ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日本サッカーの変革

2023-03-06 10:09:40 | スポーツ
日本中を興奮に巻き込んだワールドカップ・カタール大会が終わって、ようやく落ち着いて考察が出来ます。この大会ではアジア勢の躍進が目立ちましたが、実は一番躍進的な結果を残したのはベスト4に名を連ねたモロッコです。

90年代のナイジェリア旋風以来、世界のサッカーで際立った活躍を見せたアフリカ勢ですが、実はワールドカップでは良い結果を残していません。欧州のクラブではアフリカ出身選手があれほど活躍しているにも関わらず、国別の大会では好成績を残せずにいました。

アフリカ大陸の西北端にあるモロッコのベスト4は、その意味で快挙だと云えるでしょう。暇な時に、ユーチューブでモロッコの試合を視ていて気が付いたのですが、どこか日本と似ている部分がある。

もちろんモロッコの選手の屈強さ、プレイエリアの広さなどは黒人系選手独特のもので、日本人とは違います。しかし、ボールを奪った時の攻守の切り替えにはなんとなく馴染みがある。

不思議に思って、改めてモロッコ代表の最近のデーターを調べてみたら、なんと大会直前まで監督が同じだった。ロシア大会直前に解任されたハリル・ホジッチッチ監督がカタール大会アフリカ予選からモロッコを率いており、大会直前に解任されていた。そりゃ似るわな。

ちなみに解任理由は、モロッコのスター選手を代表から外したかららしい。なんだよ、本田を外した時と同じではないか。さすがに頑固一徹なハリル監督ですな。

なんとなく滑稽に感じてしまいますけど、私はけっこうこの頑固監督のことを高く評価しています。日本サッカーの特徴は、中盤に優れた選手を置きゲームメイクすることでした。ラモス、名波、中田英、中村俊、遠藤らがその中心選手でした。

中盤でじっくりとボールをキープして、パス回しで相手DFを混乱させて隙を作り、ここぞとばかりにキラーパスを流し込み、FWに得点機を作る。私の知る限り、高校サッカーでも同様のプレーがされることが多かった。リスクを嫌い、攻撃的なドリブルで切れ込むよりも、相手の隙を伺って攻め込むサッカー。70年代からJリーグが始まっても相変わらず行われていた。

だが、このスタイルはアジアでは通用しても、世界では厳しかった。ジーコはチャレンジが足りないと怒り、オシムは勇気が必要だと鼓舞したが、リスクを嫌う日本人選手は、中盤でゲームを作るスタイルに固執した。

それを変えたのが、頑固爺さんのハリル監督でした。この頃から中盤の選手はゲームメイカーよりもパッサーが好まれ、その代表が柴崎であり、長谷部でした。いずれも球離れが早く、前線へ縦に鋭いパスを蹴り込むタイプです。そして前線の選手たちには今まで以上にスピードが求められました。

その結果、足の遅い本田が外されるに至り、屈指の人気選手を出さない日本代表の試合に不満を抱いたスポンサーからの圧力もあって、ハリル監督の解任に至ります。50年近く経って、ようやく日本はそのスタイルを変えましたが、その功労者は間違いなくハリル監督であったと思います。

ちなみに後任の西野監督は、本田を先発ではなく交替選手とすることで妥協を図り、その結果がロシア大会での躍進につながっています。改革の方向性は間違っていなかったと私は信じています。

そして現在の森保体制の元でも、中盤のゲームメイカーは置かず、がっちりと守って、隙をみて中盤から素早くパスを出して快速のFWに得点機を作らせるスタイルが使われています。

私はハリル監督の示した方向性は正しかったと考えていますが、反面あまりに頑固すぎて選手だけでなくサッカー協会、スポンサーまでも怒らせてしまうやり方は、かなり不器用だと思いますね。

でも、この改革があったからこそのロシア及びカタール大会でのベスト16だったとハリル監督には感謝しています。さて、問題は課題(目標はベスト8だ!)を達成できなかった森保監督を続投させたアホな日本サッカー協会及びそれを支持したドあほなマスコミの改革です。まだまだ先は長いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする