フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月20日(金) 晴れ

2007-04-21 12:38:30 | Weblog
  8時半、起床。久しぶりの青空である。しかし喉が痛い。風邪を引いてしまった。講義はつらいかもしれない。朝食はクリームシチューとトースト。大学院の演習用の資料を作成して正午に家を出る。電車に乗る前に区役所(駅のそばにある)の9階にある男女平等推進室というところに行って、大田区男女平等推進区民会議委員の就任承諾書を提出する。区役所の職員で二文の非常勤講師(社会福祉原論)をされている常数先生を通しての話だったので、お引き受けすることしたのであるが、実はどういうことをするのかまだよくわかっていない。TSUTAYAで今日の6限の授業で使うつもりのCD2枚(尾崎豊と槇原敬之)をレンタルする。昼食は「たかはし」の刺身定食。
  4限の大学院の演習は課外授業。院生4名を連れて竹橋の国立近代美術館に行く。先日、靉光展を観に来たばかりだが、今日の目的は常設展、とくに第一回文展(1907年)で洋画部門の最高賞を受賞した和田三造「南風」を観ることにある。清水幾太郎は彼の『現代思想』をピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」という絵画の話から始めているのだが、それに倣って、私は「清水幾太郎と彼らの時代」を同じ1907年(もちろん清水の生まれて年である)に描かれた「南風」の話から始めようと考えたのである。
  「南風」は縦150センチ、横180センチの大きな作品である。筏に乗って大島沖を漂流する男達の姿を雄々しく描いて、日露戦後の高揚した時代の気分を見事に表現している。群青の海、白い波頭、晴れ渡った空。漂流中とはとても思えない、きりりと引き締まった男達の肉体と表情。カラリとした明るさと、清々しい風と、不屈の精神に溢れた絵である。彼らを乗せた筏は、大島に背を向けて、はるかな水平線を目指しているように見える。「南風」を前にして、和田三造や文展を観に来た人々(四万人を越えたという)は、これから先、日本が辿るであろう道筋についてどんなふうに考えていたのだろう、ということを私はよく考える。しかし、「南風」から伝わってくる高揚した気分は、当時の時代精神のあくまでも一つの側面であることを忘れてはならない。日露戦争の勝利に人々は歓喜したけれども、失ったものは大きく(靖国神社に祀られている日露戦争の戦没者は約九万人)、得たものは小さかった(一九〇五年九月三十日、日露講和条約がポーツマスで調印されたその日、条約の内容を不満とする群集によって、近代日本が経験した最初の都市騒乱、日比谷焼き討ち事件が起こった)。膨張を続ける軍事費は国家の財政を圧迫し、一九〇七年一月二十一日の東京株式市場の暴落に端を発した戦後恐慌は人々の暮らしを直撃した。悲しみと、怒りと、苦しみは、日露戦争後の時代精神のもう一つの側面である。清水幾太郎が生まれたのは、そういう時代だった。
  常設展の入場料は一般で420円、学生はなんと130円である。早稲田から竹橋までの地下鉄の料金(160円)よりも安いのである。4階の休憩所から眺める皇居の緑が美しい。

       
        今日は「あいにく」晴れているが、雨の日はもっといい。

  大学に戻り、6限の「現代人の精神構造」の2回目の講義に臨む。喉の調子がよくないので、お茶を何度も飲む。今日もTAのI君(さきほど美術館にも一緒に行った)に手伝ってもらって、映像や音楽を随時使いながらの授業を行ったが、一人で器機を操作するよりも授業の進行がスムーズにいく。私の次に登場する安藤先生は今日も見学に来て下さっていた。もちろん安藤先生の回には今度は私が見学させていただくつもりだ。そしてたんに見学するだけではなくて、ディスカッションのようなことができたらいいなと考えている。今日は五郎八が臨時休業だったので、天やでI君と食事をして帰る。