OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

年に数日、太陽信仰に目覚める奴・・・

2024-08-17 17:46:40 | Weblog
太陽信仰って理解でいいのかな・・・インカ帝国の太陽神殿とか・・・たしか春分だったか秋分だったか、もしかしたら夏至だったか冬至だったか、とにかく太陽運行の重要な日の日の出だったり日の入りだったりに、神殿のある部分に太陽の光がさすみたいな構造で建てらいるって聞いた気がするんですよね・・・

そういうのを聞くと、ただただ「凄いなぁ~」って思っていました。漠然と季節の移ろいを感じたりはしますが、それをそんなに強く意識することなんかないよなぁ~って。でも、「いや、そんなことないや」って、ここ数日で実感しています。「平凡な感覚の人間でも、日常の生活の中で、否応なく、強烈に太陽の運行を意識することってあるや」と実感しています。とはいっても、毎年、ある一定の期間、体験してきたはずで・・・なのに、その時だけで忘れてしまっている自分が情けなくはありますが(^^;・・・だからこそ、今年は、それを記録しておきましょう・・・もしかしたら、今までに何回かは、今回のように感じて記録してきたことも忘れている可能性はありますが・・・

とにかくです・・・

毎朝、車で夫を最寄りの電車の駅まで送っていくことは、よく話題にしていると思いますが、その帰り道のことです。そのいつもの道は、南北に細長く伸びる小山を一つ越えていくのですが、帰り道は、西から東に小山を越えるので、要するに朝日に向かって帰っていくことになります。とですね・・・ここ数日は、帰りの時間、ちょうど太陽が小山の頂上に見える角度になるんです。とですね、あまりの光の強さで、まったく前が見えなくなるんです。対向車がいても、歩行者がいても、全く見えません。車は、強烈な光に向かってただ走っていきます。だから、ものすごく怖いんです。対向車が来ていませんように、人がいませんようにと祈りながら、そろりそろりと走ります。そして、これが何日か続くわけです・・・

毎日じゃない、毎年、この時期だけ・・・ああ!!太陽運行!!!

毎朝、天気予報で、本日の日の出日の入りの時間は発表されます。でも、それを強く意識することなんかありません。知識としても実感としても、夏は日が長く冬は日が短いとは分かっていますが、だからどうだと言われても、なんのコメントも出てきません。当たり前だと思っているし・・・だからどうなの?

なので、古代の人たちが、太陽の運行に対して信仰心をもつことも、「昔の人は知識もないし、大げさに感じてたんだね」くらいに思っていましたが・・・いやいやいやいや、いやいやいやいや、わたし、思わず、信仰してしまいます、あの光に向かって車を走らせるときには・・・

そして、それをただ畏敬するだけでなく、観察し、記録し、その規則性を見つけ、何かしらの形で表現した・・・すごいことです。ほんと、すごいことです。毎年体験し、きっと、その度に驚きと感動をおぼえているはずなのに、すぐに忘れてしまっている私とは大違いです。

もちろん、現代人のわたしは、どんなにスゴイ存在でも、太陽を神様だなんて思いはしません。けど、私たちの暮らしの、ひいては私たちの精神的な部分でも、太陽は真ん中にある存在だなとは感じます。太陽なしに、我々は生きられない・・・神様でなくても、信仰するに値する存在だなと、心から思います。

さて、来年の今頃、わたしはまた、同じことを言っているんでしょうかね・・・(^^;。


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