ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

感染症と文明 山本太郎

2023-03-03 12:08:55 | 
無病息災は夢物語。

人は人である限り、病から無縁ではいられない。むしろ病とは共存して前向きに生きるほうが楽しく生きられる。私がそのように考えざるを得なかったのは、やはり20代の大半を占めた病気療養期があったからだ。

一時は命の危険さえあったが、そこはなんとか乗り切れた。ただその時のダメージは長く残ったことが、もう一つの病気の治療を長引かせた。何時終わるともしれぬ長きにわたる療養生活は、身体よりも心が辛かった。結論からいうと、完治は出来なかった。どうしてもこれ以上、私の身体は良くなる可能性が見いだせなかった。

だからこそ私は病気との共存を考えざるを得なかった。病気は治るものとの固定概念が強く、それが私を苦しめていたからこそ至った解答である。幸いにも外見からは分からない。ただ簡単な検査ですぐ分かってしまうし、再発の可能性は否定できなかった。

十数年にわたる療養生活で分かったのは、人間の限界と、新たな可能性であった。もともと不完全な生き物である人間に完全を求めることの傲慢さ。これこそが私を苦しめたからこそ、人は不完全であると認識できた。

具体的に云えば、医療は完全ではなく、治療法のない病気はあって当然である。開き直りの面があることは否定しない。しかし、このように覚悟を決めたことで、新たな可能性が拓けた。

あの頃の私の体力は全盛時の6割程度であり、免疫力というか抵抗力は7割強であった。これは意外と大きな制約であり、出来ないことが増えた。だが、だからこそ出来る範囲が明確になり、出来る範囲に集中することが出来た。

私は知識欲旺盛なので、勉強自体は嫌いではない。むしろ好きな方だろう。しかし受験勉強は嫌いだった。これは高校受験でも大学受験でも変わらなかったが、その嫌いな勉強を短時間で集中することを覚え、逆に結果を出すことに成功した。

これは勉強に限らないが、何事も集中することは大切だ。短気で、我慢が利かない私でも、病気の再発を恐れるが故に徹底的に集中することを覚えた。おかげで税理士の国家試験も順調に進んだ。

病気で自身の未来を失ったと悲観していたが、病気になり、病気を恐れ、再発させないために集中することを嫌いなことでも出来るようになった。今の自分を作った土台は、病気による制約であると確信している。

もう完全に開き直りであることは否定しない。でもいろいろ本を読んできて思うことは、人の歴史は病と共存共棲であった事実である。アフリカの森林地帯に分散して棲んでいた猿人たちは、大地溝帯の活動により森を失い平野で暮らすようになり、直立猿人となった。

手先が器用になり、脳が発達して進化を促された結果、猿人としての採取生活から農業や牧畜を覚えた。やがて生産過剰となり余裕を持つと、集落を築き、遂には都市をも有するようになった。

そうなるといつのまにか人間の身近なところに棲む病害虫が出てきて、今までになかった疫病が人を悩ませる。表題の書は、人類の歴史的発展と、感染症の変遷に着目して、人と疫病との不可分な関係を暴き出す。

なかでも交易路の拡大と延長が、地球規模の感染症を拡散させることへの指摘は興味深い。文明の発展は同時に感染症の拡大でもあり、感染症を引き起こす細菌やウィルスの観点からみてみると実に興味深い現実が見えてくる。

病気は嫌だと思うのは自然な感情だと思うが、病気と如何に共棲していくかのほうが現実的だと思います。表題の書は、その心構えを身に付ける一助になる書籍だと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする