OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

一の哲学

2013-12-21 09:32:47 | Weblog
高校生の頃、「零」にハマりました。

数学のテストで零点を取って、担任の先生に叱られるどころか「何かあったのか」と心配されるような、学院始まって以来の落ちこぼれと言ってもいいおバカでしたが、皮肉にも「零」にハマりました。

最近、テレビの雑学番組で、ゼロ(0)は「何もない」という意味の「皆無」を表すのに対し、レイ(零)は「極めて小さい」ことを示し・・・たとえば、天気予報で「降水確率のレイ%というと、絶対に降らないよということではなく、降る確率は極めて低く5%未満ですよということなのだと言っていましたが・・・

わたしがハマったのは、そういう漢字の零の成り立ちや本来の意味とかではなく・・・今となっては、よく覚えてないのですが・・・アラビア数字を使う西洋の十進法の位取り記数法では「0」と記入するところを、漢数字で表すと何も記入しない・・・その世界観の違い、みたいなことが面白く感じられたと記憶しています。

だから、「零」というよりは、「無」とか「空」とか、そういう概念にカッコよさを感じていたんだと思います(^^;。

と、今、書いていても、確かに「零」ってオシャレでカッコいいなと・・・もう一度、ちゃんと勉強し直したいかも、なんて思わなくもないわけなんですが・・・最近、それ以上に惹かれるのが「一」だったりします。

なんていうか・・・「一」って、つまりは「基準とするもの」ってことなんだと思うんですよね。色んな「一」があるけど、それぞれの世界で「これが基準となるものですよ、これを基に判断し、これを使って表現てくださいよ」ってものが、その世界での「一」ってことになるんだと思うんです。

これがしっかり決まっていないと、人は他人と意識や情報を共有できない・・・何においても、まず「一」を決めることから始まるんだなと、そう思うんですよね。

けど・・・それと全く相反する形で、個人のもつ「一」とか、ある狭い世界でだけ通用するマイナー「一」ってのが存在していて・・・その「一」と、正統と認められたメジャー「一」を、どう近づけるか・・・そういう視点での「一」へのアプローチもあったりするかと思うと・・・

「一」って「零」に負けず劣らずオシャレでカッコいいように見えてきたわけです。となると、二進法って無限の世界を表現するにふさわしいのかもとか思えてきたりもして・・・

頭が悪いので、数学者には絶対になれないですが、自分の未熟な脳内宇宙でなら、「零」や「一」と面白おかしく遊べやしないだろうかとか・・・身の程知らずにも、そんなことを考えてしまうのでした(^^;。

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