~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

風が冷たい(旅 その1の続き)

2006年03月31日 23時41分11秒 | 家族・友人等
ディズニーシー(初体験)のアフター6パスポートを買っていたので、5時過ぎに出かけました。日中とはうって変わって、夜風が強く冷たい。
午後6時ちょっと前にTDSのゲートに並んでいると・・
「コンシハ ロクジカラン シヤッド」
・・?鹿児島人?・・・
(この人たちは 六時からの人たちだよ)
どうということのない内容なんですが、通訳要りそうですね(笑)。

寒かったんで、だいたい屋内のもの行きました。
マーメイド関係とアラビア関係。
マーメイドのショー、なかなかでした。もう宙乗りだらけ。やはり完成度がすごい。音楽に合わせて手拍子する客もえらい。ええもん見せていただきました。

アラビア関係では「シンドバッド・セブンヴォヤッジ」(写真)が、TDLの「イッツ・ア・スモール・ワールド」と「カリブの海賊」を合わせたみたいでおもしろかったんですが、3歳児は大泣き。まいりました。
折からの強風のため、楽しみにしてた20:10からのショーは中止。

さきほど帰ってきましたが、TDRパートナーホテルってすごいです。エレベーターに乗り合わせた客という客、どこかにキャラクターつけてる(笑)。まさに仮装。


桜がまぶしい(旅 その1)

2006年03月31日 16時06分22秒 | 家族・友人等
朝8時過ぎに家を出、リムジン→飛行機→リムジン→シャトルバスと乗り継いで、新浦安のOホテルに着いたのが午後2時過ぎ。
道中大変だったことと言えば、風邪の3歳児のおなかが少しゆるかったことと、同じく3歳児がなぜか「飛行機から降りたくない!」と大ストライキを起こしたことでしょうか。
こちらは暖かくぴかぴかの晴天。
川べりやら公園やらは見渡す限り桜色に霞んでいて、こうなると「もういいよ~(泣)」と言いたくなるほど。
こんなに桜ばっかり植えて植物界のバランスは大丈夫なんでしょうか?
変な心配してる私。

Oホテルでは早く着いたせいか、予定の部屋じゃなくて、子供向けの「ベッドが低く、床はコルク」という特殊な部屋に案内されました。(写真)
靴脱いで上がります。電子レンジも食器類もあります。「おうち感覚」ってやつですかね。
TDR(いつの間にかTDLじゃなくなってたんですね)関連ホテルでは、リーズナブルな方でしたけど、館内にコンビニあるし駅にも直結だし便利です。

18:00からシーに行って来ます。

<ショッカー>の曲

2006年03月30日 17時16分12秒 | ピアノ
先日レッスンを受けた曲の一部。

画像が見にくくて恐縮なのですが(クリックすると拡大されます)、
一番下の段の「ソッファー、ファ・ミ・レ・レ」というところが問題なのです。
どう問題かというと、冒頭からの一連のものをここで爆発させるべく(しかしパシャっと叩かない)和音をつかまなければならないのですが、これがなんというか迫力に欠ける。
レッスンでは「最初の和音を勢いつけて弾き、次の和音は手が落ちてくる重さで弾く」といわれたわけです。しかもその次々の小節のPP(両手スタカート)は、「音量は絞っても鍵盤の底をしっかりと押さえた響きのある音」で弾かなければならない。
このコントラストに今頭を悩ましています。

こういう時は、だいたい呼吸が出来てないです。
前の小節からのつながりからいくと「ソッファー」で吐き、「ファ・ミ・レ・レ」で吸うようになるかなと思うのですが、
どうも「ソッファー」の「ファー」にパンチがいかない。

ああでもない、こうでもない・・と弾いてるうちにある言葉が。
「ショッカー、よ・わ・い・ぞ
ああ、これならいいです(笑)。PPの感じもでるし。
かくしてこの曲は「プレスト・パショナート・ショッカー」というわけです。

この曲はヴェデル二コフと伊藤恵さんのものを持っているのですが、かなり演奏は違ってます。
冒頭がまず全然違う。
ヴェデル二コフが霧の中からさまよい出たように始まるのに対し、伊藤さんは硬質な音がきらめくように弾かれる。
今日、最初にヴェデル二コフを聴き、次に伊藤さんを聴こうとしたら始まったとたんに3歳児が怒り出しました。
「さっきのにして。これ、かわいくない!!」
えっ、かわいくない?
伊藤さんジャケットの写真ものすごくかわいらしくて、髪をひとつに垂らし手を顔の脇で組んでおられるのに?
たしかに、硬質なだけでなく、確固たる意志みたいなものが始めから漂ってはいるようですが。かつて朝比奈御大が「伊藤君は男です!」とおっしゃったというエピソードもなるほどな感じの・・。
言葉以前の3歳児にはなにか感じるところがあったようです。

この3歳児評論家、私の演奏にはどういうご感想を?
まだこわくて聴かせられないです・・・・
いちおう私「かわいい」方の演奏を目指しているのですが

バカバカしいお話を

2006年03月29日 23時47分46秒 | 家族・友人等
上の子がこのごろ言っていたこと(もちろん彼のオリジナルではない)


   だーるまさんが
           ・・・コマネチっ


   あるところに、おじいさんとおばあさんがいました
           ・・・・・・ほう、そりゃー初耳じゃのう



そして、うちの3歳児は悪い母に次のように教えこまれている
         今度行くところは「ネズミーランド」っていうんだよ
 

最新兵器?

2006年03月28日 17時51分02秒 | 家族・友人等
昼の1時くらいだったか、いつものように兄妹でテレビを見ていたところ、
3歳児が急に「寒い」といった。
「寒かったら何かかければ?」と毛布をかけてやったが、それでも寒いという。
なんで?とよく見てみたら、とても尋常な様子ではなかった。
ガタガタ震え、唇は青ざめ、目が泳いでいる。
毛布でぐるぐるにして床暖房までつけて抱っこしていたが、良くなる様子はなかった。
そのうち、熱が出てきて、測ってみると・・・・40°!
ここ2、3日鼻水をたらして、時々セキはしていたが、それと同列の症状とは思えなかった。

3時になるのを待って小児科へ駆け込む。
いつもどおりの診察が終わって、別室へ。
このクリニックとは5年来の付き合いだが、別室へ通されたのは初めて。
「インフルエンザかどうか調べるけんね」(先生は年配の女医さん)
といわれても、医療器具や検査器具らしきものはなにもない。パソコンがあるだけ。
「じゃ、この棒を持っててね」と子供に渡されたものは
鉛筆くらいの太さで手に収まるくらいの長さの金属棒。
それを握らせて、先生がカウンターみたいなものを押して数値を上げていく。
どういうしくみなのかよくわからないのだが、
「ウイルス」「細菌」「インフルエンザ」の項目は完全にイっていた。
「心臓」という項目は、これは心配ないと。

ただ金属棒握るだけでなんで分かる?もしかして「バカ度」とか「寿命」とかも出る?

もう不思議不思議でやりたくてたまらなくなった私は、先生に
「あの~、私もインフルエンザかも・・なんですが」と適当なことを言った。
「お母さんは、あと」

今日はすいていたので、懲りずに私自身が受付をし、診察室へ。
「はい、<べー>して。ま、インフルエンザの娘の看病ばっかりしとったら親もなるわな。もう診察はしないから、熱でたら薬のみなさい。腰が痛かったって?」
「はい、もうそれは。ここ数日、朝痛くて目がさめるくらいで」
「脚は?」
「脚はなんとも」
「腰は年じゃね。温湿布でもしときなさい。処方しとこか」
「い・いえ、あの湿布は持ってますから」

センセは私の下心を見透かしたように、例のイライラ棒には触らせてくれなかった。

3歳児は、クリニックではきわめて元気で、渡されたせんべいをバリバリ食べ、アメふたつをガリガリかじり、ポカリを飲んで、センセに「親が食べさせてやっとらんから飢えとる」と大笑いされた。
そして薬が効けば明日はもう来なくていいといわれた。

イ、イライラ棒は・・・?

レッスンに行ってまいりました

2006年03月27日 23時08分53秒 | レッスン&セミナー
午前中、某音大にレッスン(学外者向けのもの)を受けに行ってまいりました。

事務室で書類に記入していたら、後ろを通過された方が。
今からレッスンをお願いするK先生でした。
「上で待ってますよ」と言われたものの、予約時間まではまだ30分近くある。
どこで待とうか・・・・・

仕方なく、レッスン室の外で楽譜を読んでいたら、K先生の弾かれる音が。
最初は指慣らしっぽい感じだったのだが、途中からシューマンのソナタ1番の冒頭。
とりあえず、今日はシューマンを習いにくるらしいということで、ちょっと弾いてみられているのか・・・
(電話では、なんの曲を持っていくかについては何も尋ねられなかったのだが、「あのう、シューマンを・・」と言ったところ「はい、シューマンね」で話は終わっていた)
ところが、ある和音にきたあと、曲が微妙に変化した。その和音からするすると別の曲が始まったみたいに・・。
「亜麻色の髪の乙女」だった。
シューマン弾いていたら、「この響きなにかで聴いた、なにかで・・・ああそうだこれだ」と弾きだされたかのようで、こっそり聴いているこちらまで、「ああ、なるほど」という感じだった。(もしかしたら、単なる偶然かもしれないけど)
その後は、ドビュッシーの前奏曲が次々に弾かれ、「ハーモニー」を非常に大切にされる先生の感覚が伝わってきました。

本日私は、心中ひそかに「和声と立体性に欠ける自分の演奏をなんとかしたい!」と思っていたのですが、
シューマンの「プレスト・パッショナート 遺作」弾き終わって、はい、みごとに言われました。
「曲はあなたに合ってると思うし、曲の流れもいい。でも、立体的でないですね」
ズバリ賞!
これをなんとかするためにはどうしたら、いいか。

<1.テクニックの種類を増やす>
  「たたく、はねる、しゃくる」ではなく、「押す、置く、這う」といった弾き方をやってみる。

<2.ペダルの種類を増やす>
  ただ踏むのではなく、「浅く速い踏み方」「深く踏んで音を聴いて調整していくやり方」等をやってみる。特に「深く踏む」のが苦手なようだ。

<3.和声を意識する>
  シューマンは内声が非常に複雑。和音も細かく変化する。どう変化しているのかきちんと把握する。

<4.シューマンの二面性を意識する>
  フォルテッシモとピアニッシモ、レガートとスタカート等の対比を通して、
「天使と悪魔」にもたとえられるようなコントラストをつける。
特に、スタカートはただ切ればいいというものでなく、それこそいろいろな種類があるので、よく勉強してほしい。

すさまじい課題です。
こんなこと私にできるのか?

音がものすごく多く、7分近く右手も左手もほっとできる場所がない。
16分音符弾きっぱなし。
今になって、大変な曲を選んでしまったと思っているのですが、
「あなたに合っている」といわれた以上、もう進むしかないですね。

それにしても途中で先生が
「ああ、ここは美しい転調です!」と声を上げられた時、
私に欠けているのは「コレだ!」と思いましたです。
頭で「美しい」と思っても「ああ、美しい転調だ」としみじみすることあまりないです。
「左脇えぐるようなリズムだ!」と感動することは多々あるのですが(逃)。

もし、本人が聴いたら

2006年03月26日 09時40分55秒 | 交響曲・管弦楽曲等
このところ、ベートーベンの「ピアノ協奏曲第3番」ばかり聴いている。
ベートーベンの協奏曲の中でどれが好きかといわれると、
「4番かなぁ5番かなぁ」という状態で、どちらとも決められない。
3番は、ピアノの入りまでが長い長いモーツァルト型の協奏曲であって、
「おおっ」という斬新さがいまいちなだけ、あまり聴かないでいた。

先日、以前買った廉価版の<THE GREAT PIANO CONCERTOS>(CD6枚組み、全13曲、3000円くらい)の中の、エミール・ギレリス&クルト・マズア(State Symphony Orchestra of the USSR)の演奏を聴いてみた。
すごい・・といってしまえばそれまでなのだが、古いライブ録音だということもあってか、ピアノの高音部は「カキーン」と耳に刺さる音、低音部も「ドドドド・・・」と地鳴りのよう。
なんぼベートーベンでも、いくらギレリスが「鋼鉄のタッチ」でも、聴衆としては「いつ弦が切れるのか」とひやひやしながら聴かねばならないのでは・・とそういう演奏。
くわえて、オーケストラも「タッカ、タッカ、ター」という何べんも出てくるリズムを
「ダッックァ、ダッックァ、ドゥアー」とやってくれるので、ものすごい重さだ。
これが、実にいい!
もちろん、私の完全な趣味なのだけれど、たとえ重くても何回聴いても疲れない(一緒に聴かされている家族は瀕死かもしれないが)。

3番はもう一枚もっている。
ミケランジェリ&カルロ・マリア・ジュリー二(ウィーン交響楽団)。
これもライブ録音なのだが、ギレリスとはほんとに対照的。
ここまで、美しく磨き上げなければならないのか・・とため息のでるような演奏だ。
微妙なテンポの揺れ、絶対にたたかない(爆)スフォルツァンドやフォルテッシモ、ただ小さいだけではなく丁寧な表情を盛り込まれたピアニッシモ・・・。
オーケストラも上品にリズムを刻み、フレーズの処理も終わりに向かって丁寧に静かにまとめていく。
すばらしい。ほんとにすばらしい。
でも、一回聴いたら、しばらくは聴かれない。
しかし、これがライブの正しい姿なのかもしれない。一回聴いたらもうお腹いっぱいだが、忘れられない。したがって1年くらいたった頃の同じアーチストの演奏会にまた出かけてしまう・・という。

好みの問題は別としてどちらも名演だとは思うのだが、
当のベートーベン自身はどう聴くのだろうか?
どちらにも「ブラボー!」というのか、どちらかには椅子でも投げつけるのか(笑)?

いきなりハルキ

2006年03月25日 01時28分01秒 | 見る・読む
朝、ワイドショーをつけていたら、
村上春樹、ノーベル文学賞候補?」という文字が目に飛び込んできた。

いきなり1987年「ノルウェイの森」モードに入りました(笑)。
いや、もうそんな昔でしたか。もう20年近くも前。
村上龍の「トパーズ」がいつだったけか?なんですが、もうなにかと
「ムラカミ」の時代ありましたねえ。
(今、本屋に平積みにされてる「13歳のハローワーク」は<龍>のほうですね)

当時「ノルウェイの森」は大流行したし、私自身もそれなりに夢中になって読んだ覚えはあるのだが、
今となってはレイコさんとかいう女の人と主人公とのラストシーンだけしか覚えてなく、「ああ、女の人って40代(?たしか)にもなるとこんな風になっちゃうんだ」(これがどういうことかは、ここに書けるような内容ではないので省略)
と20代前半当時、非常に複雑な心境だったのを覚えている。

さっきちらちらっと、当時買ったハードカバーを見てみたら、40代だと思っていたレイコさんは実は「30代後半」と書いてあり、
これがやたら「しわがあるんだけど、それがかえって魅力的で」みたいな描写。
19歳の男の子からみたら30代後半の女ははしわだらけなのか!とものすごく邪道なつまみ読みをしてしまった。

私らの年代の人間はだいたい筋は知っているだろうし、はるかかなたの青春小説という懐かしさを感じているかもしれないが、かといっていまさら通して読もうとはあまり思わないかもしれない。
でももし、若い方で読む機会があったら(すでに読まれているかもしれないが)どういうご感想を持たれるのか、非常に興味がある。
私たちからみてもかなり上の学生運動世代の話なので、今の方たちはどう読むのかしら?と。

ところで、海外では「ムラカミハルキ」と「ヨシモトバナナ」が、平積み状態の大人気作家らしい。今の日本の状況から考えるとちょっと信じられない状況だが・・・。
私の、あいまいな記憶によるとこのお二人、「生と死」の境のあいまいさ、しんとした中に語り進められていく雰囲気、たしかに少し似たような感じもするのだが、いかがだろうか?

ちなみに、「ヨシモトバナナ」のハードカバーを昨年たくさん古本屋にだそうとしたら
「値段もつかないし、引き取るとこもできません」と2軒の本屋からすべて返され、いまだうちのなかで眠ってます。

末席を汚して参りました

2006年03月23日 21時52分00秒 | 雑感
マンションの初めての総会があった。

うちが入居したのは昨年6月だったので、なんと9ヶ月たって初めて住人の集いがあったということだ。
やっと残り住居が3戸(全51戸)になったとかで、理事会発足も議事のひとつだった。

うなぎの寝床のような細長い集会室に時間ぎりぎりで入ると、おそらく入室順のだと思われるのだが、
まるで年功序列のように、上座(?)は定年退職前後と思われるおじさまがた数人によって占められ、戸口近くには若いサラリーマンがスーツのまま立っていた。
これまで、不動産会社や管理会社の人だと思いこんでいた人が、ここの住人と判明(笑)。
それにしても、こんなにたくさんの人間が住んでいるのだなあ・・といまさらながら思った。これでも出席数はやっと30戸程度らしいので、まだまだ知らない住人がいるわけだ。

役員の選出は、すでにすべての根回しが管理会社によって行われていたらしく、すぐ終わった。
「この調子で重要事項説明もちゃっちゃと(殴)」と期待!
甘かった。
私は、マンションの「管理規則集」すらも持ってくるのを忘れていた(ほかにもたくさん仲間はいました・・・・・いいわけ・・・)のに、
上座のおじさま方の中には、ちゃんと管理規則を読み込んで、付箋・アンダーラインまでつけて来られた方がいて、かなりツボをついた質問が出る。ほかのおじさま方もつられてか質問。
修繕積立金の預け先とか、防火管理者の件だとかいろいろ出ました。

ただでさえ、私は「甲は乙に・・」とかいう文章を読んでいると、
甲が悪者なのか乙がイケナイのか妄想が湧いてしまうところへ持ってきて、
今日は、珍しく美容院に行ったりしたもんだから、生気を奪われぐったりしており、
目を開けたまま意識を失っていた。




「・・・ということで、時間ものびてしまいましたので、終わりたいと思います。
ので、こちらから順番に自己紹介を・・・」

マジ?もう9時だよ~~~。子供置き去りにしてるのに・・・

問題はそれ以前のことでした。
足がしびれて、立てませんでした。
ケンケンで自己紹介(泣)。

ふとよみがえった思い出

2006年03月23日 01時32分23秒 | ピアノ
大学時代のピアノサークルに関わる雑用をしていたところ、ふとあることを思い出した。

在学中、学園祭で、K大学のピアノクラブとジョイントコンサートをやったことがある。
当時、T大、W大、K大のピアノサークルは相当有名だった。常識的に考えるとお近くのT大と組むのが自然な感じだが、なにかコネがあったのか、マニアックなT大ピアノの会に相手にされなかったのか、どういうわけかK大と組むことになった。

たしか連弾ばかりで、私はドビュッシーの「小組曲」を弾いたように思うが、記憶のなかの相手は、オレンジ色のドレスに身を包んだ上品なお姉さまだったのに、写真には背のやたら高いおぼっちゃま君と写っている。
もしかしたら、二年連続でやったか、学園祭以外の機会でも組んだのかもしれない。

彼らはウワサどおり本当にブレザーを着ていて(笑)、ピアノも個々人で先生についていて、サークルはお互いの批評等をする場だったようで、どちらかといういうと研究会的な感じがした。
サークル自体に指導者が3名いて、その先生にレッスンを受けることを前提とし、みなで集まるのは発表会やイベント時という、私たちのサークルとはかなり性質が違ったように思う。

残念ながらあまりに遠い記憶で、具体的なことはなにひとつ覚えていない。

たしかこの時のあちらの部長さんはH君といった。
彼については、<O将>で飲んだおりに、ショパンのエチュードの速弾き自慢(爆)をきかされた記憶があるだけで、その後、某証券会社に就職したとかきいていた。

その彼から、卒業後2年目くらいに電話をもらった。
なんでも、Y楽器会社に転職し、そこで、たまたま子供の頃の作曲コンサートの名簿をみていたら、私が載っていたので電話してみたという。
そして、「今度目黒の中華屋で、そのコンサートメンバーのOB会みたいなのをやるからきませんか?」と。
私は、そのころはまったく音楽に無縁の生活をしていて、とにかく朝から晩まで接客一筋だったのだが、たぶんその日があいてたのだろう、ほいほいと返事した。
たぶん「今はまったく音楽を離れているけど昔は作曲なんかもしてたよねえ・・」くらいの集まりだろうと、気楽に考えていた。

いってみたら、当然といえば当然なのだが、誰も知っている人はいなかった。
それどころか、ほかの人たちはかなり親しい感じだし、ちょっと独特の雰囲気だった。
自己紹介が始まった。
「T音大ピアノ科の・・・」
「G大作曲科の・・・・」
「G大院の・・・・・・・」

おいっ、みんな音大生か?
しかもG大、T大だらけじゃないか?

たぶん20人いたかいないかくらいだったと思うが、フツーのお仕事は二人くらいしかいなかった。
その夜、話題にまったくついていけずまいったのを思い出す。
だって「○○君、この前彼女にバラードを作曲してプレゼントしたんだって?」とかそういうノリだったのだ。

数年後、週刊誌にシンクロの日本チームの作曲者の名が出ていたが、
それはその時私の隣の席に座っていて、電話番号まで交換した、かわいいかわいい音大生だった。
また、みんなにさんざんからかわれていたK君は、いまやピアノ関係の講座で全国を飛び回っている売れっ子教師(ピアニスト)になっている。

もしかしたら、ほかにもいろんな人がいたのかもしれないが、
あまりにも場違いすぎて、なにも覚えていない。

そういえば、H君の名前も、大学のピアノサークルを母体としたコンサート(ネット上ではかなり有名・・「こだわり」で)でその名をお見かけした。
ショパンの速弾き自慢の彼は、今はバッハばかり弾いているという。
また、いつか再会の日もあるかもしれない。