ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

トムラウシ遭難に思うこと

2009-08-06 08:43:00 | 社会・政治・一般
先月中旬に飛び込んできた悲しいニュース。

北海道、大雪山系のトムラウシ山における大量遭難事故。大半が疲労凍死による死亡であるようだ。北海道の山は、標高が2000メートル以下が大半であり、またなだらかな山が多く気軽に登れる山でもある。

ただし、その難易度は本州の3000メートル級のアルプスに匹敵することは、なぜかあまり知られていない。当たり前だが、北海道は本州に比して緯度が高い。そのため、気温が低く、ひとたび風が吹けば遮るもののない高所特有の強風が吹き荒れる。

強風は体温を奪う。まして汗や雨で濡れた身体は、風に体温を奪われやすく、容易に低体温症に陥りやすい。アルプス級の山では木が育たない。それゆえに地表を這うような潅木(這い松など)が地表を覆う程度で、風から身を隠す場所がない。

温度が10度程度でも、風速20メートルの風が吹けば体感温度は氷点下10度に感じる。ましてや身体が濡れていたならば、体感温度はマイナス20度ちかくになる。当然に体温は奪われ、体力は急激に落ち込み、極度の疲労で判断力は鈍る。体力の落ちている高齢者や、山に不慣れな初心者は、あっといまに低体温症になり、夏でも疲労凍死することは珍しくない。

率直にって、リーダーがしっかりしていれば避けられた事故だと思う。思うが、観光業者主催の登山ツアーだと聞くと、私がリーダーだとしても、本当に避けえたのかいささかの疑問がある。

断言できるが、私の大学時代のワンゲル部の登山であったら、あのような事故はまずなかったと思う。根本的な違いは規律にある。我が母校のワンゲル部は上下関係が厳格で、リーダーの指示は絶対であり、わがままは許されなかった。誰もがリーダーになれるわけでもなく、厳しい訓練を通り抜けた者だけがリーダーとして認められていた。

だからこそ、メンバーのリーダーへの信頼は絶大であり、リーダーは自らの判断で危険と判断したならば撤退の判断を素早く下す。事実、私は大学4年間で何度も撤退している。正直、悔しい撤退は何度もあったが、事故を起さなかったことは誇りに思っている。

撤退は敗北ではない。登山における敗北とは、遭難を起こし無事に下山できないことだ。言い換えれば、生きて無事に山を降りることこそ至上の使命でもある。

しかし、この厳しい現実を理解していない登山者は少なくない。ましてや高齢者登山のブームに流され、軽い気持ちでプロのガイドに引率されたようなパーティ登山の参加者に、それだけの覚悟はないであろうことは、容易に想像が付く。

金を払って旅行に参加した以上、もとをとろうとして無理をしたがる参加者は必ずいると思われる。しかも、長い人生のたそがれをむかえた高齢者たちだ。自分の意見が尊重されることに馴れ切った人が多い。ぶっちゃけ、我がままな人が多いことは、普通の観光ツアーでも常識だ。

そして残念なことに、プロの登山ガイドにはまだまだ威厳が足りない。国家資格でもあるヨーロッパ・アルプスのガイドたちの権威は絶大だ。参加者は登山ガイドに従うことは当然のこととされる。しかし、日本のプロガイドは、まだ歴史が浅く、十分な権威と実力の裏づけがないのが実情だ。

今回のトムラウシの大量遭難事故では、リーダーたる登山ガイドの不手際があったことは、ほぼ間違いないと思う。ただ、参加者たちにも問題はあったと思う。登山は観光旅行ではない。山は人が自ら生き延びる努力をしなければ、生きて帰ることすら容易には許してくれない。その努力を怠った観光気分の登山者たちにも当然に責任はある。

登山ガイドや観光業者が批難されるのは、致し方ないと思う。でも、十分な準備をしなかった参加者だって、責任はあると思う。その責任が遭難死という形で贖われたことは不幸だと思うが、生きて帰れた人が賢しげに観光業者たちを批難するのは如何なものかと思う。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする