~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ハッピー、ハロウィン

2006年10月29日 14時45分03秒 | 雑感
息子の通う英語教室の、ハロウィンパーティーに出かけた。

幼稚園の年長から街のど真ん中の教室に通っていたのだが、実は本校はうちから宮島方面に向かう電車で20分くらいのところにあり、7階建のビルすべてが、英語塾・進学塾・幼稚舎(1~6歳一貫保育)を経営するあるグループのものだったのだ。
実はそういうことを今日初めて知った(汗)。

昨年までの先生は「ハロウィン命」のアメリカ人で、これが半端ではなかった。
9月頃から教室の天井一面に骸骨のペーパー人形を飾り付け、パーティーは各クラスごとにおどろおどろしく執り行って子供を泣かせ(爆)、
パーティーが終わると「もう来年まで楽しみがない。クリスマスとニューイヤーなんて・・・」としょんぼりしていた。
そのアメリカ人が国に帰ってしまって今年はどうなるのかと思ったら、全校合同のパーティーが盛大に開かれた。
うち以外はほぼ全員仮装だ。(私はやる気まんまんだったのだが・・・)

娘が怖がるのでパーティーの間、1階のスペースで遊んでいた(写真)。
きくところによると、ここの幼稚舎(同じビルの2~4階)
お月謝6万円とか・・



弦楽合奏を聴いて

2006年10月29日 00時25分34秒 | 交響曲・管弦楽曲等
某区民文化センターで、友人の所属するアマチュア弦楽合奏団の演奏会を聴いてきた。
前半が名曲シリーズ、後半がイギリスの作曲家ということで、後半に非常に興味があったのだが、
全部聴くと子供二人が空腹で発狂すると思われ、前半だけ聴いて帰ってきた。

<前半プログラム>

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より第1楽章(モーツァルト)
「G線上のアリア」(バッハ)
「アニトラの踊り」(グリーグ)
「亡き王女のためのパヴァーヌ」(ラヴェル)
「カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲」(マスカー二)
「リュートのための古風な舞曲とアリア」より第3組曲(レスピーギ)

いずれ劣らぬ名曲ぞろいだ。
この中で私が個人的に関心があったのは「アニトラの踊り」と「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
「アニトラ」は連弾で、「亡き王女」はソロで弾いたことがあり、どちらもほんとに苦労した。なにで苦労したかというと、弦楽でやるところの「ピチカート」でだ。
「亡き王女」のほうは、ピアノが原曲なので、なぜそこまで苦労を・・と自分でも思うのだが、ラヴェル自身の編曲でやはりピチカートが使われているとすれば、やはりそのイメージは見過ごすことができない。
ピチカートは音であって音でないように思う。音程を伴なった空気振動(すべての音がそうだと言ってしまえばそうなのだが)。
なので物理的にピアノでは難しい。いくらピアノを「弾く」といったって、それは「弾く(ハジク)」行為ではなく、「打つ」ことにほかならないからだ。

集団でピチカートをすると、音というより「うなり」が生じる。
たぶん、録音で拾いにくい種類の音だろうと思う。
「アニトラ」では、あたかも洞穴に反響するような、怪しげで隠微な雰囲気を生む。
「亡き王女」のほうでは、神殿の遺跡に風が通っていくような、遥かな時間を感じる。
どれだけこういった効果をピアノから出してみたいと願ったことだろう。
そういう意味で、今日の演奏をつぶさに観察しつつ、ちょっと嫉妬に近いものも感じていた。

それと、一気に頂上に向かう息の長いボーイング。これも羨望の対象だった。
オーケストラはよく見聴きしているつもりなのだが、どういうわけかオケの場合は管楽器や打楽器を見ている時間が長いようだ・・ということに今日気付いた。
考えてみれば弦楽器のみの集団の動きをじっと見ることなどあまりなかったのだ。

たぶんこういうお客は奏者にとってはイヤな聴衆かもしれないが、
大変勉強させていただいた。
レスピーギについても、いろいろ刺激を受けたのだが、長くなるのでこのへんで。