~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

三鷹散歩

2021年06月19日 22時58分00秒 | 雑感
一昨日突然思い立ち、娘を三鷹散歩に誘いました。
6月19日桜桃忌。
言わずもがな、太宰治の命日であり誕生日であります。
若い頃はそこそこ読んだことがあり、娘も「文豪ストレイドックス」などなどで興味あり。
11時くらいに出かけました。









喫茶店で充電と腹ごしらえして、まずは「太宰治文学サロン」へ。
伊勢元という酒屋さん跡地だそうで、今日はマックス3人までで1人10分(ふだんは時間制限はないそうです)。
「正義と微笑」の手書き原稿の展示等、あとグッズの販売。







田辺肉店は現サイゼリア、太宰横丁はこういう小路になってます。







禅林寺に向かう途中の道に、太宰の「斜陽」と亀井勝一郎の文学碑。
亀井勝一郎とお友達だったというのも「そうだったんだ〜」って感じですけど、
三鷹時代の太宰が、午前中5枚は原稿を書いて、極めて規則的健康的な生活をしていた、というのも驚き。





禅林寺までの道には興味深いお店がたくさん。







太宰の菩提寺禅林寺。
桜桃忌ということもあり、並んでました。
斜め向かいには森林太郎(鴎外)の墓。
もちろん鴎外の方が古いお墓で、鴎外のお墓に夫が憧れて(?)いたのを知っていた太宰夫人が、
ここにお墓を作られたとのことです。
写真には写ってませんけど、お墓の前には山のようなさくらんぼとウィスキー小瓶。それと味の素。
墓碑の文字部分にはさくらんぼがギュウギュウに詰められています。
これは少なくとも40年前からこういうことになっているそうで、
もはや「伝統」の域?









途中、旧宅から移されたさるすべりとか銭湯跡を経て、
山本有三記念館へ。
















そういえば中学校の時の読書感想文は「路傍の石」だったな、と何十年ぶりに山本有三の名前を思い出す。






玉川上水。
小さい川だということは知ってましたけど、梅雨時で増水していたとはいえ、それでも小さい。
娘は「せめて太田川(広島の川)くらいかと思ってた」と。
最後を共にした山崎富栄と暮らした家はほんとに目と鼻の先。
自宅もそう遠くはありません。











最後は、駅前のビル5階の三鷹市美術ギャラリーでの、「三鷹の此の小さい家」(太宰のお家の復元)。
6畳、3畳、4.5畳の小さいお家です。
奥様とお子さん3人と共に、昭和14年から23年まで暮らしたお宅ですが、近所に常に仕事場は借りていたわけですね。
仕事場の方では、女性関係があったりまあいろんなことがあったようですけど、
こちらの家(本宅)ではふつうの日常がおそらく淡々と平和に営まれていたんだろうな、と想像しました。
若い頃はそういう、ダブルというかパラレルな生活は想像つかなかったですし、
どちらかに気持ちを寄せてしまいがちだったんですけど、
今はなんとなく、「そういうことあるよね、ありうると思う」と受け入れられる気がします。

こちらに来て、初めてのプチ遠出でしたが、
娘はいつまでも「お墓に埋め込まれたさくらんぼ」で笑い続けていました。

ダニエル・バレンボイム ピアノリサイタル@サントリーホール

2021年06月04日 01時21分00秒 | ピアノ
バレンボイムが来日するらしいというのを知ったのは4月末。
「東京で2日、名古屋、大阪で1日ずつやるんだってよ。ほぼベートーヴェンの後期ソナタらしいよ…」という程度の関心でした。
というのは、こういう大物が来るのは「遠いところ」という先入観があり、「行きたいけどムリ」と思っていたからです。
でもよく考えたら、「今、首都圏に住んでるよね?コロナはちょっとアレだけど、チケット代もちょっとアレだけど、
行こうと思えばいけるじゃんね」と思ったわけです。
そのうち追加公演が決まり、これのP席を狙うも敗退。うーん、他の日は?と調べてみると、 意外や意外、S席とかは空いてる。初期ソナタの日はA席も空いてる。
「よし、初期ソナタの6月3日に行く!」ということで、ひっさびさに「万」のつくチケット購入。
でなぜ初期かというと、初期は1、2、3番を『ベートーヴェンのソナタを弾く会』ですでに弾き、自分でも初期好きだから。
後期は生でも録音でも相当聴いてはいますが、自分では弾いたことないし、正直いまいちよくわからない。
「後期の3曲は別格」とも言われているので、「後期いいですねえ」「後期大好きです」と言ってみたい気持ちは山々なんですが、理解力精神面ともに「後期が分かる、好き」というにはほど遠く、今のところ、口が裂けても言えない(汗)。
なので初期でGO!

さて、サントリーホールですが、大昔、坂を上ってやっとたどり着いた記憶があります。
今は南北線の駅ができてて、赤坂あたりから歩くのと比べて近いのか遠いのか分からないけど、
いちおうそっちから行ってみました。迷わずに到着。

コロナがらみでてっきり座席半分使用と思い込んでましたが、私の両隣も塞がってるし、空席はごくわずか。客席がマスクで埋まってなければ、これまでとなんら変わりないコンサートの光景です。ちょっとびっくり。

さて、ステージ上の「クリス・マーネ・ストレートストラング・グランピアノ」ですが、これはいわゆる「平行弦」になっている(今のグランドピアノは交差弦)うえに、鍵盤のサイズもバインボイムの手に合わせて設計されているそうです。私の席(二階ほぼ中央)からは詳しくは見えないけれども、屋根を押し上げる棒が金ピカ(に見える)なのが目新しい。


さて、開演。
私の勝手なイメージでは、そそくさとピアノに向かって弾き始める人だったのに、
なんと周囲の各ブロックのそばまで行って、お辞儀し両手を振る。客席も最初からカーテンコールのような鳴り止まぬ大拍手。
で、最初は1番。モーツァルトの40番シンフォニーの終楽章のような、マンハイムロケットで始まる…はず。
固唾を飲み、待ち受ける。…来い!マンハイムロケット!
「♪ ソシーシファー ミソーソレー」
え?え?それ30番ですやん?さんざん予習してきた小学生とかだったら「お母さん、これ違う曲だよ〜」とダダをこねそう。カルパッチョと思ってたらソテーだった、前菜と思ってたら主菜出てきた…いや、どんなたとえでも追いつかない驚き。
ですが、「きっとこれはいつのまにか曲目変更になっていたのであろう」と大人の判断をしまして、「いやあ〜、後期聴きたかったのよ」という気持ちに切り替えました(笑)。
なんですかね、ただただすみずみまで美しい。「ふわっと触ってるだけじゃないか?」というくらいの弱音も大変多いのですが、よく聴こえる。よく聴こえるというと「クリア」という表現が使われがちですけど、そういう感じではなくて、「遠くにあって霞んだように見える(聴こえる)けど、解像度は高いから、広げてみるとひとつひとつすべてがきれい」という感じなんですね。高音は透き通ってるし、低音もだみったり、うなったりせず、きれいに響く。
曲そのものについては「感想」程度のことしか言えないのですが、30番の終わりの方は「長年連れ添った人と穏やかにやり取りしているように」感じました。
前半30、31番だったので、さすがに後半は32番よね、と思っていたら、やはりそうで、最後のトリルが実に実に美しかった。もし死ぬ前に幽体離脱というものがあるなら、魂が抜けだして、それまで自分が行ったところ、会った人たちの上を懐かしく浮遊して、そのまま、天に召されていくような情景がありありと目に浮かびました。
どの曲もそこはかとなく温かく、ベタな表現ですが「愛」に満ちているように思いました。そして、作為はなく、息をするように音楽が出てくる。「自分も弾いてある程度分かると思うから初期を」などという計算高いチョイスをしてすみませんでした、恥じ入りました。おそらく…もし明日同じ会場で同じ後期を聴いても、「明日は明日の息がある」から、それはそれで新鮮に聴けるはず。

演奏後、マエストロご自身から謝罪と説明がありました。
マエストロは今日のプログラムを勘違いしておられて、休憩時に「本日のプログラムは初期ソナタ」ということを聞かされたそうです。セット券販売もあるので、主催側はいろいろ大変かもですけど、個人的には「行ってよかった、後期でよかった(たぶん)」なコンサートで、マエストロに心からお礼を申し上げたい気分です。