~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

「フーガの技法」を聴いて (ハンマークラヴィーア練習記録 その5)

2017年07月31日 22時47分20秒 | ピアノ

現在、

・メイン4楽章、

・暗譜保存程度に1楽章、

・弾きにくいとこ潰しの2楽章、

・どうしたものかの3楽章、

・・・・という状況です。

たしか「練習記録3」で、4楽章を「とにかくわからない」と書いていたと思うのですが、

今はそういう「ヌエ(鵺)」のような状況は脱して、アタマの中では、通しで流すことはできます。

おおまかな構造や展開もなんとなくわかります。

ところどころは、いいテンポで弾けます・・・・が、「インテンポで止まらずに弾くとか、百年早いわっ!」という感じ(泣)。

いい曲なんですよ~

ちょっと前まで、どこが目なんだか鼻なんだかの「福笑い状態」にしか聴こえなかった自分に蹴りを入れたい。

もちろん、毎日毎日少しずつ弾いていてだんだん音が入ってきた、というのは最大の理由とは思いますが、

どっと「進んだ」と感じたのは、

レッスン(7月12日と31日)は当然のこととして、

とある演奏会に行ったこと。

「今弾いてるベートーヴェンもフーガだし」とかなんとか、そういうヨコシマな気持ちではなく、

純粋に「古楽の演奏会、それもヴィオラ・ダ・ガンバが3台も入っているカルテットをぜひ聴いてみたい」ということで、伺ったのが、7月14日(金)のこれ。

丁寧な解説パンプレット、MC、あとスクリーンへの楽譜投影、付の、バッハ「フーガの技法」演奏会。

私は「音楽の捧げもの」は好きで、CD等聴いたり、自分でも三声のリチェルカーレを弾いてみたりしたのですが、「フーガの技法」はまったくの初耳(汗)。

チェンバロをちょっと習ったことがあったりで古楽そのものは好きですけれども、バッハは敷居が高いというか、畏れ多いというか・・。

対位法もわからないし、作品そのものもそうたくさんは聴いてない。といって、ただ「好き」とか「いい」と思って聴くには、気になることが多すぎて、まったく聴き流せず、正直、どういう態度で聴けばいいのか、弾けばいいのか苦しい。

そういう状況の下でとにかく伺ってみたのです、ライブなら聴けるだろうと思って。

せっかくなので、その日の直後の感想をそのままコピーしておきます。

 

<これは行ってよかった!!

バロックヴァイオリンに3つのガンバというアンサンブル、実は初めて。
向かって左から、
小ガンバ、中ガンバ、大ガンバ、で右端がバイオリン。
小ガンバは時々ミニに持ち替え。
奏者からしてクオリティの高さは予想していたけれども、
予想以上で、教会の響きの良さもあって、
最高のひとときでした。

和音が解決するところ、条件がすべて調ったとき、
解決どころではない、「超解決」「神解決」になるんですよね。
モダンの平均律ピアノでは聴いたことないハーモニー。
この一瞬のためなら、何時間でもフーガ聴くし、弾ける・・という気にすらなります(書くことはできないので)。

「フーガの技法」、実はほぼまともに聴いたことなく、
しかも予習もせず、大丈夫か?と思っていたのですが、
寺神戸さんの書かれた解説書、
口頭での説明、
適宜スクリーンに投影される楽譜、
の3つのおかげで、
それなりに、いや相当楽しめました。
用がなければ、明日明後日の福山公演でもう一回聴きたいのですが・・・残念。

明日明後日の方、お楽しみに!>

 

とにかくめちゃくちゃ興奮してました(笑)。

なにかがわかったとかいうことでもないですし、これをきっかけにバッハにのめりこんだ、ということでもないのですが、

なんというのか・・・長い長いフーガのあと、一瞬の導音を経ての、光のハーモニー ・・・この体感を得た、と思いました。

もちろん、さまざまなフーガの解説をうかがっているうちに、ハンマークラヴィーアの4楽章を思い出し「あ、あそこもそうだ、ここもそうだ」と、合点がいった部分があるのもたしかです。

でも、それはあくまでも「ひろいもの」みたいなもので、この日の「体感」がほんとに良かった。

 

こういう演奏会が開催されたことに心より感謝いたします。 

 


生はもっとすごい?(7月のご近所活動)

2017年07月31日 20時47分04秒 | コンサート(企画、協力、出演 含む)

なんと7月ツゴモリ(晦日)であります。

 

7月はコンペもなにもないし、暇じゃんねえ・・・・と思っていて、スケジュール帳もガラガラなはずだったんですが、

集会所での小さい子向けのミニコンサートがあったり、

近所での納涼会での演奏があったり、

チェロや鍵盤ハーモニカと大いに楽しんでおりました。

 

小さい子向けのコンサートには、2011、2015,2016,2017年と4回呼んでいただいておりまして、

2015年からは自分のキーボードを持ち込んでいます。

今回も16分の1のヴァイオリンを持参し、みんなに触ってもらいました。

これは、子供よりもお母さんたちにウケます。

私たちは、ピアノとチェロ奏者なので、教えることはできないですけれども(笑)、

これでヴァイオリンに興味を持ってくれる子がいるといいな、と思います。

 

地域交流サロンでの演奏は、クリスマス、納涼会と年2回ですけれども、これも4回め。

鍵盤ハーモニカは月1回練習しております。鍵盤楽器の経験もある人もない人もいますけれども、じりじりと曲のグレードも上げてきまして(笑)、

今回は

・炭坑節

・遠き山に日は落ちて

・それゆけカープ

「遠き山に日は落ちて」は前奏部分も入れまして、これが思っていたよりもいいんですね。

全音符のクレッシェンドをやる感覚というのは、ピアノでは味わえないのですが、

鍵盤ハーモニカでは可能ですし、音色的にも、どこか懐かしい感じがなんとも言えない。

もともとは、子供たちが小学校で使ったあと、ゴミに出される直前のものを救済しようと、きれいにして使っていたのですが、

新品をひとり購入、ふたり購入・・・と、だんだんみんなワナに落ちていきます。

あ、別に私は楽器あっせんしてませんよ(笑)。

 

鍵盤ハーモニカのほかは、これまでは私の持ち込みキーボードで何曲かピアノ曲を弾いてきたのですけれども、

今回は電子ピアノを据えたこともあり、チェロの友人を誘って、デュオをやってみました。

・星に願いを

・白鳥

・リベルタンゴ

・愛の讃歌

弦楽器というと、娘にヴァイオリンを弾いてもらったことが過去2回ありましたけれども、

「チェロという楽器を間近で聴いたことは初めて!」と、えらくびっくりしていただいて、

しかも「好きな曲ばかり」ということで、こちらこそありがとうございました・・です。

私自身、高校に入るまで、弦楽器を弾く人を間近で見たことがなく、まして、知り合いなど皆無だったのですが、

30近くなってからどういうわけか間違い(笑)が重なり、

気がつくと、家族の中でも、「弦楽器を習った事がないのは私だけ」という事態に陥っております。

(・・・人生なにが起きるかわからない・・・・)

それはともかく、そうですよね、ピアノを弾いたことある、弾く人を知ってる、楽器を持ってる・・という人は多くても、

弦楽器はちょっと遠いですよね。娘もバイオリンやってることがバレると相当びっくりされるようですし。

 

で、電子ピアノなんですけれども、

聴いてくださった方が「すごくカッコ良かったんですけど、生のピアノで聴くときっともっとすごいんでしょうねえ」と。

もっとすごいかどうかは、腕の問題もあるので保証はできないんですけれども、

弾きやすさや、生のチェロとの相性を考えると、当然生がいいに決まってます。

その辺なんですよね・・・「生のピアノ、それもグランド、それもホールの」という欲求をじわじわと叶える、

「子供のお古の小さい鍵盤ハーモニカから、新品の中型の鍵盤ハーモニカへ」というものにも共通するかもしれません。

少しずつ少しずつです・・・「もっといい音で聴きたい、もっといい演奏を聴きたい」を醸成するお手伝い。

こういうものこそ、本気でやっていかねば、と思っております。

 


最高です、梅雨

2017年07月18日 21時53分50秒 | 雑感

梅雨がそろそろ明けそうです。

私は高温多湿が好きなので、スコーンと晴れ渡った真夏はいまひとつで、

今の時期のような、うつむくと下から土の匂いを含んだぬるい気が上がってくる時が最高です。

もともとそうだったわけではなく、

20代のころは、北海道の湿原、信州の森、そして北欧の海岸線や湖に強烈な憧れを抱いていました。

生まれも育ちも鹿児島で、ずーっとむくむくとした常緑樹を見て育ったので、

「緯度の高いところに移動すること、すなわち親元を離れ大人になること」という思いがあり、

とにかく寒くて針葉樹のあるところに憧れました。

野口五郎の「針葉樹」って曲も流行りましたしね(笑)。

 

原田康子の「挽歌」、渡辺淳一の「阿寒に果つ」という北海道を舞台とした小説があるんですけれども、

高校時代の私にとっては「恋愛ってああいうもんだ。寒いところで、手袋してて、針葉樹があって、湿原があって・・」という感じなわけです。

結局は、緯度の高いところに行くといっても、せいぜいが東京どまり、

東京ですら冬の寒さに驚き、コートというものを生まれて初めて用意し、大雪に不便を感じ、

それ以上寒いところに移動する気は失せました。

よって、まったく恋愛の舞台は整わず、

日が落ちてから、炉端焼きやこじんまりした飲み屋を移動し、

夜中に塀を越えて帰寮し、

休みの日は、トイレ臭い少々いかがわしいような映画館にジャージと下駄で通うような、

平凡な学生の日々を過ごしました。

 

その後は、板橋区、品川区、目黒区、新宿区、練馬区と転居し、

なぜか広島にきてすでに16年超え。

ここに来て、若干の川フェチ・島フェチといいますか、この地形に吸い込まれるところがあり、

できれば離れたくないんですけれども、まあ、そこは今後の状況次第。

高温多湿というと、たしかに盆地とか東京も最近はそうなんですけれども、

鹿児島18年、東京18年、広島16年 ・・・・さあ、明日はどっちだ(笑)。

 


音楽漬けの一日

2017年07月12日 23時28分01秒 | 雑感

ふつうの日記を書いてみたいと思います。

 

起きて、娘の弁当作って、学校へ出して、

母の朝食を用意して(昼は勝手になんか食べてねといい)、

子供を出したあとの主婦の憩いLINEをひとしきりやり、

なにを着て出ればよいのか迷い、

ひさしぶりに化粧みたいなものをし、

路線バスに乗って出かける。

 

街中の楽器店で「松本和将のぺダルセミナー第2回」を受講し、

楽譜20%オフに逆らわず、なんの迷いもなく2冊購入し、

ランチを兼ねて来年の室内楽セミナーの打ち合わせ(たぶん3回目)をする。

 

午後はハンマークラヴィーアの終楽章のレッスンを、

うええ~~きいいいっ・・・となりながら受け(もちろん私が)、

その後、短い時間ながら友人と語らい、

夜は知人関係のクローズドのコンサートを大変楽しませていただきました。

 

こうしてみると、なんと簡潔にしてわかりやすい一日であろう(笑)。

 

ペダリングセミナー、私は何年ものレッスンの中で、だいたいきいてきたようなことなんですけども、

今回の眼目、私的には、具体的なペダルの練習方法、というか足の鍛え方でしょうか。

7年前、初めてペダル講座をきいたときの記事 も読み返してみましたが、

年を経て、かなり整理され、わかりやすくなってます。

つかみどころ、おとしどころもなかなかですし(笑)。

これから受講される方、どうかお楽しみに。

 

それにしても、ほんとになんという曲であろう・・・Op.106

腹が立つ(笑)


練習で脚を痛めていたころの話

2017年07月08日 19時24分47秒 | 私のピアノ歴

中一日で更新です。・・・・たぶん暇なんだと思います。

いきなりブログが活性化したからといって、なにか事を起こしてやろうとか、暴れてやろうとか、そういうことを考えているわけではありません。

ありがたいことに、私が更新したことで、過去記事までを読んでくださる方がたくさんおられるようで、

そうなると、こちらも「はて、そんなにアクセスされてる記事はいったいなんなのだ?」と開けてみる。

開けてみると、たいがいは「・・・・そんなもん読まんでくれ~(泣)」と言いたくなるようなものではあるのですが、

一方で、「はて、これはいったいどういうことだったのか・・・」という疑問も湧きおこります。

そういうもののひとつ、このブログを始めたころの記事の「練習すると脚が疲れる」という内容。

 

これですね、覚えがあるんですよ。

このブログを始めたのは、ピアノを再開して6年目あたり。

コンペやステップにも出、そこそこ長い曲も弾き始めたころです。

生活史的には、2002年に娘を出産して3年ちょっとたったころで、すでにグランドピアノを買ってはおりました。

まだ娘が幼稚園に上がってませんから、そう何時間もぶっ通しで練習するということはできなかったんですが、

それでもなぜか、練習するとふくらはぎが攣ったり、膝が痛くなって、翌日歩くのが困難になる。

41~42歳のころですよ、今よりは相当若い。

指が痛いとか腕が痛いも、まあありましたけれども、それよりも脚のことをよく覚えている。

弾きながらバタ足とかしているわけではありませんから、どう考えても原因はペダルです。

 

再開して以来5年くらいは、「もう一度楽譜を読めるようにしたい」「絶対音感を取り戻したい」「指が動くようにしたい」ということで、

先生についていたとはいえ趣味道を貫いており、奏法を習おうとかそういう考えはまずありませんでした。

で6年経ったころはちょうど空白の期間というか、特に誰に習っているというわけでもなく、

ピアニストのテレビ録画をみたり、本やネットでいろいろ調べたりして、自己流みたいな感じでやってました。

自己流はいいんですが、体が痛いのはあまりうれしくない。

いろいろペダルについて調べると「ペダルは耳で踏む」とかなんとか書いてある。

大人ですからね、「ああそうですか、そういうもんなんですなあ」と表向きは思いますけども、

(洒落くさい、なーにが耳で踏むだ・・・・)というのが本心です(殴)。

でも、みんながそう言うんで、「音楽家はそういう表現を使うのかね・・・で、耳で踏むってどういうことよ」と思うわけです。

コンサート行っても、上半身なんかどうでもよく、ひたすらペダルみてるわけです。

今みたいに動画が出回ってるころじゃないですので、生で見える位置に行くしかない。それも娘を置いてコンサートいけるときに。

それかテレビで、運よく足元が映るやつですね(男性のほうが望ましい)。

 

そうすると、アルゲリッチみたいに、スケールみたいな細かいものにも足先の動きがパパパパっとついていくピアニストがいるわけです。

・・・・・・どういうことだ・・・・・

・・・・・・足は体を支えるものじゃないのか・・・・

恥をしのんで書きますけど、

中1までそこそこ習い、そのあと大学時代趣味でだらだら遊び弾きし、子供産んで再開して好きに弾いてても、というか、

好きに弾いてたから、というか、・・・こういうレベルです。

やっと、「足は自由に動かないといけない。『踏む』というよりは『動かす、操作する』のか」と思い至ったわけです。

そして、その後まもなく、今の師匠に出会い、「脚も脱力できてないとね」と言われ、

座り方、重心のありか、等々をいろいろ教わり、

やっと、そこそこ「踏める」、じゃない、「動かせる」ようになってきたのでした。

 

正直、ペダリング講座以前のレベル、「ペダルとはなにか」という話・・・・(汗)

「耳で踏むとか意味も分からん」という時期の・・・・。

 


ブルブルくる(ハンマークラヴィーア練習記録 その4)

2017年07月06日 23時46分40秒 | ピアノ

午後の2時間ほど、電子ピアノで非クラシック系の曲を練習しておりました。

たくさんの曲をやらなきゃいけないんですが、うちではどうにも進まないので、

すぐ近くのサロンに置かせていただいている自分の楽器で練習していた、というわけです。

2時間弾き続けて、・・・・・飽きた(殴)。

「ブルブル」が恋しくなった。

アコースティックピアノを弾いてるときの、指先や足に伝わる振動に飢える。

指や足が震えてるんじゃないですよ、ピアノからの震え。

電子ピアノでも皆無ってわけじゃないですし、最近のはそれなりにアコースティックの感覚に近いですけれども、

身体感覚に訴えるものはやはり弱い。

まあ、ゆるい系の曲を弾いてたというのはもちろんありますけれども。

 

うちに帰って、即、生を味わう。こっちではクラシックをですね。

ハンマークラヴィーアの4楽章は、フーガも長いですし、独特のバスの進行や、ガツンとした和音もありますので、

いわゆる「運動性」の身体感覚もなかなかのもんですけれども、

今私がシビれているのは(くどいですけど、自分の手足が痺れているわけではない)、

そういう類のことではなく、

フーガの一瞬、旋律同士のある音程の時に「ブルッ」とくる、

長い長いトリルの上に旋律が乗って「ブルブルッ」とくる、

フーガの下にバスが入って「ブルブルブルッ」とくる、

これを指先とか、ペダルに置いた足で、感じるという、・・・・楽器そのものの共鳴というか振動の話ですね。

(・・・これは音がなくてもイケそう・・・・)とすら思える。

逆にいうと、今のところ、音の方がよくわかんない。

耳がほぼ聴こえなかったといわれているベートーヴェンは、こういう楽器の震えを感じながら曲を作っていたのかもしれない、と思ったり。

ほかの楽曲でももちろん楽器震えますよ、震えるんですが、

やっぱり震えよりも、音の方がずっといいですもんね。震えてることなんかそうそう意識に上らない。

こんなに、「振動」で悦べる曲はそうないですよ。

 

・・・・いったいどうなってるんだ、この曲。


わからない楽しみ(ハンマークラヴィーア練習記録 その3)

2017年07月03日 23時41分20秒 | ピアノ

昨日は、藤井四段の、30連勝をかけた竜王戦があり、

流行りものにはとりあえず乗ってみる私は、午後3時あたりから夜9時半ごろの投了まで、延々ニコニコ動画の番をしておりました。

将棋は全然といっていいくらいわかりません。でも、棋士さんの世界観とか逸話みたいなものは好きで、そういったものを読むことはあります。

 

さて、わからないものを延々観ているのはかなりの暇人です。

どれくらい暇かというと、ラース・フォン・トリアー監督の某問題作、裸ばかり出てくる1部2部合わせて計5時間以上のものを、平日の昼延々映画館で観るくらい暇です。

さらに、インフルエンザで自宅軟禁の際に、ドストエフスキーの『悪霊』を読んだときと同じくらいの暇さです。

で、竜王戦はどうだったのか、と言われると、「わからないけど面白かった」

トリアーの問題作は、「わからないけど、ショックだった」

『悪霊』は、「わからないけど、その後ずっと引っかかってる」

実はこの、「わからないけど、・・・・・だった」というのが、個人的にはたまらない。

何時間も使って、「・・・で、なんだったの?」というのが、何年後かにふと思い出されるのがとてもいい。

性格的にはけっしてのんびりした人間ではなく、どちらかというせっかちだと思うんですけども、こういうことには時間を惜しまない(・・・惜しまない、という表現は当たらないですね・・・笑)。

 

こういうことと同じに語っていいのかどうかわからないんですけども、話は、ハンマークラヴィーアの終楽章です。

 

何回聴いても・・・・わからない、

名演らしいものを聴いても・・・・わからない、

楽譜を見ながら聴いても・・・・・わからない、

楽譜を見ながら音を並べてみても・・・・わからない、

1か月ほど弾いてみても・・・・わからない、

わからないから・・・・・あきない、

わからなくてあきないから・・・・・・一日に何度でも弾く、

わからなくて何度でも弾くから・・・・・だんだんやめられなくなってくる、

 

↑ 今、この辺です(笑)

どのみち、私などの理解も想像もなにもかも超えた曲です。

毎日楽しみにやっていくしかありません。

だって、受精卵が自分の子宮内で人間の形になっていく過程だって、実感としてはなにひとつわかんないんです。わかんないけど、産まれてくるんです。(← 盛大に飛躍)

 

そういう、「わからないけど、・・・・・だった」ということがあってもいいんじゃないか、と

ここ数日思っています。