~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

あんたがたどこさ

2007年09月30日 23時33分27秒 | 家族・友人等
娘がテレビ番組「にほんごであそぼ」で流れる歌をまねて歌っているのだが、
例によってどこか不思議だ。


あんたがたどこさ ひごさ
ひごどこさ
くまのこさ  くまのこぐみさ せんまさ
せんまやまには~~~

あとは合っているようなのだが、
肥後熊の子とは知らなんだ。
して「熊の子組」が「せんまさ(?)」というのもよくわからない。

・・・・と上の子と二人でこそこそつっこんでいたならば、
上の子が
「それにしても、実は、残酷な歌だよねえ。
 ~たぬきがおってさ それを猟師が鉄砲でうってさ~
で、さらに
 ~煮てさ 焼いてさ 食ってさ~
最後にわけわかんないのが
 ~それを 木の葉でちょいと かぶせ~
なにに木の葉をかぶせるんだろう?なんのために?」


・・・わからん・・・・

ちょいと調べたところによると、最後の部分は「うまさがさっさ」で終わっている地域もあるようで、実はオリジナル版はこちらの可能性が高いようだ。

以下熊本の観光に関するメルマガからの引用。

<全国的に愛唱されている手まり唄「あんたがたどこさ」。
いつの時代に、どのような形で生まれた唄かは不明ですが、その舞台は明らかに熊本です。唄に登場する「船場川」(せんばがわ)は、現在の熊本城の長塀に沿って流れる「坪井川」のことで、船場の地名は、熊本市船場町下1丁目、船場町2丁目、3丁目や船場橋として残っています。
●熊本の手まり唄「あんたがたどこさ」
  あんたがた どこさ 肥後さ
  肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
  船場川には エビさがおってさ
  それを漁師が 網さでとってさ
  煮てさ 食ってさ うまさが さっさ

  あんたがた どこさ 肥後さ
  肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
  船場山には 狸がおってさ
  それを猟師が 鉄砲で打ってさ
  煮てさ 食ってさ うまさが さっさ

※ “煮てさ”のあとに“焼いてさ”が入ったり、“うまさがさっさ”のかわりに“それを木の葉でちょいとかぶせ”などと歌われている場合もあるようです。>


狸だけでなく、エビも食っていたというのは驚きだが、「煮て食ったらうまかった」ということであれば、話は早い。
ただ私の記憶が正しければ、この手まり歌の最後は、ボールをさっとお尻というか背中の方に隠すという所作だったと思うので、それにあわせると「ちょいとかぶせ」の方が合ってるかなあという気もする。

ただやはり「くまのこ」ではなく「くまもと」であるのは動かしがたい事実のようであるが・・・・ 。






  

「ここぞ」の集中

2007年09月28日 23時57分59秒 | 雑感
9月も残すところあとわずかとなりました。

ここのブログに私のHPから入ってくださっている方がおられましたら、
9月いっぱいで現在のHPのサービスが終了し、こちらに移動いたしますので、どうかURLを差し替えてくださいますよう、お願いいたします。なるべくHPの更新もマメにやっていきたいと思っています。



さて9月もあとわずかというのに、今日も相当暑かった。子どもにはそれぞれ600mlと800mlの水筒を持たせているが、完全に飲み干して帰ってくる。娘は10月8日に運動会を控えているが、毎日かなり消耗して帰ってくるので、帰宅後に集中力を要すること(たとえばピアノの練習など)をさせるのは大変難しい。
私の方も今週は、塾の保護者会、マンションの総会、子どもの習い事、自分の用事などなどで日に2回以上出かけることもあったし、明日も某中学のオープンスクールに出かけなければならない。専業主婦でも用事がたてこんでくると、練習時間を確保するのが大変難しくなってくるのだから、ましてお仕事をお持ちの方はいったいどうしておられるのだろうか、と今週はしばしば考えた。

幸いというべきか、私のほうは、やらなければならない曲がだいたい「定着」の域にさしかかっていて、少々練習時間が落ちてもさほど問題はないのだが、娘についてはここ2日くらいはどうして頑張ってもらわないと、また<初期化>のおそれがある。
どんなことでもそうだと思うのだけれど、絶対に手をぬけない段階というのはあるもので、それはおそらく記憶が頭から身体へと移動するころのような気がする。「えっと・・・、次はこの音」と少し考える段階から、「考えなくても手が押さえていた」という段階へ移るころは、しつこくしつこく繰り返し練習してたたきこむ必要がある。この段階でこまぎれにしか練習時間がとれなかったり、集中度が低かったりすると、仕上がりが悪かったり、あまりにも時間がかかりすぎたりする。

たぶん学校の勉強にしても同じことなのだ。新しいものを教わるときは、公式なら公式を理解できるまではゆっくりじっくり勉強し、次に集中力をもって自分の頭と身体にたたきこんだら、あとは理解できたものをスムーズにスピーディに使いこなせるよう練習する。
学習段階における「序破急」のようなものを小さいうちに身に着けてしまうと、どんなジャンルでもある程度まではやれてしまう・・というのはそういうことなのだと思う。


「集中してたたきこむ」段階で、どれだけ「血となり肉となる(・・たんぱく質を含む食品の効能のようだが)」かが問題だが、この「たたきこむ」にしても、外からの力によってたたきこまれたものと、自分でたたきこんだものとでは、長い目で見ると成果が変わってくるのは、これまた明らかなことだ。
そばについているものは「自らは<たたきこまず>して、<たたきこみかた>を<たたきこむ>」というややこしい役割になってくるもので、そこもまた難しい。

外からほんとに<たたきこむ>と、たたきこまれたほうにキズがつかないとも限らないからだ・・・・・。

なんとかなってくれ~(祈)

2007年09月27日 19時39分45秒 | 家族・友人等
娘の発表会まで10日を切った。

ここへきて、大問題発生。
ソロの2曲のうち1曲が難しすぎて、練習したくないらしい。
たしかにこの曲は、「指くぐり」あり、「音域のジャンプ」あり、「7度の交替(左手のファ・ソ・ファ・ソ)」あり、「手の交差もどき」ありで、今の娘にとってはかなり難しい。私も初めて譜面を見たときは「一年先だな」と思った曲だ。

6月か7月に選曲をした際、あるコンクールの未就学児部門の曲4曲からどれかを弾こうということになったのだが(コンクールには最初から出る予定はなかった)、そのうち1曲はパス、1曲はかなり易しく、あと1曲はまあまあ(これは発表会で弾く)ときて、先月初め「これあと1か月で弾けますかね?」と先生に言われたのが問題の1曲。
テンポがゆっくりでよければなんとかなるだろうと踏んだ私は「たぶんいけると思います」と返事したのだが、これが大変なことに。
3段しかない楽譜なのだが、2段目がとびきり難しく、ここでつまずいた娘はストライキを起こした。連弾などは喜んで何回も弾くのだが、この曲になると逃走&籠城。
少し間をおこうと思って2~3日ほど無理強いはやめて、昨日レッスンに行く前に弾かせてみたら、なんと初期化状態
「お母さんはともかく、先生はあと1回しかレッスンないんだから、ビックリしちゃうよ~~」と泣き落としで、付け焼刃10分スピード講座。
子どもの場合、定着する前に一日でもサボると完全にリセットされてしまうのだ
昨日はさすがに先生も「カコちゃん、この曲から練習してね」と何回も念押し。
果たして練習するのかこの娘・・・しかも「弾けない」となると「出ない」と言いだすおそれあり・・・・
これに比べると自分が難曲に挑戦することなんかたいしたことではないのだ。

今日は昼から作戦を練っていたのだが、帰宅した娘は運動会練習の疲れかことのほか機嫌が悪く、すべて裏目裏目に。
ここでこちらが爆発してはすべて終わりだ(泣)。

ピアノにすわっても、他の曲ばかり弾こうとする娘に「ドレス着て弾こうか?」ともちかけたところ、意外にも「うん、それがいいね!」と。
靴もはき、本番モードで弾いてみたら、さすがにここまで弾けないのは問題だと自覚したらしく、結構辛抱強く練習していた。といっても、まだお話にならないレベル(号泣)。

「毎日ドレスで練習する」と言っている娘、明日もその言葉を忘れないでほしい(祈)

マッスルになりたい

2007年09月26日 00時23分23秒 | ピアノ
ラヴェル「道化師の朝の歌」のオーケストラスコアを買ってきた。

タテにだだだっと楽器名が並んでいて、パートは27に分かれている。特に打楽器が多いのはびっくりで、楽器名がいまひとつピンとこないものもある。

それはともかく、解説の中にピアノの原曲について書かれている部分があった。

「・・・・ピアニストたちが長年認めてきたように、とくにその第4曲<道化師の朝の歌>にはスタミナ、繊細さ、タイミング、変化に富んだタッチが異例なまでに複合したものが要求され、しかも連打音やグリッサンドといた形の特別なテクニック上の挑戦が伴なう。ピアニストたちがこうした要求を満たしているかどうか、ラヴェルが十分満足していなかった可能性はおおいにある。
タッチがますます重くなっていった現代のコンサート用グランド・ピアノでは、よほど筋肉質の演奏家でない限り連打音を弾くのが大変になった。ラヴェル自身が弾いていたピアノはエラール製で、タッチがとても軽かったのである。
ピアニストとしての腕前は概して平凡なものだったが、ラヴェルは驚くほど上手にグリッサンドを弾いた。それはおそらく、彼の平らで四角い親指のおかげである。・・・・・」


そうでしょうよ、そうでしょうとも!
自分のテクニックのなさを棚に上げていわせてもらうと、この曲における連打やグリッサンドがきれいに入るには、ある程度の鍵盤の軽さは必須だと私は確信している。
また、下りのダブルグリッサンドでかなり親指が痛い目に遭うことも問題だと思っていたのだが、作曲者が「平らで四角い親指」の持ち主であったとは!

そういえば、私の使っているピアノ譜の解説にも次のような下りがあった。

「・・実際、彼のピアニズムは独特だった。もちろん、音楽的な意味でだが、加えて彼の親指が手首に近いところにあった(ために彼の手は、絞殺者とあだ名されていた)という物理的事情も重なる。・・・・」


つまり、勝手にまとめると
手首から生えている、平らで四角い親指を持ち、しかも、スタミナがあって、マッスルな演奏家なら上手に弾ける
ということになるのだな(爆)。

若くてテクニック全開の、10~20代の方々が好んで弾かれるのは納得だ。
親指の形状はともかくとして、ストレス(そうでもないな・・)があってメタボな40代の私、このまま頑張ったものかどうか・・・。

小学校運動会終わりました~

2007年09月23日 13時26分31秒 | 家族・友人等
今朝は全身筋肉痛で起きた。
運動会ではPTAの競技もなにもなかったのに、なぜ?

昨日は帰りにコンビニによって冷たいものを買い、坂をうんうんいいながらうちにたどりつき、娘は帰りついたとたんにソファーで沈没。息子はシャワーを浴びて爆睡。私は発泡酒500ミリリットルを一気飲みしてそのまま意識不明(殴)。
4時半くらいから7時半くらいまで誰も起きているものはいなかった(ちなみに主人は運動会後すぐ仕事に行っており留守)。
ブログのコメントを夜中にあけて雨が降ったことを知り、外を見てみると、たしかに道路が濡れていた。


運動会では、6年生の出番は「徒競走」「騎馬戦」「組体操」と3回あった。
徒競走は毎年のことなので、撮ろうとした瞬間に電池切れが発覚した以外、特に変わったこともなかったが(走る姿は肉眼で見た)、「騎馬戦」と「組体操」はそれなりにおもしろかった。
騎馬戦では息子は馬になっていたが、果敢に向かっていっているのかと思いきや、いきなり、くるっと方向を変え、「あれ逃げるの?」と思っていると、前ばかりみているほかの馬の背後にするするっとしのびより、ハッと気付くと帽子を奪っているという、ヒキョウすれすれの水すましクルクル作戦。
あれが私だったら「チェストぉぉおおおお~~~~!」と前にばかりガシガシ進んでいたことは間違いなく、そういえば、高校の体育祭の時「棒倒し」があり、がむしゃらに棒に取り付いている私のシャツの背中をしつこくしつこくめくり上げる女がいて、「何すっとよ!!」とカッときて胸ぐらつかんだことがありましたなあ~と懐しく(爆)思い出した。


「組体操」は、昨年は全体をのんびり見渡していて、それなりにジーンときたのだったが、今年は「うちの子は、あれ?いやあっち?いや違う、こっち?」と「木を見て森も山も見てない」状態。
それに加えて、音楽が「パッヘルベルのカノン」数小節、「チャイコフスキーのピアノコンチェルト」ちょびっと、「モーツァルトの40番」気持ちだけ、「ベートーベンの運命」もっと聴かせろよ~!、という超こま切れパッチワークでどうも落ち着かない。
練習で落ちたり、中には歯を折ったりした子もいるらしいので、せめてディズニーランドのパレードを見るときくらいの涙は流してみたかったのだが、「よく頑張った。みごと」くらいの感想しか言えなかったのは少し残念。


競技を見終わった時点で、日焼けはすごいし(今回はどうも<眼球>が焼けたような気がする)、係もないしでさっさと帰ろうかとも思ったのだが、子どもは6年で片付けがあるし、ただ待っていてもなあ・・と思っていたところ、
「お子さんをお待ちの間、テントの片付けを手伝ってくださる方はいらっしゃいませんか?」
・・・テント・・
なぜか「テント」にそそられて、どうしても片付けたくなった。
テント4~5張の撤去に立ち会ったのだが、屋根シートのたたみはともかく、ジャバラ状に折りたためる新しい型のテントの骨部分で手をはさんだり、なぜかポールに激突し、それを真向かいで息子が見ていて仰天したとか、最後の最後まで障害物競争モドキの一日だった。


電池切れのため取りに帰ったカメラだが、デジカメのほうに変えたため、ズームはかなりきいたし、ついでに珍しくビデオカメラも持って出たため、結果的には子どもに喜んでもらえた。

え、・・お箸?

だいたい弁当の内容そのものが手づかみできるものばかりだったのと、滅菌用のウェットティッシュを持参していたため、そこまでの不便はなかったのだが、なぜ食べる直前までまったく気付きもしなかったのか・・・・実は日頃から箸など不要な食生活をしているからなのかどうなのか、そのあたりは筋肉痛がとれたらおいおい考えてみたい(逃)





運動会(小学校)

2007年09月22日 09時54分59秒 | 雑感
朝6時に起きるつもりが、6時40分。
あ゛~弁当間に合うのかっ!
おにぎり12個、おかず二段、果物一段と、忘れてはいけない水分約4リットル。
7時40分に子どもが出、あとの家族が8時間50分に出発。

開会式すでに始まってましたが、人の多いこと多いこと。ことに敬老席は大入り満員。去年までよりスペースも広いようです。

大変な晴天に恵まれ、競技の合間合間に「児童は水分をとってください」のアナウンスが頻繁に流れます。

ところで、うちの子は赤なんだろうか白なんだろうか?きくのを忘れ、いまだ見つからず。

銘米「おとひかり」

2007年09月21日 22時57分53秒 | ピアノ
また遊んでばかり・・と言われそうだが、また遊んだ。
昼前からサークルのお仲間(いちおう主婦ばかり)が3人来訪。夕方まで弾いたり、DVD見たり、しゃべったりしていた。

今日は全然目的がなかったわけではなくて、3人6手の連弾の練習をやらなくてはならなかったので、その初合わせもあった。
3人は私を含めた3人なのだけれど、実は私、3人6手をまともにやるのは初めて。
感想は・・・
狭いっ!!
曲は「カルメン前奏曲」と「猫ふんじゃった(M先生による編曲)」なのだが、「猫」のほうはゆったり弾けるし、うまい具合に手もぶつからないように出来ているのだけれど、「カルメン」の方はすごい。互いの手の3度くらい下を別の手がはっているような状況頻出で、ぴったりくっついてすわると身動きとれないし、離れて座ると姿勢に無理が生じる。たぶんこれは動きの向きも合わせてスペースを最小限に抑えねばならないのだろう。
以前、東京でベートーベンの交響曲第9番第4楽章を3人6手で弾いているのをみたことがあるのだが、この時は身体をハスに入れ違えるようにして弾いていた。
ピアノ弾きというのは、ふだんのびのびと空間を使っていて、たまには逆に空間が大きすぎて、身の置き所に困るような落ち着かなさに襲われるものだが、さすがに3人並ぶと自分の横幅を気にしいしい「お詰め合わせの上、おかけください」という満員電車さながらだ。
まだ譜を読み始めて1週間なのだが、うまくポジションをとって「狭いながらも楽しい我が家」状態にもっていきたい。



うちにはいろいろなお客さまが来られるのだけれど、主婦が4人集まると、ピアノそっちのけで家事(特に食事など)の話になる。
今日はなんのきっかけからだったか、ごはんは軟らかめが好きとか、硬めが好きとかいう話になり、うち一人は実家は「ガリリ」とくるほど硬いごはんの家なのに、嫁ぎ先は「おかゆ一歩手前」のような軟らかいごはんのうちなのだ・・という話になった。
である時、その「おかゆ一歩手前」のごはんでリクエストによりチャーハンを作ったところ、これはそもそもムリな注文で、出来上がったのは、フライパン底に固まった糊だか餅だかのような物体だったという・・・・嫁というものも楽ではない・・・というオチに至った。

実は1週間ほど前、少し若いお勤めの方々をお招きしたときも、チャーハンの話は出た。というか私が出した。
それはどういう文脈でかというと「アルペジオって、それぞれの音は粒立ちよく、相互には決してバラバラでなく・・なんというかチャーハンの米粒のように弾きたいんだよねえ」という流れで出た話だったのだが、今日の話で、やっぱり米粒そのものが水分多くベロベロだと、結局いくら熱やらなんやら加えても結局は「餅状」になるのだよねえ・・とヘンなところで「一音一音の質の大切さ」に納得したことであった。

人間、身近なものに置き換えると理解が進むことがあるのだけれど、そういえば某先生は「鍋のふたをいきなり開けない(唐突な音量音色の変化を指してのことだったような記憶が・・)」とか、「熱い鍋に触った時のように(指先での瞬時のタッチについて)」とか、かなり台所周りのたとえが多く、大変楽しませていただいたし、いまだにそういう部分が出てくると、「そういえば、こういう注意を受けたことがあるなあ」と思い出す。

「音の粒立ちがいい(あるいは悪い)」という表現を時々耳にするのだけれど、どうしても「粒」というと米を連想してしまうのは主婦の性か?
西洋音楽をやっていていかがなものかとも思うのだけれど、もしかすると米と同じくらいの数の音符を日々弾いているかもしれず・・・これはもチャーハンでもおにぎりでもリゾットでも、なんでもこいの米粒(音粒)達人になりたいものだ、と思うばかりである。


貯えはほしいが・・

2007年09月19日 17時54分03秒 | 家族・友人等
今年はどうしたことか、いつまでも暑い。
「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるので、それに期待したいところだが、
日中はまだ33℃などというおそるべき気温なのに、それが一気に涼しくなるものかどうか・・・。

さて息子の運動会は今週末なので、連日熱中症モドキになりながら組体操の練習に励んでいるようだ。
娘は10月の8日なのだが、こちらも毎日おゆうぎの練習。
主人と私は、野外活動は基本的にしてないので、子どもたちほど暑さにはさらされていないはずなのだが、こちらは年齢相応の注意が必要だ。

今日、娘のピアノのレッスンだったのだが、ここのところ私は先生にペットボトルの差し入れをしている。
自分が連日娘のレッスンをしていて、どれだけ消耗し、どれだけ水分を失っているか身にしみているからだ(爆)。
先生いわく
「年をとってくると、感覚が鈍くなって、子どもほどのどが渇かないんですよねえ」
・・・・まことにその通りで、私自身も何時間か練習していて、汗も相当かいているのになぜかのどが渇かない。で、これはいかんと一気に飲むと、これがまたハゲ山に大雨がふったごとくに、ザバーッと汗をかく。
・・・・保湿能力ゼロ
きっと記憶力もこれにおなじく、ハゲ山の斜面で記憶の土砂崩れがおこっているに違いない。

こういうところは貯留能力が低下しているくせに、とどまらなくていいところにはとどまるのがなんとも歯がゆいところ。

レッスンの帰り道、私の腕をいじっていた娘がいった。
「お母さん、肉が深いね