~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

フランス映画 その2

2012年02月29日 13時12分40秒 | 見る・読む

 ヒマで申し訳ないようなんですけど、またDVD見てしまいました。

『モンパルナスの灯』

2週間くらい前にビデオ屋で見つけ、「次借りよう」と思っていたところ、某先生のブログでたまたまご紹介あり、25日の土曜日に借りてまいりました。

しかもたまたま今回のアカデミー賞が「白黒・無声のフランス映画」でしたので、

『モンパルナスの灯』は無声ではないですけど、「白黒・フランス」ということで、勝手に時機を得た気がしております。

いうまでもないことですけど、この映画は画家モジリアーニの、亡くなるまでの何年かを描いたものです。

私が20代だったら、ああいう生き方に心酔して今夜から飲んだくれたかもしれませんけど(殴)、さすがにそこまでは若くないので、現実感と分別がちょっと邪魔をし、比較的冷静には見ることができました。

それにしても美しい作品です。なにが美しいって、まず俳優さんがどの方もほんとにおきれい。

今でもおきれいな方は男女問わず存在するはずなんですけど、白黒のせいなのかなんなのか

とにかく存在感がすごい。・・・・・・やられました。

この映画を見てちょっと思ったことですが、画家や作家や作曲家はたとえ生存中は不遇でも、作品が死後評価されて名が残るってことはあったでしょうけど、

録音も録画もない時代、あまりにも時代を先取りした演奏家とか舞踏家、役者さんたちは、活躍する場も、形として残るものもないまま、野垂れ死にした人もいるんじゃないでしょうか。。。。

そういう方面の芸術は同時代の評価がほぼすべてだったのかもしれないですね。そうだとしたらツライ・・・いや私は全然ツラくないし関係ないことですけど(笑)。

 

ところで、モジリアーニは1884年7月生まれで35歳で没してます。

同年生まれの人を少しあげてみました(wikipedia参考)。たとえば

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1月

   1月10日 - 山村暮鳥詩人・児童文学者(+ 1924年

 

2月

   2月16日 - 安田靫彦、日本画家(+ 1978年

    2月22日 - 三浦環、声楽家(+ 1946年

3月

    3月26日 - ヴィルヘルム・バックハウスピアニスト(+ 1969年

4月

   4月4日 - 山本五十六、海軍軍人・連合艦隊司令長官(+ 1943年

    4月25日 - 田村俊子作家(+ 1945年

7月 

   7月12日 - アメデオ・モディリアーニ、画家(+ 1920年

    7月30日 - 東條英機、陸軍軍人・第40代内閣総理大臣(+ 1948年

9月

   9月16日 - 竹久夢二、画家(+ 1934年

10月

    10月3日 - 下村湖人小説家・社会教育家(+ 1955年

     10月4日 - 辻潤評論家翻訳家(+ 1944年

11月

     11月8日 - ヘルマン・ロールシャッハ、スイスの精神医学者(+ 1922年

 

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ちょっとまってくださいよ~

えっと、モジリアーニと東條英機は20日も違わなくて、

山本五十六とバックハウスは1週間くらいしか違わない。

頭の中の回線つなぎなおしてもいいですか・・・・・・・(汗)。


授業参観

2012年02月28日 17時53分55秒 | 家族・友人等

娘の3年生最後の授業参観に行ってまいりました。

今日は「学習発表会」ということで、子どもたちが2人~クラス全員で、いくつかのプログラムを披露してくれました。

司会進行から小道具の出し入れまで、すべて自分たちでスムーズにやってまして、「えらいぞ、3年生!」って感じ。

<群読><歌><リコーダー>はよくある出し物ですけど、今日はそれに加えて、<コマ回し><縄跳び><マット体操>、

さらになんと、<習字><百ます計算>まで(驚)。

習字は男の子ふたりが前に出てきて、それぞれ「平」と「和」という字を書いてました(なにを書くのかは事前には知らされてませんでした)。

百ます計算は、男の子4人が前に出てきて机に着席し、先生が問題をだしてスタート。、大きなディスプレイ(パソコン接続)に示されたタイマーで、時間を計測し、速さを競うというもの。速さといっても、事前に「ぼくは1分〇秒台を目指します!」とひとりずつ宣言しているので、自分の目標タイムと競っているわけですけど。

子どもの考える発表会はなかなかユニークです(笑)。

さて娘は、ふつうに「歌」でした。

何を歌うのかはきいてましたけど(『』と千尋の神隠し』から「いつも何度でも」)、練習してるのは全然見たことがなく、しかも昨日でしたか、いきなり「歌じゃなくて伴奏を弾く」と言ってました。

・・・・・ほんとに弾けるんかね・・・・・・

相変わらずの耳コピー演奏(汗)。コードは合ってましたし、メロディーもおおむね間違っちゃいませんでしたが、

これがもうドンドン速くなる。左手の「ドミソ、シレソ、ラドミ・・・」が坂道を転げ落ちるがごとくに加速。歌ってる3人は、まるで早口言葉大会。

・・・・・ヲイ・・・・2番で立て直せ・・・

残念ながらさらに加速(泣)。このまま極まった状態で終わるのか、ほんとにそれでいいのか、と思いきや、

後奏に入り、

「ドミソ、 ド・ミ・ソ、 ド~・ミ~・ソ~・・・・・・ド~~~~~~~」

・・・・・・最後のタメとキメ顔はいったい・・・・(大汗)。

 

娘に「えらく速くなっちゃったねえ」というと、

「うん、『速すぎるよ~!』って言われた。<ごめんネ・すまんネ・ゆるしてネ>だね」と笑ってました。

伴奏は、速くなって一人旅になっちゃいかんのよ~(泣)。これから気をつけるべし。。。。


ビューローさん

2012年02月27日 21時06分13秒 | 交響曲・管弦楽曲等

以前から、気になって仕方ないのが、ハンス・フォン・ビューロー

リストの娘コジマと結婚し、夫婦でワグナーを信奉。がしかしコジマはその後ワグナーの妻になり、ビューローのほうは、ワグナーのもとを離れてブラームスの支持者になったという・・・・。

「ドイツ3大B(バッハ・ベートーヴェン・ブラームス)」や、「ベートーヴェンの第10番(ブラームスの第1番交響曲を称して)」など、の名言もビューローのものと言われているし、

ベルリン・フィル初期の常任指揮者だし、ピアニストとしてもリストの弟子ですばらしい腕前だったというし、ほんとに偉大な方であったのですが、

聴衆を啓蒙せねばという意識のあまり、お客さんを閉じ込めたままベートーヴェンの第9番を2回続けて演奏した・・・・とかいう、「そ、それはほんとですか?」なエピソードも残されているようです。

以下、wikipediaからの略歴。 

 

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9歳でフリードリヒ・ヴィーククララ・シューマンの父)にピアノを師事。ライプツィヒ大学で法律を学びながらも音楽の道を選ぶ。ピアノ演奏でフランツ・リストに賞賛され、その知遇を得る。リストが庇護していたリヒャルト・ワーグナーにも心酔し、指揮を学ぶ。ワーグナーの楽劇トリスタンとイゾルデ』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を初演。当時、ドイツ・オーストリアの音楽界はワーグナー派、ブラームス派に二分され、両者の確執が激しかったが、ビューローは、当初はワーグナー派の代表的存在であった。

1857年、リストの娘コジマと結婚、2子を儲けるが、やがてコジマはワーグナーと恋愛関係に陥り、1866年にコジマはワーグナーと同棲に至る。1869年にビューローはコジマと離婚するが、コジマはその間にもワーグナーとの子を、1865年イゾルデ、1867年エーファ、1869年ジークフリートと3人生んでいる。この後、ビューローはワーグナーから離れてブラームスとの親交を深め、その作品を積極的に取り上げるようになる。ただし、ビューローはワーグナーへの信奉から、コジマの不倫を暗黙のうちに了承していたともいわれ、この間の経緯については諸説がある。

1880年マイニンゲン宮廷楽団の指揮者。このころ、リヒャルト・シュトラウスを見出し、助手としている。リヒャルト・シュトラウスの手紙によれば、ブラームスの交響曲第4番の初演時には、ブラームスが指揮をし、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当したという。1882年に創立されたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。現在、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団には、ビューローの名を冠した栄誉賞がつくられている。

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そうですか~、ヴィークの弟子だったんですね。

それにしても、ブラームスの交響曲第4番初演時の話はすごい。

<ブラームスが指揮をし、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当したという>

・・・・ぜいたくすぎる。


3月はとにかく多い!

2012年02月26日 10時28分00秒 | その他音楽

演奏会は年中あります。東京については年中というか毎晩というか毎時、みたいな印象ですけど、

広島でもそれなりの数があります。昨晩のコンサートのプログラムには、けっこうな枚数のチラシがはさみこみこまれてました(ふだんの広島コンサート比で・・・ですけど)。

全部で17枚だったかと思いますが、そのうちの14枚が3月公演。クレイジー・クラシックスで使用されている楽器は、トロンボーン・クラリネット・チェロ・コントラバス・パーカッションですので、さまざまなジャンルのコンサートチラシが入っているのは当然ですけど、あらためて3月は多いなあ・・と感じました。

といいますのは、私が行こうか行くまいが迷っている9つのコンサートのものは1枚も入っていなかったからです。ほぼピアノ関係のコンサート(&発表会)なので、これまた当然といえば当然なのですけど。

ピアノ以外のコンサートにもなるべく行くように心掛けているのですけど、正直、いくつ体があっても足りません(笑)。たとえ、時間とお金に余裕があったとしても・・・です。

立場をかえて、逆にコンサートを催す側となると、まずたくさんのチラシのなかから一瞬「おっ?!」と思わせ、

かつ「行ってもいいような金額と内容」、そして、「次も行ってみようかな」と思うような本番が要求されるわけですね。

チラシの入れ方にもタイミングがありますね。

人によるかもしれませんけど、行く先行く先で同じチラシを目にすると、私は徐々に反応しなくなるタイプで、

「これだけ入ってれば、だれか行くでしょう」とか、「よほど人が来なさそうなのか?」とかついついひねくれた考えを起こしてしまう(殴)。

もちろん、広告の目的は文字通り「広く告げる、知ってもらう」ことですから、一発目は知ってもらわないことには始まらないわけですけど、

人間どこか、「これを知ってる人はそうたくさんはいないかも・・・・」みたいな部分もないと、ムラムラときません(・・・私だけか)。

なので、タイミングとターゲットは受け手にとってもすごく大事なんだと思います。

あんまりそういうばかりにこだわるといやらしくなっちゃいますけど、スマートでポイントを押さえたやり方というのは、受け手にもビビッとくるもんなんですよね。

で、実際行ってみると、いいお客さんが集まっているのかどうかも空気ですぐにわかる。

これだけ、演奏会があってパイの奪い合いみたいな状況ですけど、

クラシックファンのいろいろな方のブログを読んでいると、

「いいものはいい。行きたいものは行きたい」ということですので、聴き手はそれなりにいいものを待ち焦がれているし、実際私もそうです。

先日、某大御所俳優さんが、

「震災のあと、映画などを撮っているのはいかがなものか・・・」といったことをおっしゃって、出演を断られたそうですが、その同じ会見のなかで

「いいものがあったら出てもいい」とおっしゃったのは、賛否両論あるとしても、なんだか本音がのぞいたな~と言う気がちょっといたしました。

クラシックファンとしても、

「高いし、時間とるし、こんなご時世にコンサートはちょっと・・・・」といいつつ、

「でもいいものがあったらいきたい」。

これが本音であることはほぼ間違いないです(笑)。


Crazy Cassix を見てきた!

2012年02月26日 01時36分16秒 | その他音楽
行ってまいりました、クレイジー・クラシックスの公演。
(18:00開演。アステールプラザ オーケストラ等練習場)
 
思えば、今をさかのぼること2年前の2010年2月11日、不思議なコラボコンサートがあったのでした。
 
最初はチェロに、コントラバスに、トロンボーンに、クラリネットに、ギターにパーカッションって一体??と感じたのでしたが、
その不思議な面白さに「これ一回限りってことないよね?もったいない!」と思い、お会いした折、マーティン先生にも「ぜひぜひ次回を!」と申し上げていたのでした。
その後チャリティーでの公演などを経て、ついに名称も「クレイジー・クラシックス」と決定し、岡山、広島、福岡での公演という運びになったようです。
 
で、「クレイジー・クラシックスってなに?」と問われるとちょっと答えるのに困るもので、
Facebook から拝借。
 
<クレイジー クラシックスとは… 演劇付きのクラシック音楽 クラシック音楽付きの演劇 クラシック音楽付きのコメディー コメディー付きのクラシック音楽 笑いが止まらないって>ということのようです。
 
でさらにYoutubeから。
 
 
今回のプログラムにはこれ↑は含まれておりませんで、さらにパワーアップというか、
はじけてたというか「そこまでやるの?やっていいの?やってしまったの?(爆)」というノリでした。
 
とりあえずプログラムだけでも。
 
<一部>
1.序奏
2.人〇手術
3.初めてのリサイタル
4.クレイジー録画
5.Eliseの為のワインパーティ
<二部>
過激「軽MEN」
 
ということでしたが、これだけ見ても、おそらく「何が何やら(笑)」。
詳細については、26日の広島公演、3月1日の福岡公演を前にしているため、ネタバレ警戒で書かないほうが良さそう・・・・(汗)。
 
とにかく笑ったって。
息子は1階で見ておりましたが、(娘が咳が出ていたこともあり)私と娘は、2階席の座席のない部分(車椅子スペース)のあたりで立ち見というか座り見をしておりました。
娘はもう大興奮で、「明日もまた行く!!」と寝るまで言っており、親としては明日の朝忘れてくれることを祈るばかりです(笑)。
 
それにしても、マーティン先生、オケのほかにレッスン、それから、室内楽、コンチェルト、ソロと公演続きなのに、いつお芝居の練習を???
う~ん・・・・・不思議
 
今年は、カンマーフィルで長原幸太さんとの共演もありそうですね。
 
 
 

メンテナンス

2012年02月25日 01時04分30秒 | ピアノ

ついに辛抱たまらず、調律をお願いいたしました。

私の場合、年に何回とかそういうのではなくて、「もうダメ~」みたいなとき、かつ本番が迫ってない時にお願いするので、前回はいつだったのか・・・とかさっぱりわかりません。

今回はいったいいつ以来なのか・・・とさっき手帳を見てみましたら、記録に間違いなければ、昨年の7月半ば以来です。

おおっ、半年以上もった(笑)。

うちのピアノは夏場よりも冬場に調子が悪いことが多いんですが、それはおそらく夏場は除湿かけっぱなしにしているので、まあまあ部屋の環境がコントロールされてるのかもしれません。

なら冬場もすればいいんですけどね・・・・・なぜかしてない(殴)。なので、年末年始ピアノを弾かなかったりするとキンキンシャリシャリみたいな感じになってしまいます。

鍵盤がゆるくなったうえ、音律がくるい、さらに金属音みたいな雑音まで加わって、ただでさえ下手なペダルが、ヘタを通り越してクソペダルになり、最後は・・・・・キレ。

うちは、私が弾くので、こんなピアノでは練習する気になれずレスキュー呼んじゃいますけど、もし、子どもさんだけがピアノを触るお宅だった場合、「ちゃんと練習しなさい!」とか「ペダル濁ってるよ!」と叱り飛ばす前に、保護者の方がピアノの状態をみてあげてください(涙)。

名手ならば、少々狂ったピアノでもきれいに鳴らすことができたりしますけど、

名手でない場合、私のように(とくにペダルが)苦手というかヘタな場合、

鍵盤がゆるかったり、音律が狂っていたり、さらにペダルがうまく動かないと、・・・・タイミングもなにもつかめません。

とくに耳に良い方たちには、ちょっとでも狂った楽器は耐え難いはずなんですが、なんせピアノは自分では調律できませんから、みんなダマしダマし(?)使ってるんだと思います。

考えてみれば、弦楽器とか管楽器のほとんどはマイ楽器でレッスンを受けるわけで、楽器の不調や不備については、先生が気づいてメンテナンスを勧められることも多々あると思うのですが、

ピアノは自宅への出張レッスンでない限り、生徒さんがどんな状態の楽器で練習しているかというのは実際わからないわけですよね。電子ピアノだとかアップライトだとかおおまかなことはわかったとしても。

ホールでのコンクールなどはリハもなく、楽器に慣れるころには数分の演奏は終了しているわけだし(汗)、

ピアノ学習者(奏者)って、レンタルにつぐレンタルで、レッスンも本番もしのいでいるわけなんですよね。・・・・・じっと手をみる・・・・

 

ところで、うちの担当さんは、いつも丁寧な仕事をしてくださって、心から感謝しております。

「終わりました~」のあとで、ちょっと弾かせていただいて、気になるところがあれば直しをお願いするんですけど、

なんだかいっつも「雑音」のことばっかり言ってすみません(笑)。

前回も今回も、「この鍵盤を押したときになんかカサっていいません?」ってことだったような(汗)。

前回はたしか、鍵盤下の穴の壁に棒が時々当たって出ている音でしたけど(全然用語がわからなくてすみません)、

今回は、となりの鍵盤のささくれが時々触ってました。

「雑音」というほどの音じゃないんですけど、指先への抵抗はちょっとだけあるわけです。

音色のことじゃなくて、いっつもそんな注文ばかりでごめんなさい、ほんと。

 

うちのピアノ(2004年3月購入)は、初代調律師さんが転勤されて、今二人目なんですけど、

調律師さんが変わると音色も変わるもので、弾く側としてもおもしろいことはいろいろあります。

音律を整えるだけの作業にしても、たぶん個性があるんだと思います。

今日も帰られてから、夜弾いてみたんですけど、「あ、ここの感じが〇〇さんだ」とにやにやしてしまいました。

「どこがどうなんだ~?」と言われても困るんですけど。

ピアノは楽器を持ち運べないので、自宅のピアノだけが「好きな楽器を」「好きな調律師さんで」弾けるということになります。

あらためて、楽器は大事にしなきゃ・・・です(笑)。


そんなことって?

2012年02月23日 19時08分44秒 | 雑感

ニュースを見ていると、「なんでそんなことが??」という事件がいろいろあります。

ここ数日はとくに、「公園にサメの死骸」とか「70歳代女性が通り魔」とか「大手A新聞の本社記者が覚せい剤使用の疑いで逮捕」だとか、「今、なんと??」と思わずテレビを振り返って画面を確認してしまいそうなニュースが続きました。

ここまでの事件ではないですけど、私もかつていろいろ「ええっ?」な状況に遭遇したことがあります。

1.18年くらい前のこと、朝、池袋駅で血だらけの人が倒れていた。(周りの人がふつうに通っていたのにもびっくり)

2.病院に勤めていたころ、夜ふと窓を見たら人が張り付いていた。(2階なので、通行人ではありません)

3.新宿駅の階段で、「あるよ~」と薬売りに声をかけられた。(どう考えてもそのスジのクスリだと思います)

4.新宿で、いきなり「〇村屋のあんまんとにくまん、どっちが好きですか?」と声をかけられた。

5.おなじく新宿で「私とじゃんけんしてください」と声をかけられた。

6.半蔵門線のなかで、手かざしして祈られた。

 

4.5.6は、経験された方もおられるんじゃなかろうか・・・と思います。

あと時期によっては3も。当時、新宿駅のホームに出没しているから気をつけろ~という情報がありましたから。

1はまだ上京したてのころでしたので、かなりびっくりしました。

2は、どなたが張り付いていたのかはすぐにわかったのですけど、どうしてそのようなスパイダーマンみたいなことができたのかは、今もよくわかりません。

 

ほかにもいろいろあるんですけど、18Rのことが含まれておりまして(笑)、・・・このあたりで失礼いたします。


ひさびさのフランス映画

2012年02月20日 22時34分54秒 | 見る・読む

目下、「家族のだれが一番に熱をだしますかね~」というような風邪スレスレの状態です。

誰も休んではいないんですが、なんとなくみんなでグダグダしてます。

総じてやる気レスなので、なんとなく気の向いたときにDVDなぞをダラダラと見てます。

そういえば長いことフランスの映画を見てないな、とふと思いました。

以前は、ルコント監督『髪結いの亭主』『仕立て屋の恋』『タンゴ』など見ていたのですが、ある時期からパタッと途絶えました。『イヴォンヌの香り』あたりでオチてしまったような気がします。

ジャン・ポワレ監督の『妻への恋文』みたいな、オシャレかつ泣き笑いっぽい佳作はないものか・・・。

レンタル屋でふらっと借りた『モンテーニュ通りのカフェ』。これなかなか楽しめました。

(予告編→  http://youtu.be/hAF5RGL-VeA

簡単に言っちゃうと、<パリのカフェで女ギャルソン(?)として短期バイトで入った女の子が、近くのコンサートホールや劇場にデリバリーに行ったり、お店に来る有名人と知り合ったりしているうちに、出会った人たちの運も自分の運もだんだん開けて(変化して)いく>・・・・というもの。

グサッときたり、寝られなくなったりという類のものではないですけど、ディテールはちょっとおもしろい。

「世界的なピアニスト」という設定の40代とおぼしき人物が出てくるんですけど、彼は大きいホールで毎日毎日決まったような聴衆を相手に弾かなければならないことに疲れ果てており、

「ほんとは病院や監獄で弾きたいんだ。今後のスケジュールはすべてキャンセルして湖のほとりで暮らす」とマネージャーでもある妻に突然言い出したり、

日本人記者のインタヴューに対して、「宗教は神と人間の距離を広げた。コンサートホールは音楽と人を離してしまう」(・・・・ちょっとうろ覚え。表現は違うかも)などと答えてしまうわけです。

しかもコンチェルトの本番(ベートーヴェンの「皇帝」の第3楽章)で、「ええっ?!」なことをやらかしますが、これが別にマイナスの事態には陥らなかったりする。

そういう、映画のストーリーそのものよりも、パリの街並みとか、いっつもシャンソンを歌って踊ってる劇場の女主人とかの雰囲気が楽しかったですねえ。

なによりも、ひさしぶりにきいた<Kぉァ>みたいなRの発音にしびれました。

しびれたというか、もう気になって気になって字幕が頭に入らないくらい(笑)。

ドイツ語の映画だと、見終わってから「あれ、今日の英語だった?ドイツ語だった?(つまりどっちにしろきいてないし、わかってないということ・・・汗)」なことがけっこうあるんですが、

いや~、フランス語はほんといちいちセンサー刺激されるので、逆に耳が疲れます(笑)。

(番外編:フランス語の難しい発音 http://youtu.be/IihFQMm8wfs) 


ほんとは・・ゲームも上手くなりたい

2012年02月19日 01時11分11秒 | 家族・友人等

昨日(土曜日)、雪が積もりました。積もるのはわかってましたけど、朝起きてみたらとりあえずびっくりしました。

日中は習い事ほかで出かけておりまして、ついでに娘にくっついて超ひさしぶりにゲーセンに行ったところ、コインゲーム瞬時に終了。慣れれば・・・と言っても、慣れるほどやるのも浪費ですし。。。戦わずして撤退。

一方娘はというと、「これ(10枚程度)が終わったら帰ろう」と言いつつ、「これ」がいっこう減らない。いや減るどころか増えてる(汗)。このままじゃいったい何時になるのか・・・と思い、とりあえずコイン預けて終了。

うちの娘に限らず、今の子ども全般に言えることなのではないかと思うんですが、

なんで携帯とかパソコンとかゲームとか、デジタルなものは、たいして練習も学習もしないくせに妙に達者になるんですかねえ。これらについては「いじってればわかる」ということらしい。

うちでは、ひところ息子も娘もゲームやってまして、娘についてはあまりの制御不能の没頭ぶりに、2年くらい前数回の警告の後に強制終了というか、廃棄の刑に処しました。今はふたりともやってないです。

息子はもう何年も前に自分からやめてしまい(PCではたまにやってるかもしれません)、娘のほうは、テレビやマンガや読書に対象をかえて、だいぶ経ちます。

私もちょっとはやってみたんですけど、これがもう全然ダメで(笑)。たとえゲームであろうと、子どもにできるのに自分にできないと悔しい。時間の使い方うんぬんや中毒性については別の議論として、やはり「なにかが上手である」ということは悪いことではないと思ってますし、内容に問題がないものであれば、ゲーム自体を否定はしません。

ただ、ほかにも世の中に楽しみはあふれているわけですから、アナログなものともつり合いを取りながら遊んでいってほしいと思っています。

娘はこの年齢の子どもとしてはかなりヒマな方だと思うんです。習い事が週に3つ(ピアノとヴァイオリンと造形教室)あるにはありますけど、ピアノとヴァイオリンを毎日練習しているわけでもなく(汗)、それぞれ1回20分くらいの練習時間で、それが週に4~5回くらいだと思います。(・・・正直、有り得ないゆるさ)

勉強に至ってはさらに宿題が出ればやるけど、無い日はラッキー!という状態。あとはひたすら本読み。

小学3年というと、中学受験の勉強はまだだし(といっても2月から新小学4年ということで始まる塾もあるようですが)、時間はまだあるしということで、

うちの息子ですら、小3のころは、ピアノ・スイミング・サッカー・英語と通ってました。娘がまだ2歳でしたから、通わせるのも(私が車を運転しないもので)なかなか大変でした。それらがどのくらい「ためになった」のか、効果のほどはまだわかりませんけど。

それからすると娘は、英語はもちろん運動系もまったくやってなくて、芸術系の3つで子どものころの習い事は終了ということになるのかな・・・と思わないでもないです。

まあ、少なくともあと一年は、好きに暮らしていただいてけっこうです(笑)。

それから目標としては、ふたりとも、自分で食べるものくらいは自分で作るようにさせねば・・・・・私自身が楽するためにも(逃)。


凡人の尺

2012年02月17日 18時48分35秒 | 見る・読む

以前ここに書いた通り、『文藝春秋』を買って、田中氏の受賞作品を読みました。

性的かつ血なまぐさい作品で、自分の中の「血」や、自分のおかれた「環境」への筆力が凄かったので、

何世代か前の「重たい小説」を感じたのですが、

どうも氏は、パソコンで書かれているわけではなく、原稿は手書きらしい。この『共喰い』は最初、10~20枚ほどの下書きをしたのだけれど、途中で「あ、これはだめだ」とほぼ全部捨て、全部で3回書き直しをされたとのこと。

この「質量」はなるほど、手書きのものであるな・・・・と妙に納得。

別に手書きでないと軽いとかいうわけではないのですけど、なんとなく違うんですよね。どこがと言われるとものすごく困るんですけど(汗)。

また、「これだけ暴力的な描写があるということは、どれだけヒドイ人生を送ってこられたのだろうか~・・」とつい凡人の発想をしてしまうのですけど、氏はこう語っておられます。

<・・・・自分のなかにないものを書いていきたいですね。暴力を描くにしても、決して自分のなかに暴力が内包されているわけじゃないし、周りに暴力を振るう人間もいない。無理に意識して書こうという気もありませんが、自分のなかにあるものでなく、ないものに対して目を向けていきたいと思っています。>

・・・・・そうなのか、なるほど。経験したことでないと書けないとなると、書けることはだんだん狭まってくるわけで。

この小説では、細かい釣りの描写がやたら出てくるので、「どれだけ釣り好きなん?」と思ってたのですが、実際は釣りはまったくされないそう(子どものころはやっていたそうなのだけど)。

もちろんよく調べたり、詳細に想像されてこそのリアルな表現なのでしょうけど、「経験してしまうからこそ逆に表現がつまらなくなる」ことも、もしかしたらあるのかもしれません。

 

私はある時期からどちらかというと経験主義というか現場主義で(笑)、

それは、恋愛にしても、結婚にしても、出産にしても、子育てにしても、

「もし経験していなかったらわからなかったかも」ということだらけだったからなんですけど、

それはとりもなおさず、自分が想像力と感受性の乏しい人間であったからなのであろう・・・と最近では思っております。

早い話が「痛い目にあわないとわからない」(殴)。

なので、病とか死とかこれから経験するであろうことについても、「なってみないとわからない」。

 

ここのところ、文学や音楽について考える機会が多いです。

作者や作曲家の生活史を調べて「・・・だからこういう作品を残したのだ」とついつい考えてしまうのですが、

テキは(いや敵じゃないけど)、そんなモノサシで測れる程度の人間ではあるまい、

生活と無関係とはいわないけれど、個人の経験値を超えたものでなければ、何百年いや何千年の時を生き続ける作品は残せないはず・・・とも思うわけです。

 

・・・・・と、芸術に仕えるしもべですらない、一愛好家としては、あらためて畏怖の思いを禁じ得ません。