今日は4限(2時40分~4時20分)の授業が最初なので午前中はゆとりがある。依頼されている短い原稿を一本書いてメールで送り、昼食を自宅でとってから大学へ。4限は大学院の演習。清水幾太郎の主要な著作を読むという地味なテーマで、はたして履修する学生がいるのだろうかと思いつつ(まだ登録者名簿は事務所から届いていない)、教室に行ってみると、私のところのドクターのI君とAさん(2人はオブザーバー参加)のほかに、長谷先生のところのマスターのT君がいた。聞くところでは他にもう一人マスターで履修する学生がいるらしいとのことだが、今日は姿を見せなかった。T君がいたことで、とりあえず授業としては成立している。私がこれまでに書いた清水関連の論文の抜き刷り4部とコピー1部を配布。私が作成した清水の年譜に基づいて、清水のライフコース(集団から集団への遍歴)の概略をレクチャーする。最初に取り上げる著作は清水が26歳のとき(1933年)に出版した『社会学批判序説』であるが、それはゴールデンウィーク明けからにして、それまでの数回は、清水が著作活動を開始するまでの彼の生い立ちおよび時代状況について私がレクチャーをする。その間に、学生は清水の自伝を読んでおくことを課題とする。
6限の「現代人の精神構造」は4人の教員で担当する総合講座だが、最初の3回は私の担当である。直前の1時間、文学部から一番近い喫茶店フェニックスで軽食(ジャーマンドックのセット)を取りながら、講義ノートの最終的な整理をしたのだが、支払いをするときになって、財布の中身が空っぽであることに気がついた。お札が一枚もない! 盗られたとかではなく、補充し忘れていたのである。一縷の望みを託して小銭入れのファスナーを開いたが、支払額(750円)に足りない。そこそこ馴染みの店なのでツケにしてもらえたが、立派な無銭飲食である。もし学生とかと一緒で、「ここは私が払うから」とかいった場面だったら、目も当てられないところであった。本来なら、すぐに近くの銀行でお金を下ろしてきて支払いをするべきところだが、授業開始の時刻が目前に迫っていたので、それは明日回しとする。定員300人の453教室は受講生でぎっしり埋まっていた。前期の授業は演習中心で、大教室での講義はこれだけである。しかも直前が大学院の演習(3人)であっただけに、このコントラストは衝撃的である。談話モードから講演会モードにスイッチを切り替えなければならない。カチリ。演習には演習の面白さがあり、大教室での講義にも固有の醍醐味がある。私はどちらも好きであるが、身体的に疲れるのは後者である。というのは、私は講義を立ったままでするからである。これは専門学校の非常勤講師時代からのもので、イスに腰を下ろして講義をするというのは、これまでにただの一度もなかったと思う(いや、ものすごく体調が悪かったときに一度くらいはあったかもしれない)。立って、そしてときに歩きながら、話さないと調子が出ないのである。将来、足腰が弱って、立ったままで講義をすることが辛くなったら、それが自分にとっての教師の辞め時なのだと思う。453教室で講義をするのは久しぶりであったが、院生のI君に器機の操作を手伝ってもらって、まずまずスムーズに展開できたと思う。ただ、途中で室温がだいぶ高いなと感じて温度計を見たら28度もあってびっくりした。受講生の身体から発せられる熱で室温が上昇しているのである。本当かどうか知らないが、人体は100ワットの電球1個相当の熱を発しているそうだから、この教室には300個の電球が点灯していることになる。熱いはずである。幸い、去年同じ講義を行った38号館AV教室と違って、453教室には窓がたくさんあり、教室の前後にドアがあるので、換気はしやすい。次回から気を付けよう。
授業後、I君と五郎八で食事(もちろんその前に銀行でお金を下ろす)。帰りの電車の中で、出席カードの裏に書かれた質問や感想に目を通す。10時、帰宅。風呂を浴び、録画するのを忘れていた「特急田中3号」の終わりの方だけを観る。う~ん、いまひとつの感じ。△。栗山千明はこの間まで観ていた「ハゲタカ」の女性記者の印象が強烈だったから今回の普通のOLの役はなんだかもの足りない。しかし、最後のところだけを観て判断を下すのはフェアーではないから、付き合うかどうかは次回をちゃんと観た上で決めよう。深夜、「時効警察」を観る。満を持して、という感じがひしひしと伝わってくる。文句なしの◎。明日の講義の準備をする必要のない金曜日の夜のお楽しみである。最初の一週間の授業を終えて、さすがに疲れが出た。フィールドノートの更新は明日にして、寝ることにする。
6限の「現代人の精神構造」は4人の教員で担当する総合講座だが、最初の3回は私の担当である。直前の1時間、文学部から一番近い喫茶店フェニックスで軽食(ジャーマンドックのセット)を取りながら、講義ノートの最終的な整理をしたのだが、支払いをするときになって、財布の中身が空っぽであることに気がついた。お札が一枚もない! 盗られたとかではなく、補充し忘れていたのである。一縷の望みを託して小銭入れのファスナーを開いたが、支払額(750円)に足りない。そこそこ馴染みの店なのでツケにしてもらえたが、立派な無銭飲食である。もし学生とかと一緒で、「ここは私が払うから」とかいった場面だったら、目も当てられないところであった。本来なら、すぐに近くの銀行でお金を下ろしてきて支払いをするべきところだが、授業開始の時刻が目前に迫っていたので、それは明日回しとする。定員300人の453教室は受講生でぎっしり埋まっていた。前期の授業は演習中心で、大教室での講義はこれだけである。しかも直前が大学院の演習(3人)であっただけに、このコントラストは衝撃的である。談話モードから講演会モードにスイッチを切り替えなければならない。カチリ。演習には演習の面白さがあり、大教室での講義にも固有の醍醐味がある。私はどちらも好きであるが、身体的に疲れるのは後者である。というのは、私は講義を立ったままでするからである。これは専門学校の非常勤講師時代からのもので、イスに腰を下ろして講義をするというのは、これまでにただの一度もなかったと思う(いや、ものすごく体調が悪かったときに一度くらいはあったかもしれない)。立って、そしてときに歩きながら、話さないと調子が出ないのである。将来、足腰が弱って、立ったままで講義をすることが辛くなったら、それが自分にとっての教師の辞め時なのだと思う。453教室で講義をするのは久しぶりであったが、院生のI君に器機の操作を手伝ってもらって、まずまずスムーズに展開できたと思う。ただ、途中で室温がだいぶ高いなと感じて温度計を見たら28度もあってびっくりした。受講生の身体から発せられる熱で室温が上昇しているのである。本当かどうか知らないが、人体は100ワットの電球1個相当の熱を発しているそうだから、この教室には300個の電球が点灯していることになる。熱いはずである。幸い、去年同じ講義を行った38号館AV教室と違って、453教室には窓がたくさんあり、教室の前後にドアがあるので、換気はしやすい。次回から気を付けよう。
授業後、I君と五郎八で食事(もちろんその前に銀行でお金を下ろす)。帰りの電車の中で、出席カードの裏に書かれた質問や感想に目を通す。10時、帰宅。風呂を浴び、録画するのを忘れていた「特急田中3号」の終わりの方だけを観る。う~ん、いまひとつの感じ。△。栗山千明はこの間まで観ていた「ハゲタカ」の女性記者の印象が強烈だったから今回の普通のOLの役はなんだかもの足りない。しかし、最後のところだけを観て判断を下すのはフェアーではないから、付き合うかどうかは次回をちゃんと観た上で決めよう。深夜、「時効警察」を観る。満を持して、という感じがひしひしと伝わってくる。文句なしの◎。明日の講義の準備をする必要のない金曜日の夜のお楽しみである。最初の一週間の授業を終えて、さすがに疲れが出た。フィールドノートの更新は明日にして、寝ることにする。