~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

自分の顔が映るほうがいやだが・・・

2014年02月27日 22時51分47秒 | 家族・友人等

最近気づいたことなんですけど、娘のあとに防音室に入ると、ピアノの譜面台にずらずら~~と楽譜が並べてあるんです。

ピアノを弾いたあとでなくて、ヴァイオリンの練習のあとでもびっしりと置いてある。

私は、練習したあと自分の楽譜をそのままだらしなく置きっぱなしにするタイプ。ほかのことならそういうことは娘は許さないというか大苦情を言ってくるはずなんですが、こと楽譜が置きっぱなしなことについてはなにも言わないどころか、自分の楽譜をその上に置いていたりするわけです。

・・・これはなにかおかしい・・・

というわけで、ある日、わざと譜面台の上をきれいに片付けておいて、練習する娘について入ってみたわけです。

すると、「えっと、譜面台に楽譜をおいて、っと」とやっている。

これから練習するのはヴァイオリンだろうに、なぜピアノ譜をピアノの譜面台に敷き詰めてる?

でなぜなのかたずねてみたところ、「なにか映るのがこわいから」というんです。・・・そういえば、いつもでっかいクマのぬいぐるみを抱いて入ってますねえ、5年生にもなるというのに。

(振り返れば、このマンションに越してきて防音室を作ったとき、息子は4年生でしたけど、これがさっぱり練習しなくなりました。前の家では練習つつぬけで文句も言われてたわけですが、防音室は文句も言われないかわりに一人ぼっちでもある。・・・・これまたビビりでしたから、怖かったのであろうと推察(笑)。)

そういう娘の話を、ある学生さんにしてみたところ、なんと、彼女も譜面台に楽譜を敷き詰める・・という(驚)。

理由は娘と同じ。蓋の裏に手が映るのが怖いのも、ピアノの下が怖いの同じ。

ええ~~、そうなんだ。そんなことあるんだとびっくり。

そりゃ私だって、だれもいないホールで練習してるとき、なにかの気配がしたり、建物がビシビシっと音たてたらびくっとしますけどね。うちの中では別に怖いことないです。

なんかかわいいですねえ~(本人は必死なんだろうけど)。

 

怖かったというかびっくりしたことと言えば・・・昔こんなことありました。

ある病院に勤めていたとき、夜、医局でスタッフと話しこんでおりました。

すると、なんかガタガタっというわけです。でもそこは2階なんですよ、なんだろう・・・

と窓を見上げたら、なんと人が張り付いてたんです。ほぼスパイダーマン状態。

「誰?」とたずねたら、「・・・・患者です」と。

窓といっても、廊下側ではないので、どうやってそんなところにやってきたのかわけわからんです。

さすがにこれにはビビった・・・・おもしろかったけど(笑)。


松本和将ピアノリサイタル ベートーヴェンピアノソナタ全曲シリーズ Part3

2014年02月23日 22時36分09秒 | コンサート(企画、協力、出演 含む)

さて、2月23日(日)、「松本和将ピアノリサイタル ベートーヴェンピアノソナタ全曲シリーズ Part3」が開催されました。

2013年6月2日「1、2、3、6番」、 10月13日「4、5、7、8番」に続いて、今回は「9、11、13、14、20」。演奏順は「9、20、13、11、14番」。

3回目になると、そろそろ中期と言われる作品群に差し掛かりますし、初期よりおなじみの曲が多くなってくることもあり、ちょっと空気も変わってきた感じがします。

第1回はおそらく、弾く側にも聴く側にも「大変なことを始めたなあ」という緊張感とちょっとした悲壮感(?)みたいなものがあり、それにもしかすると若きベートーヴェン自身の気負いのようなものもミックスされ、独特の雰囲気がありました。

第2回あたりも、タイトなスケジュールのなか、暗譜してさらに高みに持っていくのはいったいどれだけ大変なんだろう・・と思ったりもしましたし、ご本人もブログ等でそんなことを書き綴っておられたように思います。

今回もスケジュール的には前回とどっちが、というくらいきついのは存じてましたけど、前2回とは違った気持ちが双方に生まれてきたように思いました。弾き手と聴き手が一緒になってソナタの森に分け入っていくという感じでしょうか。

というわけで、今回はタキシードです(・・関係ないですね、笑)。

前半は9、20、13番。

20番は、一般的には、「ソナチネアルバムに収録されている<子供がよく弾く曲>」という認識だと思うのですけど、大人になってからの学習者とか趣味のピアノ弾きの間ではわりに弾かれる曲で、大人が弾いてもけっこういい曲なんですよね。プロのピアニストの有料のコンサートで聴くことはさすがにありませんが・・・。こういう曲が聴けるのも全曲演奏会ならではのことです。

後半は11、14番。

トークでは、「いわゆる<中期>のころに、それまでのソナタをベートーヴェンはどのように変化させていったのか」ということの解説がありました。それまでソナタ形式でかっちりと作られていた第1楽章がやわらかくなって、メロディー不在になったり、変奏曲になったり・・。逆に終楽章のウエイトが高まったり。

11番と14番を続けて聴くというのは、そういう意味においても相当興味深いことでした。・・・・なるほど~。

 

ここからは私自身の個人的な思い出・・・

9番:第2楽章で無限ループに陥って暗譜落ち。たしかあれは2011年(汗)。

11番:思ったより長いし、細かいところが弾きにくくて全楽章仕上げるのにヘトヘトになった。

14番:第2楽章をある先生にレッスンしていただいたとき「君のは阿波踊りだ」と言われた。

・・・・・・正直、ロクでもない記憶ばかり・・・・・・ 


領土拡大??

2014年02月23日 13時58分57秒 | 家族・友人等

だいぶ暖かくなってきました。これでほんとに春の向かうのかはわかりませんけど、受験生(本日から行きました)には、ありがたいことです。

今日午前は娘のヴァイオリンレッスン。ピアノ弾きにはまず経験のないことですけど、楽器を持ち歩く者はたまーに、交通機関内で見ず知らずの方に声かけられます。

「・・・・それってなんの楽器ですか?」

娘は慣れているからなのか相手が知らないおじさんだからかなのかわかりませんけど、顔色ひとつかえずに「ヴァイオリンです」としれっと応える。

「へええ、バイオリンの形しとらんね。そんなかに入っとるんじゃね」

から始まり、「そういえば、この前テレビ見とったらストラディヴァリの番組やっとって、科学的に分析しても音色の違いはわからんとか、そのまま設計してそっくりに作っても同じにはならんとかいっとったけど、なにが違うんかね~~」という話。

その番組は私も見てましたので、おおいに盛り上がり、そのあとはオーディオ機器の話。スピーカーの中の木材の種類だとかその木材の合板のやり方とか、あと音源ソフトの話だとか。。。こうなるともう私はついていけないのでありがたく拝聴するのみ。そして「オーディオの世界もいなげなもんよ」

・・・いなげ・・・?

そういうば、そういう方言をきいたこともあったし、友人が書いていたこともあったような気がするのですが、思い出せない。娘にきいたら、「きいたことあるし雰囲気はわかるけど説明できん」。・・・えっと、<変な>とか<変わった>とかでいいですかね?

そしてヴァイオリンのレッスン。

今日は、ヴィヴァルディのソナタの全楽章通しだったので、伴奏がてらこの曲には今週私もつきあっていたのですが、カイザーのほうは何をやってるのだかさっぱり。

途中から「えっ?初見?」という感じになってきて(汗)、案の定先生にも「どこまで練習したの?」と止められると、「全部練習しました」というわけですね、これが。

ありがたいことに(というか、申し訳ないというか)、先生「せっかくやったのに、その成果がでてないねえ」とおっしゃり、2小節くらいずつ区切って反復して練習するように言われるわけです。

6年も習ってて、まだざーっと最後まで通すだけの練習しかしてないのは、親も知ってるんですが、本人の自覚がないことには、せいぜいもって三日です(殴)。

なぜか、娘、今日は「ほうほう」と思ったらしい。そして言う事が、

「つまり、発表会前のピアノみたいに『今日はここまで』って、きっちり攻めていくわけね。大和朝廷が領土拡大していったみたいに」

大和朝廷うんぬんのたとえはどうだかわかりませんけど、「今日はここまで」はなにも発表会前だけのハナシじゃないのよっ。でも、今までは言われても言われても逆ギレするばかりだったのが、最近弓だけ持つ練習したり、「こうやったときに音が悪くなる」とか言い始めたのは評価しよう。・・・・長かったよ、ここまで(泣)。 


オフライン

2014年02月16日 12時21分04秒 | 雑感

冬季オリンピックもたけなわの折、雪も大変な勢いで、こと首都圏においては、日常生活にもさまざまな支障が生じている模様。今週なかばにもまた降雪の予報があります。これまた真っ最中の私大受験のみなさま、どうか滞りなく試験を受けられますように。

これは雪とは全然関係のない話なのですが、けさ起きてみたら、ネットが通じない。これはままあることですので、パソコンなのかルーターなのか??と触ってみたのですが、いつものようにはすぐ回復しない。「もしや??」と思って固定電話をチェックしてみたところ、これが不通になっておりまして、ウンともスンともいわない。電気は通じているので明りはついてますけど、ただの置物と化しておりました。

・・・・これは困る・・非常に困る・・・

というわけで、たよりになるのは携帯。まずは、うちに電話が通じなくなるとパニックになりそうな母に「かくかくしかじかというわけである。よって何かあったら携帯に電話するように」と連絡したところ、その後鳴ったのは携帯は携帯でも自分(母)の携帯。使いこなせなくて「もういらん!」と私に返されたので、たまたまこちらで所持していただけの物。もしこれが通じなかったら(母は自分の手元に置いているときは電源を切っておりました)、いったいどうしたんだろう??と思うもオソロシイ。・・・・・とはいえ、現在はすぐそこに住んでますので私が様子を見に行けばいいだけのことではあります。

その後しばらくはSNSを見るのも携帯、電話会社に連絡するのも携帯、・・というわけであってよかった携帯電話(涙)。電話線一本ダメになっただけでこのザマ。ネット依存の生活をあらためて痛感です。

1時間以上たったころ、電話会社から連絡があり、息子が出、あちこちのラインを抜いたり入れたり、立ったりしゃがんだりしてましたら、復旧しました。(・・・すいません、母、見てただけです)。

あまりにもアナログな修理で、「ええっ・・」って感じ。電話線にたぶんゴミがたまってたんでしょう(笑)。おかげさまで、ごちゃごちゃしていて立ち入るのも面倒だった電話関連機器周辺の掃除はできましたが。

 

やれやれ~~、と親子で脱力してましたら、テレビで「刀剣類展示即売会」のコマーシャル。

こういったものの好きな娘はすでに画面に食いついてます。そこで疑問・・・・「手裏剣は銃刀法違反の対象なんだろうか?」

ま、当然対象ですよね。こっそり護身用とかいって手裏剣持ち歩いていて、いざとなったとき「ビシッ」とかキメられたらひっくり返ります。

では「肥後守」はどうか?

刃渡りについては6センチが基準となるところらしいですが、長さよりもやはり「目的」が問題なようで、あるサイトによると「刃渡り5.8センチでも、目をぎらぎらさせながら街を歩いていたら、警察につかまります」とあります。私はなにも悪くことをしようと思っているわけではないので、これ以上調べませんけど、ご興味のある方は調べてみてください。ちなみに、肥後守とは、折り畳み式のナイフで、子供のころは、けっこう持ち歩いて鉛筆削ったりしたものですけど、今はたぶん学校に持っていったらいけないんでしょうね。

余談ながら(ほんとに余談)、「薩摩守」というのは無賃乗車のことです。なぜ、そういうのかということについてはこちらをご覧ください。

 


ひとりの愛好家として思う事

2014年02月09日 13時53分34秒 | その他音楽

さて、例の衝撃のニュースから4日たちました。(検索でコメント等が湧くのが面倒なので、とりあえずS氏とN氏ということで書かせていただきます)

2月5日の朝6時くらいに友人からメールが入っていました。「どうやらS氏の作品は別人ものだったらしい」ということで、私としては「たぶんやっかみ騒動か、だれかアシスタントがいたとかいうレベルのことであろう」と思っていたわけです。

そしたら、7時のNHKのニュースではご本人が「自分は構成等を指示しただけで、実際の作曲は別の人物に依頼していた」ということを認め、翌日にはゴーストであるN氏のほうが長時間の記者会見で詳細を語られたわけです。

詳細についてはもうニュース等で知られすぎてますので、特にここには記しません。

私は音楽関係者でもなく、とくにオタクなクラシックファンということでもなく、一般の音楽好きという立場、かつ話題のものはスルーしないというミーハー根性からして、2007年くらいからS氏のことは気になっており、

自伝は2007年第1刷のハードカバー(中古本)を持っていますし、

話題の「交響曲第1番」CDも持ってますし、子供はライブでオーケストラを聴きました。

弦楽系の曲のCDはレンタルで聴きましたし、ピアノソナタも借りる予定でした。

とくに熱狂したわけではありませんが、このブログにも書いたことがありますし、なかには涙するほどよかったと感じた曲もあります。

自伝や楽曲を通して、ちょいちょい疑念がなかったのかと言われれば皆無とはいえませんけど、今頃になって言うのはとても見苦しいですし、どこかこういう人物(天才といわれ、重い障害を抱えているといわれている人)は「自分には理解のできないところにいる人」と切り離して考えますので、とくにあれこれ思うこともありませんでした。

業界におけるゴーストライターの功罪とか、氏の自己演出(どこまでかはまだわかりませんが)については、おいおい世間が判断してくれることと思いますが、

クラシックに関わったことがある方なら、いかに、CDを売ったり、コンサートにお客さんを集めるが大変なのかは痛感されているはず。しかも現在生きている作曲家の手による作品で、かつ80分もかかる交響曲なんて、ふつうは企画持ち込まれた時点で「アウト」かと。

<自腹切って、ホール借りて、演奏者頼んで、練習会場借りてくださいね。入場料は有料だとホール料金が商業使用になるから、いっそ無料にしたほうがよくない?著作権料も相当かかかるよね?・・・・>

という感じじゃないでしょうか?

これをどういうわけかたった1曲の交響曲だけで18万枚CDが売れ、国内30か所以上のツアーまでやることになっていたわけです(まだ全部は終わってなかったようですが)。

専門家の意見はおいといて、一般人として考えるに、なぜこういうことになったのか・・・

テレビにおけるドキュメンタリーの見せ方、雑誌などでの取り上げ方等、マスコミの宣伝が大きかったというのは、もっともなことです。

では、なんでも宣伝さえすれば(真実かどうかは別として)、楽曲そのもの以外の部分で人の興味をひけば、みんなはCDを買い、コンサートへ足を運ぶのか?

今でこそ、ちょっとだけ日本の経済はよくなったんじゃないかと言われる部分もありますけど、ここ数年は不況で、公的機関や企業からの音楽界へのサポートも薄くなり、CDが売れないのはネットで簡単に聴けるから、コンサートに人が集まらないのはコンサートを聴きに出かける金銭的・時間的余裕がないから、ではなかったのか・・・・

実際のCD売れ枚数、チケットの売り上げの詳細はわかりませんけど、次々に赤字を生み出すような商売をするだけの余裕は業界にはないはずなので、少なくとも損にはなってなかったはず。

ということは、「なにかきっかけがあればCDも買う、コンサートにも行く」という潜在的需要はあるということなのでは?

だからといってその<きっかけ>をどんなものにしてもいい、なんてことは許されませんけど、少なくとも「クラシックのCDやコンサートいいんじゃない?」・・・くらいの人はたくさんいるっていうことですよね。

身近なところではうちの子は、「S氏(作といわれる)の交響曲が、部分的に似てるのなら、マーラーやショスタコ―ヴィッチのシンフォニーも聴いてみたい」、と思っているようです。

クラシックをそれなりに聴いてきた人が「なんだか、いろいろな曲のコラージュみたいでオリジナリティがないなあ」と感じた部分が、これまでクラシックになじみのない耳にはいちいち新鮮に驚きをもって聴かれるわけで、それはそれでいいんじゃないかな・・・と思うんです。

そして、これはマスコミではあまり言われてないことなんですけど、私は「演奏の力」というものも大きかったのではないかと感じています。

音楽の価値というものは、楽曲そのものもですけど、演奏の力というものを抜きに語れない。

今回、「楽曲に感動したのか、S氏の伝記(物語)に感動したのかわからない」みたいなことがさかんに言われてますけど、

私に関していうと、弦楽器のCDについては、とくに演奏の力を抜きに語れない気がします。たしか演奏者ご自身が委嘱し、思いをもって演奏されたはず。

シンフォニーはライブを聴いてませんけど、それだって、指揮者、オーケストラの演奏の力がなければこれだけの人を動員したかどうかわかりません。

これはよくあることなんですけど、自分が楽譜見て「なんかどっかで見たような曲だし、面白くない曲だなあ」という印象を受けても、他の人の演奏によって「なんてすごい音、なんて重い感情なんだろう」と全身をゆさぶられ、涙するようなことだってあります。

それだけに、ゴーストN氏は「演奏者の方々にも非常に申し訳ないことをしました」とおっしゃているのだと思います。もちろんちゃんとした素性の曲を演奏するにこしたことはないですが、「楽譜を書けない(読めない?)S氏」がプロデュースした曲を聴いて感動した聴き手の大半は、おそらくは同じくスコアを読めない人々。でも感動したのは、それは「演奏された曲だから」なんですよね。

 

私自身もまだまだ思考途中なので、今後意見が変わるかもしれませんが、今の段階では、音楽愛好家として以上のようなことを考えております。

 


一年祭

2014年02月03日 10時34分51秒 | 家族・友人等

昨日(2月2日)、鹿児島日帰りしてまいりました。

昨年の2月4日に父が亡くなって早一年、一年祭(一周忌)ということになります。

そうはいっても、もう鹿児島の家は処分してしまいましたし、親戚はいても家族はいない。その親戚も高齢者ばかりで、出かけるのも大変という方がほとんど。

さて、どうしたものか・・・・

神棚のあるこちらで行うということも考えましたけど、墓参り兼ねてやはり鹿児島がよかろう、ではお墓で一年祭やりますか・・・と思ってましたが、寒かったり、雨だったりしたらいったいどうしたいいんでしょう??

とさんざん考えた揚句、2週間前くらいに神主さんに電話でご相談。「では、うちの神社でやりましょう」。

おお~、そういう方法が。てっきり神社というのは、弔い関係は境内立ち入り厳禁と思っておりましたが、1年過ぎて個人があの世に行きついたら神社でも可能ということなんでしょうか。(神社によってそれぞれかもしれません)。

そしてこの写真でおわかりのとおり、この神社はお稲荷さんなのです。今回は母と娘と私の三人だけでひっそり行ってきたのですが、娘はもう大喜び。狛犬でなくて、左右におきつねさまが向き合っておりますし、鳥居も御社も朱が入ってます。

写真奥の建物で祭詞をあげていただいたのですが、新築の御社のようで、白木や金属部分がまぶしいばかり。太鼓はちょっとロックなリズムでしたし、金ぴかの鈴にもびっくり。・・・・さぞかし父も楽しんだことでありましょう(笑)。

その後、デパートでの昼食を経て、お墓参りしてきましたが、全国的な気温上昇のなかにあって、さらに鹿児島暑い暑い。朝着て出たコート3人分が大荷物になり、それでも汗ばむほど。軽く20℃は超えていた模様です。雨にも降られず、ほんとによい一日となりました。

ということで本日は節分、明日は立春です。明日はまた寒波が襲ってくるという予報・・・