今日の播磨には寒風が吹いてしばれた、そんな中、小生、加古川の街を抜け、大川橋を西岸に渡り、久しぶりに加古川河川敷のマラソンコースに降りた、スロージョギングしながら南下して、加古川河口に広がる向島公園の中にある高砂市青年の家へ急いだ、そこで行われる第九特別練習に参加するためだ、強風にあおられて川面一面には白波が立っていた、22km地点に来ると、懐かしい“古新堰堤(こしん えんてい)”に差し掛かった!この堰堤は河口より3.8km地点に設置された加古川最下流部の河川構造物である、播磨灘からの塩水遡上防止と防潮のために1929(昭和4)年に起工し、その翌年に竣工したものである!・・・
更に南下して明姫幹線の下をくぐり、新幹線をくぐり、24km地点の高砂折り返しから堤防へ登り、山陽電車の下をくぐり、相生橋西詰交差点を越え河口から2km地点を過ぎ、河口から1km地点を過ぎると、向島公園の松並木が見えてくる、堤防の右下の道路脇に広がる向島野球場2面がある、そのスタンドのある方のメインスタジアムでは少年野球大会の試合が真っ最中で、多くの観客が押し掛け賑わっていた、もう一つのフィールドでは社会人野球の試合が行われていたが、シ~~~んとしていた!小生も昔ここで、シスメックス野球部の一員として、東播リーグの試合で何度かプレイしたことがある!・・・
そのすぐ南隣に宿泊と研修施設を兼ねた三階建ての“高砂市青年の家”の建物が立つ敷地が広がっている、練習会場となっている建物1階の体育室に入ると午後の練習が既に始まっていた、フーガのパートをやっていた、直ぐ練習の席に着いた、2回のお茶休憩を挟んで4時までロッペル・フーガーを中心に練習が続けられた、今日の出席率は良く、午前と午後を合わ70名近くが参加していたようである、午前には神田氏の東京リサイタルの収録DVDが流されたようである、観れなくて残念!最後にDからTまで通してすべてのセッションを終えた、会場のあと片付けを済ましてから、更に風が強くなった寒空の下を家路に着いた、まだ夜7時の満潮まで3時間近くもあるのに、河口からザザザザザ~~~!と音を立てながら大きな波が遡上していた!南の海に向かって沈んでいく夕日が升田水路に美しく映えていた、今日は往復22kmを稼いだ!・・・
花燃ゆに少し触れておこう、ペリー提督から通訳を通して寅之助と重之輔の二人に、『アメリカ渡航のチャンスは近い内に友好条約が結ばれ、必ずやって来る、その時が熟すまで待て!』と 忠告があった、二人はアメリカ艦隊のボートで下田・福浦の浜まで送還され自由の身とされた、福浦の庄屋の家に頼ったところ怪しいと疑われ下田奉行の同心に捕らえられ、江戸へ護送された、北町奉行で取り調べを受けたうえ伝馬町の牢に入れられた、国禁を破った二人は死罪になるところを、またもや長州藩の温情を受け、萩へ送還された、そして武士階級の寅次郎は、一応、独房になっているが、扉には施錠されておらず、出入りが自由になっていて、長屋の一角を思わせるような開けた野山獄に入れられた、人の良さそうな司獄を務める福川犀之助(さいのすけ)と見張りが数人いるぐらいなもんだ、一方、足軽の金子家に養子に行った士分以下の金子重之輔は、野山獄から直ぐ目の前にある過酷な環境の岩倉獄に収監され、皮膚病から肺炎を併発して享年24歳で亡くなった!・・・
今夜、花燃ゆ第6話“女囚(じょしゅう)の秘密”を観た、安政2年(1855)1月頃のことだった、野山獄には高須久子という紅一点の女囚(じょしゅう)がいた、彼女は330石の高禄を摂る高須家の跡取りであった、婿養子の夫を貰ったが早死にされた、二人の間には年頃の糸と云う一人の娘がいた、夫の死後、歌舞音曲(かぶおんぎょく)好きの彼女は、寂しさを紛らすために、浄瑠璃芸人とうつつをぬかし不義・密通を犯し、親族から訴えられて投獄されていた、短歌・俳句の知識を通して寅次郎と懇意にしていた、寅次郎が彼女の父の菩提をともらうため、父の遺品が欲しいと云う願いを聞き入れ、兄の梅太郎を通して、文に久子の家を訪れてくれんかと頼んだ、しかし、文と弟・敏三郎の再三にわたる訪問にもかかわらず、母・久子を憎む娘の高須糸はその願いを拒絶した!・・・
この獄でも、孟子(紀元前372~紀元前289年、性善説の思想を説く古代中国の儒学者)の儒教の教えを紐解く塾長の様になって寅次郎は、人の心を読めるリーダー的存在となり、囚人たちの良き相談相手になっていた、さて、この高須久子と糸の母娘を含めて、在獄最長の大深虎之丞(おおぶか とらのすけ)、どんな状況でも生きる希望を失わない達筆な古参・富永有燐(ゆうりん)、在獄5年で俳諧に通ずる吉村善作、在獄17年の弘中勝之進、在獄4年で赤鼻の志道(しじ)又三郎、在獄7年の井上喜左衛門、同じく在獄7年の河野数馬等、囚人たちのドラマ展開も楽しみである!寅よ、もうこれ以上、問題を起こさんでくれ~~~!・・・
今夜、花燃ゆ6話の中に、小生が感動した野山獄の一場面があったので 記しておくことにした・・・文が野山獄を訪れ、母・滝が作った一対のおじゃみ(お手玉)を高須久子のために差し入れてくれた、久子はそれを気に入って良く興じていた、だが、ある日、久子はそれを棄て、囚人の一人、確か、吉村が拾っていた、富永が怒って言った「何故じゃ、吉田殿の妹御(いもうとご)から頂いた心づくしの品を粗末にするとは!」、寅次郎が久子に駆け寄り訊いた『お聞かせください、私には手放せない大切なものがある、なのに、貴女は大切だから捨てたという?何故、貴女はその様な事が出来たんじゃ?』、久子「獄に繋がれた時、私に言い聞かせました、二度と求めてはいけないと、美しいものも、楽しいものも、全て、娘とも決して逢わぬつもりでした!でも・・・」、大深「逢われたではないか?諦めて背を向けていた者に?巡りおうたではないか?」・・・
久子「娘は私を憎いと言いました、その言葉を聞いた時、初めて分かったのです、生きて傷つくことも、償(つぐな)いではないかと!」、寅『孟子はこう言われました、“万物、皆、我に賜(たま)わる、身を顧みて、誠あらば、楽しみ、これより大なるはなし!”つまり、全ての感情は元々、人の本性の中に備わっているものである、悲しみや、悪だけではない、善もまたしかり、喜びもまたしかり!一生、獄の中にあろうと、心を磨き、己の心に目を凝(こ)らし、誠を持ってせば、人は生まれ変わることが出来る!』、富永が怒鳴った「幻(まぼろし)を申すな!」、寅『幻などではない!現にこのじゃみを手にして高須殿は変わられた!文が差し入れた筆を手にして、富永殿は変わられたではないか?』・・・
寅は他の囚人達に向かっても続けた『皆は如何です?鳥は?トカゲは鳥が見えん!花は?トカゲは花を匂う!心にそれを感じたのであれば、それは幻などではない!人は変わるんです!』、寅は捨てたジャミを久子に返してつづけた『己の心から目をそむけてはいけん!』、在獄最古参の大深が言った「そうじゃ!お前はなかなか、ええことを言う!続けろ、お主の話をもっと聞きたい!今年で在獄48年目、今日は誠に愉快である!アッハッハ~~~!」、あっっははは~~~!司獄の福川も、見張り役人達も、獄人全員が心の底から笑った、すると、何と寅次郎を忌み嫌っていた富永が、自分が大切にしていた“孟子論語集注(注釈本)”を寅次郎に差し出したではないか!感激(ノД`)・゜・。・・・