OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

達筆・悪筆

2008-12-23 18:27:08 | Weblog
花が枯れる冬、っていうか花が咲かない冬・・・でも、室内では、どんな花も長く枯れない冬。理屈は分かっているから、頭では何の不思議もないことなんだけど・・・なんだか感覚では不思議感あります。って、それだけです(^^;。

ところで、年賀状の季節ですよね。我が家では、当然、今年は(ってか来年?)は、年賀状をはじめ祝い事は全て遠慮させて頂きますが・・・話題だけ、年賀状にちなみ「達筆」について、ぶつぶつ言わせて頂こうかと思います。いつも通り、まったく掘り下げはないですけどね(^^;。

達筆って、本来、ものすごい褒め言葉ですよね。すごくキレイな・・・そう、心地よい音楽のように素敵なリズムで、絵画のような美しさをもった、そんな文字群を見ると、われわれは「達筆だなぁ」って言いますよね。

けれど・・・現実には、達筆って読みづらい。だから「達筆すぎて、何が書いてあるか読めない」ってことも、しばしばありますよね。

とはいっても、達筆だから読めないというのが本当なら、それは読む側に責任がある・・・そのはずです。行書のセオリーを、ちゃんと理解していないから、だから読めない・・・そういうことでしょう。

なんですが・・・今の時代、もう、行書のセオリーを知らない人の方が、メジャーなんですよね。となると・・・う~ん、どうしたら良いんでしょうね。人に思いを伝えるための文字であり文章であるなら、多くの人が理解しやすい書き方をするというのが気遣いと言えるかもしれませんし・・・でも、そうしていると、行書体という、わたしたちの美しい伝統文化が、また一つ失われていくことになるわけで・・・どうすればいいのか、悩んでしまいませんか?

そうそう、読みやすさだけでいえば、ペン習字の文字なんかが、すごく読みやすいと思うんですが・・・実際に手紙や葉書やカード、今回のテーマの年賀状などを貰ったとき、ペン習字文字では、意外にツマラナク&物足りなく感じたりしませんかね。束になった年賀状を一枚一枚見ていくとき、悪筆の友人のそれが登場すると、「おお!○○ちゃんからだ!」って、名前を確認する前に分かっちゃって、なんとも懐かし嬉しかったりするんですけど。

公で使用する文章は、手書きで書くことが、ほとんど無くなっている今、プライベートの文字は、悪筆だろうと何だろうと、個性あるものが好い気もしますね。もちろん、読めないほどの悪筆は、読めないほどの達筆以上に困りものですけど(^^;。

なんていうのかな・・・言葉の話の時にも言いましたが、変化するってことは、止められないことだと思うんですよね。っていうか、止めちゃいけないことだとも思うんですよ。でも、その中でも、何をどんな風に残してしくのか、あるいは、変わるにしても、どんな風に変わっていくのか・・・そういうことには無関心でいちゃいけない気がするんです。なんて、結局は、自分の悪筆の言い訳でしかないんですけどね(^^;。

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