OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

素材勝負っ!!

2006-10-03 20:30:45 | Weblog
今晩は、骨付き鶏に塩コショウして、素揚げしよう。手羽先が一番旨いけど、ゲンコツでもいいし、スティックでもいいし・・・とにかく、鶏の素揚げは、どの部位でもかなり旨い。

とはいえ、調理を担当する者からすると、素揚げっていうのには、若干の躊躇いがある。だって、素材が全てで、料理人は何もしていないような気分がするもの。

これは、子育ての時にも陥りやすい穴で・・・つまり、手をかけ、時間をかけ、お金をかけていれば、愛情が深いってことの証になると、勘違いしてしまっているんだよね。だから、反対に、手をかけていない、時間をかけていないってことは、作り手として一番大切な心が籠もってないような気がして、気が引けるんだよね。けど、実際には、何も手を加えないことが、相手を一番活かす場合もあるわけでしょ。

もちろん、手をかけることによって、時間をかけることによって、お金をかけることによって、素材がより好く活かされる場合は、いっぱいある。眠っていた魅力が引き出されたり、引き合わされた別の素材とお互いを引き立てあったり・・・決して、何もしちゃいけないってことじゃない。

ただ・・・基本は「お前は何者なのか」っていうこと・・・それを忘れちゃいかんということなんじゃないかな。「私の料理」の一材料として扱うのではなく、相手の存在を認めた上のアプローチじゃなきゃいかんのじゃないかな。

そしてそれは・・・案外、自分と言う素材に対しても同じかもしれない。自分が成りたいものに近づけようとするばかりではなく、本来の自分とは何者なのかと問うてやることも必要なんじゃないかな。

とはいっても、それは、CMで言っている「成りたいものじゃなく、成れるものになろうとしていないか」というのとは違うよ。努力やリスクを負うことを避け、楽になれるものに甘んじろという意味ではない。

けど・・・じゃあ「似合わないけど着たい服」を着るかどうかって時に、「似合わなくても着たければ着たい服を着ればいい」と思うのは、矛盾しているかな。成りたい自分に振り回されて、本来の自分を蔑ろにしてるってことかな?参ったな(^^;。

なんだか、けっこう確信に満ちて話し始めたのに、最後はヨレヨレになっちゃった。でも、そのヨレヨレが、とっても私らしいし・・・まっ、いっか(爆)。

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