ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

人類が消えた世界 アラン・ワイズマン

2009-08-17 12:22:00 | 
私には自虐趣味はないつもりだが、それでも人間という生物が、この惑星でしでかしたことを知るたびに、いささかの自己嫌悪に襲われるのは避け得ない。

人間の体力は、生物界では決して上位ではない。腕力はチンパンジーに遠く及ばない。噛む力は、小型犬にも劣る。走る速さは熊より遅く、わずかに持久走に若干の強みをみせるが、これは自然界の弱者であることを証しているに過ぎない。

だが、極端に発達した知力が、その全ての弱点を補う。力が弱いがゆえに力を合わせることを覚え、攻撃力の弱さを道具で補い、地上最強の狩猟者となった。

動物を狩るだけでは飽き足らず、地表を開墾して自分たちだけの農作物を育て独占することまで始めた。地上のすべての動物にいきわたるはずの水でさえ、水路を切り開き、灌漑をすることで人間のための水に変えてしまった。

水だけではない。自分たちの利便のために環境そのものを変えてしまった。森を伐採し、畑や牧場に変えて、森に棲む生物を追いやり、広い大地を人間のためだけに利用して、それを妨げるものを排除した。

あまつさえ、自然のリサイクル・サイクルを破壊するような新・物質を発明して、自然界に致命的なダメージを与えつつある。たとえばプラスティック、これは自然の力で押し潰され、粉砕されても微小な粒子として存在し続ける。

この微細なブラスティック粒子は、いまや世界中の海に拡散していて、海の生物たちに容易ならぬ影響を与えている。おそらく自然は、これでさえも分解する細菌を産みだすと思えるが、それが何時になるかは分らない。

いわんや人間が精製した核物質については、人類の生息期間中に処理することは不可能だと思える。プルトニウムやその他の自然界には存在しないはずの放射性物質は、生物に多大な害を与えるはずだが、この処理方法はいまだ未発見だ。

おそらくは人類は不滅の生物ではない。いずれ他の種にとって変られる。それが太古より地球に生きる生物に定められた宿命なのだから。そして我々はなにを地球に残すのだろう。

人類は死滅した後、世界がどのように変るかを考察したのが表題の作品だ。私は読む前に、BBCが制作したTV番組をディスカバリー・チャンネルで観ていたが、それでもこの本に書かれた内容には衝撃を受けた。

勇壮な建築物は、人間の補修がなくなれば、つぎつぎと崩壊する。黴や微生物が家を侵食し、水と太陽が破壊を加速する。植物は情け容赦なく侵略を拡散させ、人間の痕跡を埋め尽くす。人間という横暴な占領者がいなくなると、野生はふたたび王国を復興させる。

リアルなだけに、その可能性の高さを実感できることが、衝撃を殊更高める。それにしても、人間が消え去った世界のほうが美しく思えるのだから皮肉なものだ。
コメント (4)
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