ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

内々で誤魔化すな

2023-03-09 11:03:00 | 社会・政治・一般
私は職業上の守秘義務に縛られています。だから書けないことはかなりあります。

でも黙っていたくないことも多々あります。でも言えないし、書けない。だから、あくまで一般論として書きます。

成年後見制度が出来てかなりの年数が経ちました。既に新聞等でも報じられていることですが、後見人による不正が後を絶ちません。ボケや高齢化により自身で法律行為を安全に出来なくなった被後見人を守るための制度であり、その執行者が成年後見人です。

しかし、この成年後見人による財産等の横領が頻発しています。それを防ぐために成年後見人を監督する制度もあるのですが、それでも不正は後を絶ちません。

私もいろいろと見聞きしていますが、そのなかで新聞などが報じずらい一番厭らしいケースがあることを指摘したい。

成年後見人は任意では選ばれません。家庭裁判所により選任されますが、多くの場合家族もしくは弁護士が選ばれます。そして、その成年後見人を監督する監督者も家庭裁判所が選任します。

正直、誰であろうと不正をする人はやります。なにせ高額な財産をもっている当人(被後見人)が判断力を喪失しているのですから、やろうと思えばいくらでも財産を奪える。だからこその成年後見制度です。不正をチェックする制度もあるのです。

しかし、家庭裁判所とコネのある司法関係者が仲立ちして、成年後見人及び監督人を選任したらどうなるでしょう。

私はその実例をみたことがあります。司法のプロが介在しているだけに実に巧妙に横領はされていました。はっきり違法だと断言しかねるグレーゾーンを活用しての横領。それを調べて家裁に報告するはずの監督人もグルとしか思えない。

しかも、真っ当な取引にみせるための所得税の申告をする税理士までもがグルとしか思えない高額な報酬を得ている。第三者の目からみて、あまりにあこぎな取引の数々に呆れ果てたものです。

一見、適法であり、適正に思えるかのごとき報告書は、実務を知る人から見れば不信を抱くに十分たる灰色の書面。これを主導していると見られる人物は、業界では大物として知られる。当然に法務省にも強いコネをもっている。

この案件はあまりにひどく、現在水面下であれこれと動いているので、これ以上は書けない。なにしろ法務のプロが関わっているため、明確な黒となるような証票類はなく、見かけ上合法なので性質が悪い。

おそらく単なるサラリーマンに過ぎない新聞社やTV局の記者たちの取材では、到底歯が立たない。なにしろ家庭裁判所がなんらかの形で関わっている。しかも、おそらくだけど金銭的な利益供与はない。ただ人脈と将来を見据えたなんらかの利得があるのだろうとしか言いようがない。

日本の司法制度は、絶対に役所が不正に関与したとは認めない。数十年の時が経ってさえしても、あの水俣公害を厚生労働省が隠蔽することに関与していたことさえ認めない頑固さである。その癖、補償金の支払いには応じているのだから、その面の皮の厚さには呆れるほかない。

多分、司法の場に持ち込んでも、家裁の関係者の責任は絶対に認めないだろう。それが分かっているが、それでも不正を放置できない人たちの怒りは良く分かる。今のところ、水面下での内々の交渉で弁済を求めるしかないかもしれない。

私は当事者ではないからこそ、これだけは言いたい。内々で誤魔化すな、と。
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不快だが分かり易い

2023-03-08 09:42:14 | 社会・政治・一般
約束は守らないのが当たり前の国がある。

しかも日本のすぐ傍にある。日本人は話せば分かり合えると思い込むが、いくら話し合っても分からないことがある現実から目を背ける卑怯なところがある。

約束を守らないなんておかしいと思うのは勝手だが、相手が約束を守らない現実ぐらい直視するべきだ。

あの半島では、約束に意味はない。約束を守らないことは悪いことではない。大切なのは自分たちの自尊心である。世界における最優秀民族であるべき我らの気持ちこそが一番大切なのだから、異人との約束なんて守らなくても構わない。

呆れると言うか、恐るべき愚昧さだと思うが、彼等はそうやって数百年生きてきた。約束を破られて激怒した異人たちに攻撃され、殺され、破壊され、奪われても決して改めることなく生きてきた。その頑迷さはまさしく世界一の愚かさだと思う。

実際に過去の実例をみてみよう。

時は12世紀、ユーラシア大陸を席巻したモンゴルの最盛期である。西は東欧まで支配し、東は中華帝国を滅ぼした中世最大の世界帝国のモンゴルは、女真族の金国を滅ぼすのに協力した朝鮮の民には寛大であった。

しかし、その朝鮮の民はモンゴルが宋王朝(南宋)を滅ぼすと、我こそが真の中華(世界の中心)だと思いあがった。首都の平城に駐在するモンゴルの文官30名あまりを虐殺し、意気揚々と中華の体現を祝った。

激怒したモンゴルは大軍を送り込み、首都は陥落し、屈辱的な和平条約を結ばされた。しかし、中華意識に酔い痴れる朝鮮の民は元々、異人との約束なんて守る気はない。再び軍を興してモンゴルの官吏らを殺し、その報復で襲い掛かるモンゴル軍との戦闘を繰り返し敗北。

再び和平条約を結ぶが、懲りずに再び逆らい再度戦闘となる。都合6回も約束を違え戦いに及ぶも当時世界最強を誇るモンゴルに勝てるはずもなく遂に直轄領とされる。

すると今度はモンゴルの歓心を買うため、黄金の国ジパングを紹介し、自ら先導して日本にモンゴル軍を送り込んだ。ただし、占領地の民を先兵に使うモンゴル軍の伝統に従い朝鮮兵が真っ先に使われた。彼らは対馬を襲い男は殺し、女子供は犯して奴隷として連れ去る蛮人ぶりを発揮。

ところが当時の日本は鎌倉武士が支配していたため、二度の戦いでも破ることは出来ずにモンゴルは敗退。既に事情を知っていた鎌倉幕府は、捕虜のうち南宋の兵士たちは送り返したが、朝鮮兵は皆殺しとしている。

一応、確認しておくと、モンゴルに支配される前の朝鮮と日本の間は平和なもので、戦争を仕掛けられる謂れはない。

ちなみにというか、当然と言うか、半島の歴史教科書にはそのあたりの事情には触れておらず、モンゴルに云われて嫌々戦った高潔な民が朝鮮だと記している。自己正当化癖のひどさは、今も昔も変りはないようだ。

さて、現在の南コリアの政権は日本との友好を志向しているとマスコミは盛んに報じる。でも私はまったく信じていない。

私の予想では、いずれアメリカを裏切り、シナに媚売り、シナの先兵として日本に噛み付くと思う。友好的な話し合いとかに騙されちゃいけないと思います。

なお、現在私はどのマスコミ、どの政治屋、どの言論人がコリアの言いなりになっているかをチェックしています。言論の自由って素晴らしい、だってその発言から本性が見て取れますから。
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料理ベタ

2023-03-07 09:48:53 | 日記
以下、関係者が読んでも分からぬようにフェイクがたっぷり入っています。

世に飯マズと呼ばれてしまう料理下手な方は確かにいます。私がこれまでに遭遇した最恐の飯マズの方は、カレーを不味く作れる特殊技能をお持ちでした。

別に親族でもないし、仕事上の関わりもなく、友人の知人なので、はっきりと言っちゃいました。

「これ、カレー? 今までで一番不味いカレーです。どうやって作ったのですか?」と。

ヒドイ言い様だとは思いますが、実は事前に知人からはっきり言って欲しいと告げられていたので、はっきりと言いました。わなわなと身体を奮わせていたかと思うと、そのままひっくり返ったのにはビックリ。幸い坐った状態からの失神だったので、怪我などはなかったのですが、さすがに言い過ぎたかと思いましたが、友人は親指立てて笑顔。これは、これで驚く。

その後、ドタバタあったのですが、落ち着いてからゆっくりと話を訊きだせました。どうやらこの方、レシピをまったく読まず、計量もせず、味見もしないで雰囲気だけで調理していた。

そのカレーが不味かったのも、市販のルーを良く溶かしていなかった上に、どこで聞いたのかココナッツオイルをドバドバと入れ、ハーブをごっちゃりと入れた様子。美味しいとされる店を沢山知っていると自慢していたが、写真を撮るのに夢中で、出された料理の感想はなかった。趣味は食べ歩きだそうだが、碌に味わってないと思う。

ご存じの方もいると思うけど、ココナッツオイルは量を間違えるととんでもない味になる。ハーブを入れたそうだが、多分スパイスの勘違いだと思う。月桂樹ぐらいなら分かるけど、そのハーブ、パエリア用だろうに。

一番最悪なのは、自身が味見していないこと。そんなもん客に出すな。困ったことに、ご自身はプロの料理人レベルのカレーだと信じ込んでいた。プロに失礼だぞ。一応書き添えておくと、料理の盛り付けだけは上手だった。私の想像では、お洒落に料理している自分に酔っていただけで、料理そのものには興味がなかったと思う。

いろいろあったが、とにかく本人が店を出す計画は止めさせた。察するに、お洒落なカフェのオーナーとなり、ご友人方にその姿を賛美されることが目的だったようだ。もちろん調理場に立つ気もなく、配膳すら人まかせ。

いったい何だって西欧風カフェをやろうなどと言い出したのかと訊きだしたら、背後に胡散臭いコンサルが居た。別の日にそのコンサルを呼び出して、違う料理を食べさせたら絶句していたそうだ。いや、翌日入院したと聞く。私はその場にいなかったのだが、友人の話では、泣くは喚くはで大変だったらしい。

あれだけ厳しく私が言ったのに、頭に入っていなかった模様。あたしゃ、もう関わる気はない。想像だけど、多分味覚障害だけでなく精神的なものもあると思う。周囲からも受診を奨められているようだが、断固として拒否しているらしい。

馬鹿に付ける薬なし、としか言いようがないです。
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日本サッカーの変革

2023-03-06 10:09:40 | スポーツ
日本中を興奮に巻き込んだワールドカップ・カタール大会が終わって、ようやく落ち着いて考察が出来ます。この大会ではアジア勢の躍進が目立ちましたが、実は一番躍進的な結果を残したのはベスト4に名を連ねたモロッコです。

90年代のナイジェリア旋風以来、世界のサッカーで際立った活躍を見せたアフリカ勢ですが、実はワールドカップでは良い結果を残していません。欧州のクラブではアフリカ出身選手があれほど活躍しているにも関わらず、国別の大会では好成績を残せずにいました。

アフリカ大陸の西北端にあるモロッコのベスト4は、その意味で快挙だと云えるでしょう。暇な時に、ユーチューブでモロッコの試合を視ていて気が付いたのですが、どこか日本と似ている部分がある。

もちろんモロッコの選手の屈強さ、プレイエリアの広さなどは黒人系選手独特のもので、日本人とは違います。しかし、ボールを奪った時の攻守の切り替えにはなんとなく馴染みがある。

不思議に思って、改めてモロッコ代表の最近のデーターを調べてみたら、なんと大会直前まで監督が同じだった。ロシア大会直前に解任されたハリル・ホジッチッチ監督がカタール大会アフリカ予選からモロッコを率いており、大会直前に解任されていた。そりゃ似るわな。

ちなみに解任理由は、モロッコのスター選手を代表から外したかららしい。なんだよ、本田を外した時と同じではないか。さすがに頑固一徹なハリル監督ですな。

なんとなく滑稽に感じてしまいますけど、私はけっこうこの頑固監督のことを高く評価しています。日本サッカーの特徴は、中盤に優れた選手を置きゲームメイクすることでした。ラモス、名波、中田英、中村俊、遠藤らがその中心選手でした。

中盤でじっくりとボールをキープして、パス回しで相手DFを混乱させて隙を作り、ここぞとばかりにキラーパスを流し込み、FWに得点機を作る。私の知る限り、高校サッカーでも同様のプレーがされることが多かった。リスクを嫌い、攻撃的なドリブルで切れ込むよりも、相手の隙を伺って攻め込むサッカー。70年代からJリーグが始まっても相変わらず行われていた。

だが、このスタイルはアジアでは通用しても、世界では厳しかった。ジーコはチャレンジが足りないと怒り、オシムは勇気が必要だと鼓舞したが、リスクを嫌う日本人選手は、中盤でゲームを作るスタイルに固執した。

それを変えたのが、頑固爺さんのハリル監督でした。この頃から中盤の選手はゲームメイカーよりもパッサーが好まれ、その代表が柴崎であり、長谷部でした。いずれも球離れが早く、前線へ縦に鋭いパスを蹴り込むタイプです。そして前線の選手たちには今まで以上にスピードが求められました。

その結果、足の遅い本田が外されるに至り、屈指の人気選手を出さない日本代表の試合に不満を抱いたスポンサーからの圧力もあって、ハリル監督の解任に至ります。50年近く経って、ようやく日本はそのスタイルを変えましたが、その功労者は間違いなくハリル監督であったと思います。

ちなみに後任の西野監督は、本田を先発ではなく交替選手とすることで妥協を図り、その結果がロシア大会での躍進につながっています。改革の方向性は間違っていなかったと私は信じています。

そして現在の森保体制の元でも、中盤のゲームメイカーは置かず、がっちりと守って、隙をみて中盤から素早くパスを出して快速のFWに得点機を作らせるスタイルが使われています。

私はハリル監督の示した方向性は正しかったと考えていますが、反面あまりに頑固すぎて選手だけでなくサッカー協会、スポンサーまでも怒らせてしまうやり方は、かなり不器用だと思いますね。

でも、この改革があったからこそのロシア及びカタール大会でのベスト16だったとハリル監督には感謝しています。さて、問題は課題(目標はベスト8だ!)を達成できなかった森保監督を続投させたアホな日本サッカー協会及びそれを支持したドあほなマスコミの改革です。まだまだ先は長いです。
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感染症と文明 山本太郎

2023-03-03 12:08:55 | 
無病息災は夢物語。

人は人である限り、病から無縁ではいられない。むしろ病とは共存して前向きに生きるほうが楽しく生きられる。私がそのように考えざるを得なかったのは、やはり20代の大半を占めた病気療養期があったからだ。

一時は命の危険さえあったが、そこはなんとか乗り切れた。ただその時のダメージは長く残ったことが、もう一つの病気の治療を長引かせた。何時終わるともしれぬ長きにわたる療養生活は、身体よりも心が辛かった。結論からいうと、完治は出来なかった。どうしてもこれ以上、私の身体は良くなる可能性が見いだせなかった。

だからこそ私は病気との共存を考えざるを得なかった。病気は治るものとの固定概念が強く、それが私を苦しめていたからこそ至った解答である。幸いにも外見からは分からない。ただ簡単な検査ですぐ分かってしまうし、再発の可能性は否定できなかった。

十数年にわたる療養生活で分かったのは、人間の限界と、新たな可能性であった。もともと不完全な生き物である人間に完全を求めることの傲慢さ。これこそが私を苦しめたからこそ、人は不完全であると認識できた。

具体的に云えば、医療は完全ではなく、治療法のない病気はあって当然である。開き直りの面があることは否定しない。しかし、このように覚悟を決めたことで、新たな可能性が拓けた。

あの頃の私の体力は全盛時の6割程度であり、免疫力というか抵抗力は7割強であった。これは意外と大きな制約であり、出来ないことが増えた。だが、だからこそ出来る範囲が明確になり、出来る範囲に集中することが出来た。

私は知識欲旺盛なので、勉強自体は嫌いではない。むしろ好きな方だろう。しかし受験勉強は嫌いだった。これは高校受験でも大学受験でも変わらなかったが、その嫌いな勉強を短時間で集中することを覚え、逆に結果を出すことに成功した。

これは勉強に限らないが、何事も集中することは大切だ。短気で、我慢が利かない私でも、病気の再発を恐れるが故に徹底的に集中することを覚えた。おかげで税理士の国家試験も順調に進んだ。

病気で自身の未来を失ったと悲観していたが、病気になり、病気を恐れ、再発させないために集中することを嫌いなことでも出来るようになった。今の自分を作った土台は、病気による制約であると確信している。

もう完全に開き直りであることは否定しない。でもいろいろ本を読んできて思うことは、人の歴史は病と共存共棲であった事実である。アフリカの森林地帯に分散して棲んでいた猿人たちは、大地溝帯の活動により森を失い平野で暮らすようになり、直立猿人となった。

手先が器用になり、脳が発達して進化を促された結果、猿人としての採取生活から農業や牧畜を覚えた。やがて生産過剰となり余裕を持つと、集落を築き、遂には都市をも有するようになった。

そうなるといつのまにか人間の身近なところに棲む病害虫が出てきて、今までになかった疫病が人を悩ませる。表題の書は、人類の歴史的発展と、感染症の変遷に着目して、人と疫病との不可分な関係を暴き出す。

なかでも交易路の拡大と延長が、地球規模の感染症を拡散させることへの指摘は興味深い。文明の発展は同時に感染症の拡大でもあり、感染症を引き起こす細菌やウィルスの観点からみてみると実に興味深い現実が見えてくる。

病気は嫌だと思うのは自然な感情だと思うが、病気と如何に共棲していくかのほうが現実的だと思います。表題の書は、その心構えを身に付ける一助になる書籍だと思います。
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