~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ツィメルマンリサイタル

2010年05月31日 00時27分50秒 | ピアノ
もうひとつ頑張って書きます(笑)。
29日(土)夜のクリスチャン・ツィメルマンのリサイタル。

あらかじめチケットは入手していたものの、ここのところの用事の多さ、家族の都合かれこれから、いったんは行くのを断念していました。代わりに行けそうな人を探したものの、直前ではそういう奇特な方もおらず・・・、もうこれはなんとしてでも行けというなにかの思し召しであろうと決行。

倉敷市民会館、キャパの大きい会場でした。2000席はないような気がしますが(・・今、調べたところ定員1979名--車椅子5席含む--)。
それが満席。もちろん聴衆はこの地だけでなく、各地から来ているわけです。

ステージ上を眺めて・・・あれ?・・・椅子が(驚)。
これについてはこれから聴かれる方がおられると思いますので、今のところ、ちょっと内緒にしておきましょう。

プログラムは以下です(オールショパン)。

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ノクターン 嬰へ長調 作品15-2
ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35
スケルツォ第2番 変ロ短調 作品31
     (休憩)
ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58
舟歌 嬰ヘ長調 作品60
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作品番号、調性の並び・・・・おみごと。

ノクターンは弱音でスーっと始まり、私の席(1階22列ほぼ中央)からは耳を澄まさないと細部までしっかり聴こえないほどの音量。全身耳になった状態のところで・・・・
ソナタ2番第1楽章の冒頭。一回目はさほどの音量ではなかったのですが、リピート以降はけっこうきました。最初からかなり左手がアグレッシヴで、音量バランスから言っても逸脱しているのでは?と感じるほど。でもその左のしつこさが、全力でなにかにあらがっているような独特の緊張感を生み、さらに展開部からはバスが鳴り響き、終わりに向けては加速も手伝って息もつかせぬ怒涛の展開。
第3楽章(葬送行進曲)になったとき、急になにかこちらが遠ざけられたような気が・・・なんといいますか、ちょっと離れたところで粛々と葬列が進んでいるような感じ。そのときいきなり「ああ、彼はポーランドのひとだった」という思いがよぎりました。なにかこちらが立ち入ることのできない領域なのか・・と。非常につらいものを手をこまねいてただ見るしかないような感覚。第3楽章が「これ以上ない」という弱音で終わったところで・・・
第4楽章がかなりの弱音で始まり、うずまく風雲のなかに稲妻が走るような、混迷と疾走のうちに終結。


何年か前、同じ曲をツィメルマンで聴いたとき、非常に激怒した荒れた演奏であるように感じました。それがこの曲を表現してのことなのか、そのときの聴衆のマナーに対してなのか、当時の日本政府の対外的な態度に対してなのか、原因はわかりませんでした。
今でもわかるわけではありませんけれど、少なくとも今回は「荒れた」という印象の演奏ではなく、楽曲の表現として理解できたような気がします。

続くスケルツォ第2番。

もともと「ところてん」などと表現される冒頭なのですけど、どこかユーモラスでさえある演奏。「ショパンの<スケルツォ>は激しく険しい内容」というのは単なる私の誤解&先入観であったのかしら?
たしかに短調の曲なのですけど、おどけて即興的で・・・・・これってそれこそ<スケルツォ>?!付点リズムの絶妙さ、パッセージの軽妙さ。
コーダは超高速で、いくら巨匠ツィメルマンとわかっていても「・・・外さないか・・・かすらないか」とドキドキしてしまうようなスリル。・・はい、完璧でした。


こんなにのめりこむような演奏を最後まで聴かされたらモタナイかもしれない、と休憩時に変な心配をしてしまいましたが、そのあたりはさすがといいますか、後半は(私にとっては)聴きやすい演奏でした。

ソナタ3番は自分がまったく弾いたことがないせいもあると思うのですけど、わりにすんなり聴けたような気がします。内声の異常な強調などもなく、ひとことで表すと「言いようもなく美しい」。フィナーレの怒涛は圧巻。

「舟歌」も実に実に美しかったのですけど、途中でふっと気づきました・・・・「なんか陽射しが弱い・・」。
この曲、イタリアの陽射し(と私が勝手に思っているだけなのですけど)みたいにキラキラ~ときらめく演奏を聴くことがわりにあります。それも悪くないのですけど、ツィメルマンのこの演奏は、雲を通した陽が水に映っているような感じ?現実感が薄いとか現世的でない・・という言い方もできるかもしれませんが。
こういうものを聴くと、ますます自分では手を出す気が薄れるし、聴きたい演奏も選んでしまいますねえ・・・・・罪なものを聴いてしまいました。


プログラム終了後、拍手が鳴り止まず、スタンディングオベーションもあったのですが、このプログラム(ノクターンで始まりバルカローレで終わり、しかも嬰へ長調で完結)になにを足すのだろうか・・・・・やはりアンコールなしでした。こちらもそのほうが落ち着きます。


技術や音楽的なものは言う必要もないとして、プログラムの妙、演奏の緩急、すべてにおいて完璧なリサイタルであったと思います(楽章間の拍手はちょっと・・でしたが)。
ピアノも音楽もどこまで果てしないのか・・・という思いもまたさらに深まりましたけど・・・・




ピアノぺダル奏法講座

2010年05月30日 23時35分22秒 | レッスン&セミナー
5月29日(土)午前は、松本和将氏による「ピアノペダル奏法講座」に行ってまいりました。
20分くらい前には会場に着いたのですけど、氏はすでにスクリーンにペダル部分を映しながらの大リハーサル。出るわ出るわ・・・バッハインベンションからチャイコフスキーやラフマニノフのコンチェルトに至るまで、この30分で弾いた曲だけでいったいいくつのリサイタル、コンサートが組めるんですかっ!というほどのレパートリー。ええ、もちろん暗譜、しかもスクリーン見てるから手元も見てない(驚)。
で、10時半の開始時間になったとたん「・・・あ、こんな時間・・・2分休憩させてください」(爆)。

ご幼少のみぎり・・・足台も使わず足先でペダルを蹴るように踏み、しかもそのうちウナコルダも多用という、とにかくペダル大好き少年で、それを先生は「・・ここはにごっとるよ~、ここもね~」という感じで減らしていかれたそうです。
この方法を自信をもって取り入れられるレスナーがおられるかどうかは、私にはわかりませんけど、氏のあの異様に器用な足指の動きというのは、年端もいかない子どものころ、足先(指先)を使ってペダルとたわむれていたおかげもあるのではないか・・・と思うわけです。
基本的には、氏は足の指部分だけをペダルにかけ、主に親指で押すように操作していると言われていました。ビブラートペダルなどは手の指で鍵盤を連打しているのと同じ感覚だ、と。
氏の足指でのペダル使いというのが、一般的なものか、それとも独特に近いものなのかは、私には判断がつかないのですが、ふだんのレッスンその他から思うに、「全身で音に反応、表現している」という印象が非常に強いです。
氏はまさに「髪の毛の先まで音楽だ」と思うような方なのですけど、ひとつの音を生み出す喜びの瞬間、そして消えていく愛惜の思いに至るまで、全身全霊、手の指足の指はもちろん、もしかしたら髪の毛一本まで動員しているかもしれません。
なので「ペダル」といっても特に独立したピアノの一技術というわけではなく、楽器と身体が一体となって音を生み出し、そして消えていくまでのひとつの流れの一部分である感じがします。
正直、真似は難しいです、というかできません・・・が、これほどまでに細かく、表現の深い部分に直結しているペダルの技術というもの、たんなる感覚ではなく、足そのもののトレーニングも必要だなあ~と思いました。速いスケール一音一音を耳&足で踏み分けられるくらいの繊細さがいるんですね、たぶん。


踏み方の技術・・もですけど、「ペダル」とはなんぞや?ということにあらためて直面した思いでした。いやあ、すごい機能ですね!ピアノって偉大(笑)。


スケッチツアー

2010年05月30日 11時37分22秒 | 雑感
娘のスケッチツアーに同行中。室内楽セミナーで日参したお寺さんです。今年はえらくご縁があります。

暑いよ~(泣)


昨日は、午前がペダル講座、夜は倉敷でツィメルマンのリサイタルでした。

どちらも内容が濃くて、また移動の多さと猛スピードの家事のあれこれもあり、さすがに帰りの新幹線ではぐったりきました。

これについてはまたあらためて。

ホロヴィッツの英雄ポロネーズ8連発

2010年05月28日 20時09分37秒 | ピアノ
延々55分にわたって、ホロヴィッツ40代から最晩年に至る8回分の英雄ポロネーズが流れます。
音のみのもの、動画のもの、ステージ、自宅、いろいろです(例の<ひびわれた骨董>・・日本公演も入っています)。
週末でお時間のある方はじっくりと、またない方は最初と最後のものを続けて聴くのも一興です。


きっかけときおく

2010年05月27日 04時48分42秒 | 私のピアノ歴
ときどき、「どういうきっかけでピアノ再開したんだっけ?」と振り返ることがあります。
もちろん誰かにきかれることもある。

息子が幼稚園のころ、音楽教室に入れたのはいいのですが、とにかくじっとしていないんですね。
自分勝手なことやるし、動き回るし、楽譜なんか覚える気はないし、で大ストレス。
毎回「もう今日でやめさせよう」と固く決意し、一方で「これは育て方が悪いのか??」とモンモン。
毎回「やめさせよう」と決意したわりにはズルズルと続き、ストレスは増大の一途。もうダメだと思ったときに、ふと気づきました・・・・「自分がやればいいんじゃん」(爆)。
要は自己救済ですね、ストレス発散。
細く長く続けて、まあ子どもが弦楽器かなんかやり始めたら、簡単な伴奏くらいはしてやれたらいいな、ママさんコーラスでも伴奏楽しそう・・・とそういう希望でした。


今これだけ音楽に時間を注ぎ込んでいるのを見て、もしかしたら「音大に進めなかったウラミでもはらしているのか?」(爆)と思われる方がいらっしゃるかもしれませんけど、そんなことはまったくないです。
音楽を専攻したかったと思ったことは実は一度もないんです。だからといって実際に自分が大学で専攻したジャンルを含めて、「特にこれがやりたかった」というものも、やりたかった仕事もない。・・・・なので、たぶんもう一度生まれ変わってもまったく同じような人生を(可能ならば)選ぶと思います。

で、つらつら思い出すに・・・

子どものころの音楽体験で記憶にあることというと、まずは「曲を作っていたこと」。
作る時の高揚感、清書の苦労を含めて(小学生にとって、ある程度の長さの曲を手書きできれいに書くのは苦痛でした)、これは忘れられないです。
一方で、なぜかピアノのそのものの記憶が薄い・・・
叱られたこととか、練習が好きでなかったことは少しだけ覚えてますけど、発表会やコンクールの記憶などがまったくといっていいほどなくて(笑)、いったいこれはどうしたことか、と。
3曲だけ当時の演奏がテープに残っているので、弾いていたことは確かなんですけど、覚えてないですねえ。13歳まではちゃんとやっていたはずなので、覚えてないといけないのですけど。・・・それにしても自分の子どものころビデオが普及していなくてよかった。さすがに自分の子どものころの映像を直視するのはキツイです(笑)・・・・どんな弾き方してたかにはちょっと興味がありますけど。

あとの記憶はというと、
・・・・中学の時に、あるドイツのバイオリニスト(ご高齢ですが、今でもご活躍です)が学校にこられた時、その伴奏ピアノの譜めくりをしたこと、
・・・・同じく中学のときに、音大生のホルンの伴奏をしたこと(学校で小さな演奏会でもあったのでしょうか?)、
・・・・高校の時に、合唱部に依頼されて(私自身は合唱部ではありませんでした)、伴奏をし、九州大会で大分までいって、そこで生まれて初めてスタインウェイというものを弾いたこと、

考えてみたら伴奏がらみばかりじゃないですか(笑)。

このあたりの記憶と再開の動機も重なってくるような気がします。
上手いか下手かは別として、きっと私は伴奏が好きなんでしょうね。
・・・・この一歩引いてる性格からして(逃)


5月25日のいろいろ

2010年05月26日 00時47分33秒 | レッスン&セミナー
5月25日のこと
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午前、A邸にてチェンバロの講座。
アンナマグダレーナから数曲を聴く(1曲はいきなり弾かされましたが・・汗)。
娘が弾いたりしていて、よく知っている曲ばかりだったのだけれど、初めて「いい曲だ~」と。
アーティキュレーションの細かく入った演奏。音楽は細部に宿るのだな、としみじみ。

昼いったん帰宅。
試験期間で帰りの早い息子と昼食。ワイドショーを見ながらふたりでツッコミを入れる。
生協が宅配をもってくる。
夕食用意(ホワイトシチュー&サラダ)。
娘が帰宅。なぜか赤ちゃんカタツムリを持ち帰ったので、慌ててケースを用意する。
娘を造形教室に送りこむ。

夜、自分が外出。ピアノのレッスンを受けるため、再びA邸へ。
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レッスンは、朝からまったくピアノに触らないままに受けてしまったということを考慮したとしても、面白いくらいに弾けず(殴)、はあ、こんなもんなのですね、ということが露呈いたしました。
師匠からも「ほんとにこれ来月に弾くんですか?」と言われまして、自分でもほんとに弾くんだろうか・・でもエントリーしちゃったしね、という状態。
レッスンでは最初の数小節だけを超スローでやりましたけど、ここだけで命がけというか、ここ弾けないとあとは弾く意味ないでしょ・・的な部分なので、それはもう一から考えをあらためねば、と思うことしきり。
このぎっちぎちのスケジュール、伴奏合わせやらPTAやらで多忙な6月になんでまたこういう暴挙を・・と自分でも思わずにはいられないのですけど、
今日あらためて、意味があって自分で仕組んでしまったことなのだ、と確信。
今回に間に合うかどうかは別として、ここはひとつやれるとこまでやるしかない、もしかしたら数小節しか仕上がらないかもしれないけど、それも自分として意義のあることなら、それでかまわないであろう、・・・とある意味開きなおりました。

・・・ちゃんと寝る時間だけは確保したいです・・・


リスニングはOKかも

2010年05月25日 00時41分31秒 | 雑感
どこぞで広島弁の動画を見たので、負けずに(笑)。
↓なかなか由緒正しい鹿児島弁でございます。
字幕なしで90パーセント以上はわかるんですけど、時々わからない単語があります。カンではわかるのですが・・・・。
私の年代でもこういう話しかたするのかな?ずっと住んでないからわかりませんねえ。
親世代以前の(よく方言をしゃべる人)はこんな感じのような気がします。



「へっ」ってきいたことあるのですが、具体的にはどういうこと(症状)なのか知りませんでした。
勉強になるなあ・・・
といってもこれからきく機会があるかどうかわかりませんけど(笑)。

「べつめい」の人たち

2010年05月23日 23時58分20秒 | 家族・友人等
娘の日記拝借。

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きょう、バイオリンのかえりに おかあさんのおともだちがあつまるところにおかあさんといきました。
べつめい「まつやん」「よっしー」「かじやん」などべつめいでよばれているひとがいました。
Oふくさんという男の人と「よっしー」がいっしょにあそんでくれました。バイオリンをそのときもってきていたので、がくふを見ながらやりました。
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かろうじて「バイオリン」が出てくることで救われてますけど、これムチャクチャあやしくないですか?
・・おかあさんのおともだち、文面からは男か女かわからない人たちがたくさん・・・・
・・しかも「べつめい」でよばれている人たち・・・しかもご丁寧に二回も「べつめい」出てきてるし・・・・
・・しかも男の人に遊んでもらう小2女児・・・・・


たとえPTAのお仕事引き受けていても、このままでは呼び出されそうなので(爆)、「たのむから<ピアノのれんしゅう会>とかなんとか、だいめいでも、とちゅうの( )でもいいから付け加えてくれないかなあ」と言ってみました。
娘、「あ、そうだね。ゴメゴメン」と言って書き加えてくれましたけど(汗)。

一言くらい
ピアノを弾いてました
とか、
チェンバロもありました
とか書こうと思わないですかね?
自分だって弾いてたのに(泣)。


ずばりこれは、報道に偏向があります(爆)。
事実には違いありませんが、部分しか語ってないので、非常にキケンです。

これから日記はチェックせねば(汗)。


楽譜を見て弾くとき

2010年05月21日 19時43分45秒 | その他音楽
いいのか悪いのか別として、最近、楽譜を見て演奏する機会が増えてきました。
伴奏しかり、アンサンブルしかり、チェンバロしかり。
楽譜を見るのは安心ではあるのですけど、譜めくり人をつけるのかつけないのか、
またつけられない場合は、製本をどうするのか、なかなか悩むところです。

伴奏譜というのは、よくできている楽譜だと、両手がヒマになったところで譜めくりできるように編集されており、こういうものは助かるのですが、
たまに「なんでここで?」というようなミョーな楽譜とか、
ピアノパートがソロなみの密度&多忙のために、自分ではとてもめくれないものとか、
があります。
本番は譜めくり人をつけるとしても、練習のときが困るんですよね。
あまりにも難しいものだとめくり損ねたが最後、2ページくらいいっさい鍵盤から手が離せないものもあり、「・・どこでめくる?どこで?どこで?ああああ」とアワアワしながら弾きつづけることになります。
コピーして自分なりに作り変えたとしても、テープの質や紙の質によってはくっついたり、すべったり、で往生することもあり、製本についてはまだまだ修行中です。「これならば絶対大丈夫」という<作品>?はいまだできておりません。

先日、有名なチェンバロ奏者の録画DVDを見ていました。
上手い!・・・なにが上手いと言われても難しいのですけど、淡々と弾いているのに驚くほど多彩な表現、湧き出る音楽。音量も音色も指先では変化させられないはずのチェンバロという楽器からなぜあのような音がでるのか・・・不思議すぎます。
演奏そのものについてはまだ別の機会にでもお話するとして、驚いたのは楽譜。
使いこんだようなコピー譜のように見えました。ときどきはページが落ちそうですらあります。
あんなにべろべろになってて大丈夫なんだろうか・・と思うのですけど、これが大丈夫なんですよね。こみいった曲でも、絶妙のタイミングで自分でパッとめくる。
チェンバロはたとえ暗譜していても、楽譜を置いて弾くのが正式なスタイルだそうなので、譜めくり人を置かない場合は、譜めくりの所作も含めてのパフォーマンスということになります。
途中から必殺譜めくりの技に見とれて、時々耳がおろそかになったりしましたが(汗)、とにかくすごい・・・べろべろの楽譜とのコラボが(笑)。
あれくらいなじんだ紙だと逆にうまくいくもんなんですよね、きっと。新しいコピーだと紙は硬いし、インクは光ったりするしでどうもよろしくない。

要は、ちゃんとした楽譜であれ、コピーであれ、それくらい使いこめ、ということなんでしょうね。

本番で見る見ないに関わらず、べろべろになるまで弾きこもう(笑)。


おのれWORD

2010年05月20日 16時41分17秒 | 雑感
いやもう昨日は忙しくてですね・・・

ちゃんとした用事のメールだけで、パソコンに13通、携帯に39通受信。
で、こちらからの送信は、PC、携帯合わせて40通。
・・・・女子高生並かもしれません(汗)。

一昨日はチェンバロのレッスンに行っていたこともあり、あまりこまごまとした用事はなかったのですけど、重なるときは重なるもので、昨日はPTA関係とピアノ関係、いっぺんにきました。

それでも、昼はかなり必死でピアノ練習して、かつ大雨にもかかわらず洗濯(とりあえず浴室干し)、そして娘が帰ってくるころには学校へ。
学校には保護者と児童と先生が一緒になって行うPTCという行事がありますが、これの打ち合わせ。・・・・4時から始まったのに帰ったのは6時過ぎでした。

で、その後夕食やら娘のバイオリンやらみてやって、さらに片付け&シャワーで午前0時。その時間になってやっと、明日まで(つまり今日)に出さなければならない文書作成にとりかかったわけですが、これが途中から大難航。
最初は鼻歌状態だったんですよ。たしかに昨年とはかなり文面が変わり(PTCの打ち合わせで先生が全面的に見直された)、限られた紙面に入りきるのか?と言う心配はあったのですけど、とくに問題はおきなかったんです。
ところが草木の眠る時間になったころ、いきなりWORDの大暴走。
・・・・だれが均等割付といった!?
・・・・だれも改行は指示してない!
・・・・なんでいきなりゴシックが明朝になるのか?!
もうほんと勝手にですね、次々とやらかしてくれる。
勝手なことをやってくれる一方でどうでもいいところに波線いれて<ココおかしくないですか?>と注意をしてくれる。
ブチっときた私は「いったんここらで休憩」キーと押しましたが、これが実は「上書き保存」。
・・・・・昨年の資料を消してしまいました(殴)。

たったA4一枚の文書に2時間半かかり、しかもその後、消してしまった資料を打ち直したので、終わったのは3時半。
文書作成にしても印刷にしても、問題なければ楽なもんですけど、トラブルが発生したら時間食って食って・・・。やっと作った文書も、多いときは5~6回、読点やら「てにをは」、行端のズレ等の訂正で戻されますから(泣)。編集の仕事やってるときでもこんなに戻されたことないです・・・・PTAおそるべし。PTA役員にも「編集必携」持たせて、新聞なみに統一すればここまでの面倒はないと思うんですけどね。
これをボランティアでやってると思うと、我ながらエライと思われ(逃)。


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今日は天気はよかったこともあり、午前中はそのへんの店にふらっと行ってきました。
なかなかの掘り出しものあり。また久々にコーヒー豆も買いました。

百貨店に勤めていたころ、こんなお客様いらっしゃいました。
デミタスカップ&ソーサーのカップの方だけを6個取り寄せられるので、「なにに使われるのでしょう?お店されているのですか?」と伺ったわけです。
するとその方は、趣味が山登りだと言われました。山で丁寧にコーヒーを入れ、いいカップで飲まれるのだそうです。小さいカップとはいえ、わざわざ割れ物を携行されるところがこだわりという感じです。

たま~に山に行ったりしてたとき、折りたたみのドリッパーとか挽きたての豆は持っていきましたけど、さすがに陶器・磁器のカップはもっていきませんでした。
でも、金属のマグよりずっといいよなあ~。
時間みつけてどこか行きたいもんです。