OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

出会うべき時に出会うべき人と出会う・・・

2021-11-01 16:42:20 | Weblog
車庫を出て玄関に向かって庭を歩いていると、なんだか甘い香りが・・・ん?と、見上げてみると庭の金木犀が咲いていました。あれ?金木犀、今年は咲き終わったんじゃなかったっけ・・・どうしたのかな~、そんな気分だったのかな(^^;>

ところで・・・親が言うのも何ですが、藍那はけっこう美人さんなのでよくモテました。けど、意外にも失恋も少なくなかったんですよね・・・一度なんか、かなり落ち込んで、しかもそれをずいぶん長く引きずって、とても辛そうでした。可哀想だけど、どうも真剣に好きになった人にはフラれがちなんですよね。で、フラれる時は、外見ではなく中身の成熟を求められるようなこともあったみたいで・・・ある意味、藍那は男を見る目があった・・・外見に惑わされず本物のイイ女を求める本物のイイ男に惚れがち、だったのかもしれません。だとしたら、藍那が女として&人として素敵に成長し、そんな藍那が本気で惚れ相手も本気で惚れてくれる、絵にかいたようなイイ女とイイ男の出会い、この目で目撃できる日が来たかもしれないなぁ~・・・なんて思ったりするんですよね(^^;。

で・・・まだまだ伸びしろアリ、本物のイイ女への成長過程だった藍那が、軽めの失恋をした時の事なんですけどね・・・事情を知った藍那の弟が「お母さんは、その相手に腹立たへんの」って聞いてきたんですね。で、わたしは「彼は藍那の人生における役割をしっかり果たしてくれたから、何も腹は立たない。むしろ感謝してる」って答えたんです。実際、当事者である藍那も、わりとサバサバしていて・・・きっと、わたしの捉え方は間違ってなかったんじゃないかと思います。彼は、藍那の人生に必要な大きな転機に、彼にしかできない大きな役割を果たしてくれたけど、人生の伴侶ではなかった、それだけなんだと思います。

と・・・他人(我が子と言えど他人ですからね)のことは俯瞰で見られますが、我が事となると、なかなか分かりづらいんですが・・・この年になって、自分の人生を振り返ったら、恋愛に限らず、"転機には必ずそこに人が在る"気がするなって思います。っていうか、"人との出会いなしに転機ってないのかも"って思います。そんなに印象的な出会いでなくても、そんなに深い関わりでなくても、袖すり合う程度の出会いであっても、必ず誰かが転機の鍵になっている、そんな風に思えます。

けど、ここのところ、わたし、人とであってないなぁ~って思います。新しい出会いとか、まったくないなぁ~って・・・。でも、転機になる出会いを求めて動くというのも違うんですよね。それはほんと、違うんですよ・・・作為的なのは、不思議と転機に繋がりませんからね・・・

あっ・・・母が部屋にやってきました。「わたし、なんかおかしくなってる。なんか頭がおかしくなってる。なにもよう分からん」「もう寝ようか、そのままずっと寝られたらいいんやけど、そうはいかんなぁ」。どどうしてあげようもありません・・・

ふと思ったんですが・・・もしかしたら、これも出会いなのかな。母とはわたしが生まれて以来の付き合い。誰よりも長く深い関わりですが・・・今の母と私って、新しく出会っている・・・のかもしれない・・・そんな風にも・・・・

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