OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

他人のことを非難がましく思ってしまうこと

2018-01-29 10:02:47 | Weblog
若い頃は、他人に対して非難がましいことばかり思っていました。自分では鋭い批判だと思っていましたが、なんとも独善的で狭い正義でもって他人を捌いていたなと思います。自分だって、卑怯なこと、ズルいこと、小賢しいこと、情けないこと、はっきりルール違反だってことだって山ほどしていたのに、そんなことは完全に棚に上げてね。

でもまあ、おかげさまで長く生きていると、たいして波乱万丈じゃない平々凡々な人生であっても、多少は色んな経験を積むことになり・・・「そうはいっても」な部分を理解しなくちゃという気持ちになってきます。正しくはないかもしれない、美しくはないかもしれないけど、白黒つけないでグレーでおいておいてもいいんじゃないのってことやら、わたしはそうは思わないし、わたしはそうはしないけど、そう考える人、そう行動する人には、その人なりの理由があるんだろうと、認めないにしても距離をおいて許容するみたいなことの幅が広がっていきます。

それでも、もともとの気質が俺様で偏狭なんでしょうね。ふと気づくと、口には出していないけど、心の中では非難がましく思っていること、けっこうあります・・・しかも、ほんとうに些細なことで(^^;。

たとえば、人と話していて、すごく頭のいい人だなって思う人でも・・・いや、だから、なのかもしれませんが・・・相手の話すことを、全部、自分の話したいことの前振りにしてしまう人がいますよね。この人の理解力だったら、相手の人が言いたいことをちゃんと理解できるはずだと思うのに、最初から聞く耳をもっていなくて、自分が話したいこと、結論付けたいことに結びつく部分だけを、さっと切り取って話を奪っていってしまう。その人が頭の回転の速い人だけに、それが無性に腹立たしいというか・・・尊敬できないなって思ってしまいます。でも、よく考えれば、わたしも、どっちかっていうと、そっちの人間なんですけどね・・・頭は良くないですが、人の話をとって自分のこと話すタイプっていうか・・・いや、ほんとに、恥ずかしながら(^^;。

それから・・・自分が出来ることが出来ない人に対して、人は苛立つじゃないですか。なんでこんなことも出来ないんだって。よく、名プレイヤー名コーチにあらずって言って、人が出来ないレベルのことが苦も無くできてしまう人には、出来ない人の気持ちや、どうして出来ないかが理解できないっていいますが・・・そういう人って、案外、さっさと相手を見捨ててしまうことが多いので、いやいや相手をというより教えることを断念してしまうのでと言った方がいいのかな・・・とにかく、意外にお互いの感情が拗れないですむ場合が多いように思うのですが・・・問題は、大変な努力をして何かを獲得した人なんですよね。私は決して恵まれた環境にはいなかったし、特別な才能に恵まれたわけでもなかったが、わたし自身の努力でここまで来たんだっていう人は、出来ない人のことを、出来ないのではなくしないのだ、努力が足りないのだって思うんですよね。だから、必要以上に厳しくなる。相手基準で考えず、常に自分基準で考えるから、相手に合ったアドバイスが出来ない。
でもね・・・ふと思うんですよ・・・前者の天才タイプは、すぐに「そうなんだ、君には出来ないんだ、君は僕とは違うからね」っ納得しちゃうから、摩擦は少なくて済むから、お互いのストレスは少ないかもしれないけど・・・考えてみれば、簡単に可能性が見捨てられちゃっていて、ものすごく残念なことになっているのかも。それに比して後者は、摩擦ギシギシで、お互いにものすごくしんどいけど「わたしに出来たことがあなたに出来ないはずはない」っていう、ものすごい信頼があるってことかもしれないですよね。プレッシャーはキツイけど、それに応えようと努力して得られることは大きいかも・・・。けど、やっぱり、わたしは後者は苦手だな・・・教える立場(出来る側)であっても、教えられる立場(出来ない側)であっても、後者はめちゃくちゃ苦手です。
で、一番厄介なのは、出来ない人が、立場上、出来る人の上にいる場合・・・これはほんとうに厄介。お互い、かなり人間が出来てなきゃ、いい風には回っていきませんよね。

それから・・・わたしが、ことに「なんでそんなこと思うかな(いうかな)」って思ってしまうのは、何か好ましくないことが起こった時、とにかく他人を責める人なんですよね。こればっかりは、自分で言うのもなんですが、わたしはあまり思わないタイプです。大抵のことは、「こういう人ってダメですよね」っていってたら「おいおいアンタだってそうでしょうよ」っていう、天に唾する的発言になってしまうんですが・・・これにかんしては、かなり「わたしは違います」って言える方だと思います。
何でもかんでも「わたしが悪いんです」っていう人も、それが度を越してくればイラッとしますが、何かあると、すぐに人を責める人は、ほんとうに苦手です。それはもう、テレビドラマや映画を見ていてでさえそうです。っていうか、テレビドラマや映画は、ものすごくそういうシーンが多いでしょ。主人公を「あんたのせいだ」って必要以上に罵る場面が、定番のシーンになっていますよね。まあ、それが物語の進行をスムーズにしているのだと思いますが、わたしはとっても不愉快に感じてしまいます。
現実の事件や事故に関しても、よくニュースなどで「責任の所在をはっきりさせろ」って言いますが、責任の所在ってたいてい複合的じゃないですか?相当の悪意を持って故意になされたことでなければ、むしろ、責任の所在なんて、曖昧なのが当たり前なのかも。もちろん、再発防止の為とか、組織の在りようとして責任を負うべきとか、そういうことはあると思うんですが・・・誰かを感情的に責めることって、ほんとうに誰かのためになるものなのかなって思ってしまいます。まあ、責めずにはいられないとか、誰かを責めることでなんとか気力を保てるとか、そういうこともあると思うので、辛い思いをした人が誰かを責めたからといって、それを非難するヤツ(私)もどうかとは思うんですが・・・

えっと、なんの話でしたっけ・・・最近、自分の中にプラスの感情がないので、せめてマイナスの感情ももたないでいたいと思うのですが・・・ふと気が付けば、つらつらとテレビドラマを見ていてでさえ、しょうもない非難がましいことを思っているよなぁ~、わたしは・・・というお話でした。

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