~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

この暑い中・・相変わらずです

2007年07月31日 22時53分51秒 | 家族・友人等
夏休み、それなりに忙しいです。

息子はほぼ毎日塾ですけど、娘はヒマなので、スイミングの短期に入れたり、造形教室の夏季プログラムに通わせたりしてます。

このスイミングなんですけど、昨日から4日間の予定で始まりました。
昨日は、浅瀬で水鉄砲やったり、ボール遊びしたり、水の中歩いたり飛んだりでまさに「水慣れ」だったのですが、この時点で、すでにこっちはドキドキもんでした。(親は二階のギャラリーから見学している)
・・・というのは、遠くへ飛んでいったビーチボールを、娘はプールサイドをささっと移動して取りに向かうわけです。もちろんヘルパーつけてますけど、手を伸ばしてドボンした日にゃ泣くぞ・・・
そんな光景が何度となくあり、こいつ幼稚園でもトンデモ娘をやっておる違いないと、母は確信。
そして本日、娘は「お母さんは見てないでいい。どっか行ってて」と言うし、自分も急ぎの用があったので、残り15分ほどしか見学できなかったのですが、この間にもやってました・・・・自由人
今日は、ヘルパー2個と、長いポールを曲げて両脇にはさんで浮き輪状にしたもので、いちおう浮いてまして、浅瀬から少し離れた浅瀬までなんとか泳いでました。
ところがですね、娘、その集団からすぐに離れ、ひとり旅に出る。コーチの視界には入ってるのですが、回収しても回収しても沖へ漕ぎ出す(爆)。
ついにはコーチ、もう一人の自由人の女の子と娘をセットで「あの島まで泳いで来い」とばかりに、少し離れたとこまでいかせて(もちろん見守ってはいましたが)、しばらくたってからまとめて回収。

なんでも娘の友人によると、昨日はシャワー後のサウナ(ほんの短時間です)で「出してえ!出してえ!」と暴れていたらしく、今日はこそっとサウナを覗いてみたら「熱い!早く出たい!」と騒ぎ、コーチに「カコッ!」と2日目にして呼び捨てで怒られてました(爆)。

終わってからも娘ご不満。「もっと遠くまで泳ぎたかったのに」と。
幼稚園入るまではここまでではなかったと思うのですが、近頃キョーレツです。


本日はこのスイミングのあと、友人宅訪問。サークルの数人が集まり中(称して人妻会)。意外と近くて、1時間とかかりませんでした。
「(おととい)プール行って焼けた?」というので、このサクラ吹雪が目に入らぬかとばかりにお見せしましたけど、「そういえば去年もちょうどこの頃、そうやって脱いで見せてくれたよね」と
ええ、いい年して、毎年「脱いでは焼き、焼いては見せ」してるわけです・・・いい加減にせんかっ。
時間の都合で少ししかお話できなかったのですけど、東の某市にお住まいの人妻さんとも久しぶりにお会いできましたし、楽しませていただきました。
このお宅、うちと違って防音室にタテに長い覗き窓がついていて、中では悪いことはできないのですけど、自分が弾いていると、どうも足元からの視線を感じる。
・・・・覗き窓の下方部から4つの目が見上げていて、お立ち台のクィーン状態(扇子振って踊った過去はありませんが)・・・・・見たものは石になりますよ、それでもいいですかっ!

こちらの防音室にはエアコンがないので、一枚脱ぎ、さすがにひとんちなので二枚は脱げず、室外に出ては、汗を拭き、扇風機に当たり

そこで疑問・・
なぜ銭湯などでは、コカンにシュパンとタオルを当てるおじさんがいるのか?
いやいや背中にシュパン・シュパンと手ぬぐいを叩き付けるおばあさんもいますぜ。
今でもそんな方がいるかどうかは疑問なのですが、私らの小さいころには間違いなくいた。
・・・・・そしてなぜか今、その気持ちがわかるような気がする自分もいる

ドキュメンタリー番組 ~リヒテル~

2007年07月30日 12時23分29秒 | 見る・読む
昨晩放映された番組、

<BS2 クラシックロイヤルシート>
NHK-BS2
2007年 7月30日 (月)  00:55~03:59 クラシックドキュメンタリー

リヒテル・謎のピアニスト
第1部  ~ 才能と苦悩のはざまで ~
7月30日(月) 00時55分23秒~02時11分53秒 [1時間16分30秒]

内 容:
20世紀を代表するピアニスト、リヒテル (1915~1997) の生涯を綴ったドキュメンタリーの2回シリーズ。
第1部は生い立ちと初期の交友関係を中心に描く。
構成: ブリューノ・モンサンジョン


クラシックドキュメンタリー
リヒテル・謎のピアニスト
第2部  ~ 音楽そして友との交わり ~
7月30日(月) 02時14分53秒~03時31分23秒 [1時間16分30秒]

[ 制作: 1997年 IDEAL AUDIENCE / IMG ARTST (フランス) ]



のうち、第一部だけを録画で見た。これはリヒテル本人へのインタビューとそれに関する映像で構成されている。
10年前の制作のようで、私は初めてみたのだが、第一部を見るだけでかなりのエネルギーを要した。録画していてよかった・・・・(泣)。

まず、リヒテルの演奏場面を見るだけで大変だった。
これだけまとめて見たのはもちろん初めてなので、画面からはみ出さんばかりの動きの激しさ(特に若いころの演奏)、独特の指さばき、突如切れたように繰り出される強打、・・・・心拍数上がりまくり。
リヒテルの父は、ピアニストにして教師だったため、自己流にピアノを弾き始めた息子に批判的だったらしい。
でもお母さんが「好きに弾く」ことを許したため、「音階の練習なんかしたこともない、指の練習も。初めて弾いた曲はショパンのノクターン1番、次に弾いたのは、エチュード25-5」
10-4を弾いている映像もあったが、ハンカチをピアノの中に投げ入れると同時に、突如激速での演奏。スフォルツァンドはかなりの高さからの強打(普通は、あの高さから打ち下ろす時間的余裕は無いと思われ・・)。度胆を抜かれました。

激動の時代だっただけに、自分が兵役にとられそうになったり、母親が帝政ロシアの高官がらみの人物をかくまって、そのとがで父親が殺されたり、
さらになんと母親は父の死後、このかくまった人物と再婚したりと、信じられない波乱万丈伝。
1週間くらいまえに「テルミン」(のだめ最新刊で出てきた電子楽器)というDVDを見て、テルミン博士の数奇な人生に仰天したのだが、ソ連時代の暗黒面・・いきなり拉致されて諜報員にされるとか、いなくなったと思ったら殺されてたなどなど・・、知識としては知っていても、こうして本人たちが語る映像の前には、絶句するしかない。

師のネイガウスについての思い出もおもしろかった。
いわく
「ネイガウスには、音の響かせかたを習いました。
リストのロ短調ソナタでは静寂を。音のない時間の演出のようなものを習った。
椅子にすわって心のなかで30数え、ポンと鍵盤をさわる。音が出ないと聴衆は<あれっ?>と思う。どうしたんだろう?と。その時やっと最初の音を鳴らしはじめる」
こう弾くであろう、と聴衆が構えている通りに演奏するのではなく、意外性が大事だ・・といったような話に続いていた。その意外性の表れなのかどうなのかはわからないが、
「ネイガウスは演奏に大変ムラがありました。ある夜のシューマンプログラムではソナタは一小節ごとに間違う。なのに、クライスレリアーナや幻想曲は、これ以上はないというような名演だった」
・・・・リヒテルによると、ネイガウスは教育熱心すぎたらしい。教育熱心なのはピアニストにはマイナスになることが多い、とも語っていた。


プロコフィエフについての話も興味深かった。
「プロコフィエフは面白い人間だったが、キケンな人物。主義主張がなく、どんな仕事でも請け負う。スターリンの誕生日のための曲も作った」

当時、スターリンに依頼された作曲をことわるなんて絶対にできない話だと私は思うのだが・・・・。そういうリヒテル自身がスターリンの葬儀で演奏している。(ただその演奏は、反スターリン的だった、という噂が流れたらしい・・。
その理由のひとつに、弾き始めると同時にペダルが効かないことに気付き、少しでも効けば・・という思いで楽譜をペダルの下に敷いたら、爆弾を仕掛けたと勘違いされたこともあるようだ)

プロコフィエフについてはこうも言っている。
「プロコフィエフはラフマニノフに批判的だった。練習曲(音の絵)などは、どれもダメだと言っていた。それはなぜか・・・・・影響を受けていたのだ(ここでリヒテルはニヤリとした)。特に、あのあたりがね(といって、ある箇所を歌った)」

プロコフィエフとラフマニノフが対立していた、というよりプロコフィエフが皮肉っぽく批判していたことについてはなにかで読んで知っていたが(ラフマニノフはアメリカへ行ってしまったので、当時の体制の下ではほめるわけにもいかなかったのかもしれない・・)、こういう話を直接「語り」の形できくのは、どれだけ大量の伝記を読むよりもイメージが生き生きとする。たとえ、語り手の好き嫌いやその他のフィルターに覆われていたとしても、だ。

というわけで、後半を見て、もし書けるようだったら、感想をまたUPしてみたいと思う。

親も国民もやりました、の一日

2007年07月29日 21時21分02秒 | 雑感
今日昼から、息子が塾のお友達数人とプールに行くというので、便乗して娘と一緒に出かけました。

12時待ち合わせでしたが、数分遅刻で息子到着。娘と私はのんびり歩いてだいぶ遅れてプール入り。
それからですね、な、なんと、えんえんプールに漬かること数時間・・・6時の閉園までいました。

昨年は、流れるプールを怖がっていた娘ですが、今年は、とりつかれたように5時間近く流れてました。浅いプールも日焼けやらなんやらで大変なんですけど、流れるプールはそれなりの深さなので放置プレイ不可。
・・・・なので私も、5時間近く流れてました(涙)。
その間、いろいろとプチ事件もありまして、
なぜかしばし娘が消えたり(わかってみれば特に大変な状況ではなかったのですけど)
なぜかしばし私の手回り品が消えたり(これはなぜか総合案内所に届けられてた)、
真夏の昼の肝試しみたいな笑えない時間もあるにはありました(汗)。

ちゃんと泳いでいたわけでもないし、ただだらだらと水につかっていただけですけど、さすがにこれだけ水の中にいると(もちろん休憩時間は上がってましたが)、なんというか自分のエキスが流れ出たというか、だしが出てしまったというか・・・

6時半過ぎに某居酒屋で合流した旦那に「5時間以上もプールにいたおかげで、私、出がらしと化しているよ」というと、
「え、毒気がぬけた、っていうこと?」と(殴)。毒気かどうかはわかりませんけど、なんかこうミソギっぽい清清しさはなきにしもあらず。

しばし飲んでからなんですけどね、「今日は投票日だあ!」というわけで、8時までには駆け込み投票するぞ、という話をしていたら、娘
「え、とうひょうって、とうきょうと似てる?こんな時間から行ってもいいの?」
とお目目きらきらです。娘はここ数日「早くまた東京に行こうよ」と寝言のように言い続けていて、「この夏は東京はナシじゃ!」といわれるたび、がっかりしていたんです。

「たしかにとうひょうとうきょうは似てるけどね、ぜんぜん違うとこだよ、行けばわかる」
というわけで、20時10分前にダッシュです。
小6の息子には「国民主権だあ!どんなに酔っ払っていても権利は行使するぞ!」とわけのわかんない説明をしつつ・・。

で、投票所に駆け込んだのは20時2分前。アルコールいれて走りましたから、もういい具合に回ちゃって、それでなくても日焼けで真っ赤なのでもうどうにもなりません

ぜいぜい言いながら真っ赤な顔で駆け込む親子4人って相当ヘンだったと思うんですが・・・


「えと・・・・仮装ぴあにすとさん・・・お誕生日は?」
「・・・・(酔っ払ってて考えることしばし・・)あ、○月××日です」
「はい、ではどうぞ」

地元の候補者はともかくとして、比例区のことなんか考えてもいなかった・・
・・ううっ・・・
ふと見ると、知ってる名前が・・ああっ、これでよし!(逃)


いやあ終わった終わった。
出口で「清き一票無事投じたぞ!」と叫んでふとみたら、投票所は店じまいに入ってました。


・・候補者のみなさま、こんな一票でも一票には違いないんですが、それでもよろしかったでしょうか?






真剣と滑稽は紙一重

2007年07月27日 17時51分14秒 | 雑感
娘が毎日毎日「虫取りする」というもんで、昨夕出かけました、裏の男子校(爆)。

いえ、いきなり男子校に行ったわけではなく、ここ数日で近所の公園やら草むらやら行ったのですけど、セミ1匹取れやしない。なので「絶対獲れる(男子校生をとるわけではなく・・あくまでも虫を)」とニランだ所へ出かけました。

うちはバイパスの横で、まだまだ都会の雰囲気なんですけど(そう思ってるのは私だけか・・汗)、バイパス越えて傾斜を登り始めると、いきなり山の匂いします。
竹林あり、雑木林あり、栗や柿の木ありで、環境がガラッと変わります。そういう斜面の道の右側に男子校が建てられていて、左側にいくと大変大きな神社があるのですけど、その道自体は私道なんだか公道なんだかさっぱりわからない。どう考えても男子校の敷地ど真ん中を貫通してます。

男子校の裏は延々山奥に道が続いていて、こちらへいくと蚊の襲来に遭うばかりなので、少し下のほうで、まずはセミを狙ってました。
肝心の娘は「足痛い」と地べたにすわりこんでしまい、捕虫網をブンブン振り回しているのは私だけ。ふと見れば、真横は体育館で、部活なのか、遊びなのか、上半身裸の若者たちがなにやら組んずほぐれつ。
ひとりと目が合いましたけど、なぜかすぐに窓を閉め、消灯してみなさんそそくさとお帰りになられました・・・・・・ちっ・・
考えてみればねえ、むこうからは「髪振り乱したおばさんが、杉の木にむかって捕虫網片手に突進するの図」しか見えてないわけですよ、そりゃ怖いって(爆)。

私が高校の時、一人の男子クラスメートが精神を病み休学してましたが、一回だけ林間学校かなにかに参加したことがありました。
そのとき、なぜか本格的な捕虫網を持ってきて、女子生徒を追い掛け回し、「○○ちゃん、つ~かまえたっ!」と言って喜んでましたけど、なぜかその光景がフラッシュバックいたしました。

私のほうは、なんとかアブラゼミ1匹ゲットしました。
・・・ええ、学生たちのけげんな視線にもめげず・・・・

君は「黒桃」を知っているか?

2007年07月26日 11時42分46秒 | 見る・読む
昨日の転妻よしこさまの日記には、死ぬほど笑わせていただいた(本日も関連記事あり)。

出先で携帯からのぞいていた私は、中国語の「黒桃女王」の文字を目にしたとたん、モンゼツの憂き目に遭った。
しばし考え、これは「チャイコフスキーの<なんとかの女王>という曲であろう」とは思ったのだが、<黒桃>が<スペード>を表している・・と気付くのにしばしかかった。

それにしてもこの黒桃のアヤシイ語感はどうだ!?

日本語でいう時の「桃」とはもちろん、ある果物を指すわけではあるけど、同時にその色合いの「桃色」といったイメージが強い。
「桃」ときいて「え?何色の?」と考える人はまずいないと思う。
そういう色の要素が強いこともあって、ちょっといかがわしいニュアンスで使用されたりすることもあるわけだが、
それにしても、たとえば「桃尻娘」とか「桃色遊戯(こんな言葉が昔あったような気がする・・)」の頭に<黒>とかつけてみた日には、これはもうエログロナンセンスを超えている。

「黒桃女王」のいかがわしさは、桃をたんに<形>としてとらえられない日本人の哀しさ(爆)と無縁ではないと思う。

ところで、昔から日本で、「桃」がそういうイメージだったのかというと、たぶんそうでもないのではないかと私は思う。

たとえば上記にある「桃尻」だが、これに「娘」が続くとまたちょっと違う雰囲気なのだけれど、元来は
「(尻が桃の実のように座りが悪い意から)馬に乗るのがへたで、鞍の上に尻が落ち着かないこと」という意味なのであって、
古文でいうところの「桃尻」には「・・・侍」と続く方が、自然な語感だったように記憶している。

そうすると、これはどう考えても「形」としての「桃」なんであって、ピンクのケツの侍を連想するわけにはいかない。
それともうひとつ不思議なのは、「桃」→「座りが悪い」というイメージが今はおきにくいことだ。昔の桃は、もしかすると、もうすこし小粒で硬く、どうやっても転がってしまうような形状だったのかもしれない。

このあたり、ここを読んでくださっている方の中には、私などよりはるかに詳しい専門の方々がおられると思うので、なにかご存知のことがあったら、どうか教えてくださいませ。


某コンクールをちょっと拝聴

2007年07月25日 22時48分17秒 | ピアノ
夕方というかもう夜に入っていたが、ほんの短時間、某コンクールを聴きにいった。

このコンクールは今回が初回で、小さいこどもから愛好家まで参加できる。つい一週間前、うちに遊びにきてくださった方が、参加するとおっしゃっていたので、見学をかねて聴きにいった。

子どもも連れていった関係で、時間ぎりぎりに会場入りしたのだが、なんと時間が繰り上がっていて、私が聴きたいと思ってかけつけた彼女の演奏の真っ最中だった。しかたなく廊下のスピーカーの下で聴く。
私の聴く限りでは、一週間前よりもいいように思うし、この曲を好きで弾いている感じも伝わってきた。
同じカテゴリーは4人で、あと2人残っていたのでホール内で聴いた。
どちらも若い方だったような気がするが、よく弾かれていたと思う。ショパンの前奏曲から難易度の高い曲を並べておられた方もいた。
お二人ともたしかによく練習をつみ、よく指が動く。
緊張のせいかお若いせいかわからないけども、ここぞというところの説得力というか、全般に起伏がないのは少し気になった。
どんな曲にも「ここを弾かずにどーする」という箇所があって、聴衆の気持ちもそこへ向けて期待が高まるわけだから、やはりそういうところを、捨て身で表現してほしいなあ・・・・・・と思うのは私だけかもしれないが・・・・。

このコンクール、予選通過者は大変多く、こんなに多かったら、通過できないほうも辛かろう・・とちょっと同情したくもなるのだけれど、
なんにせよ、私の知り合いは、上位2位内で通過されたようだ。
1番目の方の演奏を聴いてないのでなんともいえないが、私の聴く限りでは妥当な結果のような気がする。


帰り、会場の出口で、このコンクールの主催者であるS先生にお会いした。
面識はなかったのだけれど、思わず「東京の熱狂の日のコンサート、聴かせていただきましたっ!」と声をかけてしまった。
「通過しましたか?」と先生。
「いえ、今日は出てないのです。昨年、福岡で審査していただきました」と慌ててお返事申し上げた。
先生、大変お急ぎのご様子で、赤いスーツケースをザーッと引きながら、目の覚めるようなサマードレス姿で、信号を渡っていかれた。
かねがねエネルギッシュなお方と尊敬申し上げているのだが、9:30から19:30のコンクールのあとでも、オーラ全開で生き生きと帰っていかれたのだった。

いったい、おいくつなのだろう・・といつもいつも思う。

書き換えとけ!

2007年07月24日 13時40分56秒 | 家族・友人等
数日前、塾の試験前の息子が、ベトナムがどうのこうの・・・と。
どうも、第二次大戦後、国がふたつに分かれていたところはどこか、というような話を主人としていた模様。

ベトナムといえば、首都はどこだっけ?・・・

「えと、私が覚えた時はね、ベトナム共和国がサイゴンで、ベトナム民主共和国がハノイだった。その後、サイゴンがホーチミンて名前になって、最近は北のほうのハノイが首都になったんだっけ?」

旦那、驚くこと限りなし
「お前、何時代の人間だっ!サイゴンが陥落したのって大昔だぞ。
<最近はハノイ・・>って統一されてからいったい何年たってる?」


・・・し、しらん・・・だって小学校5・6年の時、首都覚えで死ぬ目にあったとき、そう覚えたもんね・・・

調べてみたら、たしかに大昔の話でして、私が必死で覚えてまもなくベトナムはひとつの国になってたのでした。
ハジを承知で告白すると、私のなかでいまだに国連事務総長は「アナンさん」のまま、書き換えがなされておらず・・・。
参議院選挙でずらずらと並ぶ政党名見ても「・・??????」な感じで、
「えと、<さきがけ>とか、<民社党>とか、<新自由クラブ>とかないんだっけ?」という状態。

息子には「お母さんの若いころには<貴族院>があったんでしょ?(爆)」といわれるほどのボケぶり。

たとえば私にとっては、「ロシア」といえば帝政を指していて、「昔のロシア、今のソ連」というのが決まり文句だったのに、子どもには「今のロシア、昔のソ連」と説明せねばならないのは大変違和感がある。
もちろん、ソ連から今のロシアへの変遷は常識の範囲で見聞き(もちろん新聞やテレビの範囲)してきたのだけれど、どうも語感としてピンときていない。困ったものだ。

たしか高校の社会で「現代社会」なんかもあったはずなのだが、これはもう「古代社会」。
だいたいうちにある地球儀からして「ソ連」だし「南北ベトナム」だし、旅行のガイドブックは「西ドイツ」であるからして、息子にとっては古文書かなにかを見るように珍しい様子。

いまや「ポケベルってなに?」といわれる時代なので(当たり前か)、ここ20年くらいの世の中の変化は速すぎると思うのだが、それって、こちらが時代の流れについていけてないというだけの話なのだろうか?


その点、1700年代や1800年代の曲を延々と弾いているクラシック音楽の世界ってなかなか稀有といえば稀有だよなあ・・と思う。

誰も見たくない

2007年07月23日 21時27分48秒 | 家族・友人等
夏休みになって三日目だが、すでに「早く9月になってくれんかな・・・」という気分だ。

上の小6は塾があったりして、ほどよく留守なのだが(殴)、問題は下の幼稚園児だ。
なんせ生まれて初めての夏休み。いったいどのくらいの長さなのか実感としてまずわからない。
20日に「明日から夏休みです」といわれ、その翌朝、
起きていきなり
「今日は夏休みだから、プールにいかないといけない」という。
「だいたい今日は天気が悪いでしょ?だからプールはこんどね」と言い続けて昼になると、
「今日は夏休みだから○○ちゃんのおうちに行かなくちゃいけない」という。
「わかった、わかった・・でも、今日はたぶんお留守だから、お買いものに行こうか?」というと
雨がザーザー降っているというのに
「今日は夏休みだから、帽子をかぶらなくちゃいけない
という。

どう考えても、幼稚園で、「夏休みはプールや山や海に行くお友達もいると思うけど、気をつけてね。帽子をかぶっておでかけしてね」と言われたことを守り、
最後の日に○○ちゃんのお母さんにバス停で「うちに遊びに来てね」といわれたことを即実行を思っているに違いない。
ためしに「幼稚園では、夏休みには何を気をつけなさい、と言われた?」ときくと、
「知らない人についていってはいけないといわれた」と即答。
・・・う~ん・・・・・恐るべし幼稚園。
そうすると、たぶん「夏休みは早起きして、お母さんのお手伝いをいっぱいしましょう!」とは言われてないと思われ・・・・・・


このままでは、とてもとても夏休みを乗り切れないと判断した私は、昨日ベランダに置ける程度のビニールプールを買ってきた。
上の子が空気を入れ、私が水まわりなどいろいろセッティングしていざ入ると、

「・・・・・泳げない」

当たりまえだろがっ!
泳げるほどの水深あるわけないじゃん!

次に
「・・・・・水着がきつい」

そりゃ、濡れてなけりゃきついよね。
じゃ、パンツだけにすれば?

「・・・・・パンツいらん」

というわけでですね、もう今日はプール&DVD&プール&DVDの無限リピートでして、当然というかなんというか・・パンツもずっとはいてない。

いくら、ベランダの、外から見えない位置にプール置いてるといってもこんなんでいいのか?


昼すぎには、友人がピアノの練習をかねて遊びに来た。
なので「パンツはきなさいっ!」といったのに、まったく聞く耳もたず。
もう知らん・・・

夕刻、上の子が塾から帰ってきて、「わあ、カコ、素っ裸!」と。
でも・・・と彼が友人に語るところによると、
「僕が学校から帰ったとき、ピアノの部屋から音がしてることがあって、
『あ、お母さんいる』とあけたら、全裸に近い状態ですごい勢いで弾いてたことがありました・・」

・・・パンツはいてたから、まあいいんじゃ・・・・(逃)

友人のコンサート

2007年07月21日 14時37分11秒 | ピアノ
友人が初リサイタルを開くというので、聴きに出かけた。

この友人とはもう5年以上の付き合いになるだろうか?これは彼女がこちらの楽器店に勤めていた年数とほぼ一致する。
私よりはるかに若くまだ20代なのだが、コンチェルトの練習の時にオケパートを弾いてもらったり、昨年は連弾で一緒にコンペに出たり、とかなり親しくお付き合いさせていただいてきた。
経歴は、子どもの時からピアノ習っていて、大学は音楽教育専修。その後、調律師の修行を経て、楽器店に入社。ピアノの営業、地域のピアノの先生がたのお世話、
コンクールや催しのスタッフとして仕事をする一方で、コンクールに出たり、ライブ活動をしたり、とピアノ弾きとしてずっと現役を貫ぬいている。

2月の私のコンサートの時は、スタッフとしていろいろお世話いただいたのだが、終演後、「私も旧姓のうちにリサイタルをやってみようと思います」というので、大いに賛成し、頑張って!と声をかけたのであったが、その後引越しやら転勤に伴なう遠距離通勤、さらに9月には挙式を控え、果たしてこの状況のなかでいくら若いとはいえ、倒れずに当日を迎えることが出来るのであろうか・・・と老婆心全開でこの日を待っていた私なのであった。

会場:区民文化センターホール(約500席)
時間:19時開演(20時すぎ終演)
タイトル:「ピアノ」コンサート ~バロックから近代まで~

<プログラム>
バッハ:イタリア協奏曲 第1楽章
モーツァルト:ピアノソナタK331(トルコ行進曲つき)
    ~~~~休憩~~~~~
リスト:2つの演奏会練習曲より「森のささやき」
ラフマニノフ:プレリュード 作品23-4,23-5
ショパン:ノクターン 遺作 嬰ハ短調
ショパン:スケルツォ第2番 変ロ短調

(アンコール)
ショパン:子犬のワルツ
久石 譲:フレンズ


日頃の彼女は裏方としての場面が圧倒的に多い。ピティナ・ステップなどで演奏する場合も、スタッフを務めながら制服のままで舞台に上がることがほとんど。
演奏はどちらかというと硬派で、自分でも「盛り上がる曲が好き」といっているように、オクターブでドドっと駆け上がってフォルテッシモに持ち込むような、迫力あるスタイルが印象的だ。
↑というような印象とこれまでの数少ないドレス姿から、おそらくグリーンとかワインレッドとかの濃い色のドレスでの登場であろう・・と想像していた。
・・・・でも、プログラムの紙ピンクだよなあ・・・・・
と思って開演を待っていたところ、
なんとドレス、ピンク!それも柔らかいベビーピンクという色合い。おおお~~~花嫁!!

本人はどう思って弾いたか、ほかの人がどう聴かれたかわからないのだけれど、
私としては、このプログラムのなかでは、モーツァルトのソナタとリストが良かった。無理のない音量で自然に弾かれていて、かなり後方で聴いていた私のところにもに心地良い響きで届いた。
・・・だいたいこういうことを書くと、弾いた本人は「えっ、じゃあほかの曲は?」と思うし、自分では「ほかの曲のほうが良く弾けたと思うのに」と思ったりなんかもするものなのだけれど、日頃の彼女の良い点を踏まえた上でいうならば、こういう落ち着いた曲を<ピンクのドレス>でもって、しっとりと聴かせたというのは、友人としては大変うれしいことだ。
実は彼女の夫君になるところの男性は、私たちのピアノ仲間で、こちらともそれなりのお付き合いがあるのだが、彼はムードと歌心のある、自然に流れるような美しいピアノを弾く男だ。彼女本人がそれを認めたいかどうかは別として、どうもこの演奏の変化のカゲには、この「男」の存在を感じずにはいられない。
・・・・もうすぐ結婚するのだから<カゲ>もなにもあったものではないが(爆)。


打ち上げでご本人にきくところによると、7月に入っても暗譜が十分ではなく、新幹線通勤の途上で必死に譜をたたきこんでいたらしい。本番は自分ではあやしくなったりもしたらしいのだが、約1時間、暗譜オチなく、大きなミスもなく、聴衆をひやひやさせることもなく「弾き切った」のは見事であったと思う。
プロの方々からすると、いささか低い次元であるとは思うのだが、私にしても、当日なにが心配といって「途中で止まらないか?忘れないか?最後までバテないか?」ということほど心配なことはなく、あとはまあ、なにを言われても「それは次回の課題ということで」という気分なので、本人が上がることなく、ピアノも気持ちよく弾けたというのなら、これはもう立派にステージを果たしたといえると思う。
またアンケートをとっていたけれど、ご本人いわく「アンケートを読んでみて、弾いていて<いい>と思うことと、聴いていて<いい>と思うことは必ずしも一致しないということがよくわかりました」とのことだった。
ピアニストとして、楽器店のスタッフとして、嫁として(爆)、ほんとに良い経験をされたことと思う。これだけピアノとさまざまな角度からつきあっている人材もマレと思うので、今後がほんとうに楽しみだ。


さて<ピンクのドレス>なのだが・・・・・・

ほんとは披露宴でピンクを着たかったそうなのだが、都合でそれがかなわず、リサイタルで着たとのこと。
やっぱり花嫁だったんですなあ・・納得。




修行中につき

2007年07月19日 23時56分03秒 | ピアノ
ピアノを演奏する時のいわゆる「脱力」というものがいかに難しいことかというのは、一流のピアニストでもそれを完全にモノにするのに「○年かかった」などという話によくあらわれていると思う。

単に「脱力」といっても、たとえば「ちょうちょ」レベルを弾くときと、「ショパンのエチュード」を弾く時ではかなり話が変わってくる。
だいたい音が多ければ多いほど、曲が速ければ速いほど、ややこしければややこしいほど、力が入るのは当たり前のこと。が、逆に、力が抜けてないとそういう曲が弾けないのも当たり前のことなので、どちらが卵か鶏か・・という問題にぶつかることになる。

これは・・・
習い始めたときから、毎日毎日気をつけていけば、難易度があがってきてもそう苦労することなく、できるようになるはずなのではないか・・・

またまた娘の話で恐縮なのだが、ドからソの往復レベルの彼女にしても、すでに「力の抜けた、いい音」と「ただ押さえているだけの響かない音」ははっきり違いがあるのであって、あまり練習していない音列をムリヤリ速く弾こうなどと張り切ると、はっきり言って「しょうもない音」を出す。
もちろん指を速く動かしたいと思うのは悪いことではないので、この行為自体を止めはしないのだが、「ちゃんと鳴らす音」と「練習のためにただ弾いてみた音」というのは自分のなかではちゃんと区別してほしいと思っている。

私は、これまでまともにこういう時期の子に付き合ったことがなく(上の子は、この時期はグループレッスンだったし、当時自宅のピアノは電子ピアノだった)、「入門期は、鍵盤の位置が分かって、歌でも歌って音楽に親しめばいいのであろう」と思っていたので、下も最初は放っていたのだが、
考えてみれば、弦楽器などは、指のポジションもだけれど、姿勢や弓の引き方や角度、そういうことをこの時期に徹底するのであって、やはり一音一音と辛抱強くつきあっていく姿勢は、音の少ないこの時期こそ大切であろう・・と心を入れ替えて、毎日付き合っている次第。
幸い娘も嫌がらずにやっているので、なんとか今のところ続いている。

逆にいうと、大人になってからでも、この過程を辛抱強くやり直せば、だんだんと脱力が出来ていくはずなのだと思うのだが、やっぱり曲を弾くことの方が面白いのでそちらはどうしてもおろそかになってしまう。
脱力以前の問題なのかもしれないのだが、私はショパンのエチュードは1曲たりともまともに弾けない。いまだにただ音を追っているだけのレベルだ。音楽とは言えないなあ・・と思うので、人前ではあまり弾きたくない。
バッハの平均律も、「立つべき音」がくぐもったままになってしまうので、これも曲にならない。
曲が難しくなればなるほど、「ツケ」は大きくなっていくので、自然練習時間も増える。でも、このレベルに挑戦していかないと、自分がそこそこ弾けるような気になってサボるのも目にみえている。

・・・・ということをいつも考えていてふと思う。
「いったいなんのためにそんなに必死なのか?」