の依存症には違いない。

 

・・・という状況からのレッスン話は、次回。