さて、例の衝撃のニュースから4日たちました。(検索でコメント等が湧くのが面倒なので、とりあえずS氏とN氏ということで書かせていただきます)
2月5日の朝6時くらいに友人からメールが入っていました。「どうやらS氏の作品は別人ものだったらしい」ということで、私としては「たぶんやっかみ騒動か、だれかアシスタントがいたとかいうレベルのことであろう」と思っていたわけです。
そしたら、7時のNHKのニュースではご本人が「自分は構成等を指示しただけで、実際の作曲は別の人物に依頼していた」ということを認め、翌日にはゴーストであるN氏のほうが長時間の記者会見で詳細を語られたわけです。
詳細についてはもうニュース等で知られすぎてますので、特にここには記しません。
私は音楽関係者でもなく、とくにオタクなクラシックファンということでもなく、一般の音楽好きという立場、かつ話題のものはスルーしないというミーハー根性からして、2007年くらいからS氏のことは気になっており、
自伝は2007年第1刷のハードカバー(中古本)を持っていますし、
話題の「交響曲第1番」CDも持ってますし、子供はライブでオーケストラを聴きました。
弦楽系の曲のCDはレンタルで聴きましたし、ピアノソナタも借りる予定でした。
とくに熱狂したわけではありませんが、このブログにも書いたことがありますし、なかには涙するほどよかったと感じた曲もあります。
自伝や楽曲を通して、ちょいちょい疑念がなかったのかと言われれば皆無とはいえませんけど、今頃になって言うのはとても見苦しいですし、どこかこういう人物(天才といわれ、重い障害を抱えているといわれている人)は「自分には理解のできないところにいる人」と切り離して考えますので、とくにあれこれ思うこともありませんでした。
業界におけるゴーストライターの功罪とか、氏の自己演出(どこまでかはまだわかりませんが)については、おいおい世間が判断してくれることと思いますが、
クラシックに関わったことがある方なら、いかに、CDを売ったり、コンサートにお客さんを集めるが大変なのかは痛感されているはず。しかも現在生きている作曲家の手による作品で、かつ80分もかかる交響曲なんて、ふつうは企画持ち込まれた時点で「アウト」かと。
<自腹切って、ホール借りて、演奏者頼んで、練習会場借りてくださいね。入場料は有料だとホール料金が商業使用になるから、いっそ無料にしたほうがよくない?著作権料も相当かかかるよね?・・・・>
という感じじゃないでしょうか?
これをどういうわけかたった1曲の交響曲だけで18万枚CDが売れ、国内30か所以上のツアーまでやることになっていたわけです(まだ全部は終わってなかったようですが)。
専門家の意見はおいといて、一般人として考えるに、なぜこういうことになったのか・・・
テレビにおけるドキュメンタリーの見せ方、雑誌などでの取り上げ方等、マスコミの宣伝が大きかったというのは、もっともなことです。
では、なんでも宣伝さえすれば(真実かどうかは別として)、楽曲そのもの以外の部分で人の興味をひけば、みんなはCDを買い、コンサートへ足を運ぶのか?
今でこそ、ちょっとだけ日本の経済はよくなったんじゃないかと言われる部分もありますけど、ここ数年は不況で、公的機関や企業からの音楽界へのサポートも薄くなり、CDが売れないのはネットで簡単に聴けるから、コンサートに人が集まらないのはコンサートを聴きに出かける金銭的・時間的余裕がないから、ではなかったのか・・・・
実際のCD売れ枚数、チケットの売り上げの詳細はわかりませんけど、次々に赤字を生み出すような商売をするだけの余裕は業界にはないはずなので、少なくとも損にはなってなかったはず。
ということは、「なにかきっかけがあればCDも買う、コンサートにも行く」という潜在的需要はあるということなのでは?
だからといってその<きっかけ>をどんなものにしてもいい、なんてことは許されませんけど、少なくとも「クラシックのCDやコンサートいいんじゃない?」・・・くらいの人はたくさんいるっていうことですよね。
身近なところではうちの子は、「S氏(作といわれる)の交響曲が、部分的に似てるのなら、マーラーやショスタコ―ヴィッチのシンフォニーも聴いてみたい」、と思っているようです。
クラシックをそれなりに聴いてきた人が「なんだか、いろいろな曲のコラージュみたいでオリジナリティがないなあ」と感じた部分が、これまでクラシックになじみのない耳にはいちいち新鮮に驚きをもって聴かれるわけで、それはそれでいいんじゃないかな・・・と思うんです。
そして、これはマスコミではあまり言われてないことなんですけど、私は「演奏の力」というものも大きかったのではないかと感じています。
音楽の価値というものは、楽曲そのものもですけど、演奏の力というものを抜きに語れない。
今回、「楽曲に感動したのか、S氏の伝記(物語)に感動したのかわからない」みたいなことがさかんに言われてますけど、
私に関していうと、弦楽器のCDについては、とくに演奏の力を抜きに語れない気がします。たしか演奏者ご自身が委嘱し、思いをもって演奏されたはず。
シンフォニーはライブを聴いてませんけど、それだって、指揮者、オーケストラの演奏の力がなければこれだけの人を動員したかどうかわかりません。
これはよくあることなんですけど、自分が楽譜見て「なんかどっかで見たような曲だし、面白くない曲だなあ」という印象を受けても、他の人の演奏によって「なんてすごい音、なんて重い感情なんだろう」と全身をゆさぶられ、涙するようなことだってあります。
それだけに、ゴーストN氏は「演奏者の方々にも非常に申し訳ないことをしました」とおっしゃているのだと思います。もちろんちゃんとした素性の曲を演奏するにこしたことはないですが、「楽譜を書けない(読めない?)S氏」がプロデュースした曲を聴いて感動した聴き手の大半は、おそらくは同じくスコアを読めない人々。でも感動したのは、それは「演奏された曲だから」なんですよね。
私自身もまだまだ思考途中なので、今後意見が変わるかもしれませんが、今の段階では、音楽愛好家として以上のようなことを考えております。