状況が変れば、法制度が変るのは当然だ。ただし、慣習や本能を変えるのは難しい。
先進国中、唯一児童ポルノの所持を違法化していなかった日本だが、ようやく法規制の網がかけられそうだ。そのことは悪くないと思いつつも、私はいささかの懸念を禁じえない。いったい、どんな基準で児童ポルノを規定するのだ?
私が初めて児童ポルノなる代物を眼にしたのは、中学生の頃だったと記憶している。知人の海外旅行の土産物のなかに混じっていた児童ポルノの写真集には、文字通り仰天した。
明らかに小学校高学年、まだ性器が十分発達しているとはいえない子供たち同志の性行為を撮った写真。大人と子供の性行為を撮った写真。金髪璧眼の老若男女が太陽の下、笑顔で緑の芝の上で性交をさらしている写真集には驚愕を禁じえなかった。
第二次大戦後、ピルの普及とともに人類、とりわけ西欧先進国は性行為から生殖を除くこと(避妊)に成功した。ひたすら快楽のためだけの性行為は、旧習からの開放の意味を持ち、フリーセックスの風潮を広めた。
児童ポルノが出てきたのも、その流れのなかの一貫だと思われる。もっとも、書店で堂々売られているわけではないらしく、やはりその手の怪しい店で買ったのだと聞かされた。このあたり、建前と本音なのか、よく分らない。
古代より人類にとって、生きていくために食糧の確保は重要であった。農作業にせよ、狩猟にせよ人手の多さは重要な要素であった。それゆえ、身体が小さかろうが、性交が可能な年齢になれば当然に婚姻がなされ、産めよ増やせよが当然の常識であった。
現代の良識ある人たちは、しらばっくれているが、人類の歴史上ほとんどの期間、十代前半は立派な婚姻適齢期であった。第二次性徴が始まれば、当然に家族を作る資格があるとされていた。性交に励み、家族を増やすことは一家のためであり、部族のためであり、国家のためでもあった。
しかし、その常識を突き崩したのは科学技術の進歩と産業革命であった。この飛躍的に生産力を増大させた技能を修得するためには、高度な知識が必要であった。その知識を身に付けるには、十代の大半を教育に捧げる必要があった。
社会を富ませ、国家の力を増大させるためには、高度な教育を受けた人材が必要不可欠となった。それゆえに、子供たちは未完成な人材であると同時に、未来への貴重な財産ともなった。子供たちを労働力として濫用することは、社会にとって好ましくないとされ、当然に幼いうちからの婚姻さえ忌避される気風を生み出した。
こうなると、長年にわたり当然に存在した幼い売春婦は姿を消し、未成年の婚姻は禁止された。ただし、これは西欧の近代文明を受け入れた国での限定的なものでもあった。その証拠に今でも子供たち同志の婚姻、幼い売春婦は後進国では珍しくない。
事実、欧米で児童ポルノが忌避されるようになると、豊かな白人たちはアジア、アフリカに現われ幼い子供たちを買い漁り、その性欲を満たしていた。長年の慣習はそうそう止められるわけがない。それを問題視した欧米の人権運動家たちが、ますます貧しい後進国での児童ポルノを告発し、その当て馬として日本が狙われているのが実情だ。
勘違いされると嫌なので、断言しますが私は幼児性愛行為には反対です。性交渉の準備ができていない幼い子供を性の対象とすることは、やはり断固として禁止されるべき。しかし、十代前半ともなると、私には疑問が出てくる。
私はおくてだったので、二十歳前後だったが、周囲には中学生の頃から性交渉に励んでいる奴らが沢山いることは知っていた。たまに避妊にしくじる奴もいたが、大概は避妊に十分注意を払い楽しんでいた。これも児童ポルノ規制の対象なのか?なんか不自然だぞ。
私自身は年の近い女性でないと、気持ちが乗らないので性風俗でしか十代の娘さんとは経験がない。実際、本人の口から年齢を聞いて「嘘~!」と言ったら、相手が意地になってバイクの免許証を出してきたので絶句した。まさか十代半ばとは思わなかった。20年前のことでしたが、今なら犯罪だわさ。でも、凄い色っぽい娘さんだった。
頭のいい子で、話していても面白かったので何度か指名したが、ある時初体験は小学6年と聞かされ絶句した。俺よりベテランだわさ。本人曰く「ほかに面白いこと、なかったしね」とのこと。学業は駄目だったようだが、性愛の技術は相当なものだったと思う。なにより、本人が一番楽しんでいたようだった。
児童ポルノ規制の趣旨は分る。分るが人類は永年にわたり若い娘さんを性交の対象とすることを容認してきた。それを今更規制しようとしたところで、上手くいくのだろうか。
児童虐待の防止や幼児性愛の禁止は是非とも進めるべきだが、ロリコンを無くすことは出来ないと思う。同時に十代のやりたい盛りの男女の気持ちまで止めることは出来るはずがないと思うぞ。
先進国中、唯一児童ポルノの所持を違法化していなかった日本だが、ようやく法規制の網がかけられそうだ。そのことは悪くないと思いつつも、私はいささかの懸念を禁じえない。いったい、どんな基準で児童ポルノを規定するのだ?
私が初めて児童ポルノなる代物を眼にしたのは、中学生の頃だったと記憶している。知人の海外旅行の土産物のなかに混じっていた児童ポルノの写真集には、文字通り仰天した。
明らかに小学校高学年、まだ性器が十分発達しているとはいえない子供たち同志の性行為を撮った写真。大人と子供の性行為を撮った写真。金髪璧眼の老若男女が太陽の下、笑顔で緑の芝の上で性交をさらしている写真集には驚愕を禁じえなかった。
第二次大戦後、ピルの普及とともに人類、とりわけ西欧先進国は性行為から生殖を除くこと(避妊)に成功した。ひたすら快楽のためだけの性行為は、旧習からの開放の意味を持ち、フリーセックスの風潮を広めた。
児童ポルノが出てきたのも、その流れのなかの一貫だと思われる。もっとも、書店で堂々売られているわけではないらしく、やはりその手の怪しい店で買ったのだと聞かされた。このあたり、建前と本音なのか、よく分らない。
古代より人類にとって、生きていくために食糧の確保は重要であった。農作業にせよ、狩猟にせよ人手の多さは重要な要素であった。それゆえ、身体が小さかろうが、性交が可能な年齢になれば当然に婚姻がなされ、産めよ増やせよが当然の常識であった。
現代の良識ある人たちは、しらばっくれているが、人類の歴史上ほとんどの期間、十代前半は立派な婚姻適齢期であった。第二次性徴が始まれば、当然に家族を作る資格があるとされていた。性交に励み、家族を増やすことは一家のためであり、部族のためであり、国家のためでもあった。
しかし、その常識を突き崩したのは科学技術の進歩と産業革命であった。この飛躍的に生産力を増大させた技能を修得するためには、高度な知識が必要であった。その知識を身に付けるには、十代の大半を教育に捧げる必要があった。
社会を富ませ、国家の力を増大させるためには、高度な教育を受けた人材が必要不可欠となった。それゆえに、子供たちは未完成な人材であると同時に、未来への貴重な財産ともなった。子供たちを労働力として濫用することは、社会にとって好ましくないとされ、当然に幼いうちからの婚姻さえ忌避される気風を生み出した。
こうなると、長年にわたり当然に存在した幼い売春婦は姿を消し、未成年の婚姻は禁止された。ただし、これは西欧の近代文明を受け入れた国での限定的なものでもあった。その証拠に今でも子供たち同志の婚姻、幼い売春婦は後進国では珍しくない。
事実、欧米で児童ポルノが忌避されるようになると、豊かな白人たちはアジア、アフリカに現われ幼い子供たちを買い漁り、その性欲を満たしていた。長年の慣習はそうそう止められるわけがない。それを問題視した欧米の人権運動家たちが、ますます貧しい後進国での児童ポルノを告発し、その当て馬として日本が狙われているのが実情だ。
勘違いされると嫌なので、断言しますが私は幼児性愛行為には反対です。性交渉の準備ができていない幼い子供を性の対象とすることは、やはり断固として禁止されるべき。しかし、十代前半ともなると、私には疑問が出てくる。
私はおくてだったので、二十歳前後だったが、周囲には中学生の頃から性交渉に励んでいる奴らが沢山いることは知っていた。たまに避妊にしくじる奴もいたが、大概は避妊に十分注意を払い楽しんでいた。これも児童ポルノ規制の対象なのか?なんか不自然だぞ。
私自身は年の近い女性でないと、気持ちが乗らないので性風俗でしか十代の娘さんとは経験がない。実際、本人の口から年齢を聞いて「嘘~!」と言ったら、相手が意地になってバイクの免許証を出してきたので絶句した。まさか十代半ばとは思わなかった。20年前のことでしたが、今なら犯罪だわさ。でも、凄い色っぽい娘さんだった。
頭のいい子で、話していても面白かったので何度か指名したが、ある時初体験は小学6年と聞かされ絶句した。俺よりベテランだわさ。本人曰く「ほかに面白いこと、なかったしね」とのこと。学業は駄目だったようだが、性愛の技術は相当なものだったと思う。なにより、本人が一番楽しんでいたようだった。
児童ポルノ規制の趣旨は分る。分るが人類は永年にわたり若い娘さんを性交の対象とすることを容認してきた。それを今更規制しようとしたところで、上手くいくのだろうか。
児童虐待の防止や幼児性愛の禁止は是非とも進めるべきだが、ロリコンを無くすことは出来ないと思う。同時に十代のやりたい盛りの男女の気持ちまで止めることは出来るはずがないと思うぞ。