Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

IAAF世界陸上2007大阪大会2日目 2007年8月26日

2007-08-26 23:16:12 | 日記・エッセイ・コラム

2日目最初の種目、男子3000m障害がすでに気温36℃を超えた10時からTBSの中継が始まった、この炎天下のもとハードルを28回と水壕を7回も飛び越えなければならない相当過酷な格闘レースである、1組ではあまりの熱さに頭が朦朧(もうろう)となり集中力が切れたのか何人もの転倒者が出た、特にオーストラリアの選手だったと記憶したが、ハードルの直前でつまずき思い切りあごをハードルに強打して失神した、競技続行中も起き上がれず競技者達はハードルの右寄りを飛び越えて避けて行った(>_<)

8′18″93の日本記録を持つ岩水嘉孝(トヨタ自動車28歳)が2組で中盤から大きく他を離し先頭に飛び出し自分のレースに挑(いど)んだが惜しくも最後の2周で集団に吸収され後退した、タイムは8′36″73の7位に終わり3着+タイム上位6名から外れ予選敗退した・・・

中継はされなかったものの朝8時から行われた男子20キロ競歩も多くの選手が熱さで照り焼きにされ倒れ消えて行った・・・エクアドルのペレスが1°20′24″で金メダルを勝ち取った☆☆日本人最高は1°24′46″11位の森岡紘一郎(順天堂大)だった☆☆競歩でこのタイム!!凄~~い☆☆

フィールドで男子円盤投げ予選が始まったが・・・日本の畑山茂雄は予選通過ライン64m50に遥か届かず55m71で敗退した、この世界の経験を糧にしてもらいたい・・・トラック女子400m予選4着+4名では福島大の丹野麻美が5組に登場、順位は6着だったものの上位タイムで拾われ52″13で準決勝に抜け出た☆☆

女子砲丸予選では豊永陽子が17m02の投てきにとどまり19mの通過ラインに届かず姿を消した、各組上位3着が決まる女子100m1次予選には丹野と同じく学生組、平成国際大の高橋もも子が初の国際舞台に挑んだが11″98の6着で敗退した、今何が足りなかったのか肌で感じたことだろう・・・

それにしても昨夜の最後の種目女子1万メートル決勝の最後の1周、ディババ(エチオピア)とアベイレゲッセ(トルコ)の物凄いラストスパートはまるで200m競争そのものだった☆☆日本勢トリオ10位福士、14位絹川、15位脇田もあのラストのスピードを身につけないと簡単に世界を捕れないのでは・・・

今日の午後東京フレンドパーク再放送で以前に観た世界陸上チーム成迫、澤野、室伏由佳、信岡沙希重を為末がキャプテンとしてうまくまとめて色んなゲームにアスリートのオーラむんむんで挑んでいたが、“大将”が消えた今となって・・・為末のいない世界陸上なんてあまりにも寂しい!!考えられない!!為末大よ必ず北京で戻ってきてくれ!!

今ナイト競技が進行中である、昨晩予選で残った成迫が準決勝1組で決勝進出を賭けて果敢に攻めたが最後もう一伸びせず5着48″44に終わり敗退した!!昨晩100m準決勝の進出を決めた浅原宣治(大阪ガス35歳)が10″36とタイムが伸びず8着で姿を消すこととなった・・・ようがんばった☆☆

女子棒高跳び予選では近藤高代が善戦した、彼女の自己ベスト4m35をクリアしあと1cmで日本記録まであと1cmに迫ったが、4m50に挑んだが3回とも失敗に終わった・・・それまでタオルを顔にかけ横たわっていた話題の美人エレーナ・イシンバエワ(ロシア)が一回目の試技で4m55を簡単にクリアして5m01の世界記録保持者の貫禄を見せた・・・参った参った(*^。^*)

女子砲丸投げ決勝は最後まで熾烈な怪力女の戦いが続いた、最後気合闘魂の逆転投てき20m54でベラルーシのオスタブチュクを破りニュージランドに初の金メダルをもたらした☆☆

驚いたことに女子100m2次予選にあのマリーン・オッティの顔があった!!往年の切れのある走りではなかった、順位は5着ぐらいで予選落ちしたが、少し身体を揺らす豪快な走りだった!!1960年5月の生まれで47歳!!オリンピック7大会連続出場の大大大~~べてらんである!!彼女は100より200mのスペシャリストである、もしかしたら200m予選にも顔を出してくるかも・・・今はスロベニアに移住しているが1983年から競技人生を始めたジャマイカの英雄である、1993年のシュトゥットガルト世界陸上で1度200mで金メダルを取っているものの銀よりも銅メダルが多かったゆえんに“ブロンズ・コレクター”の偉名を持つ・・・

この日最後の種目男子100m決勝はタイソン・ゲイ(米)が後半ぐいぐい伸びてパウエルをかわして9″85という素晴らしいタイムで優勝した、アサファ・パウエル(ジャマイカ)は9″96で9″91のアトキンス(バハマ)に次いで3位に終わった・・・

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第11回世界陸上選手権大阪大会始まる☆ 2007年8月25日

2007-08-25 21:48:53 | 日記・エッセイ・コラム

朝7時気温26.5℃湿度73%うす曇のなかIAAF(International Association of Athletics Federation)世界陸上2007大阪のオープニング種目“男子マラソン”85名の精鋭達がトラック3周し1キロ3分20秒のスローペースで長居陸上競技場をあとにして炎天下過酷なサーバイバル・レースに身をゆだねて行った(*_*;

イスラエルのアイエルと云う選手はなんと解説の瀬古利幸氏より1つ上の52歳!!大きく遅れて出て行った、4キロあたりで太陽が顔を出した!!日本独特の高温多湿、日本選手には慣れた天候である、久保田満(旭化成25歳)が最後尾でついて行く・・・心配だ、だがあとの4選手、尾方剛(中国電力34歳)、大崎悟史(NTT西日本31歳)、佐藤智之(旭化成26歳)は先頭集団について行く、少し遅れて諏訪利成(日清食品30歳)が追いかけるレース運びになった・・・

5キロ16′37″で通過した、大阪女子マラソンのペースである、もう独りの解説者、谷口浩美氏は夏マラソンのスペシャリストであったが、バルセロナでは5キロの通過は16′40″であった!!夏マラソンには2キロごとに給水所が設けられる、ガソリンエンジンと電気モーター2つの動力併用するトヨタのハイフリッド・エコクリーンカー“プリウス”が長~~い直線ストレッチ今里筋を北上し選手達を先導する、トヨタは134台のプリウスを大会オフィシャルカーとして提供したとか・・・

かつて家康が大阪夏の陣で豊臣方に完全勝利を決定的にした地、勝山通り10キロ地点を37人の集団が32′51″で通過す、水を奪い合い転びそうになる選手もいた、アップダウンが続く玉造通りではセーフタオルが提供され皮膚呼吸の妨げになる汗を拭くセーフタオルが選手達に提供された、下りを利用してキペトとキプラガトのケニア勢がキロ2′55″のハイペースで抜け出・・・

外堀通りに入り大崎の50人応援団が待ち構えるNTT西日本本社まえを過ぎて15キロ地点を48′50″で通過する、ペースはキロ3′10″に上がり集団は20名になり御堂筋通りに入っていく、20キロ地点を1°4′59″で通過するのを余儀なく代表に選ばれながら佐藤に席を譲った奥谷亘(わたる32歳)が見守った、この時点で気温は30℃を超えていたが御堂筋の木陰がオアシスのトンネルを選手達に与えてくれた・・・

日本選手は必死に先頭着かず離れずについていくも、久保田が先頭より36秒遅れとなる、土佐堀通りに入り気温は31.4℃!!24キロ付近の登りを利用してシャミ(カタール)がスパート!!佐藤が少し遅れるが尾方、大崎、諏訪3名上位入賞団体金メダル獲得の可能性が見えてきた!!25キロを1°21′20″で通過する・・・

道幅の狭い大阪城内に入る、先頭集団のキベトがつまずき転倒するも余裕で追いつく、ケンボイが遅れていく、キベトを含むアフリカ勢が抜け出す、この頃有力選手達が置いていかれ次々と立ち止まりリタイアして行った、自己ベスト2°15′台のアスメロン(エリトリア)が集団の中に浮かび上がる、城内から森之宮直線へ出る、尾方と大崎は先頭より15″遅れで諏訪は30″遅れでペースを守る、先頭は玉造り30キロ地点を1°36′56″で通過・・・

気温は32℃を超え直線道今里筋の熾烈(しれつ)な戦いが続く、桃谷で清風高生徒が先輩大崎を応援する、キベトがキロ3′03″のハイペースでスパート!!山梨大OB尾方・大崎コンビがお互いを励ましあい前を追う、諏訪も歯を食いしばりメダルへの執念を見せミスト・スティションをくぐる、ダマダニが遅れ尾方・大崎が抜き2位のシャミ3位のキトラガト4位グループのルートリンとアスメロンを追う・・・

キベトが35キロ地点を1°53′03″で通過、尾方・大崎1′29″遅れとなる、マサイ(ウガンダ)が倒れ救急車で消えて行く、キプラガトがシャミを抜き2位にあがる、諏訪右親指から出血靴がにじむも尾方・大崎に15″遅れまで追走する、尾方・大崎4位5位に迫り先頭キベトに43″遅れまでにあげる、日本の団体金メダルは間違いない!!・・・

今里筋から長居公園通りへ入り尾方がスパート!!キプラガトが遅れシャミが前に出る、一旦抜いたアスメロンが尾方に追いつく、アスメロン・尾方の熾烈な4位争いが続きキトラガトを抜く、アスメロンがスパート!!少し遅れていたルートリンが尾方に迫りアスメロンもかわす、キベトスタジアムにはいる、なおも尾方・アスメロンの4位争いが続く・・・

キベトが2°15′58″でゴール!!☆☆尾方・アスメロンが場内に並んで入る、シャミが逃げ切り2位、続いてルートリンが3位、ラスト50メートルでアスメロンが尾方をかわして4位、終始日本チームを引っ張っり健闘した尾方の2°17′42″5位は立派だった、大崎が6位に諏訪が7位に食い込んで日本は3大会連続団体金メダルの快挙を果たした☆☆☆

佐藤は13位に入った、久保田は完走し2°59′40″で59位に終わったが25歳とまだ若い、これからの躍進を期待したい・・・

気温は更に上がり36.5℃!!フィールドでは砲丸投げ予選が始まった、18m56の日本記録を持つ畑瀬悟史は振るわず17m71に終わった・・・20メートル以上飛ばさないと世界との勝負にならないがこの種目の裾野をもっと広げて欲しい・・・ハンマー投げ予選では世界の室伏広治が予選通過ライン77メートルを2投目に軽々超えて予選を通過した、決勝では80メートルを超える投てきを是非是非!!

女子3000m障害は1組の早狩美紀(みのり)も3組の辰巳悦加(よしか)も悲惨な結果となった、早狩はラスト1周でハードルに左膝を引っ掛けてしまって地面に叩きつけられ担架で運び去られた、辰巳は水郷でバランスを崩し後続の選手に突かれて壁に激突し戦意が欠けたが最後まで諦めず完走した・・・

男子100m1次予選1組で浅原がゲイを寄せ付けず10″14で2次に進んだ、2次でもパウエルの組で4着に入って3次に進出☆☆塚原は1次は通過したものの2次で敗退している、トラックの格闘技男子1500m1組で小林史和タイムで拾われ準決勝に進出を決めた☆☆

少し涼しくなった17:00から天皇皇后ご臨席のもと開会式が始まった、203カ国の選手役員がアルファベット順に晴れの舞台に入場して来た・・・宝塚歌劇団花組トップスター・春野寿美礼の国歌独唱のあと天皇が大阪大会の開催を祝って開会を宣言された・・・選手役員が退場してからオープニングセレモニーの競演が繰り広げられた☆☆☆

一糸乱れぬ女子カレッジ・チヤーリーダーのきびきびハツラツなホーメーション・スペクタキュラーパホーマンス☆☆宝塚歌劇団男役ジェンヌ達の歌と踊り☆☆小生を含め観衆を魅了したイギリスのソプラノ歌手サラ・ブライトマンの清涼感溢れるシルキーボイスの歌声☆☆大会公式ソング“All My Pleasures”を歌手織田裕二が熱唱する☆☆大阪歌舞伎人間国宝・坂田藤十郎が祝い口上の後開会式を閉めた☆☆

開会式のあと再びハンマー投げ、100m2次予選、400mハードル1次予選、女子800m1次予選、女子1万m決勝のナイト競技が始まった、400mハードルで成迫は3位で準決勝進出を決めたが・・・まさかまさかあの為末が6着惜しくも予選敗退した(・_・)信じられな~~~い・・・このあと福士加代子、絹川めぐみ、脇田茜強力トリオが出場する10000メートルが始まる、う~~~ん楽しみ~~~

先ほどから台所の家内から書斎の子機に怒鳴りが再三入っている『あんた!!いつになったら晩飯食うねん!!ええかげんにしてなぁ!!』もう10時前だ、小生の腹も空っぽのペコペコである・・・ここまでが限界かな、女子1万メートルは台所で観よっと・・・あ~~~堪能した!めしだめしだ・・・

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大前研一のオンライン心理経済学を視聴す 2007年8月22日

2007-08-23 00:20:20 | 日記・エッセイ・コラム

今日も朝から太陽がギンギンギラギラこれでもかこれでもかと容赦なく乾ききった地面を照り焼きにしている、35℃を越す猛暑日間違いなし!!我が家の庭の葉っぱの柔らかいヒノキ科ヒバの仲間、コノテガシワに無数の小さい蓑虫(みのむし)が異状に繁殖して葉っぱが大分蝕まれた!!ガ~~ン、毎朝捕殺しているがきりがない、ほとんど退治したがもう少し残っている・・・

加古川では2,3日前雷混じりの夕立があったが、この8月関西は104年ぶりの少雨らしい、それでもサクラは散歩を楽しみにして勇んで出かけるが時々少し思案したあと途中でUターンして『わたし今日はこれでもうええわ、帰ろう!!』と言わんばかりにスタスタ帰ってきてしまう、今朝は全コース完走したが・・・(@_@;)

さて本題に入ります、小生昨年の2月よりメルマガ大前研一の『ニュースの視点』を愛読している、時には彼の講義映像を視聴できる、経済に疎い小生にとってこの映像付講義は実にありがたい☆☆いろんな問題を噛み砕いてポイントをピンポイントで分かりやすく解説してくださる、この度のテーマ“心理経済学”はただでも難しい‘経済学’の前に心理と云うややこしいのが付いているが彼の解説にかかればそんなに大層なものではない・・・

日本人は何を考えて生きているのか・・・日本人とは何なんだろうと言うところに行き着くらしい・・・

19世紀から生じたケインズ・マネタリアンなどが生み出した“マクロ経済学”すなわち、国民所得・失業率・インフレ(物価上昇・貨幣価値目減り)・デフレ(物価下降・貨幣価値上昇)・投資・貿易収支などを集計・分析して経済指標や経済政策を立てて行くが、ここ15年間日本ではこのマクロ経済学が通用しなく効果がないことが証明されたらしい・・・

1500兆円もの個人金融資産を保有しているにもかかわらず、今や神武景気(1955~1957第1次高度経済成長)、いざなぎ景気(1965~1970)と並ぶ好景気であると、デフレからは脱却していると政府高官が公にしているにもかかわらず多くの日本人は実感していない!!どころかDNAに埋め込まれた日本人独特のサガ・常に将来に不安をを抱き“いざ”と云う時のために!!利回りは世界最低だというのに“元金保証”にこだわりセッセセッセと銀行・郵便局に預金して貯めこんで行く・・・

“いざ”を定義しても“色々あるではないか??”から“葬式代”位に落ち着いてしまう・・・生前葬をやれば安く済んでしまう・・・あとは使えばいいことになるが・・・生前お金を貯めるがライフプランとマネープランは全く考えていない!!

政府が今まで130兆円もの財政投資をつぎ込むも減価償却分だけしか借りず企業からの資金ニーズがあまりない!!ほとんどサラ金・ファンド・不動産に流れてしまう!!日銀曰く、銀行は預金者に70%の還元を施さなければならないのに、330兆円の利子をパクリただ銀行を元気にしただけだと言う・・・

多くの企業はよりクレバーになり雇用形態を変え、契約社員を増やすなどして昇給や昇進などの労働分配率を削減して収益利潤だけを追求し安定化重視して来ている・・・家計の住宅購入のため資金も厳しくなり不動産などの非金融資産は減り今や2500兆円を切ったと言われる・・・益々日本人は収益性重視より安定性を重視し担保価値の低い持ち家から賃貸住宅に移行し元本保証の金利1.25%の預金に走る・・・

大前は指摘する、労組“連合”は間違っていると言う!!家庭年間所得G7中トップである日本の労働賃上げばかりに無駄な闘争を繰り返し、yield(利回り)を高める闘争に走らないのかと!!それでなくても日本人はバブルの後遺症で資産を増やす努力をしない!!「増えなくても減らなければいい!!」の安全志向に傾いて行く染色体が根付いているのに・・・コツコツ貯めこんで死ぬ瞬間が一番金持ちであるといわれる・・・これぞ世界の七不思議の1つとされている・・・

1部の日本人は10年で2倍になるといわれる10年ものなり20年もの投資信託に退職資金をつぎ込んで投資するも損をするまいと早ばしって5年以内に売ってしまいあまり儲けにならないらしい、現在の生活でいっぱいいっぱいで所得の3割を貯蓄に回すが何をしたらいいのか分からない(*^_^*)

そもそも日本人にははなからライフプランと云うものがない、欧米諸国では35歳頃から退職後の準備にかかる、投信はしても売らない、30年と寿命の短い日本の住宅に比べてメンテしていい値で売れる暖かい南の地に100年住宅不動産に投資しそれを誰かに賃貸する、そのキャッシュフローで返済して行くと云うマネープランを立てる・・・欧米では年間557件のトレードがあるとされる・・・

金さん銀さんの100歳の時に発した年金を何に使いますか???の質問に『老後の貯えに当てます!』の答えに象徴されるように、日本人は老後の資産は持っていても「持っていない」とか「充分でない」と言い、日々の暮らしに困っていますかと聞かれると「困ってない」と答える???大前氏は日本人の論理矛盾を指摘する、また日本人のロジカル・シンキングはゼロ!!と嘆く(~_~;)

日本の公的年金も医療サービスも福祉サービスもスウェーデンを上まわり世界一であるにもかかわらず、元本保証の預金にコツコツ貯め込むことだけに没頭することによっていつもいつも将来の“不安”から逃避することに生涯をかけるこの日本人DNAからの“解放”こそが、そして貯めに貯めこんだ個人金融資産1500兆円を消費に向けることこそが日本の将来の繁栄を左右する!!今日本はその瀬戸際に立たされていると大前氏は断言する!!

今や日本人から不安を取り除く企業の台頭が注目されている、アクティブ・シニア1800万人を対象にした“リタイアメント・サービス”企業である、今日本には介護サービス企業が盛んだが、実際介護の必要な人は“6人に1人”しかいない!!2500万人の55歳以上の人口中1800万人がアクティブシニアである!!この人達を対象にする企業こそがより強大な産業となりえる!!

大前氏は現在友人とともに千葉県稲毛にリタイアメントタウンを企画している、月12万円で食事付きで270ものグラブがあり仲間作りができアクティブライフが送れる、介護が必要になると併設する介護施設で死ぬまで生活が保証される☆☆

たとえ個人金融資産1500兆円の1%15兆円が有効活用されたれたとしても、停滞した日本経済発展にも大いに貢献できるのではないだろうか☆☆ヽ(^。^)ノ☆☆

世界陸上大阪直前の今スポーツの祭典が花盛り☆☆千葉国際総合水泳場では北京の前哨戦・23カ国参加の世界競泳が21日から開催され北島康介(日本コカ・コーラ)が100m平泳ぎで優勝している、他の日本代表選手達も善戦している・・・

うだるような炎天下のもと熱戦が繰り広げられてきた夏の高校野球は今日は決勝戦☆昨日長崎日大を破った“広陵”と優勝候補・常葉菊川を破った“佐賀北”が戦った、8回まで4-1とリードされた佐賀北は逆転満塁ホームランと云う『がばい旋風』が吹き荒れ佐賀県勢13年ぶりの優勝を飾った☆☆(*^。^*)☆☆

2002年日韓共同サッカーW杯で中津江村合宿を張ったカメルーンとオシム・ジャパンが大分・九州石油ドームで親善試合をやっていた、格下の日本代表チームは前半の闘莉王と後半の山瀬功のコ゛ールを守り2-0でカメルーンを破っている☆☆また東京国立競技場のU22・2008北京五輪アジア最終予選で日本はベトナムと戦い青山直の1点を死守して1-0でC組初戦を飾った☆☆ヽ(^。^)ノバンサ゛~~イ

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24時間テレビ30“愛は地球を救う”始まる☆ 2007年8月18日

2007-08-18 23:41:04 | 日記・エッセイ・コラム

天気予報では今日から涼しくなるでしょうとのことだったが全然かわららない、今日も相変わらず35℃の猛暑が続いている(@_@。

小生と同じ昭和16年生まれの66歳、18時58分萩本欽一氏こと“欽ちゃん”がコント55号の相棒・坂上二郎さんのスターター・ピストルの号砲?と『飛びます飛びます☆』で、いもきんトリオ、勝又州和、松居直美の欽ちゃんファミリーとそして大勢の観衆に見守られて相模丘中学校校庭特設ステージをあとにし、日本武道館まで70キロメートルの長い旅に出た(@^^)/~~~

今年のテーマは“人生が変わる瞬間(とき)”である、胃がんで余命半年を宣告されたある女性を支えてくれたのは・・・彼女の人生を変えたのは今多くの人々を勇気付けてくれている、あの歌に出逢えたことである・・・あのテノール歌手・秋川雅史が熱唱する『千の風になって』である、小生もあの曲に乗ってあの詩が流れると本当に心が洗われる・・・彼女はオーストラリア勤務したことがあった、その時一度も行ったことのないエアーズロックに是非一度行って観たかったが・・・延命治療を受けずに8ヶ月間国内を精一杯生き抜きあの世に旅立った、いつも会った人に笑顔で『また会おうね、また来るから☆』と言い残して・・・

彼女の熱い願いは彼女の親友によって受け継がれ彼女の遺影がエアーズロックの目の前で高々と掲げられた・・・

6年前2001年9月11日におきたニューヨーク世界貿易センターツインタワー同時多発テロ事件の哀悼式に寄せられた作者不明の“A Thousand Winds”の日本語訳詩に新井満が曲をつけた名曲『千の風になって』・・・

Do not stand at my grave and weep,   
I am not there, I do not sleep.       

I am a thousand winds that blow;     
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.

When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

小生の人生を変えた瞬間はいつだろう・・・それは4年と2ヶ月前小生がHerbalifeに出遭えた時である☆☆

☆ オカナガン製品体験発表HPで~す 
http://members.at.infoseek.co.jp/puttim/kmnew/okanagaNewtaiken.htm

☆ 小生のDS HPで~す
http://magical-fun.net/okaputi1/

サポート隊のスケジュール通りに動いている欽ちゃんは今1回目の休憩に入っている、抑えて抑えて行くことを要求されているみたいだが、欽ちゃん本人は走りたくてうずうずしているようだ、なかなか脚も軽快のようで元気だ、エネルギー補充用のあん揚げパン4個もほうばりながら頼もしい反応がぼんぼん返って余裕しゃくしゃくである・・・先は長いがきっとやってくれる予感がするヽ(^。^)ノファイトいっぱ~~~つ☆☆

このあとも24時間テレビ続々色んな人の“人生を変える瞬間”の美しい愛のドラマが繰り広げられていくことでしょう☆☆☆睡魔の限界がまで見届けた~~い・・・

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引退宣言と62回目の終戦記念日 2007年8月15日

2007-08-15 19:14:56 | 日記・エッセイ・コラム

この35℃を超えるくそ熱い炎天下の中、我が子達は休みになればアウトドア・スポーツにいそしんでいる・・・思い起こせば小生もハリマオの仲間とトライアスロンにうつつを抜かしていた頃は合宿までして月に何回かトライアスロン練習会にでかけていた・・・

よく兵庫教育大のグランドとプールを借りて(メンバーにそこの卒業生がいた)タイムトライアルをやっていたものだ・・・加美町サンスポーツランドでも赤穂のサンビーチでもタイムトライやっていたナ~~・・・姫路のトライアスロンクラブ“チーム・しらさぎ”主催の大会同様の練習会にも何回も参加していた・・・八千代町滝野カントリーゴルフ折り返し62キロマラソン練習会・・・淡路島、笠形山、羽賀町、小豆島、舞鶴などへロードランナーでよくツーリングにも出かけていたな~~~新田ふるさと村の杉ん子キャビンでの合宿も懐かし~~~い(*^_^*)

あちこちのトライアスロン大会にも仲間とまた独りで参加してきた、ABC三木グリーンピア ショートトライアスロン、福知山トライアスロン、讃岐広島トライアスロン、徳島・由岐ごっついマンレース、赤穂トライアスロン、米子市アイラブ中海スイムラン、スプリントトライアスロン滝野大会、ジャパン・ショートトライアスロン赤穂大会・・・昨年の夏は家内の骨折入院のためトライアスロン大会参加はなく兵庫西播磨センチュリーラン80キロサイクルロードレースのみの参加だった・・・

ワークホームを止めてから、今の職場までの距離も少し長くなり帰りが夜遅くなった所為(せい)もあって、今は通勤ランからご無沙汰している・・・

そろそろトライアスロン、マラソン、サイクルロードレースからの引き時かな・・・すこし寂し~~いが、もう66歳・・・今まで充分やって来たではないか!!充分己の身体を酷使して来たではないか!!これからは過去を振り返りたいとき泳げばいい、ペダルを踏めばいい、走ればいいではないか・・・

讃岐うどんとオリーブ・チョコレートを携(たずさ)えて同級生と出かけた小豆島1周バイク・ツーリングから次男が戻ってきた、そして早くも今朝出勤して行った、長男は昨晩遅く渥美半島先端・伊良湖の海での波乗りから巨大アサリをドッサリもって帰ってきた、焼いてカツオ昆布醤油出汁で食べたら・・・ウ~~ん旨そう、今塩抜きの真っ最中、今晩が楽しみ(*^。^*)ジュルリ

今日はその前日14日の御前会議でポツダム宣言受諾決定によりあの悪夢のような大東亜戦争終結の詔書が発布され、1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇ご自身の肉声でその敗戦を告げられた玉音放送の流れてから62回目の終戦記念日である、62年前その当日4歳の小生の記憶には薄っすらとしかないが、多くの日本国民はうなだれ深く頭(こうべ)をたれてすすり泣いて聴きいったと云われる・・・

朝4チャンのみのさん夏休み中の“みのもんたの朝ズバッ”で神風特攻隊によって沈められた戦艦に乗船していた2人の元アメリカ兵が特攻隊基地鹿児島“知覧”の戦争博物館を訪れ自分達の船を攻撃した特攻部隊をつきとめた、奇跡的に生還したその部隊に所属していた徳島の元特攻兵の元を訪れ通訳を介しての歴史的対話の場面が流れていた・・・

2人は特攻兵を今のイスラム自爆兵と誤解していたが、たんたんと“故郷”をフルコース歌ったあと『お母さん、死にたくない!!生きて帰りたい!!』ただ戦争に巻き込まれ戦争の犠牲になった一同年18歳の若者の気持ちが通じ合った涙涙の、お互いの“わだかまり”が晴れた美しい出逢いだった☆☆

今アメリカの学校や家庭で広島・長崎原爆投下がもたらした惨事を収録されたビデオテープを流して時下にその惨状を観る運動が起こっているようだ・・・偉い☆☆Vを観た後全ての人が・・・「戦争を早く終わらすために・・・」の原爆投下の正当性を覆(くつがえ)し、原爆投下は非人道的なものでしかなかった・・・と原爆投下を否定する世代を超えた感想が沸き起こっている!!☆☆・・・その映像も流れていた・・・やっと気付いてくれたのかヽ(^。^)ノ

小生11年前の5月2日~5日“1996労音大学 in 沖縄”文化交流ツアーで一度沖縄を訪れている、沖縄の土を踏んだとき小生は思わず心の中でこう叫んでしまった『ごめん!!こんなに遅くなってしまって、もっと早く来なければいけなかったのに!!』

現地に到着すると直‘シティプラザFUKUYA’にて、沖縄戦の語り部・元ひめゆり学徒隊員・宮城喜久子さんの「戦争体験を通して平和を考える」のテーマで記念公演を聴いた、衝撃的であった!!確かに米兵に攻められ上陸されたが、驚いたことには戦死した多くの沖縄の人々は大日本帝国の軍人に裏切られ彼等の盾になって死んでいったのだ!!多くの沖縄の人達はアメリカ兵に命を助けられている!!

労音大学が行われる沖縄国際大学の石原昌家教授の奥さんの石原恭枝氏のガイドで南部戦跡や糸数の壕、摩文仁の平和の礎、平和祈念資料館、ひめゆりの塔と資料館などを訪れ悲惨な沖縄戦の事実を目のあたりにしてきた、

5月3日舞台は“名城ビーチ”に移り、夕方5時半から始まったバーベキュー夕食パーティーは小生の人生の1ページ刻み込まれた実に実に楽しい思い出になった☆☆食い放題の飲み放題☆☆沖縄芸能の集結したオンパレード☆☆琉球王朝文化から生まれた島唄・沖縄民謡を三線(サンシン)や太鼓に合わせて飲めや踊って歌えの毛遊び(モーアシビ)の宴(うたげ)のオンパレード☆☆各地労音グループの出し物のオンパレード☆☆ビーチに来ていた一般客の飛び入り参加あり~~の☆☆実に沖縄人は踊りが好きだぁ~~~生まれ持ってDNAに盛り込まれたものだぁ~~~☆☆☆

5月4日は朝の9時から晩の7時まで普天間基地直横の沖縄国際大学に立てこもり石原教授からも沖縄戦の講義を聴き、沖縄料理、沖縄伝統文化を学んだ、小生はエイサーを選択して午後の文化交流会でデビュー発表会までやってしまった(*^_^*)

女優でもある北島角子さんによる“寄言(ゆしぐぅとう)”ミニ講演でも今も続く沖縄の闘いが語られた、東家夢助さん、民俗歌舞団‘花こま’、南ぬ風合唱団、“仲宗根盛次とチャンプルーズ”、会沢芽美さんなどとの楽しい沖縄文化交流会が盛に盛り上がった☆☆

内地人はこの沖縄の犠牲者ひとりひとりの御霊に哀悼の念を捧げなければならない・・・みのもんた氏はこの同じ気持ちで毎年沖縄を訪れるとのこと・・・

世代を超えて全ての日本人はこの戦争を通して多くを学ばなければならない、学んで欲しい!!もう2度と同じ道を歩まないためにも・・・(祈り)

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