ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日野町冤罪事件

2023-03-13 11:07:43 | 社会・政治・一般
決して見逃してはいけない。

>1984年、滋賀県日野町で酒店の女性が殺害されて金庫が盗まれた事件では、強盗殺人の罪で阪原弘さんが、自白を強要されたとして無罪を訴えましたが、2000年に無期懲役が確定し、服役中に病死しました。

MBSニュース

遺族は「父親は自白を強要された」として、再審(裁判のやり直し)を求めていて、2月27日に大阪高裁は「自白の根幹部分の信用性に動揺が生じた」として、再審を認める決定を出しました。


しかし、大阪高検は再審決定を不服として最高裁に特別抗告しました。実に見苦しい事件です。阪原氏を勾留中に脅して無理やり自白を引き出して、強引に有罪に持ち込んだ検察でしたが、その後阪原氏を盗んだ金庫の放置場所へ誘導したことが明白な写真ネガが返還されたことから、この自白強要が露呈しての再審決定でした。

以前にも記事にしましたが、当時滋賀県警は不祥事続きでどうしても有罪判決が欲しく、それに検察が協力した上での冤罪事件だと見られています。当の阪原氏は既に病死していますから死人に口なしと油断して、写真ネガを返還してしまったことが検察側の最大の失態でした。

普通なら現場を知るはずの犯人に先導させるはずが、警察官が先行して誘導していることが写真ネガから読み取れる稚拙な冤罪事件です。他にも不可解な点はあるのですが、犯人の自白こそが100%有罪の証だとして強引に推し進めたが故の失態でしょう。

なぜにこのような無実の人間を貶める非道は行われるのか。

古今東西、権力を握るものは自らを正義の代行者だと確信します。権力を握るものは、正義の側であるがゆえに決して自らを貶めること、すなわち過ちを認めません。

日野町を管轄する警察及び滋賀県の検察にとっては、自らの誤りを認めることは国家の威厳を損なうことであり、断固として犯罪捜査の過ちを認めない。それが正しいことだと確信している。

だからこそ無実の人間でも、少しでも怪しい部分があれば有罪に落し込み、国家正義の体現者としての権威を優先する。本当の犯人を野放しにする危険よりも、自らの権威が地に墜ちる方が怖いという歪んだ正義感の顕れでもある。

また現場を担当する警察官や刑事、検事にとって役所の人事考課は減点主義であるのだから、無実の人間を犯罪者に仕立て上げた汚点を人事考課表に記載されるのは真っ平御免。あくまで犯行を自白した阪原が悪い。

どうせ立ち飲みが出来る小さな酒屋の現金を奪うチンケな犯罪者なんざ、いずれどこかで悪さをして捕まるに決まっている。阪原だっていつかはやるかもしれない。だったら早めに監獄へ送り込んでしまえ。

これで日本の平和は守られる、我々の権威も守られる、人事考課の減点もない。まさにイイことづくめだ。かくして戦後もっとも稚拙な冤罪事件が生まれた。

無実の人の人権よりも役所の面子を第一に考えた醜悪な事件でもあります。私は今後もこの事件を追い続けようと考えています。
コメント (2)
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