曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

映画「君の名は。」周回遅れの感想

2017-07-28 22:44:04 | テレビ・映画
ほとんどの日本国民が劇場に足を運んだと思われる大大ヒット映画「君の名は。」をようやく見た。

今回は出遅れたけど、僕は一応新海誠作品を全部見ている。ファンでも何でもないのだが、「ほしのこえ」から順に、全て見ている。

新海誠は、初恋の女性とのうまく行かなかった運命を、色んなパターンで描く人だと思っていた。色んなといっても、大抵は宇宙か空が絡んで、大体は独りよがり気味な理屈で、彼女との概念的な結びつきのようなものが語られる。

そんなだから、今回もメソメソした話なんだろうと思ったら、まさかの250億円超えである。ついに老若男女皆に分かる話を作れたのか、クソっとか思っているうちにタイミングを逃し、劇場にはいかないまま今日に至る。

見終わったところだが、まだレビューや解析の類は読んでいない。皆さんが劇場を出た直後の状態である。疑問や腑に落ちないところが多々あるのだが、モヤモヤしたままだ。今この映画についてそんな状態の日本人は希少種だろう。

せっかくそのような珍しい状態なので、このまま感想を書いてみることにする。他の国民の皆様には、今頃なんでそんなことを知らないんだ、それはこうだってみんな知ってるわ、ってのが多々あると思いますが、遅れたやつもいるもんだと思ってくれて結構です。

だって僕はさっき見たんだ!一年間ネタバレしなかったんだぞ!高校生男女が中身入れ替わるってこと、曲が前前前世だということ以外、一切の情報なしで見ました。すごい情報遮断力だろ!

前置きが長くなったが、この映画を一言で言えば、金をかけたハッピーエンドな秒速5センチメートル、だ。なんか凄腕プロデューサーが売れるように色々やったと聞いたが、新海誠はあんまり変わってなかった。フルサイズの映画なので秒速より長く、あの手この手でくっつきそうになったり、やっぱり離れたりするが、根底にあるのは相変わらず「生涯忘れられない女性と離れ離れになってしまった」ことを宇宙的なスケールで表現した、といういつもの奴だった。安心したと同時に、何でこれが全国民にウケたのかは分からなかった。

進歩したのは最後だ。「雲の向こう」では向こうがまともな状態ではなく、秒速では向こうが婚約していたが、今回はしっかり声をかけることができた。やればできるじゃん。

女と離れ離れになったままメソメソする話ばかり作るので、新海誠は実際にそういう女性との辛い思い出を引きずってるのだろうと想像していたが、彼はアカリにも負けない美人と結婚し、子役タレントもやれるかわいい娘もいる。秒速みたいなのは、やはり「作り」だったのだなーと思う反面、君の名はにも持ち前の女々しさがそこはかとなく漂っていて、すげえなと思った。幸せだったらあの女々しさは出せないよ。クリエイターとして技術的に出してるんだからすごい(褒めてます一応)。

男女の中身が入れ替わるという鉄板のネタ(大林宣彦の「転校生」というビッグネームがあるのに、またそれやるのか、それを使っちゃおしめぇよ的な意味も含む)なのに、入れ替わりの騒動はあんまり描かず、いつの間にか隕石から町を救うプチ・ディープインパクト的な話に変わっていた。さらにタイムスリップ要素も加わり、時空を越えて男女が出会う「時かけ」展開に。予想外の展開がテンポよく続いてギャグパート(てっしー部分)も新海にしてはまあまあでダレるところがなく、一気に見れたが、なんだかよく分からんかったな~、もう一回見ないとわからんな~、と思った。

しかし、突っ込みどころ満載だよね、この映画。

瀧君と三葉の世界には3年もズレがあるのに、二人とも気づかないのが変。iPhone使ってるけど、3年もあれば4から5sになってるんだぞ。やってるテレビ番組も違うし、都知事も違うし(首相は同じかも)、あれだけ入れ替わってれば気づくでしょ。

あと個人的なことだが、瀧っていうと電気グルーヴのピエール瀧を思い浮かべてしまう。しかも瀧って下の名前だってエンドロールで知ったわ。なんちゅー命名だ。

互いに好きになる理由がよく分からなかった。美男美女の高校生が入れ替われば好きになるという、決めつけというか、そこに何の疑問も持たずにストーリーを作ってしまった感じ。

互いの顔、身体の隅々までよく知っているけど会って話してはおらず、交流は日記のみ。三葉は奥寺先輩とのデートをコーディネートまでしている。そこで他に好きな人がいると指摘されたり、涙を流したのが説明なのだろうが、好きになった後だ。瀧君が鏡を見て三葉が美人であることを意識するシーンを入れるとか、もうちょっと何かあるだろ。瀧君おっぱいばっかりじゃん。

三年前とはいえ、瀧君が隕石が糸守町に落ちたことを知らないのもビックリだった。あれは視聴者も知らないことなので、余計にだ。祭りの夜、彗星が二つに割れたのはもちろんわかったが、あれが落ちてきて大惨事になるなんて雰囲気も演出も伏線もなかった。あの世界の日本人には東日本大震災並みに常識だったと思われる事件なのに知らないってのは、いくらなんでも不自然だろう。

あとタイトルね。入れ替わってたときの記憶がどのように消えていくのか、明確な(作品世界の)ルールが示されてないので、なぜここで思い出せなくなってきたのか、焦った方がいいのか、まだ大丈夫なのか、毎回首を捻ることになった。ばあちゃんが何か語っていたが、ざっくりした説明でよく分からんかった。「君の名は。」というタイトルにしたいから忘れる設定にしたのか、と思ったりもした。

名前は忘れても、赤いリボンは覚えてるんだよな。致命的に忘れてしまうのに、三葉の手に「たき」ではなく「すきだ」とか書いたり。そのせいで5年間苦しんだのかもしれないんだぞ。行動に合理性が無さすぎる。

ヒットしすぎたから次作がプレッシャーで大変だろうと思ってたけど、このように、完成度を高める余地がまだたくさんあるので大丈夫だろう。

僕が挙げた突っ込みどころや、疑問点は、日本国民の皆さんにとってはすでに解決済みなのだろう。ピュアな状態での感想を書き終わったので、僕としても情報解禁である。まずはWikipediaを熟読してみよう。

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