曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

「真田丸」第38回「昌幸」の感想

2016-09-26 19:41:06 | 大河ドラマ


九度山に越してきた真田一家。監視はつくが、村の中ならそれなりに自由。信繁は、真田の郷にいた頃のように山歩きとかしたいなー、などと呑気に言ってみたり、きりに「お前はいつも居るな!」と平常運転。

佐助が一日で家を作ったという。
「素破ですから」

彼はきりに気があるらしい。きりの顔とファイティングポーズを決めている自分の姿を描いた絵をきりに見せる。写実的でかなり上手い。
「絵も上手なんですね」
「素破ですから」

信繁は村長のところに挨拶にいく。きりが気を利かせて南蛮ボーロを持っていくが、村長は「早く赦免されていなくなるか、死んでほしい」と酷い対応。

いつのまにか月代を剃っていた信之は、せっせと赦免要請の手紙を書く。意外に優しい本多正信が、そろそろ(許してやれば?)……というが、家康は真田昌幸を死ぬまで出さないつもりである。

手紙から信之が幸の字を捨てたことが判明。
昌幸「お前、拾っておくか? 幸信繁…とか…」
信繁「…考えておきましょう…」

パッパよ、幸信繁とか、かなで六字とかありえないだろ。

家康は征夷大将軍になった。幕府を開いたという話はなかったが、すぐに秀忠に将軍位を譲った。これで将軍は徳川の世襲ということになった。

加藤清正は、立派に成長した秀頼を家康に見せる。清正は、家康側に座り直すことで上座と下座を入れ換える頭脳プレーも披露。家康は秀頼のオーラに気圧され、臣下のように「ご無沙汰しておりまする」と言ってしまう。

家康「あれは本当に太閤の子か?」
正信「なかなか立派な若武者でしたな」

秀頼が凡庸なら豊臣家を残してもよいが、優秀すぎるっぽいので滅ぼすことに決定。気圧されてたくせに。

ついでに加藤清正を消すことに。二代目服部半蔵がすれ違い様に毒針を刺した。毒はすぐには効かず、清正はナレーションで死を告げられる、いわゆる「ナレ死」で処理された。

ナレ死といえば、本多忠勝も引退宣言だけ映してナレ死した。

逆に(?)ナレーションすらない生もある。はるのお腹が大きいシーンはあったが、なんの説明もなく信繁の嫡男大助が登場。もう一人、娘も生まれた模様。九度山生活も10年ほど過ぎてしまっている。きりは30代後半から40だろうし、側室の目はなさそう。佐助ともどうにもなっていない。

その大助、罪人の子と呼ばれて苛められているらしい。

信繁「我らは罪人ではない。流れでこうなっただけのこと」

後の政権に楯突いて何千人も殺したんだから罪人扱いされても仕方ないような気もするが、「流れでこうなっただけ」は、いろんな言い訳に使えそうなフレーズだ。覚えておこう。

昌幸は大助に苛められたときの策を授ける。土下座する振りをして噛みつけ。指の間に小枝を仕込んでおいてグーで殴れ。さすが「表裏比興の者」、やり方が卑怯すぎる。

と、その時、昌幸が前のめりに。そして皆が見守る死の床シーンへ。徳川と戦う策を信繁に授ける。いろんなレビューで時代遅れとか書かれているが、戦を引き伸ばせば反徳川勢力が立ち上がるのくだり以外は、昌幸らしく極めて実戦的で理に叶った、且つ巧妙な戦略だった。京都から何重にも陣を強いて消耗させ、最後は大坂城で迎え撃つ。

ただ、「軍団は一つの塊と思うな、一人一人が想いを持っている」は、「みんな違ってみんないい」的でちょっと萎えた。昌幸は兵力を二手に分けるのが好きだから、そういう考え方のことかと思ったのに。

最初は流石の草刈正雄も年取り過ぎでは、と思ったが、頻繁にボケが挿入される三谷幸喜の脚本とマッチして「本物の真田昌幸像」といったイメージを超える新しい真田昌幸を作ったと思う。本当にお疲れさまでした。

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