フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月14日(土) 晴れ

2007-04-15 10:21:22 | Weblog
  昼から大学へ。今日は授業はないが、昼に卒業生のFさんが研究室を訪ねてくることになっているのである。夏日である。キャンパスの草木の主役は、桜から青葉に取って代わった。

           
                      目に青葉

  Fさんは去年の11月19日に結婚式をあげた(私も式に列席した)Sさんの同級生である。6月末に結婚することになり、その報告に来てくれたのである。披露宴への出席とスピーチを依頼されたので、もちろん引き受ける。研究室で少し話をしてから、昼食をとりに大隈記念タワー15Fのレストラン「西北の風」に行く。眼下の大隈庭園、リーガロイヤルホテル越しに、Fさんが結婚式をあげるフォーシズンホテル椿山荘が見えた。Fさんは学生時代と変わらずスタイルがいい。けっこう食べる人だったという記憶があり、それはいまも変わらないそうだが(今日は和風ハンバーグ定食をしっかり完食していた)、食べても太らないのだそうである。うらやましい。スピーチのネタを仕入れるため、あれこれインタビューをする。夫となる人とはのみ会(合コンのことか?)で知り合ったそうで、とにかく気が合うのだという(はい、はい、それはよろしゅうございましたね)。披露宴にはSさん、そしてなかよし3人娘のもう一人Mさんも来る。二度あることはというから、Mさんの近況について尋ねたら、「恋人募集中みたいですよ」とのこと。そうか、募集中なのか。いまごろMさん、クシャミをしているかもしれない。
  大学からの帰り、竹橋の東京国立近代美術館に立ち寄る。開催中の靉光(あいみつ)展を見物するためである。靉光は1907年生まれ、つまり清水幾太郎と同年の生まれで、今年が生誕百年である。本名を石村日郎(にちろう)といい、画名を靉川光郎、靉光はその短縮形だが、いつしか短縮形の方が通りがよくなった。靉光といえばその鮮烈な「自画像」(1944年)が有名で、これは東京国立近代美術館の常設展を構成する作品の1つであり、私はここに来るたびにこの作品の前で立ち止まるのだが、今回の企画展では複数の「自画像」が展示されている。すなわち広島県立美術館蔵の「帽子をかむる自画像」(1943年)と東京芸大蔵の「梢のある自画像」(1943年)である。これらと区別するため「自画像」は「白衣の自画像」のタイトルで呼ばれる。

       
     左から「帽子をかむる自画像」「梢のある自画像」「白衣の自画像」

  構図はよく似ているが、予備知識がなければ同じ人物の自画像とは思わないだろう。構図はよく似ていると書いたが、頭頂部分と顎の尖端を結ぶラインの角度は、いま分度器で測ってみたら、「帽子をかむる自画像」が40度、「梢のある自画像」が50度、「白衣の自画像」が60度で、おそらくそのせいもあって、「白衣の自画像」が一番毅然とした雰囲気を漂わせている。首から下、つまり胸板が画面に占める面積も「白衣の自画像」が一番広く、かつ、肩のラインも水平に近く、このこともたくましい印象を与えている。やはり一枚選ぶとすれば「白衣の自画像」である。
  私にとって一番収穫だったのは、初期作品の中の「ロウ画」を観られたことである。「ロウ画」というのは溶かしたロウやクレヨンに岩彩を混ぜたものを使って描かく技法のことで、試行錯誤の苦しい時期にいた靉光だが、モダンなイラストいった感じの作品からはほのぼのとしたやさしやとユーモアが伝わってくる。出口の売店で、図録とポストカードと、そして「ロウ画」の作品「女」(1934年)と「自画像」(1934年)を使った文庫カヴァーを購入した。

           

           
    「AI-MITSUを僕と間違える人がいたっていいじゃないか」(相田みつを)
                *そんなこと言ってません。