若い頃はね(←最近、こればっかり)、人に影響を与えられるような人間になりたかったのね。すごく世俗的な言い方をすれば、大物ってことなのかな(^^;。本人としてはものすごく純粋に、かつ真剣に・・・世界を救う人っていうのかな・・・世の中の悪いところを治して善い方に導ける人間にね、なりたいと思っていたの・・・すげえ夢だ(^^;。
少しは成長し、世の中の複雑さとか、何よりも自分の器ってものが分かってきても、自分なりに何か人に影響を与えられるようなことが出来るといいなってね・・・そういう思いは捨てきれなかった。まっ、自己意識がめちゃくちゃ強いからね・・・なかなか"我が我が"って気持ちは捨てられないのよ(^^;。
あっ、それから思春期に、ずっとお芝居(演じる方)に夢中だった経験も大きいかな。舞台で演じながら、自分を見つめてくれる人たちの視線を感じる・・・そして、自分の創りだす感情と見る人の感情が共振した時の感動・・・あの体験したら、自己顕示欲とはまったく別の部分で、"人に働きかける作業"の魅力に取りつかれても仕方ないと思うんだよね(^^;。
まっ、大人な言い方をしたら、人に影響を与えない人も、人に影響を受けない人もいないんだから、一人ひとりがそれぞれの場所で誠実に生きていたら、誰もが人に好い影響を与える人になれるし、わたしの子どもの頃の壮大な夢、世界を救う人にだってなっているわけだけど・・・まあ、そういう立派すぎる理屈はおいておいておきましょう(^^;。
で、結局、何がいいたいのかというと・・・"人に影響を与える"にも色々あるけど、創作作品で人に感動を与えるってのが、カッコよくて素敵だなと、憧れるなと、そう思うわけです(^^;。で、創作作品っていうのは、絵でも音楽でも文章でも、共通するのは・・・イメージを形に出来てるっていうのが凄いんですよね。元になるものを捉えるセンス、それを形にする技術・・・ああ~、ほんとスゴイっ!!憧れますっ!!!
イメージという本来形のないものが形になると、それを他者と共有することができる・・・すると、そこから新たに生み出されるものがたくさんある・・・ん~・・・ほんと、凄すぎます・・・
ただね・・・そうやって形になり共感を得て定着化したイメージって、次は矮小化に向かい、偏見そして疎外に向かうことになりがちですよね。大勢の人に支持された"形になったイメージ"は、それ以外の姿を拒否しがちというか・・・
いやいやいやいや、イメージを形にすることを否定する気持ちは、これっぽっちも、ほんとこれっぽっちもないんですよ。ただ受け手として、どんなに絶対的に感じられるイメージに対しても、それに固執しないでいたいなっていうか・・・共感や共有は、全部じゃなくて一部にしておくのがいいよねって思うというか・・・
うまく言えないんですけど・・・程よく他者と重なり合い、ほどよく孤独な感性をもちたいなと・・・そんな感じですかね・・・ん?タイトルから随分ズレてるって?いつものことです(^^;。
少しは成長し、世の中の複雑さとか、何よりも自分の器ってものが分かってきても、自分なりに何か人に影響を与えられるようなことが出来るといいなってね・・・そういう思いは捨てきれなかった。まっ、自己意識がめちゃくちゃ強いからね・・・なかなか"我が我が"って気持ちは捨てられないのよ(^^;。
あっ、それから思春期に、ずっとお芝居(演じる方)に夢中だった経験も大きいかな。舞台で演じながら、自分を見つめてくれる人たちの視線を感じる・・・そして、自分の創りだす感情と見る人の感情が共振した時の感動・・・あの体験したら、自己顕示欲とはまったく別の部分で、"人に働きかける作業"の魅力に取りつかれても仕方ないと思うんだよね(^^;。
まっ、大人な言い方をしたら、人に影響を与えない人も、人に影響を受けない人もいないんだから、一人ひとりがそれぞれの場所で誠実に生きていたら、誰もが人に好い影響を与える人になれるし、わたしの子どもの頃の壮大な夢、世界を救う人にだってなっているわけだけど・・・まあ、そういう立派すぎる理屈はおいておいておきましょう(^^;。
で、結局、何がいいたいのかというと・・・"人に影響を与える"にも色々あるけど、創作作品で人に感動を与えるってのが、カッコよくて素敵だなと、憧れるなと、そう思うわけです(^^;。で、創作作品っていうのは、絵でも音楽でも文章でも、共通するのは・・・イメージを形に出来てるっていうのが凄いんですよね。元になるものを捉えるセンス、それを形にする技術・・・ああ~、ほんとスゴイっ!!憧れますっ!!!
イメージという本来形のないものが形になると、それを他者と共有することができる・・・すると、そこから新たに生み出されるものがたくさんある・・・ん~・・・ほんと、凄すぎます・・・
ただね・・・そうやって形になり共感を得て定着化したイメージって、次は矮小化に向かい、偏見そして疎外に向かうことになりがちですよね。大勢の人に支持された"形になったイメージ"は、それ以外の姿を拒否しがちというか・・・
いやいやいやいや、イメージを形にすることを否定する気持ちは、これっぽっちも、ほんとこれっぽっちもないんですよ。ただ受け手として、どんなに絶対的に感じられるイメージに対しても、それに固執しないでいたいなっていうか・・・共感や共有は、全部じゃなくて一部にしておくのがいいよねって思うというか・・・
うまく言えないんですけど・・・程よく他者と重なり合い、ほどよく孤独な感性をもちたいなと・・・そんな感じですかね・・・ん?タイトルから随分ズレてるって?いつものことです(^^;。
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