※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。
現代社会から失われつつある風景を眺めてノスタルジックな気分に浸ることは、国内外問わず旅行の大きな動機であり、そこに異国情緒が加わると、より一層旅情が掻き立てられます。私が台湾観光をする上でも、この要素が非常に重要であり、温泉以外の各地を訪れる際には、大抵この概念が原動力になっています。
(上2枚の画像は台南市・七股塩田)
台湾南部の台湾海峡側には、かつて塩田が多く存在していたんだそうですが、さすがに今では殆ど廃れ、その一部が観光施設として残されているにすぎません。台南市の七股塩田は塩田跡地を観光地として転用した典型例であり、巨大な塩の山が特徴的ですが、塩田というよりも広大なレジャー施設と言うべきであり、構内には観光体験用のミニ塩田がちょこんとあるものの、本当にここで製塩が行われていたのか、疑わしくなるほどかつての姿は残っていません。
(上2枚の画像は北門地区の中心部。製塩工場跡と水晶教会)
同じく台南市の北門地区もかつて塩田で栄えた街のひとつであり、昔日の面影を残す古い製塩施設を中心に、今では多くのツーリストが集まる観光地として賑わっていますが、やはりここもカラフルな店舗や水晶の教会、そして現代アートなどが並び、大型観光バスに乗ってくる大陸からの観光客も大挙してくるため、あまりに観光色が強すぎて、製塩が行われていた時代を偲ぶことは現実的に難しくなっています。
そんな観光地化された北門地区の中心部から南西へ2~3km進んだ海岸沿いにある井仔脚には、昔ながらの製塩を偲ばせてくれる風景があると聞き、車で実際に行ってみることにしました。なんでも、台湾でも屈指の歴史を誇る塩田なんだとか。
北門地区のビジターセンターから路傍の標識に導かれること数分で井仔脚集落に到着しました。集落の中央部には広い駐車場が整備されており、それに面して塩田のエントランスも設けられています。入口に立つモニュメントは白い三角形に象られているのですが、これが何を意味しているのかは、この場に来れば一目瞭然。田んぼのように仕切られた各塩田の中央に、塩の山が築かれていたのでした。
編み笠をかぶって頬っ被りをしているおばちゃんが、塩田に入って内部をレーキで均していました。はたから見ていると、同じところを何度も繰り返し均しているように見えたのですが、ちゃんと意味があってそのような作業を繰り返しているのか、はたまた観光客に喜んでもらえる風景を作り出すべく、製塩作業を再現している小芝居に過ぎないのか…。
ま、そんな詮索はともかく、この井仔脚は北門地区に初めてできた塩田であるらしく、その歴史は清朝の嘉慶年間(1796~1820年)にまで遡るんだとか。しかも現存する最古の瓦盤塩田でもあるんだそうです。この度の訪問で私も初めて知ったのですが、瓦盤塩田とは文字通り、畦で仕切った塩田の上に割れた瓦の破片を敷き詰め、そこに海水を入れて塩の池を作り、天日乾燥により瓦の上で塩を結晶化させるという、説明を聞いただけでも明らかに古典的でアナログとわかるような製塩方法なんだそうです。
塩田の隅っこには鉄鋼製の無骨な展望台が建てられていましたので、その上に昇って塩田を俯瞰してみました。今では観光用に製塩しているにすぎないので、白い山を築き上げている塩田は、画角の幅が狭い私の安物デジカメでも全容が収まっちゃうくらいに小規模なのですが、観光施設としての余計な構造物が少なく、塩田を守る堤防の向こう側は台湾海峡の海原なので、かつての製塩風景を偲ぶには十分なほど、長閑で懐古的な風景が広がっていました。台湾ではこれまでいくつかの塩田跡に行きましたが、この井仔脚が最も「THE 塩田!」って感じがして、大変気に入りました。
ネット上の情報によれば、ここは夕陽が大変美しいのだそうです。畦に囲まれた塩田の塩水は、波打つことなく鏡面のように赤い夕陽を映すのでしょうね。それこそ南米ボリビアのウユニ塩湖を彷彿とさせてくれるのかもしれませんが、あいくにこの日は冷たい風を伴う雨に見舞われ、防寒と防滴ばかりに気をとられて、夕陽どころではありませんでした。
海水が薄く張られている塩田内には、かつては本当に瓦の破片が敷き詰められていたのでしょうけど、さすがに瓦のままでは滑って怪我しやすいでしょうから、いまでは石のような角の丸いものが敷き詰められていました。そうした塩田の一つ一つを囲む畦は赤いレンガが積まれており、一部区間はその上を歩くことができます。雨脚が強くなって訪れていた観光客がみんな帰っていってしまう中、私は一人で傘をさしながらこのレンガの畔道を進んでいき、奥の方から塩田の光景をぼんやり眺めていました。鉛色の重たい雲が立ち込める中、冷たい雨に打たれて小さな波紋を無数に広げる塩田は哀愁たっぷりです。
このレンガの畦道の途中には、塩田へ海水を入れる羽根のような水車がいくつも並んでいました。水車の横にある踏み板を足で踏んで、羽根を回転させて海水を汲み入れるわけですね。もっともこれは観光客向けの体験用水車であり、普段は人力なんかに頼っていられないため、並行してポンプによる給排水が行われていました。
観光用の塩田ですから、ただ見学するだけではなく、体験することも重要であります。とはいえ私は一切体験しておりませんが、一部の区画では観光客が実際に塩田の中に入って、レーキで均したり、あるいは掻き集めたりと、諸々の作業を体験することができるんですね。実際に上画像の区画では、体験作業で使われたとおぼしきレーキやもっこ、天秤棒が置かれており、塩の山が崩されていました。私が訪れる数時間までは天候が持ち堪えていましたから、それまでは、おそらくこうした作業具によって観光客たちが楽しんでいたに違いありません。あぁ、羨ましいなぁ。雨男の自分が恨めしい…。
構内の一角には飲食店や売店などが並んでおり、その前には粗い結晶の塩が山になってコンモリと積み上げられていました。案内板によれば、(駐車場に面している)興安宮という廟で入手できる専用袋に、一人一袋分だけここから塩を詰め込んで持ち帰れるんだそうです。でもこの塩は食用不可とのこと。野晒しにしている塩だから、そりゃたしかに御尤もなのですけど、でも食用に使えないのならば、一袋分のお塩って他にどんな用途があるのかな。まさか工業用に使うわけにもいかないので、なめくじを退治しましょうか? あるいは玄関に撒いて厄払いでもしましょうか?
エントランスの前には台南名物の養殖魚であるサバヒー(虱目魚)の干物が、テントの軒先で吊り下げられていました。塩も魚も海の恵み。いかにも漁村らしい光景がとてもフォトジェニックです。そういえば今年の冬に台湾全土を包み込んだ記録的な寒さは、各地で非常に珍しい雪景色をもたらした反面、台南の養殖サバヒーは海水の冷え込みに耐えられず壊滅的な被害を受けたそうですね。サバヒーは私の好物でもあるので、今後の状況がちょっと心配です。
バス停には手作り感たっぷりの待合い小屋が設けられており、ベンチの背もたれの上には、まるでレースのカーテンのように、牡蠣の白い殻がたくさん吊り下げられていました。また、停留所名として「井仔」の後に足跡のマークが描かれているのですが、これは言わずもがな井仔脚の「脚」を意味しているわけですね。
塩田からちょっと離れた集落には、まるで老街のようなレンガの古い民家が立ち並んでおり、雨に濡れてしっとりとした漁村の風景の中に立ち止まると、まるで自分が塩田現役の時代にタイムスリップしたかのような気分に浸れました。
台湾海峡は大陸側と台湾側で地形がはっきり分かれているのが大きな特徴であり、大陸側は岩石質の地形が複雑に入り組んだ海岸線であるのに対し、台湾側は遠浅の砂浜が延々と続き、潟や砂丘が点々としています。ここもそんな地形の典型例ですから、それゆえ塩田が作りやすかったのでしょうね。かつての塩田跡とおぼしき干潟ではサギの群れが真っ白い羽根を休めていました。ここは塩田としてのみならず、バードウオッチングの地としても有名なんだそうです。
塩田を護る堤防の直下には養魚場があり、堤防の向こう側に広がる台湾海峡の海原にも養殖用とおぼしき網が組まれていました。
台湾の東側に広がる太平洋は、いかにも南国の海らしく、眩しい太陽と真っ青な大海原が似合っていますが、一方で西側の台湾海峡は、遠浅の泥海に昔からの人間の生活が色濃く染み込んでいる、とても人間臭い海なんですね。台湾は九州ほどの小さな島ですが、その両岸で面する海は全く様相を異にしているため、双方を比較すると実に面白く、関心が尽きません。九州で例えるなら、東側は日向灘で、西側は有明海といったところでしょうか。この井仔脚塩田は、そんな人間臭さが懐かし景色の中に凝縮された、とっても素敵なスポットでした。
台南市北門区井仔脚 地図
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現代社会から失われつつある風景を眺めてノスタルジックな気分に浸ることは、国内外問わず旅行の大きな動機であり、そこに異国情緒が加わると、より一層旅情が掻き立てられます。私が台湾観光をする上でも、この要素が非常に重要であり、温泉以外の各地を訪れる際には、大抵この概念が原動力になっています。
(上2枚の画像は台南市・七股塩田)
台湾南部の台湾海峡側には、かつて塩田が多く存在していたんだそうですが、さすがに今では殆ど廃れ、その一部が観光施設として残されているにすぎません。台南市の七股塩田は塩田跡地を観光地として転用した典型例であり、巨大な塩の山が特徴的ですが、塩田というよりも広大なレジャー施設と言うべきであり、構内には観光体験用のミニ塩田がちょこんとあるものの、本当にここで製塩が行われていたのか、疑わしくなるほどかつての姿は残っていません。
(上2枚の画像は北門地区の中心部。製塩工場跡と水晶教会)
同じく台南市の北門地区もかつて塩田で栄えた街のひとつであり、昔日の面影を残す古い製塩施設を中心に、今では多くのツーリストが集まる観光地として賑わっていますが、やはりここもカラフルな店舗や水晶の教会、そして現代アートなどが並び、大型観光バスに乗ってくる大陸からの観光客も大挙してくるため、あまりに観光色が強すぎて、製塩が行われていた時代を偲ぶことは現実的に難しくなっています。
そんな観光地化された北門地区の中心部から南西へ2~3km進んだ海岸沿いにある井仔脚には、昔ながらの製塩を偲ばせてくれる風景があると聞き、車で実際に行ってみることにしました。なんでも、台湾でも屈指の歴史を誇る塩田なんだとか。
北門地区のビジターセンターから路傍の標識に導かれること数分で井仔脚集落に到着しました。集落の中央部には広い駐車場が整備されており、それに面して塩田のエントランスも設けられています。入口に立つモニュメントは白い三角形に象られているのですが、これが何を意味しているのかは、この場に来れば一目瞭然。田んぼのように仕切られた各塩田の中央に、塩の山が築かれていたのでした。
編み笠をかぶって頬っ被りをしているおばちゃんが、塩田に入って内部をレーキで均していました。はたから見ていると、同じところを何度も繰り返し均しているように見えたのですが、ちゃんと意味があってそのような作業を繰り返しているのか、はたまた観光客に喜んでもらえる風景を作り出すべく、製塩作業を再現している小芝居に過ぎないのか…。
ま、そんな詮索はともかく、この井仔脚は北門地区に初めてできた塩田であるらしく、その歴史は清朝の嘉慶年間(1796~1820年)にまで遡るんだとか。しかも現存する最古の瓦盤塩田でもあるんだそうです。この度の訪問で私も初めて知ったのですが、瓦盤塩田とは文字通り、畦で仕切った塩田の上に割れた瓦の破片を敷き詰め、そこに海水を入れて塩の池を作り、天日乾燥により瓦の上で塩を結晶化させるという、説明を聞いただけでも明らかに古典的でアナログとわかるような製塩方法なんだそうです。
塩田の隅っこには鉄鋼製の無骨な展望台が建てられていましたので、その上に昇って塩田を俯瞰してみました。今では観光用に製塩しているにすぎないので、白い山を築き上げている塩田は、画角の幅が狭い私の安物デジカメでも全容が収まっちゃうくらいに小規模なのですが、観光施設としての余計な構造物が少なく、塩田を守る堤防の向こう側は台湾海峡の海原なので、かつての製塩風景を偲ぶには十分なほど、長閑で懐古的な風景が広がっていました。台湾ではこれまでいくつかの塩田跡に行きましたが、この井仔脚が最も「THE 塩田!」って感じがして、大変気に入りました。
ネット上の情報によれば、ここは夕陽が大変美しいのだそうです。畦に囲まれた塩田の塩水は、波打つことなく鏡面のように赤い夕陽を映すのでしょうね。それこそ南米ボリビアのウユニ塩湖を彷彿とさせてくれるのかもしれませんが、あいくにこの日は冷たい風を伴う雨に見舞われ、防寒と防滴ばかりに気をとられて、夕陽どころではありませんでした。
海水が薄く張られている塩田内には、かつては本当に瓦の破片が敷き詰められていたのでしょうけど、さすがに瓦のままでは滑って怪我しやすいでしょうから、いまでは石のような角の丸いものが敷き詰められていました。そうした塩田の一つ一つを囲む畦は赤いレンガが積まれており、一部区間はその上を歩くことができます。雨脚が強くなって訪れていた観光客がみんな帰っていってしまう中、私は一人で傘をさしながらこのレンガの畔道を進んでいき、奥の方から塩田の光景をぼんやり眺めていました。鉛色の重たい雲が立ち込める中、冷たい雨に打たれて小さな波紋を無数に広げる塩田は哀愁たっぷりです。
このレンガの畦道の途中には、塩田へ海水を入れる羽根のような水車がいくつも並んでいました。水車の横にある踏み板を足で踏んで、羽根を回転させて海水を汲み入れるわけですね。もっともこれは観光客向けの体験用水車であり、普段は人力なんかに頼っていられないため、並行してポンプによる給排水が行われていました。
観光用の塩田ですから、ただ見学するだけではなく、体験することも重要であります。とはいえ私は一切体験しておりませんが、一部の区画では観光客が実際に塩田の中に入って、レーキで均したり、あるいは掻き集めたりと、諸々の作業を体験することができるんですね。実際に上画像の区画では、体験作業で使われたとおぼしきレーキやもっこ、天秤棒が置かれており、塩の山が崩されていました。私が訪れる数時間までは天候が持ち堪えていましたから、それまでは、おそらくこうした作業具によって観光客たちが楽しんでいたに違いありません。あぁ、羨ましいなぁ。雨男の自分が恨めしい…。
構内の一角には飲食店や売店などが並んでおり、その前には粗い結晶の塩が山になってコンモリと積み上げられていました。案内板によれば、(駐車場に面している)興安宮という廟で入手できる専用袋に、一人一袋分だけここから塩を詰め込んで持ち帰れるんだそうです。でもこの塩は食用不可とのこと。野晒しにしている塩だから、そりゃたしかに御尤もなのですけど、でも食用に使えないのならば、一袋分のお塩って他にどんな用途があるのかな。まさか工業用に使うわけにもいかないので、なめくじを退治しましょうか? あるいは玄関に撒いて厄払いでもしましょうか?
エントランスの前には台南名物の養殖魚であるサバヒー(虱目魚)の干物が、テントの軒先で吊り下げられていました。塩も魚も海の恵み。いかにも漁村らしい光景がとてもフォトジェニックです。そういえば今年の冬に台湾全土を包み込んだ記録的な寒さは、各地で非常に珍しい雪景色をもたらした反面、台南の養殖サバヒーは海水の冷え込みに耐えられず壊滅的な被害を受けたそうですね。サバヒーは私の好物でもあるので、今後の状況がちょっと心配です。
バス停には手作り感たっぷりの待合い小屋が設けられており、ベンチの背もたれの上には、まるでレースのカーテンのように、牡蠣の白い殻がたくさん吊り下げられていました。また、停留所名として「井仔」の後に足跡のマークが描かれているのですが、これは言わずもがな井仔脚の「脚」を意味しているわけですね。
塩田からちょっと離れた集落には、まるで老街のようなレンガの古い民家が立ち並んでおり、雨に濡れてしっとりとした漁村の風景の中に立ち止まると、まるで自分が塩田現役の時代にタイムスリップしたかのような気分に浸れました。
台湾海峡は大陸側と台湾側で地形がはっきり分かれているのが大きな特徴であり、大陸側は岩石質の地形が複雑に入り組んだ海岸線であるのに対し、台湾側は遠浅の砂浜が延々と続き、潟や砂丘が点々としています。ここもそんな地形の典型例ですから、それゆえ塩田が作りやすかったのでしょうね。かつての塩田跡とおぼしき干潟ではサギの群れが真っ白い羽根を休めていました。ここは塩田としてのみならず、バードウオッチングの地としても有名なんだそうです。
塩田を護る堤防の直下には養魚場があり、堤防の向こう側に広がる台湾海峡の海原にも養殖用とおぼしき網が組まれていました。
台湾の東側に広がる太平洋は、いかにも南国の海らしく、眩しい太陽と真っ青な大海原が似合っていますが、一方で西側の台湾海峡は、遠浅の泥海に昔からの人間の生活が色濃く染み込んでいる、とても人間臭い海なんですね。台湾は九州ほどの小さな島ですが、その両岸で面する海は全く様相を異にしているため、双方を比較すると実に面白く、関心が尽きません。九州で例えるなら、東側は日向灘で、西側は有明海といったところでしょうか。この井仔脚塩田は、そんな人間臭さが懐かし景色の中に凝縮された、とっても素敵なスポットでした。
台南市北門区井仔脚 地図
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