※今回の記事に温泉は登場しませんのであしからず。内容が冗長になりそうなので、その1からその3まで3編に分け、その3編をまとめてアップします。
この度のタイ北部旅行では、予定を変更してバンコクへ戻る日を一日後ろへズラし、チェンライ付近の温泉をより多く巡ろうと企てたのですが、チェンライからちょっと北へ足を伸ばしてタイ最北の街メーサイまで行けば、小さな川を隔てて隣接しているミャンマーのタチレク(タチレイ)という街を訪問でき、しかも通常ミャンマー入国にはビザを要するにもかかわらず、このタチレクだけならノービザで入国できるらしいので、我が人生でミャンマーを訪れるなんて私にとっては余程の縁がない限り一生に一度あるか無いかの機会ですから、無理やり時間を捻出して、ミャンマーの地を自分の足で踏んでみることにしました。
訪問前夜にホテルの客室で、地図とニラメッコしながら予定をやりくりしたところ、今回のタチレクで滞在できる時間は僅か2時間しかなく、これでは国境をわたってその周りをウロウロするだけで終わってしまいそうですが、その短時間でも何か見処は無いものかと、自分のPCを起動してGoogleで「タチレク」と検索してみたら、続いて表示される予測変換ワードには「ビザ」「地図」「ホテル」の他、「女」「置屋」などといった特定な傾向が示されました。なるほど、タチレクってそういう街なのか…。相当怪しい臭いがプンプンしますね。
●メーサイから出国

まずはチェンライからレンタカーで国道1号線を道なりに北上すること1時間、タイ側の国境の街メーサイに到着です。車のまま越境するには面倒な手続きを要するはずですので(レンタカーでは無理かも)、私は駐車場に車を預けることにしました。国道1号線のドン詰まりには後述する国境ゲートの青い建物が聳え立っていますが、その直前には左側へそれる側道が伸びていますので、そこを進んで緩い坂を下り、道なりに前進してゆくと、やがてゴチャゴチャしているアーケードへと入ってゆきます。このアーケード内には数ヶ所の駐車場があり、どこも似たような料金(40バーツ)でしたので、私は「停車」という漢字表記が出ていた上画像の駐車場を利用しました。

メーサイはタイ最北の地であり、"THE NORTHERN MOST OF THAILAND"のモニュメントは記念撮影スポットになっているそうですが、私の訪問時は誰もおらず閑散としていました。このモニュメントの先にはドブ川を跨ぐ簡素な橋が架かっていますが、これが国境を跨ぐ橋なんですね。
余談ですが私は4年前に国際列車でマレーシアからタイのハジャイへ入国しているので(拙ブログ「マレー半島 鉄道北上記 その3」)、なんだかんだでタイの南端と最北端を制覇したことになります(南側は最南端ではありませんけどね)。

国境の街らしく国道1号線沿いは活気に溢れていましたが、一歩裏路地に入ると俄然うらぶれた景色となり、昼間なのに心細さを覚えます。ドブ川沿いの建物にはバランスの悪いカタカナで「ホテル」と書かれていますが、どんな安宿なんでしょうか。その傍らの土産屋ではバルーンのドラえもんが物憂げな笑みを浮かべていました。

今回は滞在時間が限られていますから、さっさとイミグレを通過しちゃいましょう。全体的にブルー基調のタイ側の国境施設ですが、その左下にある真っ青なテントの歩行者専用ゲートより入っていきます。ゲート内は4レーンほど分かれており、私のようにタイ人でもミャンマー人でもない外国人は、一番右側の「PASSPORT CONTROL」に並びます。午前中の比較的早い時間に訪れたためか、この時は先に5人ほどしか並んでおらず、サクサクっとスムーズに出国できました。

タイとミャンマーには30分の時差があるんだそうでして、イミグレの館内にはその時差を示す2つの時計が並んでいました。このようにイミグレ内で簡単に撮影できちゃうぐらい、管理体制はユルユルです(一般的にイミグレ内って撮影禁止ですよね)。さてイミグレのビルを出ると、その先には"Go To Myanmar"のプレートが。

先ほど「タイ北端の地」のモニュメントから見た国境の橋を渡ります。なおタイは日本と同じ左側通行ですが、ミャンマーはかつてイギリスの植民地だったのになぜか右側通行ですので、この橋の上で左側から右側へクロスされるんですね。私もこの橋の上で左側の歩道から右側の歩道へ移って先へと歩きます。なぜなら、この先のミャンマー側イミグレは右側の歩道にあるから。
●ミャンマー入国

この泳いで簡単に渡れそうなほど細く濁った川が国境。棒高跳びの選手だったら、泳ぐこと無く竿で簡単に飛び越えられそうです。橋をわたってすぐのところには「ゴールデン・トライアングル」と記された看板が立っていました。観光名所としての「ゴールデン・トライアングル」はもっと東にあるメコン川流域のラオス国境ですけど、このタチレクもそのエリアであることには違いなく、それどころか、この街は麻薬王として有名なクンサーの根拠地であり、下手すりゃ一帯はミャンマーから独立してシャン邦共和国となっていた可能性だってあるわけです。

さてミャンマーへ入国です。前日ネットで調べていた情報によれば、ミャンマー側のイミグレでは、事務所内でデジカメ撮影が行われて、その画像がプリントされたペライチ(紙一枚)の簡単なエントリーパーミットが発行されるとともに、パスポートはミャンマーのイミグレでよ強制的に預けることになって、出国時にパーミットと引き換えに返却される、のことでしたが、私がイミグレ官吏に所定の料金である500バーツを支払ってパスポートを提出すると、日帰りであることを確認した上で、当日の日付が入った入国および出国のスタンプが同時にパスポートへ捺され、その場でパスポートが返ってきました。そして職員は私に「写真は要らないよ」と告げて、そのままパスポートコントロールを出るように指示されました。エントリーパーミットに関する取り扱いが変更されて簡素化されたのでしょうか、あるいはこの日はパーミットを発行する機械が故障していたのでしょうか。いずれにせよ、当日の出国スタンプも捺されていますので(しかも出国スタンプには"Left for MAE SAI"と印字されている)、今日中に出国しなきゃいけないわけです。もし宿泊予定の人はどうするんでしょう? ま、私は2時間しか滞在しませんから問題ないのですが、それでも出国時にパーミットが無いことでトラブルになったらどうしよう、という不安が頭をもたげます。

そんな不安を抱きつつイミグレを出ますと、早くも旅行者を待ち構えていた男たちに囲まれ、異口同音にタバコは要らないか、トゥクトゥクに乗らないか、とスゴイ物売り合戦が始まりました。そればかりか、バイアグラ・ブンブン(インドシナ一帯で売春を意味する俗語)・ドラッグなどなど、ストレートな言葉も矢継ぎ早に浴びせられ、前夜にGoogleの予測変換機能が示してくれた意味が早くも理解できました。でも、この欲求むき出しのロクデモナイ雰囲気も、東南アジアらしい面白さがあって結構好きなんです。たしかに外国人の男が一人で当地を訪れるとなれば、「打つ」か「買う」かのいずれかを目的としていると認識されちゃうのでしょうね。でも品行方正(?)な私はそんなものには手を出しませんよ(今回は)。そもそも、そんな時間もありませんしね。鬱陶しい物売りたちを無視しながら、イミグレを出てすぐ右手に広がるタチレク名物のマーケットを見下ろしつつ歩道を進むと…

様々な広告に彩られたロータリにたどり着きました。この先自分で歩いて適当に散歩しても良かったのですが、私に声を掛けてきたトゥクトゥクの運ちゃんの中で、最も誠実そうな容姿の比較的若い男性に値段交渉したところ、最終的に彼は私の妥協できる金額で首肯したので、彼のトゥクトゥクに乗り込むことにしました。彼に決めた自分の判断を省みるに、商売ってやっぱり見た目(第一印象)が大切なんだなと実感した次第です。

トゥクトゥクに乗り込んで1時間のタチレク観光スタート。「タチレク」でググッて表示される旅行記を拝見しますと、皆さん同じような定番ルートを辿っていらっしゃるようですが、ご多分に漏れず私もそのルートを踏襲することになりました。
あの細いドブ川を渡るだけで街並みは一変し、その風景から両国の間に歴然たる経済力の差があることは明々白々。埃っぽくてデコボコが目立つ道路を走る車両はポンコツバイクが多く、自動車も相当古いものばかり。沿道に並ぶ商店の品揃えもタイとは比較になりません。時が何十年も昔へ引き戻されたかのような感じです。
●1つめのお寺

まず運ちゃんが連れて行ってくれたのが、この立派な寺院です。名前は失念…。明らかにタイの寺院とは建築様式が異なり、中央の塔から四方へ4本の棟が伸びているような造りでして、その屋根は重層的であり、しかも屋根に施された細工が実に繊細で、思わず目を奪われます。入国早々に当地のロクデモナイ雰囲気や低い経済力を目にしていたので、正直なところ、国境の田舎町にこんな荘厳で秀麗な建築物があるとは想像だにしていませんでした。


本堂の前に居座る物乞いのお婆ちゃん(画像左端)のしつこさに辟易しながら中へ入りますと、国境付近の喧騒とは無縁の静謐が支配する堂内にはキンピカに輝く仏壇や仏像が祀られており、高い天井や内壁など装飾もそれなりに立派なのですが、なぜか仏壇にはLEDの安っぽい電飾が、「魅せられて」のジュディ・オングの衣装みたいにぶら下げられており、せっかくのありがたい仏様が安っぽく見えてしまいました。
●シュエダゴン・パゴダ

1つ目の寺院を出たトゥクトゥクは、非力なエンジンを唸らせつつ、息せき切らせて止まりそうになりながら坂を登って、タチレクのランドマーク的存在であるシュエダゴン・パゴダへ。私は運ちゃんに1時間コースをお願いしましたが、それより短い時間の観光でもここは必ず訪れるようですね。金ピカの仏塔が雲一つない晴天の陽光を受けて、キラッキラに眩しく輝いていました。ちなみに膨よかな人形が担いでいる鐘を何回か鳴らすと幸せになるんだとか。でもそれを知ったのは帰国後でして、相変わらず私はうだつの上がらない毎日を送っております。余談ですけど、この人形の顔に似たお面って、むかし日本で流行ってませんでした?

入口付近では托鉢する坊さんの人形が並んでいるのですが、いずれも安っぽくて没個性で不気味。夜中に見たら怖いでしょうね。しかもその容貌は何故かみんな故成田三樹夫にソックリ。合掌しながらで良いから、往年のドラマ「探偵物語」
みたいに「工藤ちゃん」って言ってくれないかなぁ…。なお、この托鉢する坊さん人形の先頭では、同じ袈裟を来た僧侶が金ピカの仏様に向かってひれ伏して合掌していたのですが、既にこの僧侶群と成田三樹夫を頭の中で結びつけてしまった私は、刑事ドラマ内でヤクザの大親分に対して命乞いをしている囚われの身の下っ端刑事にしか見えませんでした。テレビの見過ぎでしょうか。

清浄なる仏塔のまわりは土足厳禁ですので、参詣客は手前で靴を脱ぐわけですが、何かにつけてすぐ小銭を絞り取ろうとするのが貧しい国らしいところであり、その靴棚には「2バーツ」と掲示されていました。尤も、特定のスタッフがいるわけでもなく、結構いい加減ですので、私は適当に監視をかわして…(以下省略)。また下足場の前では小学生や中学生くらいの女の子達がお供えの花を立ち売りしており、紳士な観光客はみなさん笑顔で彼女たちから花を買っていましたが、特に興味のない私は見て見ぬふりをして先へと向かいます。

労働に勤しむ女の子達がほっぺに塗っているのは日除けのために木をすりつぶしたものでして、その名をタナカというんだとか。中高年の日本人団体客がその名を知ったら、間違いなく同行のガイドさんに「スズキは無いの?」とか「サトウって言うのかぁ」なんて面倒臭いボケをかまして、ガイドさんの眉間に深い皺を刻みそうです。実際にミャンマーでそのような不毛なやり取りが何度も繰り広げられたことは想像に難くありません。ちなみにこのタナカはてっきり子供だけが観光客に見せるために塗っているのかと思っていたのですが、この後に街中を散歩していたら、観光とは全く関係のない生活臭溢れる場所でも、老いも若きも女性の多くはこのタナカを塗っており、日常生活には欠かせないものであることを知りました。おかげさまで脳みそに皺が一本増えました。

金ピカの丸い仏塔の周囲には、一週間の各曜日に応じた仏様か神様かが祀られており、自分の生まれた曜日のところでお祈りをすると良いんだとか。先程の少女たちが売っていたお花はここで供えるんですね。この時も熱心にお祈りする信心深い方を見かけましたが、私は自分の生まれた曜日なんて知りませんから、ただボンヤリと眺めるほかありません。というか、日本人で自分の生まれた曜日を知っている人なんて、四柱推命を信じる人以外、あまりいないような気がします。

パゴタの一帯は高台になっており、先ほど越えてきた国境付近やタイのメーサイ方面を一望できました。ちょっと霞んでいるものの、高い建物が無いので、結構遠くまで肉眼で眺望できましたよ。
その2へつづく。
この度のタイ北部旅行では、予定を変更してバンコクへ戻る日を一日後ろへズラし、チェンライ付近の温泉をより多く巡ろうと企てたのですが、チェンライからちょっと北へ足を伸ばしてタイ最北の街メーサイまで行けば、小さな川を隔てて隣接しているミャンマーのタチレク(タチレイ)という街を訪問でき、しかも通常ミャンマー入国にはビザを要するにもかかわらず、このタチレクだけならノービザで入国できるらしいので、我が人生でミャンマーを訪れるなんて私にとっては余程の縁がない限り一生に一度あるか無いかの機会ですから、無理やり時間を捻出して、ミャンマーの地を自分の足で踏んでみることにしました。
訪問前夜にホテルの客室で、地図とニラメッコしながら予定をやりくりしたところ、今回のタチレクで滞在できる時間は僅か2時間しかなく、これでは国境をわたってその周りをウロウロするだけで終わってしまいそうですが、その短時間でも何か見処は無いものかと、自分のPCを起動してGoogleで「タチレク」と検索してみたら、続いて表示される予測変換ワードには「ビザ」「地図」「ホテル」の他、「女」「置屋」などといった特定な傾向が示されました。なるほど、タチレクってそういう街なのか…。相当怪しい臭いがプンプンしますね。
●メーサイから出国


まずはチェンライからレンタカーで国道1号線を道なりに北上すること1時間、タイ側の国境の街メーサイに到着です。車のまま越境するには面倒な手続きを要するはずですので(レンタカーでは無理かも)、私は駐車場に車を預けることにしました。国道1号線のドン詰まりには後述する国境ゲートの青い建物が聳え立っていますが、その直前には左側へそれる側道が伸びていますので、そこを進んで緩い坂を下り、道なりに前進してゆくと、やがてゴチャゴチャしているアーケードへと入ってゆきます。このアーケード内には数ヶ所の駐車場があり、どこも似たような料金(40バーツ)でしたので、私は「停車」という漢字表記が出ていた上画像の駐車場を利用しました。


メーサイはタイ最北の地であり、"THE NORTHERN MOST OF THAILAND"のモニュメントは記念撮影スポットになっているそうですが、私の訪問時は誰もおらず閑散としていました。このモニュメントの先にはドブ川を跨ぐ簡素な橋が架かっていますが、これが国境を跨ぐ橋なんですね。
余談ですが私は4年前に国際列車でマレーシアからタイのハジャイへ入国しているので(拙ブログ「マレー半島 鉄道北上記 その3」)、なんだかんだでタイの南端と最北端を制覇したことになります(南側は最南端ではありませんけどね)。


国境の街らしく国道1号線沿いは活気に溢れていましたが、一歩裏路地に入ると俄然うらぶれた景色となり、昼間なのに心細さを覚えます。ドブ川沿いの建物にはバランスの悪いカタカナで「ホテル」と書かれていますが、どんな安宿なんでしょうか。その傍らの土産屋ではバルーンのドラえもんが物憂げな笑みを浮かべていました。


今回は滞在時間が限られていますから、さっさとイミグレを通過しちゃいましょう。全体的にブルー基調のタイ側の国境施設ですが、その左下にある真っ青なテントの歩行者専用ゲートより入っていきます。ゲート内は4レーンほど分かれており、私のようにタイ人でもミャンマー人でもない外国人は、一番右側の「PASSPORT CONTROL」に並びます。午前中の比較的早い時間に訪れたためか、この時は先に5人ほどしか並んでおらず、サクサクっとスムーズに出国できました。


タイとミャンマーには30分の時差があるんだそうでして、イミグレの館内にはその時差を示す2つの時計が並んでいました。このようにイミグレ内で簡単に撮影できちゃうぐらい、管理体制はユルユルです(一般的にイミグレ内って撮影禁止ですよね)。さてイミグレのビルを出ると、その先には"Go To Myanmar"のプレートが。


先ほど「タイ北端の地」のモニュメントから見た国境の橋を渡ります。なおタイは日本と同じ左側通行ですが、ミャンマーはかつてイギリスの植民地だったのになぜか右側通行ですので、この橋の上で左側から右側へクロスされるんですね。私もこの橋の上で左側の歩道から右側の歩道へ移って先へと歩きます。なぜなら、この先のミャンマー側イミグレは右側の歩道にあるから。
●ミャンマー入国


この泳いで簡単に渡れそうなほど細く濁った川が国境。棒高跳びの選手だったら、泳ぐこと無く竿で簡単に飛び越えられそうです。橋をわたってすぐのところには「ゴールデン・トライアングル」と記された看板が立っていました。観光名所としての「ゴールデン・トライアングル」はもっと東にあるメコン川流域のラオス国境ですけど、このタチレクもそのエリアであることには違いなく、それどころか、この街は麻薬王として有名なクンサーの根拠地であり、下手すりゃ一帯はミャンマーから独立してシャン邦共和国となっていた可能性だってあるわけです。

さてミャンマーへ入国です。前日ネットで調べていた情報によれば、ミャンマー側のイミグレでは、事務所内でデジカメ撮影が行われて、その画像がプリントされたペライチ(紙一枚)の簡単なエントリーパーミットが発行されるとともに、パスポートはミャンマーのイミグレでよ強制的に預けることになって、出国時にパーミットと引き換えに返却される、のことでしたが、私がイミグレ官吏に所定の料金である500バーツを支払ってパスポートを提出すると、日帰りであることを確認した上で、当日の日付が入った入国および出国のスタンプが同時にパスポートへ捺され、その場でパスポートが返ってきました。そして職員は私に「写真は要らないよ」と告げて、そのままパスポートコントロールを出るように指示されました。エントリーパーミットに関する取り扱いが変更されて簡素化されたのでしょうか、あるいはこの日はパーミットを発行する機械が故障していたのでしょうか。いずれにせよ、当日の出国スタンプも捺されていますので(しかも出国スタンプには"Left for MAE SAI"と印字されている)、今日中に出国しなきゃいけないわけです。もし宿泊予定の人はどうするんでしょう? ま、私は2時間しか滞在しませんから問題ないのですが、それでも出国時にパーミットが無いことでトラブルになったらどうしよう、という不安が頭をもたげます。

そんな不安を抱きつつイミグレを出ますと、早くも旅行者を待ち構えていた男たちに囲まれ、異口同音にタバコは要らないか、トゥクトゥクに乗らないか、とスゴイ物売り合戦が始まりました。そればかりか、バイアグラ・ブンブン(インドシナ一帯で売春を意味する俗語)・ドラッグなどなど、ストレートな言葉も矢継ぎ早に浴びせられ、前夜にGoogleの予測変換機能が示してくれた意味が早くも理解できました。でも、この欲求むき出しのロクデモナイ雰囲気も、東南アジアらしい面白さがあって結構好きなんです。たしかに外国人の男が一人で当地を訪れるとなれば、「打つ」か「買う」かのいずれかを目的としていると認識されちゃうのでしょうね。でも品行方正(?)な私はそんなものには手を出しませんよ(今回は)。そもそも、そんな時間もありませんしね。鬱陶しい物売りたちを無視しながら、イミグレを出てすぐ右手に広がるタチレク名物のマーケットを見下ろしつつ歩道を進むと…


様々な広告に彩られたロータリにたどり着きました。この先自分で歩いて適当に散歩しても良かったのですが、私に声を掛けてきたトゥクトゥクの運ちゃんの中で、最も誠実そうな容姿の比較的若い男性に値段交渉したところ、最終的に彼は私の妥協できる金額で首肯したので、彼のトゥクトゥクに乗り込むことにしました。彼に決めた自分の判断を省みるに、商売ってやっぱり見た目(第一印象)が大切なんだなと実感した次第です。


トゥクトゥクに乗り込んで1時間のタチレク観光スタート。「タチレク」でググッて表示される旅行記を拝見しますと、皆さん同じような定番ルートを辿っていらっしゃるようですが、ご多分に漏れず私もそのルートを踏襲することになりました。
あの細いドブ川を渡るだけで街並みは一変し、その風景から両国の間に歴然たる経済力の差があることは明々白々。埃っぽくてデコボコが目立つ道路を走る車両はポンコツバイクが多く、自動車も相当古いものばかり。沿道に並ぶ商店の品揃えもタイとは比較になりません。時が何十年も昔へ引き戻されたかのような感じです。
●1つめのお寺


まず運ちゃんが連れて行ってくれたのが、この立派な寺院です。名前は失念…。明らかにタイの寺院とは建築様式が異なり、中央の塔から四方へ4本の棟が伸びているような造りでして、その屋根は重層的であり、しかも屋根に施された細工が実に繊細で、思わず目を奪われます。入国早々に当地のロクデモナイ雰囲気や低い経済力を目にしていたので、正直なところ、国境の田舎町にこんな荘厳で秀麗な建築物があるとは想像だにしていませんでした。



本堂の前に居座る物乞いのお婆ちゃん(画像左端)のしつこさに辟易しながら中へ入りますと、国境付近の喧騒とは無縁の静謐が支配する堂内にはキンピカに輝く仏壇や仏像が祀られており、高い天井や内壁など装飾もそれなりに立派なのですが、なぜか仏壇にはLEDの安っぽい電飾が、「魅せられて」のジュディ・オングの衣装みたいにぶら下げられており、せっかくのありがたい仏様が安っぽく見えてしまいました。
●シュエダゴン・パゴダ


1つ目の寺院を出たトゥクトゥクは、非力なエンジンを唸らせつつ、息せき切らせて止まりそうになりながら坂を登って、タチレクのランドマーク的存在であるシュエダゴン・パゴダへ。私は運ちゃんに1時間コースをお願いしましたが、それより短い時間の観光でもここは必ず訪れるようですね。金ピカの仏塔が雲一つない晴天の陽光を受けて、キラッキラに眩しく輝いていました。ちなみに膨よかな人形が担いでいる鐘を何回か鳴らすと幸せになるんだとか。でもそれを知ったのは帰国後でして、相変わらず私はうだつの上がらない毎日を送っております。余談ですけど、この人形の顔に似たお面って、むかし日本で流行ってませんでした?


入口付近では托鉢する坊さんの人形が並んでいるのですが、いずれも安っぽくて没個性で不気味。夜中に見たら怖いでしょうね。しかもその容貌は何故かみんな故成田三樹夫にソックリ。合掌しながらで良いから、往年のドラマ「探偵物語」


清浄なる仏塔のまわりは土足厳禁ですので、参詣客は手前で靴を脱ぐわけですが、何かにつけてすぐ小銭を絞り取ろうとするのが貧しい国らしいところであり、その靴棚には「2バーツ」と掲示されていました。尤も、特定のスタッフがいるわけでもなく、結構いい加減ですので、私は適当に監視をかわして…(以下省略)。また下足場の前では小学生や中学生くらいの女の子達がお供えの花を立ち売りしており、紳士な観光客はみなさん笑顔で彼女たちから花を買っていましたが、特に興味のない私は見て見ぬふりをして先へと向かいます。

労働に勤しむ女の子達がほっぺに塗っているのは日除けのために木をすりつぶしたものでして、その名をタナカというんだとか。中高年の日本人団体客がその名を知ったら、間違いなく同行のガイドさんに「スズキは無いの?」とか「サトウって言うのかぁ」なんて面倒臭いボケをかまして、ガイドさんの眉間に深い皺を刻みそうです。実際にミャンマーでそのような不毛なやり取りが何度も繰り広げられたことは想像に難くありません。ちなみにこのタナカはてっきり子供だけが観光客に見せるために塗っているのかと思っていたのですが、この後に街中を散歩していたら、観光とは全く関係のない生活臭溢れる場所でも、老いも若きも女性の多くはこのタナカを塗っており、日常生活には欠かせないものであることを知りました。おかげさまで脳みそに皺が一本増えました。


金ピカの丸い仏塔の周囲には、一週間の各曜日に応じた仏様か神様かが祀られており、自分の生まれた曜日のところでお祈りをすると良いんだとか。先程の少女たちが売っていたお花はここで供えるんですね。この時も熱心にお祈りする信心深い方を見かけましたが、私は自分の生まれた曜日なんて知りませんから、ただボンヤリと眺めるほかありません。というか、日本人で自分の生まれた曜日を知っている人なんて、四柱推命を信じる人以外、あまりいないような気がします。


パゴタの一帯は高台になっており、先ほど越えてきた国境付近やタイのメーサイ方面を一望できました。ちょっと霞んでいるものの、高い建物が無いので、結構遠くまで肉眼で眺望できましたよ。
その2へつづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます