「カーテン」の記事が、また急にアクセスランキングの上のほうに来ている。三谷幸喜版「オリエント急行殺人事件」の効果かもしれない。「カーテン」の感想を書いたんだから、「オリエント」も書くんだろうな?という圧力なのかもしれない。
というわけで、一応感想を述べてみる。
僕は「オリエント」の原作を3回くらい、アルバート・フィニーの映画を5回くらい、デビッド・スーシェのテレビ版を1回見ている。
まず第1夜を見て、本当に三谷幸喜は映画版が好きなんだなあと思った。映画の雰囲気、カメラアングルをやれる範囲で精一杯再現している。下関駅なんて日本の駅っぽく待合室はしょぼいんだが、ホームは光の具合や蒸気の具合、空間の広がり感など映画のイスタンブール駅そっくり。特急「東洋」の中は、木製の部分が若干新しめに見えたり、食堂車も本物を使ったであろう映画には適わないが、コンパートメントの中の狭さや斜め上からのアングルなんかは、映画をリスペクトし過ぎ!と思った。
野村萬斎の演技がウザいという評価が多いが、あれはアルバート・フィニーの演技の忠実な再現だと思う。アルバート・フィニー風の発声が、野村萬斎の本職の発声法に近く、なるほどそういう意味でのキャスティングかと納得した。演技だけじゃなく、よだれ掛けみたいなマフラーなど珍妙な服装も映画のポワロそのままである。
保土田は九州人だから何をするかわからない的な話が執拗に出てくるが、あれは原作のフォスカレリが、すぐ熱くなる残虐なイタリア人というステレオタイプな設定をされているのを、なんとか日本の話として移植したものだ。
第1夜はおおむね原作に忠実に作られていたが、7号室と8号室の間の扉(続き部屋で使うリッチな客のための通路)のカギがかかっていたかどうかのくだりが、途中から忘れられていたような気がする。原作では犯人たちは一度実際にオリエント急行でリハーサルをしており、その時はカギの位置が取っ手の下にあり、取っ手に化粧ポーチをかけていたので見えなかったという筋書きにしていたのが、本番では鍵の位置が上で失敗、という話だ。
あと、これは第二夜で明かされた話だが、昼出川が扉にぶつかったり、赤いキモノの女が徘徊したりは、勝呂を寝かせないためではなく、原作では犯行時刻をわからないようにするためだったような。
うちの奥さんには「キミが類似のトリックを見たことがなければ、意外な犯人に腰を抜かせるかもしれない」と言っておいたのだが、類似のトリックを見たことがなかったのに、大して驚いてなかった。僕は小学生のころ原作を読んでひっくり返ったものだが。映画もそうなのだが、剛力家の関係者だらけだということをわかりやすく見せすぎたかもしれない。
第2夜は犯人視点のドラマだと直前に知って、面白いアイディアだなあと思った。犯人が犯行に至る経緯は、原作では謎解きの中にちらっと出てくるだけなのだが、そのチラっとだけでも想像力を刺激する話になっていたのだ。マックイーン(幕内)とマスターマン(益田)が、なんとかラチェット(藤堂・カサケン)に雇われたとか、デベナム嬢(馬場)とアーバスノット大佐(能登大佐)が中心になって作戦を考えたとか。それを膨らませれば、そっちもドラマになるんじゃないかというのは、清州会議だけで映画を一本撮ってしまう三谷幸喜らしい発想だ。
ところが、犯人たちがなかなか一致団結しない。それぞれを仲間に引き入れる苦労が、一つ一つエピソードになっていた。原作では、全員が黙って自主的に、ひそかに集まり、その場にいないラチェットに静かな怒りを持って死刑を宣告するイメージなんだけど。
まあ、三谷幸喜は喜劇作家だから、シリアスだけではないと思っていたが、姉と姪が殺されているのに杏は軽すぎた。杏は一番原作・映画のイメージから遠い。轟侯爵夫人も、ドラゴミノフ侯爵夫人ほど気難しくなく、ちょっとしゃべり過ぎだった。喋り方は全然違うのだが、昼出川はヒルデガルド・シュミットに見た目が似ている。
映画のアーバスノット大佐は、あのショーン・コネリーなのに、他の役者が大物過ぎて意外におとなしく目立たないのだが、能登大佐は第二夜の主役級だった。
幕内も原作とはちょっと違う。マックイーンはアームストロング家の書生だったと思うが、幕内はキモいストーカーだった。
益田がナイフを逆手に持って、さっと刺すシーン、映画のベドウズ/マスターマンの動きにそっくり。佐藤隆は映画を見て練習したに違いない。
羽佐間が藤堂の用心棒を引き離すために、ひとりでアクションをやってた。ハードマンは原作ではわき役だが、三谷版は全員に見せ場があるように作られていた。そこはさすがだと思った。
羽佐間で思い出したが、彼が一晩中ドアを少し開けて見張っていたが誰も通らなかったという証言は、他の車両の乗客に嫌疑がかからないようにするためで、犯人たちの正義感を表現する部分なのに、三谷版ではさらっと流された。
原作と映画では、第1の解答(外部犯人説)は足跡のない雪で不可能になってたりせず、駅で逃げたことになっている。ブック氏(莫)が、この事件はそんなに単純ではないと一蹴し、ポワロは「第1の解答も忘れないでくれ」と前置きしてから第2の解答を披露。感動したブック氏が「絶対に第1の解答が正しい」と言い切って、犯人たちが捕まらないという流れだ。
どんな事情があっても殺人を認めないポワロなのに認めた、いや他人に判断を委ねることで逃げたのだ、などと批判されたりもしたが、僕は原作の流れが一番自然だと思う。三谷版の、証拠を消させることで、勝呂が自主的に犯行を許したのは、ちょっとやりすぎ。初めて捜査に失敗したとか言ってるし。
全体的には、映画を日本で限界まで再現した第一夜の努力に拍手。だけど第二夜はちょっと悪ふざけしすぎたかな、という感じ。