ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

暗室 吉行淳之介

2009-08-12 12:41:00 | 
私は毎日、渋谷駅で電車を乗り換えている。

急ぐ朝はともかく、帰りは本屋に立ち寄るのが習慣になっている。その際、渋谷の街をブラブラと歩き回るのだが、この季節はついついキョロキョロとしてしまう。

何故かといえば、女性の薄着姿が原因である。この街を闊歩する若い女性は、大胆すぎるほどの薄着姿が珍しくない。日焼けした肌にカラフルな下着が覗ける姿は、男性には回春の妙薬というか、目の毒と言うべきか迷うところだ。

枯れてしまって既に久しい爺さんでさえ、思わず目を見開くその扇情的な姿は、男である以上無視することなど出来やしない。断言するが、あの姿を平然と無視できる男性は、同性愛嗜好の持ち主か、さもなきゃ思春期前のお子ちゃま以外にありえない。

もっとも彼女たちがそのような姿を好んでするのは、私ら中年男性のためではない。だから当然に私らの注視を嫌がる。それが分るので、こちらもすぐに目をそらすが、そらした先にも似たような姿の女性が数多いるから手に負えない。

まったくもって、難儀な街だと苦言を呈しても、その表情からはにやつきを隠せない。男なら素直に喜ぶべきだとも思うが、ニヤニヤしながら歩くのも気持ち悪い。だから仏頂面で、むっつりスケベ気分で歩くことにしている。

もっとも、私は日焼けした若い女性の健康美は好きだが、それを最上のエロスだとは考えていない。太陽の輝きを受けた女性の肌は、明るいエロティズムをかもし出す。それはそれで魅力的だが、薄暗い部屋のなかで、ぼんやりと白くなまめく女性の肌のもたらす怪しい魅力こそ最上のエロティズムだと思う。

真っ暗闇では駄目だ。互いの顔がかすかに判別がつく程度の薄暗さが望ましい。いつも不思議に思うのだが、女性は目を閉じて快楽に身を任せる。一方、男はなるたけ目で見て快楽を確認したがる。やはり男と女は違うのだと思う。

別に違ってもいいのだけれど、どこか共通する感覚は欲しい。でも、どこまで追求しても、どこかすれ違う気がしてならない。それでいて、追求することを止められない。

暗室の前に立ち、扉を開けて快楽を求める期待に震えつつ、今日もすれちがうのかとの不安が心の片隅によぎることも自覚する。それでも止めることは出来ない。身体が動く限り、求め続けるのかもしれない。

表題の作品は、文壇界屈指のモテ男、吉行先生の私小説。まだ40代半ばの時の作品ですが、常に女性を侍らせながらも、男女のあり方について悩み、答を求め、模索していたことがよく分る作品です。

銀座の高級クラブには、いまでも吉行先生の噂話をされるベテラン・ホステスさんが居ます。あの先生は素敵だったわなんて、頬を染めながら語られるのだから凄いです。わたしには真似できませんね。
コメント (2)
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