Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

加古川第九・日曜特別セッション開催される! 2015年2月8日

2015-02-08 20:46:06 | 日記・エッセイ・コラム

今日の播磨には寒風が吹いてしばれた、そんな中、小生、加古川の街を抜け、大川橋を西岸に渡り、久しぶりに加古川河川敷のマラソンコースに降りた、スロージョギングしながら南下して、加古川河口に広がる向島公園の中にある高砂市青年の家へ急いだ、そこで行われる第九特別練習に参加するためだ、強風にあおられて川面一面には白波が立っていた、22km地点に来ると、懐かしい“古新堰堤(こしん えんてい)”に差し掛かった!この堰堤は河口より3.8km地点に設置された加古川最下流部の河川構造物である、播磨灘からの塩水遡上防止と防潮のために1929(昭和4)年に起工し、その翌年に竣工したものである!・・・

      

更に南下して明姫幹線の下をくぐり、新幹線をくぐり、24km地点の高砂折り返しから堤防へ登り、山陽電車の下をくぐり、相生橋西詰交差点を越え河口から2km地点を過ぎ、河口から1km地点を過ぎると、向島公園の松並木が見えてくる、堤防の右下の道路脇に広がる向島野球場2面がある、そのスタンドのある方のメインスタジアムでは少年野球大会の試合が真っ最中で、多くの観客が押し掛け賑わっていた、もう一つのフィールドでは社会人野球の試合が行われていたが、シ~~~んとしていた!小生も昔ここで、シスメックス野球部の一員として、東播リーグの試合で何度かプレイしたことがある!・・・

          

そのすぐ南隣に宿泊と研修施設を兼ねた三階建ての“高砂市青年の家”の建物が立つ敷地が広がっている、練習会場となっている建物1階の体育室に入ると午後の練習が既に始まっていた、フーガのパートをやっていた、直ぐ練習の席に着いた、2回のお茶休憩を挟んで4時までロッペル・フーガーを中心に練習が続けられた、今日の出席率は良く、午前と午後を合わ70名近くが参加していたようである、午前には神田氏の東京リサイタルの収録DVDが流されたようである、観れなくて残念!最後にDからTまで通してすべてのセッションを終えた、会場のあと片付けを済ましてから、更に風が強くなった寒空の下を家路に着いた、まだ夜7時の満潮まで3時間近くもあるのに、河口からザザザザザ~~~!と音を立てながら大きな波が遡上していた!南の海に向かって沈んでいく夕日が升田水路に美しく映えていた、今日は往復22kmを稼いだ!・・・

  

花燃ゆに少し触れておこう、ペリー提督から通訳を通して寅之助と重之輔の二人に、『アメリカ渡航のチャンスは近い内に友好条約が結ばれ、必ずやって来る、その時が熟すまで待て!』と 忠告があった、二人はアメリカ艦隊のボートで下田・福浦の浜まで送還され自由の身とされた、福浦の庄屋の家に頼ったところ怪しいと疑われ下田奉行の同心に捕らえられ、江戸へ護送された、北町奉行で取り調べを受けたうえ伝馬町の牢に入れられた、国禁を破った二人は死罪になるところを、またもや長州藩の温情を受け、萩へ送還された、そして武士階級の寅次郎は、一応、独房になっているが、扉には施錠されておらず、出入りが自由になっていて、長屋の一角を思わせるような開けた野山獄に入れられた、人の良さそうな司獄を務める福川犀之助(さいのすけ)と見張りが数人いるぐらいなもんだ、一方、足軽の金子家に養子に行った士分以下の金子重之輔は、野山獄から直ぐ目の前にある過酷な環境の岩倉獄に収監され、皮膚病から肺炎を併発して享年24歳で亡くなった!・・・

今夜、花燃ゆ第6話“女囚(じょしゅう)の秘密”を観た、安政2年(1855)1月頃のことだった、野山獄には高須久子という紅一点の女囚(じょしゅう)がいた、彼女は330石の高禄を摂る高須家の跡取りであった、婿養子の夫を貰ったが早死にされた、二人の間には年頃の糸と云う一人の娘がいた、夫の死後、歌舞音曲(かぶおんぎょく)好きの彼女は、寂しさを紛らすために、浄瑠璃芸人とうつつをぬかし不義・密通を犯し、親族から訴えられて投獄されていた、短歌・俳句の知識を通して寅次郎と懇意にしていた、寅次郎が彼女の父の菩提をともらうため、父の遺品が欲しいと云う願いを聞き入れ、兄の梅太郎を通して、文に久子の家を訪れてくれんかと頼んだ、しかし、文と弟・敏三郎の再三にわたる訪問にもかかわらず、母・久子を憎む娘の高須糸はその願いを拒絶した!・・・

この獄でも、孟子(紀元前372~紀元前289年、性善説の思想を説く古代中国の儒学者)の儒教の教えを紐解く塾長の様になって寅次郎は、人の心を読めるリーダー的存在となり、囚人たちの良き相談相手になっていた、さて、この高須久子と糸の母娘を含めて、在獄最長の大深虎之丞(おおぶか とらのすけ)、どんな状況でも生きる希望を失わない達筆な古参・富永有燐(ゆうりん)、在獄5年で俳諧に通ずる吉村善作、在獄17年の弘中勝之進、在獄4年で赤鼻の志道(しじ)又三郎、在獄7年の井上喜左衛門、同じく在獄7年の河野数馬等、囚人たちのドラマ展開も楽しみである!寅よ、もうこれ以上、問題を起こさんでくれ~~~!・・・

今夜、花燃ゆ6話の中に、小生が感動した野山獄の一場面があったので 記しておくことにした・・・文が野山獄を訪れ、母・滝が作った一対のおじゃみ(お手玉)を高須久子のために差し入れてくれた、久子はそれを気に入って良く興じていた、だが、ある日、久子はそれを棄て、囚人の一人、確か、吉村が拾っていた、富永が怒って言った「何故じゃ、吉田殿の妹御(いもうとご)から頂いた心づくしの品を粗末にするとは!」、寅次郎が久子に駆け寄り訊いた『お聞かせください、私には手放せない大切なものがある、なのに、貴女は大切だから捨てたという?何故、貴女はその様な事が出来たんじゃ?』、久子「獄に繋がれた時、私に言い聞かせました、二度と求めてはいけないと、美しいものも、楽しいものも、全て、娘とも決して逢わぬつもりでした!でも・・・」、大深「逢われたではないか?諦めて背を向けていた者に?巡りおうたではないか?」・・・

久子「娘は私を憎いと言いました、その言葉を聞いた時、初めて分かったのです、生きて傷つくことも、償(つぐな)いではないかと!」、寅『孟子はこう言われました、“万物、皆、我に賜(たま)わる、身を顧みて、誠あらば、楽しみ、これより大なるはなし!”つまり、全ての感情は元々、人の本性の中に備わっているものである、悲しみや、悪だけではない、善もまたしかり、喜びもまたしかり!一生、獄の中にあろうと、心を磨き、己の心に目を凝(こ)らし、誠を持ってせば、人は生まれ変わることが出来る!』、富永が怒鳴った「幻(まぼろし)を申すな!」、寅『幻などではない!現にこのじゃみを手にして高須殿は変わられた!文が差し入れた筆を手にして、富永殿は変わられたではないか?』・・・

寅は他の囚人達に向かっても続けた『皆は如何です?鳥は?トカゲは鳥が見えん!花は?トカゲは花を匂う!心にそれを感じたのであれば、それは幻などではない!人は変わるんです!』、寅は捨てたジャミを久子に返してつづけた『己の心から目をそむけてはいけん!』、在獄最古参の大深が言った「そうじゃ!お前はなかなか、ええことを言う!続けろ、お主の話をもっと聞きたい!今年で在獄48年目、今日は誠に愉快である!アッハッハ~~~!」、あっっははは~~~!司獄の福川も、見張り役人達も、獄人全員が心の底から笑った、すると、何と寅次郎を忌み嫌っていた富永が、自分が大切にしていた“孟子論語集注(注釈本)”を寅次郎に差し出したではないか!感激(ノД`)・゜・。・・・

 

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オカナガンの近況報告! 2015年2月6日

2015-02-06 10:36:13 | 日記・エッセイ・コラム

先ほど居間で“よ~~いどん”を観ながらストレッチをしていると、10時25分過ぎに、テレビ画面に赤字で地震の警戒警報の表示と警戒音が流れた!その1秒後、一揺れグラッときた!徳島県牟岐(むぎ)町深さ10キロを震源地とする徳島県南部を襲う地震があった!幸い津波の心配はなく、震度が5強、マグニチュード5.0のそんなに大きな地震ではなく大事なかった!佐田岬の根っこ、愛媛・西宇和郡にある四国電力・伊方原発にも何ら影響は及ばなかった、しかし、この原発も日本列島を走る巨大な活断層“中央構造線”に乗っかり危険だ、再稼働せず、とにかく一日も早く日本列島からすべての原発がなくなって欲しい!因みに加古川の震度は震度1の揺れであった・・・

1月29日午前11時30分に西加古川市民病院の診察室Bの検査室に入り、検査技師の視力、眼圧などの測定のあと、暗室に待ち受ける外来検査を担当する下山医師による精密検査が始まった、小生の右目眼底撮影と10層になっている網膜の断層撮影する精密検査が施された、そのあと、下山主治医から“網膜中心静脈閉塞症(CRVO:Central Retinal Vein Occlusion)”と小生の診断が下った、網膜の中心部に被写体の像が映る少しくぼみがある黄斑部があるが、そのすぐ下の視神経乳頭部から、 網膜中心静脈と網膜中心動脈が網膜内に入り、抹消の毛管血管までが10層の網膜に張り巡らされている、網膜内の出血・漏出の原因は何だろう?5.1だったHbA1cは、前立腺がん・抗男性モルモン治療の副作用のため大分上がっているが5.6で血糖値も97で正常値、糖尿病の疑いはないはずだ、血栓が詰まったのか?急激な血圧が上昇のためなのか?はたまたVEGF(Vascular Endothelial Growth Factor、血管内皮細胞増殖因子)の悪さからなのか?何らかの負荷が、外皮が薄くて弱い網膜中心静脈にかかって血液成分が黄斑部周辺に漏出したようだ!・・・

その漏れ出た血の成分汚れが、黒い陰でなく、白い霧の様なカスミとなって視野をぼやかしていたのである!それでも視力は0.5あった!眼圧は正常な15(20を超えると危険)であった、手術の前3日間、朝昼晩と消毒点眼液ベガモックスをさして、当病院の手術日に当たる水曜日、一昨日2月4日に、このCRVOの治療として、“アイリーア硝子体内注射液40mg/ml”を受けた、付き添い家族が多くいたので人数は定かでないが、患者は10人以上は居ただろうか、そのお仲間達と一緒に手術室前に集合した、二人づつ手術前室に呼ばれ点眼麻酔を受け、手術用キャップとオーバーオールを身に着けた、先の二人の注射が終わると手術室に案内され、一人づつ順番に手術台に座らされた、手術を受ける目に消毒・軟膏が施されてから、白目にブチュッ!グイグイグイ!と、CRVOの特効薬、Aflibercept VEGF Trap-Eye “Eylea”40mgが硝子体内に入り、ポァ~~と広がって行くのが観えた!・・・

この商品名”Eylea(アイリーア)”と呼ばれる特効薬は、バイエル薬品が2011年9月に、開発元、リジェネロン・ファーマシューテカル社からアメリカFDA(Food and Drug Administration)を通して、販売提携が承認されたものである、バイエル薬品は日本での治験を経て、つい最近、保険治療が承認されたばかりである、この薬の特徴は 、血管のない処に視野を遮(さえぎ)る新たな血管を形成しようとする新生血管形成因子“VEGF”の働きを抑え、白血球の1種であるマクロファージ(Macrophage、食細胞)の様に動き回り、スポンジの様にむくんで盛り上がった黄斑部周辺の網膜細胞内に貯まった水分を吸い取り消化し、もとの形に修正してくれる!・・・

またアイリーアは網膜細胞内を掃除機ルンバの様に動き回る掃除屋さんでもある、遊走性食細胞“アメーバー”が死んだ細胞とその破片、網膜細胞内に生じた変性物質や、侵入してきた細菌などの異物を食して消化してしまう清掃屋の役目を果たしてくれる!またアイリーアは、特に毛細血管の破れなどの外傷や炎症に対しては、抗原提示細胞となって免疫機能の中心的役割を果たしてくれる、視野のカスミの元になっている血漿などの血液成分の漏出によって汚染された汚れを捕食して取り除いてくれる優れものである!同じCRVOでも、発覚が遅くれて裸眼視力が弱くなった場合は、確か0.04以下では、回復の可能性が低く、このアイリーア注射を適用してもらえないようだ!CRVOの眼科診断が早ければ早いほど治りも良くなる!この貴重なCRVO特効薬アイリーア注射は、1本15万円もする高価なものであるが、市役所の医療保険課で国民健康保険限度額適用・標準負担額減額認定証を申請・承認されれば、1本8000円で治療できる!・・・

手術日の4日は入浴が禁じられ、眼帯をしていた、その夜、寝る前にガーゼを取り外し消毒点眼薬をさした、翌日5日から入浴が許され、7日までベガモックスを朝昼晩とさしている!昨日5日、担当医の書状の入った封筒を持って、行きつけの曾谷眼科医院に術後の検診をして貰ってきた、新たに断層写真を撮って観るっていと、何と、あんなにブヨブヨに変形していた黄斑部周辺の網膜が、完全に正常な形とは云えないまでも、水の空洞はなくなり全体が平らに修正されていた!あんなにトンガっていた黄斑部のクボミも緩やかなクボミに戻っていた!また大分、カスミが晴れて右目が見やすくなった!凄い、注射術後1日目と言うのに!・・・

この後の回復経過が楽しみだ、このあと2月19日に曾谷さんでもう一度、経過検査してもらい、3月6日に術後1か月検診に西市民病院に行くことになっている、回復経過によっては、『アイリーアもう1本いっとく?』となる、2,3回のアイリーア注射は普通のようである、今のところ、入院はなく、全て通院治療となるようである、小生、晩酌に350mlの発泡酒を1本、オンザロックにしてチビチビ頂く程度の酒量だが、1月23日、曾谷さんで出血が認められて以来、きっぱり禁酒している、このままずっと、禁酒しても差し支えは無い、今は通院も含めて競歩歩きで何処へでも行き、運動量を稼いでいる、良かった良かった!・・・

1月31日土曜日の朝、小生の蒲団の中で寝ていた愛犬サクラが、18年6か月の半生を終えて、静かに天に召されて逝った、本当にお疲れさんだったね、これからは千の風になって、大空を自由自在に駆け回って我々家族の歩みを見守ってね、その日1日は居間で白い毛布に包まれたサクラに花屋で買ってきた花束を手向けたてお通夜をした・・・

  

その日のうちに神戸市西区玉津にある神戸動物霊園に電話をかけ、翌日2月1日午前9時半から始まる葬儀の予約を取った、また霊前に飾るサクラの写真を2枚、パソコンから引き延ばして印画紙に印刷した、また以前、戌年の年賀状のためにサクラの姿を描いた絵をエプソンの印刷機でA4のサイズに焼きのばした、そして翌日、2月1日に斎場へ二人の息子と共に出向き、サクラのために手厚く葬儀を執り行い、サクラの遺体に最後の別れを告げた、焼却炉から出されたサクラの骨を丁寧に拾い上げ骨壺に納め、初七日を済ませて帰宅した・・・

          

その骨壺をサクラの居場所だった居間のコーナーテーブルに飾った!今でもサクラが居間に居るように思えてつい覗いてしまう!サクラ、我が家の家族となってくれて、ありがとう、サクラ・・・

 

2月3日火曜日、3月28日にアラベスクホールで本番を迎える加古川第九公演のエレクトーン奏者・神田将(ゆき)氏が 、東京で20周年リサイタルを終え、会場ステージの下見を兼ねて、練習会場の青女センターを訪れてくれた、立ち位置を変え乍ら練習を最後まで聴いていた、挨拶の中で、神田氏から、こんな話が明かされた、同時期に北京と上海での公演の話があったが、それを断ってまで、加古川第九公演に力を入れていることを!何としても500人の席を埋め、成功させねば・・・

小生、神田氏は写真から、漫才師・中川礼二に似た顔と体形を想像していたが、実物本人はスリムでダンディーでスタイリストのイケメンだった!練習終了後、近くのカフェ“明日香”で歓迎茶和会が開かれ小生も参加した、20人ほどの茶和会となり、自己紹介のあと、神田氏に色々質問して盛り上がった、小生も「エレクトーンは弦楽器、吹奏楽器、打楽器まで、フルオーケストラの音を出せると聞いてますが、そんなことは可能なのですか?』と尋ねた、すると『可能です!』と即答が帰って来た!エレクトーンにはいろんな楽器の音を前もってセット出来るから可能に成れるようだった!楽器には疎い小生だが、最新のモデル“Electone STAGEA”には、スタンダードでもカスタム・モデルでも上鍵盤49鍵+下鍵盤49鍵+ペダル鍵盤20鍵もあり、プロフェッショナル・モデルに至っては、上鍵盤61鍵+下鍵盤61鍵+ペダル鍵盤25鍵にもなるそうである!実にリハーサルと本場が楽しみだ!・・・

  

 

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