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~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

煩悩落とし15連発

2005年12月31日 15時56分35秒 | 交響曲・管弦楽曲等
一年の煩悩を払うにふさわしい曲を・・と考え、聴きました。

「<断頭台への行進>15連発」

これは、15の指揮者&オーケストラで演奏された、ベルリオーズの「幻想交響曲」の第4楽章<断頭台への行進>を一挙に聴いてしまおうという、泣く子も黙る企画モノです。

エドゥアルト・ヴァン・ベイヌムのロイヤル・コンセルトへボウからチョン・ミョンフンのパリ・バスティーユに至る76分30秒間、聴きに聴きました。
独特の節回しのストコフスキー、オペラのようなレヴァイン、骨格の透けてみえるような古楽器使いのガーディナー、ザクザクと行進するショルティ、そしてきわめつけミョンフン・・・・・
もう煩悩どころか魂までぬかれて、もう悪いことはしません、許してください状態

さすがに新年を前にして魂は取り戻さねばならないので、次に聴きました。
「ゴルトベルク変奏曲(弦楽合奏版)」(シトコヴェツキー指揮 ヨーロピアン・ストリングス)
ここで白状せねばならないのは、私はピアノ独奏版のゴルトベルクはたいがいあきてしまい、いまだかつてまともに聴いたことがない、ということです(殴)。
自分ではシンフォニーやら弦楽モノをわざわざピアノ編曲版で弾くモノ好きのくせに、この曲に関しては、この「弦楽合奏版」なら聴くか・・・というありさまなのです。
今日も、最後まで(約1時間)聴きとおしました。
いい曲じゃないか~~~
テーマも静謐なだけではなく歌としてもふくよかな表情を持ち、バリエーションは各声部がからみあい、時には同時に滝のように流れ落ち、こんなエキサイティングな曲だったのだとあらためて思いました。
感動しているところに息子が言いました。
「なんかバッハみたいだね」
・・・・・・・・・・バッハだよう~バッハにしか聴こえないよう~~

かくして我が家の大晦日は経過していきます。
今年は、1月のコンチェルトに始まり、転居、ホームページ&ブログ開設など、いろいろとピアノと音楽をめぐる環境にも変化があり、なかなか良い年でした。
いろんな一年を過ごされた方がおられると思いますが、あんな方もこんな方もどちら様もそれぞれの大晦日をお過ごしくださいませ。

それではまた来年!

テレビばかり・・・がバレバレ

2005年12月30日 21時57分14秒 | 見る・読む
昼間テレビをつけっぱなしにしていたら、ドラマ「ドラゴン桜」をやっていた。
ストーリーはあまりにも有名なので端折るが、早い話が偏差値30台の高校生たちを無謀にも東大に入れようとするムチャクチャな熱血教師の話だ。

とにかくムチクチャで笑える。
「模試では志望学部を書かされる。いろいろ掛け持ちするやつも多いが、おまえらの志望学部がオレが決定する。それは東大で一番やさしい学部だ!」
「それは、<理科Ⅰ類だ!>」(ほんとにそうなのかは私の知るところではありません)というのだが、生徒達は仰天する。
そうはそうだ。理系じゃない生徒まで押し込もうっていうのだから。
「先生、でも入学してから全然授業についていけなかったらどうするのですか?」
するとこういう。
「そんなことは入ってから自分で考え努力しろ!オレの仕事は、このままではクズのまま終わってしまうお前らをとにかく<東大>という特別列車に乗せてやるための切符を渡すことだ。さあ、買うのか買わないのか!」

いやはやすごいし、「なんでもいいから東大」という考え方はやはり危険だとは思うのだが、「なんでもいいから一番のもの」というのは、長い人生では一回くらい危険を承知で試みても悪くないことなのかもしれない、とちょっと思った。

というのはその「ドラゴン桜」の前の時間にやっていた「テレビチャンピオン」で「片付けられない主婦をどれだけしつけられるか」という試みがあったのだが、これがなかなか感動モノだったからだ。
もちろんテレビのことだからすべてを信じるわけではないのだが、家中モノがあふれていた主婦3人を5日間収納のスパルタトレーニングして(3人のコーチはそれぞれ違う)、その後それこそゴミの中に暮らしているような若者の1ルームを3人3様に片付けさせる。
自分が指導を受けている時は、ほんとに自信なさげで主婦としてのメンツまるつぶれの様子だったのに、自分以下の部屋(笑)を見、覚えたての収納術を駆使するうちに、ほんとに別人のような堂々とした「デキル主婦」の顔になっていったのだ。

はやり、達成感と立場というものは人を変えていくものだとしみじみ思った。
ということは、まだやりたい仕事もはっきりわからないような高校生ならば、なけなしの得意科目にしがみつくことなく、とりあえず自分に自信と達成感をもたらしてくれるような進路を選び、そののちにそこからスタートするのもアリかな・・・と、ちと思ったのだ。

だいたい私にしたところが「文学しかない」と思いつめていたのに、その後はまったく違う職種を転々とし、今や音楽三昧だ。
冷静に考えてみれば、大学は(あくまでも私の場合だが)「その後への切符」でしかなかった・・かもしれない。

ワイドショー的アプローチでごめん

2005年12月29日 22時44分12秒 | その他音楽
昨日、ベートーベンに命をかけるマエストロ岩城の話を書いた。その翌日にこんな話でいいのかと思うが、こんな話だ

某ちゃんねるの「こんなベートーベンはいやだ」スレより。

 <某夫妻の結婚式でスピーチを頼まれ、「諸君、喜劇は終わった」と手短にすませるベートーベン>

 <自分の悪口だけはちゃんときこえていて、みんなが寝静まった時間に、言ったやつを殴りに行くベートーベン>

 <「あっ!書き忘れていた」とピアノ・ソナタ32番の3&4楽章を作曲し始めるベートーベン>

32番のピアノ・ソナタにいきなり追加をするというのがもっとも笑えるが、これはまず有り得ない話だ。
それにくらべて、あとのふたつは今に伝えられるベートーベンの人柄からして、かなりリアリティがある。
特に「結婚式のスピーチ・・」については、映画「不滅の恋」で怪優ゲイリー・オールドマンが、肉親の恋路を執拗に妨害する「ほんとにいやなベートーベン」を好演しているので、実はエピソードとして既出なのではないか・・と勘ぐるほどだ。

私の子供のころは、ベートーベンは「楽聖」であり、耳の病にもかかわらず不屈の精神で作曲を続け、ついには「第九交響曲」で人類愛を歌うに至った・・・という神々しい芸術家であった。
芸術に関しての神々しさは今でもまったく衰えることはないのだけれども、その人物像については、とにかく人間関係のトラブルが多く、奇癖もあり、思い込みも激しく、大変難しい人間だった・・・ということになっている。

いったいベートーベン自身の演奏はどのようなものだったのだろうか?
毎日コーヒー豆を数えてコーヒーをいれ、家政婦はささいなことでクビにし、計算はロクにできず、水をかぶりながら作曲をし、甥に異常なまでの愛情を注いだ・・・・等々の、嘘か誠か知れぬ数々のエピソードが伝えられる男。
200年あまりたっても、クラシックの中でもっとも演奏される数々の傑作をモノした男。

楽譜がすべてという考え方もあるかと思うのだが、ワイドショー的興味はどうしても尽きることがない。



それも音楽、これも音楽

2005年12月28日 13時59分55秒 | その他音楽
昨夜、某ちゃんねるを遊び見していて、笑った笑った。

「クラシック初心者の恥ずかしい質問」みたいなスレで、ネタっぽかったり自作自演もありそうだったのだが、だいたいはかなり真面目な応答になってました。
が・・・


<交響曲と協奏曲の違いを教えてください
  ・・・・・・・真ん中にドレスを着た人がいるのが協奏曲です>

<「楽器店でセカンドバイオリンをください」ときいたら売ってませんでした。どこに行けばあるのですか?>

<「simile」の表示部分でほほえんだら、指揮者に怒られました。どうしてですか?>

<「sostenuto」は「・・そして、ヌルっと」だと先輩におそわりました。どういう風にやるのですか?>

<大バッハとよくいいますが、中バッハ、小バッハはいるのですか>

<マーラーとブルックナーの違いがわかりません。教えてください。
・・・・・・・・・・・・・うるさいのがマーラーで、やかましいのがブルックナーです>

もしかしたら、音大やオーケストラ関係者の間では知れ渡ったネタなのかもしれないのですが、初めて知った私にはキョーレツにおもしろかった。特に「マーラーとブルックナー」ネタはいまだに思い出し笑い状態
やはり人が集まるから、ジョークや馬鹿話も生まれるわけで、こういったジャンルはピアノ弾きにはあんまり縁がなさそうですねえ。


話変わりますが、クラシカ・ジャパンでカルロス・クライバーの「こうもり」をやっていました。
クライバーの指揮はほんとにうれしくなります。音楽を聴かなくてもどんな曲なのかわかるというか、一筆書きで空中にすーっすーっと音楽を描いていくというか。
曲に入っている時はあんなに楽しそうなのに、ステージに出るのが怖くて怖くて、精神的にもいろいろ悩み多い方だったとか。
そういえば、アルゲリチも、リハーサルで超ゴキゲンだったのにもかかわらず、本番前に楽屋に閉じこもることがあったとききます。
それはなぜなのかというと「リハーサルであまりにもうまくいったので、あんな演奏が次はできないのではないかと怖くなった」と。
どちらの天才も見ていると、一種とり憑かれた状態というか、平常とまったく違う世界で音楽を奏でているように思われるので、そういう「神がかり的」な状態は自力では操作できない部分もあるでしょうから、そういう意味で「ステージが怖い」というのも、なんとなくわかる気がします。
とはいえ、同じ「怖い」といっても我々凡人とはかくもレベルの違う話なのか・・・と思いますが。

あと3日で今年もおわります。
31日には、昨年に続き今年も岩城宏之氏がベートーベンの1~9番を続けて指揮されるそうです。病とご高齢をおしての執念。「ベートーベンのためなら何が起こっても悔いはない」ご覚悟だとか。
これほどの気合を以って一年を締めくくられる方がおられるのだと思うと、こちらまで姿勢が正しくなるような気がしてまいりました!







朋有り、遠方より来ました

2005年12月27日 19時13分59秒 | 雑感
アラマキジャケ下げて、来ましたよ

それにしても、若い頃に一緒に過ごした人間とマレに会うというのは、ほんとに不思議な感覚です。

今日来た友人は、実は昨日20年ぶりに、私も良く知る人間(イギリス在住)と会っていたらしい。ぽんと20年が飛ぶ経験というのは、年をとらないとできない貴重な体験です(笑)。20年といったら、樋口一葉や滝廉太郎なんてあとわずかの命ではありませんか。
くだんのイギリス在住の友人も私も、大学時代はバッチバチに化粧していたもんですが、今や二人とも「なりにはかまわないエコロな風体」になりはてていて(爆)、「変わったよねえ」と今日来た友人と笑いました。

そして、最近の友人達の写真やら年賀状やらを二人で見てみましたが、年賀状の「子供の写真」がどう見ても「本人」としか思えないようなもの(笑)が3枚ほどあり、「どうやったらこんなに似た子になるんだか・・」と大笑いでした。
でも、考えてみたら、写真の「子供」が10~14歳くらいとすると、私らがその親と過ごしていたのは「親」が18~22歳くらいの期間なのであり、むしろ今の「子」の年に近い「親」を見ていたわけです。だから、輪郭や雰囲気なんかが「似てる」と思うのもある意味自然なのかもしれません。

そうそう、なぜアラマキジャケかといいますと、今日来た友人は水産高校(今は統合されたらしいですが)に勤めてまして、そこで生徒たちが作るらしいです。
別に「火宅の人」とかそういうわけではありません・・・念のため






聞き間違い 打ち間違い

2005年12月27日 15時17分12秒 | 雑感
まったくもってお恥ずかしい話なのだが、そのスジに縁の薄い我が家では、
<MVP>がなんの略なのかを知るものはいなかった。
いきなり調べるのもつまらないので、乏しい知識を動員して考えてみた。

<M>は絶対<most>に違いない。が、しかし<V>のつく単語を思いつかない。
苦し紛れに
「most virtual person か?(なわけないよなあ)」と
つぶやいたところ
「えっ、モースト ばあちゃん パーソン?」と息子(殴)。

このモノは、私が「葬送行進曲」を弾いていると、
テーマの次に転調する箇所、「ファ~、ファ~ソラシドレ♪」というすばらしい箇所で
いきなりラジオ体操を始めるようなヤツ(確かに似ているが・・・)だ。
「モースト ばあちゃん」もウケ狙いで言ったわけではなさそうだった。

いうまでもなく、<MVP>は「most valuable player」のことだ!・・・
と打とうとして、実は「most valuable penalty」と入力ミスした私は、実はとてもイヤなやつかも・・・しれない(笑)。
 

朋有り、遠方より来る(らしい)

2005年12月26日 21時47分16秒 | 雑感
大掃除はパスしようと思っていたのだ。

でも年賀状は終わったし、「新居なのに、いいのか・・いいのか・・掃除もせんで」という思いもあり、「誰か遊びに呼べば掃除する気になるかなあ・・」と漠然と考えていた。
すると、電話が鳴ったのだ。

「あたし、S。元気ィ~?いろいろ返事とかしなくてごめんね。ところで、明日ヒマ?」
「うん」
「遊びにいってもいい?ところでアラマキジャケいる?」
「え、アラマキジャケ?そりゃくれるということなら」

<アラマキジャケ>で、一瞬、映画「火宅の人」の主人公(緒形拳)が、ずーっと帰っていない我が家に年末に帰るのに、罪ほろぼしのつもりなのか、デカいシャケだかブリだかを下げて台所に入る・・の図が浮かんだ(笑)。
それはともかくとして、学生時代の同級生で今は日本海側在住、たしか3年前の夏に会って以来の友人と明日会うことになった。

というわけで、やっと掃除する気になりましたよ。
まだまだ済んでませんが、換気扇までやりましたよ。

ただどうも珍しいことをやるといろいろ事件が起きる。
まず、風呂洗ってる時、切り替え間違えて、頭から水シャワーかぶった
ふとんを叩いていて、手がすべって自分の頭をたたいた
シャワーはまだしもなぜ布団たたきで自分の頭を・・???

考えてみれば、別に慣れていることでもいまだにロクにできないことはいろいろあるのだ。
トースターでパンを焼くとだいたい焦げる。息子に時間を見て焼くよういわれるが、のどもと過ぎればまた黒こげだ。
それと、目玉焼きが、たいがいカチカチになる。
旦那によると「君のそういうところが<こゆい演奏>や、<ベートーベンみたいなモーツアルト>になるのでは」ということだ。・・余計なお世話じゃ・・

でも、私はベートーベンのシンフォニーなんかの、「これでもか!」というほどしつこくもくどい終わり方(爆)が嫌いではない。もう一発加えたいと思うこともあるほどだ(なわけないか)。
最近まで、自分は循環気質だと思っていたが、粘着気質なのか。
ただ単に「年取って、くどく、しつこくなっただけ」の可能性も大だ。
いづれにしても気をつけよう。

それにしても、まだまだ掃除は続く。
アラマキジャケも届く(かも)。



プチ情けない話、3連発

2005年12月25日 12時29分36秒 | 雑感
朝から、ぴかぴかの暖かいクリスマスです
なのに、ちょっと情けない話をいくつか(笑)・・・

イベント目白押しの秋が終わり、どうも太った気がするわけです。
私の場合、体重の増減はそうないのですが(というよりはいつも重い・・汗)、
なんとなく「余計なものがついている」感じがし始めると、かなりまずい状態です。
ここんとこダラダラしてるし、寒いからお出かけすくないし、働かないし、で「こんなんでいいんかあ~~」と思っておりましたところ、
きました、きました。
椅子の目盛りが下がってる~~~
だいたい私はですね、学生時代茶道をならっている時に、先生から「あんたちゃんと正座してる?」と後ろに回って確かめられたほど、ただでさえ尻の皮が厚いわけです。
まあ、椅子の高さはピアニストによってマチマチで「たか~い、たか~い」の位置で弾かれるかたもおられれば、「おちる~、おちる~」とぶら下がったように弾かれるかたもいるので、別にどうでもいいといえばいいのですが、やはりこう意図せずして「自動隆起」した感じはいただけません。困りました・・・

話題変わってですが、さっきうちの子が習いごとから帰ってきました。
うちの子を含めて3人の4年生ですが、どうも今年はサンタさんの誤配が頻発したらしい。
3人のうち、ひとりは巨大たまごっちの変わりにゲームだったらしいし、あとひとりの子の弟くんは人形のはずが、これもなぜかゲームに(笑)。
サンタの国では、需要の見込み違いがあり、過剰生産物の調整に走ったのだろうか?それとも単なる間違い?
幸いうちはリクエストどおりだったけれども、頼んだ電池が入ってなかった・・・
もちつけ・・・・サンタくん!!

さて、今日は午後とあるところに食事に行きますが、これがまた予約を入れた数日後に「食中毒」が報じられたところ(爆)。
バチと食べ物だけには当たりたくないもんですなあ。





メリー・クリスマス!

2005年12月24日 12時38分57秒 | 雑感
みなさん、メリー・クリスマス!!

昨夜、このブログに遊びにきてくださっているある方のブログを拝見していましたら、ブログ仲間一人一人に写真とメッセージをUPしてくださっていて、感激でした。私など、まだお知り合いになって1ヶ月もたたないというのに・・・(感涙)。
お礼といってはなんですが、今朝バッハ「平均律第1番」のプレリュードを心をこめて弾かせていただきました。ちょっと、こちらはUPできないのですが、今年一年の出会いへの感謝、過ぎ去っていった時への惜別の思いをしみじみとかみしめました。

さて本日のクラシカ・ジャパンのプログラムはすごいです。
ヘンデルの「オラトリオ」、
バッハの「クリスマス・オラトリオ」、
ニュルンベルクのクリスマス、
ライプチッヒ聖トーマス教会合唱団のクリスマス・キャロルの夕べ、
シャウシュピールハウスのクリスマス・コンサート、
などなど。

中でも、ニュルンベルク、ライプチッヒ、シャウシュピールハウスはぜひぜひみたいのです(でも、子供にチャンネル権とられそう・・・)。
というのは、私の2回しかない海外旅行のなかで、この3つはどれも訪れたことがあるからなのです。

ニュルンベルクは新婚旅行で行きましたが、ローテンブルクから乗る予定だったバスが、実は季節運行でその日は欠便。しかたなく、列車を乗り継ぎ乗り継ぎニュルンベルクに到着したもののすでに夜の8時頃。
しかも、ホテルを予約してなかったので旦那が観光局で紹介してもらいにいったら、すでに閉まっており、しかも折悪しくメッセ(見本市)の季節でホテルはいずこも満室。やっとみつけたことろに命からがら飛び込んだという体たらく・・。

ライプチッヒの聖トーマス教会では、憧れの大バッハ像が大工事中(爆)。バッハの頭上に鉄パイプの足場が組んでありました。ゲバントハウスは建て替えられてから5~6年くらいで、大変モダンな建物でした。ですが、この地でメンデルスゾーンはじめ著名な音楽家が活躍したことを思うと、なんだか頭がボーっとしました。

シャウシュピールハウスというのは、ベルリンの旧東ドイツ地区にあるのですが、私はここで初めて、生のオルガンを聴き、その迫力にただただ驚いて帰ってきました。なんの予備知識もなく、ただ飛びこんだ演奏会だったのですが、のちにここのオルガンは相当有名なのだということを知りました。
今、当時のフォトアルバムを開いてみると、建物について「中は赤と金でできた派手なデコレーション」とあります。外装は落ち着いたヨーロッパ風なので、もしかすると、ソ連支配時代のなごりだったのかもしれません。

3連休でもあり、みなさんお忙しくも楽しいクリスマスをお過ごしのことと思います。
くれぐれも飲みすぎ、食べすぎ、風邪にはお気をつけて。
あらためてメリー・クリスマス!

「第九」といっても、ピアノのお話

2005年12月23日 21時56分04秒 | ピアノ
今日の朝日新聞に「若林顕ピアノ・リサイタル」評があった。
昨晩、「音楽の友 1月号」で氏のインタビュー記事を読み、「12月に<第九>をピアノでやります」という内容に興味津々であったので、大変なタイミングの良さである。

ベートーベンの交響曲はすべてリストの手によるピアノ編曲版が残されており、恥ずかしながら、私も「5番<運命>」の第1楽章を弾いたことがある。
原曲がオーケストラのものをピアノで弾くということは、自分自身によほどの主張や方向性がないと「もう少しオーケストラのように、いろいろな音色が出るように弾き方を工夫しましょう!」という講評や感想で終わってしまい、苦労の割りにウケない(笑)。でも弾いている本人は大変楽しいので、一度やるとハマってしまう可能性大だ。

が、しかし「第九」である。
長い長い、しかも合唱付きなのだ。全楽章を弾かれたのかしら・・・暗譜だったのかしら・・と失礼ながら「???」でいっぱいだったのだ。
新聞には「70分にも及ぶ音楽を、こういうしっかりした演奏で(しかも暗譜で)弾きとおした、というのは恐ろしいような力業だ」と書かれていた!
ほかには「第1楽章冒頭も、こうしてピアノで聴くとそれが当時としては破格の前衛音楽であった、ということが実感できる」
「第2楽章では、速い動きの中で、ハッと立ち止まる休符がうまく処理され、どんなうまいオーケストラで聴くより納得が行く」
「音楽に耽溺しきらず、だが無味乾燥にも陥らず、その矜持のなかにこそ深い感情が宿る」
などなど、評論家(伊東信宏氏)の表現もわかりやすかったのだが、オーケストラ曲をピアノで弾く場合の「かくありたい」という理想の演奏だったようだ。

オーケストラ曲や、ピアノ以外の楽器の編曲モノを弾いて思うことは、たとえば「<スタカート>と表示があっても、そのままピアノでのスタカートに置き換えるのは早計だ」といった類のことなのだが、
若林氏の演奏は「オーケストラなら弦楽器のピチカートによる伴奏となるところなど、意外なほど音が長く保持されて、しかもそれが一つずつ構造を浮き彫りにして」いっていたそうだ。・・・・・・すばらしい・・・・・

私が一番興奮するのは、こういうジャンルだ。
翻訳や通訳でも、訳者の絶妙の言い回し、表現の工夫に心底感動してしまう。
オリジナルに忠実でありながら、オリジナルを再発見させてくれるような(黒子的?)表現者に限りない敬意を表する。

そういう意味でも、私自身技術は全然足りないのだが、やはり「編曲モノ好き」からは足が洗えそうにない。