~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

今年弾いた曲は・・

2006年12月31日 02時16分38秒 | 私のピアノ歴
今年弾いた曲

<コンペ> 
ソロ  シューマン:プレスト・パショナート
デュオ グリーグ :ペルギュント組曲より「アニトラの踊り」「山の魔王の宮殿にて」


<サークルコンサート>
ソロ  アルベニス:組曲スペインより「前奏曲」「タンゴ」
    グラナドス:スペイン舞曲より「アンダルーサ」
    ショパン :マズルカ 作品17-4
    ラフマニノフ=コチシュ:ヴォカリーズ
デュオ ブラームス:ハンガリー舞曲第4番
    ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏曲


<その他コンサート、ステップ>
ソロ  ベートーベン:ピアノソナタ第6番 第1楽章
五重奏 ブラームス:ピアノ五重奏曲 第1&4楽章
デュオ フォーレ :エレジー (チェロと)


<練習会で弾いた曲>
ソロ   バッハ:平均律第22番プレリュード
     モーツァルト:きらきら星変奏曲
     モーツァルト:ソナタ K310第1楽章
     ベートーベン:ソナタ「熱情」 第3楽章
     ベートーベン:ソナタ「悲愴」 全楽章
     ベートーベン:ソナタ「月光」 第1楽章
     ベートーベン=リスト:「運命」第1楽章
     シューマン:「子供の情景」より
     ラフマニノフ:前奏曲 作品3-2


<遊びで途中まで弾いた曲>
     プロコフィエフ:ロメオとジュリエットより「モンタギュー家とキャピュレット家」
     ベートーベン=リスト: 交響曲第7番より(ほんの2ページ)
     ドヴォルザーク:「新世界」より(ほんの3ページ)
     シベリウス:「フィンランディア」より(ほんの3ページ)

はい、みごとに基礎的なエチュードや平均律はちっとも進みませんでした(殴)
しかもちゃんと暗譜で弾いたのは、コンペのソロ(シューマン)とリレーコンサートのベートーベンのソナタ(6番)のみ。しかも6番ソナタはリバイバルなので、今年増えたレパートリーはシューマンの「プレスト・パショナート」1曲ということでしょうか。ううっ・・・
 
来年の計画はまた別に記しますが、これからは少し暗譜のペースをあげていきたいと思っています。  



テンション下げた練習

2006年12月27日 22時41分00秒 | ピアノ
今日は、朝から風邪気味だったせいもあって、ちょっと気分が落ち着いていて(笑
)、日頃できないような練習ができそうな気がしたのでやってみた。

ここのところ「展覧会の絵」や「運命」の大きな動き中心の、どちらかというとポジションの確認みたいな練習ばかりで、それはそれである程度成果はあったように思うのだが、
一方細かい動きやハーモニーから注意がそれてしまい、どこかで詰めておかなくてはならないと感じていた。

細かい動きは、ベートーベンの「変奏曲」や「月光 3楽章」に多く出てくるのだが、スケールにムラがあったりフレーズのしまい方が雑だったりする。トリルの終わりがクシャっとつぶれているところもある。こういうところを取り出してしつこく練習する。

「月光の3楽章」のパラパラ感はまだ残っている。
原因はもちろんアルペジオが和音としてとらえられてないことにあるのだが、
細かいアルペジオの中で白鍵の打鍵がしっかりできていないことも問題だ。
黒鍵が多いので、テンポが上がるとどうしても白鍵が浮きがちになる。動きが速いので手首を低くして指先を自由にしたくなるのだが、やはり師匠に注意されたように、指の付け根の関節からしっかり突っ込むようなフォームで弾かなければ鍵盤への吸い付きが悪い。少し手首を上げて鍵盤を「つかむ」フォームに変更。これだと指先だけで弾くことはできなくなる。

これで相当時間練習してましたら、ちょっと見えてきました、和音のかたまりが瞬時にパッパと移動するさまが・・・・。
「パラパラ」から「パコパコ」くらいには変わったかも(笑)。

和音の感じ方については師匠に
「夜、静かになってから一人でじっと和音押さえてみるといいです。
気持ちが忙しいときは、なかなか感じることができませんから」といわれた。
感じる、とひとことにいっても難しいことだ。
スクリャービンなんかは、和音が変わるたびに色も違って見えていたのだろうし、
そういういわゆる「共感覚」について私も関心のある時期があって、そちら方面に敏感でありたいと願ったこともあるのだが、
私の場合、それ以前の問題でまだまだ音自体を聴きとっているとも思えない。

こういう「感覚的」なことは、やっぱり10~20代の頃の方が相当するどかったなあ・・としみじみ思う。鈍くなったおかげで随分楽になった部分もあるわけなのだが。



本番のつくり方

2006年12月26日 23時23分35秒 | ピアノ
私は、ピ○ィナの愛好家会員なのだが、今日なんだかまとめてどっさりいろんな冊子やら書類やらが送ってきた。
今までは、年2~3回冊子が送ってくるだけだったのだが、今回から「誌上レッスン(今回はリストが3曲)」が別冊になっていたりして、私のように年間何回かステップやらコンペやらに出るものは、完全に年会費分くらいは回収している感じだ。なにも宣伝しているわけではないのだが、入会に興味がおありのかたは、検索してみてくださいませ。

とてもこんなにたくさんのものに一度に目を通すことはできないのだが、ある冊子のなかに「目指せ、ステージの達人・・・ステージなんでもQ&A」というページがあり、
<本番までに準備できることは?>という問いに杉谷先生が答えておられたので、抜き書きしてみたいと思う。

<各人の曲の仕上げに要する時間をあらかじめ知っておき、新しい曲は、本番の日に向けて、仕上げるまでの時間を逆算しておく。
たとえば、曲の難易度、所要時間から割り出し「3ヶ月かかる」と判断した場合、他の曲や諸条件をを考慮し、多少長めに時間をとる。だいたい思ったより時間は長くかかるもの。
一度やり始めても、<ピアノ><ピアノ以外>でウエイトのかけ方を変えて、それを数回重ねて本番を迎える。途中で他のことをして少し休憩をして眠らせ、再び取り上げてみると、客観的に取り組むことができていいものである。

練習の進め方としては、何段階かに分けて進めてゆくと同時に、ひとつの段階において猛烈に熱をもって練習することが必要。
人間というもの、詳しく始めないと熱さないところがあり、やり始めると今度は止まらなくなる。最初はあまり好きになれないような曲でも、本気でやり始めるととても好きになったりするものだ。

問題は早く絶好調の状態になれること。
それには、初見の訓練も日頃からやっておいて、早くその曲を理解し、弾けるようになることも大切。
楽譜を見ただけで「このようなイメージで弾きたい」という考えが浮かぶと、習得も早い。それは経験と努力によって得られる。

何段階か経験して、本番の1ヶ月前には仕上げて、小さな練習会でどんどん公開練習をする。人の前で弾いて得るものは大切。平生練習で苦労したところが案外うまくいき、練習で失敗したことのないところが失敗したりするもの。
そのような小さな本番を少なくとも3回は重ね、重要な本番にのぞむ(・・・ようにS先生はされているということです)。>

適当に編集しようを思ったのだが、どの一言も大切で落とすことができず、結局原文の文体を変えただけになってしまった。
(著作権上、問題がありましたらご一報くださいませ・・・)

杉谷先生は、私の出た夏の福岡予選で審査員をされていたのだが、現役のピアニストとして音楽雑誌のステージ情報でしょっちゅうお名前を目にする。
まったく次元の違う話ではあり恐れ多いことなのだが、本番にむけて日頃私が心がけていることと、(言葉遣いのレベルまで)一致していたので、本番までの手順の整理をかねて書き出さずにはおられなかった。

というわけで、本番を控えて今はどの段階にあるのか(・・ちょっと休憩をしてもいい時期なのかどうかを含め)を冷静に見極めていきたいと思う。

クリスマス・イブ

2006年12月24日 22時11分56秒 | 雑感
みなさん、クリスマス・イブをいかがお過ごしでしょうか?

私は夕刻<街>に出かけ、まずドラッグストアへ。
風邪薬やら歯ブラシやらを買い、さらに今流行中のウィルスに有効とかきく塩素系の洗剤を買おうとしたのですが、売り切れや品薄なところが多く、結構びっくり。
続いて、某パン屋系高級食材店に寄りました。しかしものすごい人で、あっけなくギブアップ。
通りにはカップルがあふれていて、いやいや人間とはかくもツガイで行動するものであったのか・・・と驚きました。
そのあと、楽器店に行き、昼間予約していたキーボードを購入。
見てみればとても手に提げて帰るようなシロモノではなかったのですが、「どうしても持って帰りたい」という子供のリクエストにこたえて、本体・スタンドあわせて10キロはあろうかというものを持ってバスで帰宅。

これ、なぜ購入したかというと、下の子がノートに「ド」とか「レ」とか書くときにわざわざ防音室まで走らないとキーが確認できないということと、
上の子が、ピアノをやめて久しく、弾きたいは気持ちはあるみたいなのに、わざわざ一人でこもってグランドの蓋をあけるとなると「もういいや」になるようなので、なんとかしたいと思った・・というふたつの理由から。

で、うんうんいいながら持って帰って・・
びっくりしましたねえ。
私にはわけがわからない。これって、幼児科さんとかそれより小さいお子さんでも使えるように・・ってことみたいなんですが、
ボタンいっぱいあるし、鍵盤光るし(爆)、同じ鍵盤楽器の姿してるけど、ピアノより(当たり前ですが)シンセサイザーに近い。
なんでこのお値段でこんなにおリコウ?
息子はすっかりハマッてました。
夕飯のあとで、私も貸してもらいましたけど、内臓の128曲、どれもBGMになりそうな曲ばかりで、これ全部マスターしたら、レストランだろうがサービスエリアだろうが、どこでも来いです(爆)。

さて、夕食のBGMには珍しくバロックかけてました。
ヘンデルのある曲の中に聴き覚えのあるような旋律がありまして、主人と
「これ<王宮の花火>に似てるね?」と言ってましたところ、息子
「えっ?<東京の花火>って曲があるの?」

「これ、<スタバト・マーテル>じゃん」と語り合おうもんなら、息子
「えっ<フタバで待ってる?>」

というありさまで(そのほかにも、兄妹でものすごいこと言ってましたがここにはUPできません・・・・・)
とてもとてもホーリーな夜とはほど遠いのでした。

それでは、みなさん良いクリスマスを!!


どっちにしろ追っかけなのだが

2006年12月23日 23時44分14秒 | ピアノ
昼間、1時間ほどクリスマスコンサートを聴きに行った。
これは、今年1年のさまざまコンクールで受賞した子供たち30人あまりがそれぞれ1曲を弾くもので、私は別に関係者でもなんでもないのだが、結構毎年ほど聴きに行っている。

今日は40分ほど(7名くらい)しか聴けなかったのだが、それでもさまざまな印象を受けた。

コンクールの本選のように練り込まれた演奏はそうなくて、あとちょっとした練習やアドバイスで大化けしそうな演奏が続いていたのだが、ちょっと気になったこともあった。

1人か2人だが、ペダルのせいでも音をつかみ損ねているわけでもないのに、音の良くない子がいたこと。
こういう類の音はアマチュアの大人の演奏ではまず聴くことはない。
大人の演奏は、間違っても止まっても、こちらもドキドキしながら一生懸命に聴きたくなる。
そういう魅力が・・ない。。。。
長く聴き続けることのできない音で(もちろん「私にとって」ということだが)、
あえていうと、「打鍵音に音階がついている」とでもいいたくなるようなガサガサした音だ。
どういうことなのだろう・・・・

私は子供を教えたこともなければ、指導者でもないし、ただ道楽で大人や子供のコンクールやコンサートを聴きまわっている人間なので、何もいう資格はないのだが、
やはり子を持つ親として、音楽を通して人とつながることを好む人間として、こういう音に遭遇することは大変気になる。
それも、ある程度達者に弾いている子だとなおのことだ。

飛びぬけて上手な子も追っかけてしまうのだが、こういう気になる子も追っかけるので、結局、なんだかんだとこういう場に足しげく通うハメになっている。

思うことは、すべての子に音楽が幸せな体験であってほしいということだ。

もう年だけど、まだ若い

2006年12月22日 10時19分52秒 | ピアノ
今朝起きましたら(正確には目覚めましたら)、全然腰が動かないわけです。
いや「フォ~!!!(すでに古い感じがしますね)」とかいいつつ振れないとかそういう話ではなくて、まったく起き上がれない。
昨夜から風邪の予感でしたが、う~ん・・・
とりあえずトイレには立たないといけなかったのですが、あやうく「気持ちはあるのに体がついていかず、目前でアウト」な状態になるところでした。
今日はこれから、学校に行かないといけないし、生協は来るしで一体どうすればいいんだ・・と途方に暮れてました。
が、・・家の者が出かけた直後忘れ物を発見。気付いたら持ったままおっかけてて、気がついたら治ってました。
いや、仮病じゃないんです・・ほんとに。

昨日は3人ほどお友達がピアノを弾きにいらして、だいたいの時間は真面目に練習をしたわけなんですが、合間に話すことが・・・・

「新しい製品買ったんだけど、説明書の字が小さくて読むのがいやになって・・・」
「冷蔵庫を整理してたら記憶にないものが出てきた。それもコーヒーのフィルターとか、冷やす必要のないもの・・・」
「子どもから学校のプリントをもらったまでは記憶しているのだけど、そこから先が記憶にない・・・・」
「携帯がないないと騒いで必死に探したら、タンスの中に入っていた・・・」

などなど、もう大丈夫かっ、な話ばかり(爆)。
取り込みの問題あり、メモリー容量の問題あり、操作の問題あり、バグあり、で中年おばちゃんの頭は大混乱です。
こんな頭と体で、若いもんと同じようにピアノを弾き、暗譜をしようとしているそこのアナタ、これは大変なことです。自分も含め、エライとほめてやりたい(殴)。

でも、年をとるのは悪いことばかりではない、と信じたいです。

昔、私が子供のころショパンの幻想即興曲かなんかを練習してましたら、国語教師だった父が
「音楽だと子供にこんな曲をやらせるんだね。文学だとこんな小説はまだ扱わないが・・」とボソッといいました。
いったい父がその曲に何を聴いていたのか、どんなモウソウ(笑)をしていたのか、それはナゾですが、
それはともかくとして、たとえば小学生高学年くらいの上手な子が
ドビュッシーの「喜びの島」やリストの「メフィストワルツ」を達者に弾けたとしても、それと等価(?)の小説を読ませるのは、これは親としては結構抵抗あります。

いや、今でも、「喜びの島(一瞬「悦び」と変換されて焦りました・・)」が弾けるとかわかるとかはまったく思いませんけど、
もしそういう選曲をしたとしても技術的にはともかく「まだ、あんな曲弾くには早いよねえ」とか「若すぎるようねえ」とかの非難は受けそうにないです。
(「年がいもなく・・」の非難はまあ置いといて)

逆に本来は作曲家晩年のしぶーい曲なんか弾いていい年なんだろうけど、
「まだまだ若いもんねえ・・晩年の心境は・・」としりごみしてしまいます。
晩年と言ったって、もうモーツァルト、シューベルト、ショパンの享年はとっくにクリア、シューマンがばりばり作曲をしていた年齢もすでに通り過ぎようとしてます。
まあ、天才の一生とは質量ともに比べようがないわけですが、そんなことを言っていたら、一生なにも弾けないわけで・・・。

・・・あ、また腰痛くなってきた(逃)。足がしびれる~~

練習お見舞い

2006年12月20日 22時42分59秒 | ピアノ
私がなんとなくピアノを再開したのは、上の子が4歳の11月。ということは、約7年前ということになる。
当時は、まだ電子ピアノで、住宅事情もあって、バッハの平均律とかモーツァルトのソナタなどを弾いていた。
その2年くらいのちに、アップライトの中古を買ってぼちぼち大きい曲も弾くようになった。
アップでは最初ドビュッシーの「アラベスク」や「映像1集」ショパンの「前奏曲集」を弾いており、そのころは生のピアノを弾けるだけで幸せだったので、日に1時間も弾けば、私としては十分だった。
だいたいこういう「のんびり」ペースで一生弾いていこうと思っていた。

それが変化したのは、丸4年前くらいに下の子を出産してからのこと。
2002年の10月に産んで、翌11月の発表会ではアンサンブルの伴奏をしたのだが、このときは体力的にもまだまだで、練習すらも3分くらいの曲を1~2回通すのがやっと。妊娠時にはショパンのバラード3番とかを平気で弾いていたのだから(ちょっと話はそれるが、上○彩子さんは大きいおなかでラフマ二ノフの3番コンチェルトを弾いておられた・・・びっくり)、出産後の体力の落ち方は大変なものだと思う。
その後は、しばらくは乳飲み子をかかえて24時間体制だったので、ピアノどころではなかったが、このままではいつになったら再開できるかわからない・・もしかしたら再開できなくなるかも・・と思って、先生のご理解の下、A型ベビーカーに子供を積んで、翌年1月からレッスンに通いはじめた。
モーツァルトの「きらきら星」とかそんなものを弾いていたように思う。
その後しばらくして大人向けのコンペのチラシを見て、「そういうものを目標にすれば、少しはちゃんと練習するかも・・」と思って、4月くらいからベートーベン=リストの「運命」1楽章の練習を始めた。

しかし、これは今思ってもかなり無謀な挑戦で、まず手への負担が大きすぎた。
ピアノ再開後ろくにベートーベンを弾いてないうえに、リストテイストのオクターブや和音の連打があって、とてもとても長時間弾けるものではなかった。
実際、コンペの直前などはせいぜい日に30分から1時間にとどめないと手を痛めることがこわくて弾けたものではなかった。

今、ふりかえると、なぜそんなにか弱い手だったのかよくわからない。
みなさんご経験がおありとは思うが、手を痛めることのダントツ1位は、「無理に手をひろげること」だ。だいたい親指の付け根にくる。
かつてある程度弾いていた人間が、ブランク後再開していきなり大曲に取り組むと、この危険性は高いと思う。

今でも、こういうジャンルの曲に取り組む時は注意をしている。
そういう意味で、今は「運命」と「展覧会」で危険がいっぱいだ。
寒い季節に寝起きでいきなりこれらを弾いてはいけない。

大人になってピアノを再開される方、
いろんな事情からひさしぶりに大曲に取り組まれる方、
電子ピアノからアコースティックに変えられた方、
若いころとは違います。寒い時期でもあります。
どうかご自愛くださいませ

レッスン「展覧会の絵」

2006年12月18日 16時40分03秒 | レッスン&セミナー
いや、大変でした。

まず、「できたようなできないような」暗譜が、弾き始めてまもなく、まったく何の役にも立っていないことに気付き、譜面を<見ながら>に変更。
見ながら弾いても、たいして変わりがないことに気付いて、譜面を<読みながら>(殴)に変更。
ああ、まったく曲が板についてません。
それに加えて、ショックだったのがですね、体力の消耗が激しすぎること。
プロムナード →小人 →ビードロ →卵の殻をかぶったひよこの踊り→ バーバヤガーの小屋 →キエフの大門
と弾いたのですが、キエフの大門には命からがらヨレヨレになってゲートイン。
先生も「ここはもうスタミナ的にも苦しいところですから、体重をのせないと音になりません」と。
だいたいその前の『バーバヤガー』で
「<feroce>にとありますが、これはどういう意味ですか?」
「はい、荒々しくとか野性的に激しく、とか言う意味です」
「そうですね。なのに、ぜんぜん激しくないです。優雅です
・・・・・ああ、今のお言葉、冥途の土産にしたいっ、・・・ってそういう曲じゃないんだから喜んでる場合じゃありません。
もう次から次に
「体重をのせる」「腕の重みで弾く」「和音をつかむ」「もっとマルカートに」と言われ、死にました。バーバヤガー
そのあげくが『キエフの大門』ですから、もうへろへろ。
「一生、鍵盤たたいたり雑な弾き方はしませんから、もう許して・・・」
とこれまでの生き方を大変反省した私なのでした。

それにしても、何食べてたら、こんな曲を作り、こんな曲が弾けるのか?
きっとムソルグスキーは新年から七草じゃなくて七肉を食らっていたに違いない。
(う~ん、七肉・・・豚・牛・馬・猪・羊・ウサギ・鶏・・・・こんなところか?)

体力的にではなく細かい動きが技術的に難しいのは「卵の殻をかぶったひよこの踊り」。
左手が半音階もどきでぴょこぴょこと上がるところ、ここさっさと弾かないとサマになんないのですが、言われましたね。
「もっとこう即座に。えっとね、水面に浮かんだダイヤの粒をすくうように

水面に浮かんだダイヤのつぶをすくうって、たとえが凄すぎるんですけど。
だいたいどういう光景なんだろう?

そして頭でわかっていながらいまだにツボにはまらないのが、「腕の重みで弾く」こと。ゆっくりのところはまだしも、高速になると重みをかけてるんだか、重みではね返ってるんだか、わけわかりません。
本日、何回も指摘をうけたあげくが
「なんていうのかなあ・・・(しばし沈黙)・・・ヘリコプターの胴体着陸みたいに・・・

・・・先生、見たことあるんですかぁ・・

指で弾くもの

2006年12月17日 21時54分18秒 | ピアノ
以前なにかで読んだのだが
「要はピアノは指で弾く楽器です」
このごろほんとにそうなんだ、と思うことが多い。

よく小さい子どもの演奏を見ると、
一生懸命腕を使い、体を移動させて「いい音を出そう」としている。
いっぽうで、巨匠とよばれるピアニストには微動だにしないような方もおられる。
この違いはたぶんに指の力とコントロールだと思う。

私は、子供のころは大変に弾く姿勢が悪く、よく注意されたが、
実のところはなぜこんなにも注意されるのかがよくわかっていなかった。
コンクールなどで大変に姿勢のいい一門(ある門下に集中していた)をみても、それが素敵だともなんとも思わなかった。

自分に関していうならば、いまでは姿勢の悪い時はその曲について余裕のないときだ。
難しいところを必死で前傾して弾いていて、次に左右の音域がぱっと飛んだとき、視野がはずれて大きなミスタッチをすることが非常に多い。
このミスはは毎年繰り返している。なんとか姿勢を起こして弾けるくらいに余裕を持ち、視野を常に広くキープしておきたいと思っている。

少しこれとは違うが、ここのところ師匠に「体で拍子をとらない」と指摘を受けることが多い。
細かい指の動きがぶれることが多いからだ。それは体のキレがもっとよければそんなこともないのだろうが(笑)。

体重をかけるとかそういうことはもちろん必要なのだろうけど、
それは熟達すると、外からは分からないくらいの筋肉や体の動きでこなせることなのかもしれない。
だいたいが、非常にコントロールの良い指をお持ちのピアニストの演奏を間近でみると、手の中や指のあちこちで自由に集中やら脱力やらをなさっている。
そして動きにムダがなく美しい。
すばらしい指揮者やピアニストの指の動きは、バレリーナのようだといつも思う。

いままで、「腰で弾く」「腕で弾く」「腹筋で弾く」「脚で弾く」いろいろなことを考えたり試みたりしてきたけど、
やっぱり鍵盤上の動きに限らず、手先指先が思いのままに操れることが当たり前だけど必要なことだ。

それには、これまた当たり前のことなのだけれど練習しかない。

やっと七草な気分

2006年12月15日 10時12分16秒 | 雑感
昨夜、生協の注文書を書いていた。
もう年末年始の注文なので、慎重に考えないと冷凍庫や冷蔵庫がいっぱいになって、あとで大変な目に遭う。

なので、
「これはまだストックあり~♪」と
考えながら進めていたわけなのだが・・・・・

「これもストックあり~。冷凍庫に入ってましたあ」
とあるものを調子よくパスしたものの、なんだか気になって戻ってよく見てみた。

「七草雑炊の素」


七草ということはどう考えても1月7日以前に注文したものであって、なぜそのようなものが残っている?
今年の1月7日ころは何してた?
たしか東京に行っていて、帰ってきたら食べましょう、と思いつつ、帰ってみたら学校が始まってしまい、
「今から、七草でもないでしょ・・・」という気分になってしまったのだ。
で、冷凍庫に残っているのを知りつつ、
「七草な気分になったら食べよう」と思ってほうっておいたものが、
ついについに年を越そうとしている。

もし、家族のみなさんのなかに、今年健康がはかばかしくなかった方がおられたとしましたら、
ひとえに私の責任です。すびばせん

というわけで、「七草雑炊、越年させてなるものか」と賞味期限をみたならば今年の6月。
半年前の賞味期限ごときにくじけてなるものかっ、別に「賞味」するわけじゃなくて、「消費」するだけなんだし・・・とくだらない闘志を燃やしている。

だれか止めてやってください