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森羅万象 ~ 歩く印象派

立山に氷河か、国内で初めて確認の可能性

2011年11月15日 22時53分10秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
  • (2011年11月15日14時03分  読売新聞)
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剱岳の小窓雪渓にあるクレバスの内部を調査する研究チーム(今年9月頃、立山カルデラ砂防博物館提供)

 富山県の北アルプス・立山連峰で氷河が現存することが国内で初めて確認される可能性が出てきた。

 立山カルデラ砂防博物館(富山県立山町)の研究チームが、雪渓内の氷塊が流動しているのを観測し、15日、東京都立川市で開かれた極域気水圏シンポジウム(国立極地研究所主催)で発表した。

 氷河は、一年中解けず、重みで長期間、流動する氷の塊。日本雪氷学会から認定されれば、極東アジアでは、ロシアのカムチャツカ半島とされる氷河の南限が一気に下ることになる。

 研究チームが調査した氷塊は、立山の主峰・雄山(おやま)(3003メートル)の東側斜面にある御前沢(ごぜんざわ)雪渓と、剱岳(2999メートル)北方稜線(りょうせん)の 東側にある三ノ窓雪渓と小窓雪渓の計3か所。御前沢の氷塊は長さ700~800メートル、幅が最大250メートル、厚さ最大30メートル。三ノ窓は長さ約 1キロ、幅100メートル以上、厚さ30メートル以上で、小窓は長さ約1キロ、幅150メートル以上、厚さ20~30メートルだった。

(2011年11月15日14時03分  読売新聞)


福島原発の放射性物質、西日本にも」研究チーム解析

2011年11月15日 22時48分53秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年11月15日5時0分朝日COM

 東京電力福島第一原発の事故で大気中に放出された放射性物質が、西日本や北海道にも拡散しているとの解析を日米欧の研究チームがまとめた。15日の米国 科学アカデミー紀要電子版に発表する。文部科学省は長野・群馬県境で汚染の広がりはとどまったとの見解を示したが、以西でも「わずかだが沈着している可能 性がある」と指摘した。

 米宇宙研究大学連合(USRA)の安成哲平研究員らの研究チームは、大気中の汚染物質の拡散を20キロ四方で計算するシステムを使い、事故後の天候や雨 による放射性物質の降下を加味してシミュレーション。文科省によるセシウム137の測定値で補正して、3月20日から4月19日までの沈着量を算出した。

 分布状況は文科省の観測の傾向と一致していたが、岐阜県や中国・四国地方の山間部で、原発由来の放射性物質が沈着している可能性が示された。北海道にも広がりがみられた。


「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポ

2011年11月15日 20時51分10秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年10月15日11時24分朝日COM

 日本地震学会は、東日本大震災の想定や被害軽減への貢献が不十分だったという反省から、研究者と社会のかかわりかたを考える特別シンポジウムを15日、静岡市で開いた。参加者は、研究や予測の問題を率直に語り、討論した。

 地震の予知・予測研究に長年批判を続けてきた東京大のロバート・ゲラー教授が特別講演で「現在の地震学の考え方である、大きな地震は周期的に繰り返し、 発生前に前兆現象があるという前提は成り立たない」と批判。「従来の地震発生の考え方はリセットするべきだ」と呼びかけた。

 「結果的に、私自身は間違っていた」。東北大の松沢暢教授は自身の発表でこう述べた。宮城県沖ではマグニチュード(M)7級の地震が数十年おきに繰り返 すと予測され、防災対策が進んできたが、発生した地震はM9だった。シンポジウムでは、なぜM9が想定できなかったのか、地震学の常識がじゃまをしたこと などを分析した。これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討する必要があるとした。


増税なら、われわれに

2011年11月04日 05時21分57秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年9月1日(木)「しんぶん赤旗」

欧州の富豪ら主張


 欧州各国が緊縮財政策として、国民生活に関連する分野の予算削減を進めている中、欧州の富豪たちが「富豪に増税を」と主張しています。(ロンドン=小玉純一)


 ドイツの資産家50人のグループ「富裕層に資本課税を」が29日、メルケル首相に対し「財政赤字の打開策は、貧困層に不釣り合いに痛手となる歳出削減でなく富裕層への増税だ」と主張しました。英紙ガーディアン30日付が報じました。

 フランスの富豪16人は23日、週刊誌『ヌーベル・オプセルバトゥール』で、政府の財政赤字削減支援のため富豪らを対象にした特別貢献税の創設を 提唱しました。化粧品大手ロレアル創始者の娘のリリアン・ベタンクール氏や石油大手トタルのクリストフ・ドマルジェリ最高経営責任者(CEO)、航空大手 エールフランスKLMのジャンシリル・スピネッタCEOらが名を連ね、「われわれはフランスの制度と欧州の環境から恩恵を受けており、その維持に役立ちた い」と述べています。

 イタリアでも高級スポーツカーを製造するフェラーリのルカ・モンテゼーテロ社長が、政府資産の売却などの条件をつけながら、「富裕層に求めることから始めなくてはならない」とイタリア紙に語っています。

 これらは、富裕層への増税を呼びかけた米国の著名な投資家ウォーレン・バフェット氏の訴えに呼応した形となりました。

 同氏は、世界最大の投資持ち株会社「パークシャー・ハサウェイ」会長兼CEOで、米紙ニューヨーク・タイムズ15日付に、「超大金持ちたちを甘やかすのはやめよ」と題して寄稿し、自らを含む富豪への増税を政府に求めていました。

 ドイツの50人グループ創始者のレームクール氏は「われわれは教会で教えている者や医師や企業家だ。資産の多くは相続したものだ。われわれは必要以上の金を持っている」「貧富の格差拡大を阻むため手を打たなくてはならない」と語っています。

 フランスのサルコジ政権は24日、増税措置を発表。そのなかで年間所得50万ユーロ(約5523万円)超の世帯への増税を打ち出しています。


除染、除染というより、早く子どもの疎開を 女たちの脱原発 座り込み集会ルポ

2011年11月02日 18時18分11秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

特集ワイド:女たちの脱原発 座り込み集会ルポ

脱原発を訴えてデモ行進する人たち=東京都中央区で2011年10月29日、須賀川理撮影
脱原発を訴えてデモ行進する人たち=東京都中央区で2011年10月29日、須賀川理撮影

 ◇除染、除染というより、早く子どもの疎開を

 「早く子どもたちを避難させて」。東京電力福島第1原発事故から7カ月余り。政府の緩慢な動きに業を煮やした福島県の女性たちが上京し、座り込み による訴えかけを始めた。それを知った全国の女性たちも後に続き、賛同人にはあの大女優の名前も。女たちの脱原発−−その胸にあふれる思いを聞いた。【浦 松丈二】

 ◇自然に近い健康野菜、一転「危ない」と…

 ◇住めない新築、加害者の賠償案なんて

 ◇被災地からの訴え 息長い支援が課題

 10月27日午前、東京都千代田区の経済産業省前に福島県の女性約70人が集まった。原発反対を意味する黄色い服装が目立つ。福島県の女性たちが3日間、さらに、それを支援する全国の環境団体などが5日までの7日間、連続10日間の座り込み集会の始まりだ。

 「子どもたちを7カ月以上も放射能の海の中に放置したまま。母として女として命を未来につないでいく母性が許さない。私たちはこの思いを3日間に 込めて座り込みたいと思います」。企画した福島県の女性有志による「原発いらない福島の女たち」の世話人、佐藤幸子さん(53)があいさつに立った。

 佐藤さんは5児の母。福島県川俣町で被災し、すぐに転校できない中高生2人を残して山形県に避難した。農業を営む夫は、安全な農地を求めて岡山県へ。事故で一家離散の憂き目に遭っている。

 「福島の女性が主催し、経産省前で直接行動に出るのは初めて。しがらみの残る田舎から出てきて声を上げることが、女性にとってどれだけ大変か。政府は重く受け止めてほしい」と佐藤さん。

 この日、参加者らは、原発行政を管轄する経産省の担当者に要請書を手渡した。▽全原発の即時停止と廃炉▽原発を再稼働しないこと▽子どもたちの即時避難・疎開と完全補償▽地元を補助金漬けにして自立を妨げる電源3法の廃止−−の4項目。11日までの文書回答を求めた。

 だが、担当者は「原発への依存度を、中長期的に可能な限り引き下げていくというのが政府見解。放射線量の高い場所では除染に努めたい」と繰り返す だけ。福島市の元養護教諭、佐藤早苗さんが「除染している時は周囲の放射線量が高くなるので、先に妊婦や子どもたちを避難させてから作業をしてほしい」と 訴えたが、回答はなかった。

 「国は除染、除染というけれど……」。懸命に除染をしても、大雨で山から土砂が流れ出ると線量が元に戻ってしまう。まずは「子どもたちを疎開させてほしい」というのが参加者の総意だ。交渉の末、翌日、官邸に場所を移し首相補佐官に要請書を手渡した。

 座り込み2日目。関西電力が経産省原子力安全・保安院に対して大飯原発3号機(福井県おおい町)の安全評価(ストレステスト)を提出し、全国に先駆けて再稼働に向けた手続きが始まった。フクシマを置き去りにして全国の原発で「安全確認」のシナリオがじわりと進行する。

 保安院が入る同省別館前で抗議していた宮城県角田市の農家、杉山仁子さん(51)は「露地ものが健康な野菜だとされていたのに、事故後はハウスも のが安全ということになってしまった。自然に近ければ近いほど危ないということに、価値観が180度変わった。生き方まで否定されたような気持ちです」と 嘆く。

 自然に近い農業を実践してきた。福島第1原発から約60キロ。事故後、屋外で飼っていたニワトリのタマゴから微量の放射線が検出された。屋内飼育に変えて検出されなくなったが、養鶏も、農業自体もやめようかと思い悩んでいる。

 「消費者は、政府に頼らず自ら安全かどうかを判断する材料を必要としている。食品添加物のように放射線量を表示して売らねばならない時代になってしまった……」

 杉山さんら8世帯はカンパを募り放射線測定器を共同購入。今月下旬、一般市民も利用できる低料金の測定室をオープンさせるという。

 座り込み最終日。参加者たちは都心の銀座やJR東京駅周辺をデモ行進した。

 福島県大熊町から会津若松市に避難している大賀あや子さん(38)は、東電本店前で涙が止まらなくなった。福島第1原発から約8キロの場所に35 年ローンで自宅を新築したばかりだった。「新居には地元の材木を使い、屋根にソーラーパネルを乗せ、庭に井戸も掘った。ヤギを飼ってチーズを作るのは私の 担当。自然の中で子どもを授かり、育てていきたかった……」

 「住めない家」のローンが重くのしかかる。「再出発にお金が必要だけれど、加害者が勝手に作った賠償案なんて受け入れられない」と憤る。

 3日間の座り込みには福島県から延べ200人以上、県外から延べ2000人以上が参加した。北海道、大阪、広島、和歌山、富山など国内各地、ニューヨークやロサンゼルスでも福島の女性と連帯する集会が開かれた。

 一方、今月23日に発足集会を開く「脱原発をめざす女たちの会」は、評論家の吉武輝子さんや精神科医の香山リカさん、漫画家の倉田真由美さんらが 呼びかけ「子どもたちに安全な地球を残すため、エネルギー政策の転換、脱原発の実現」を目指す。賛同人には女優の吉永小百合さん、竹下景子さんらも名を連 ねる。

 「女たちの会」の呼びかけ人の一人、田中優子・法政大学社会学部教授は「女性、母親が一番心配するのは子どものことでしょう。除染にしても、避難にしても、目の前の問題に対応しなければならないから、女性の活動は具体的なのです」と解説する。

 「私たちの会は個人の活動を通じて知り合った人たちが連絡を取り合ってできたものです。吉永さんもライフワークとして原爆詩の朗読に取り組んでいます。皆、誰かに言われて参加しているわけではありません」

 吉永さんはドラマ「夢千代日記」で胎内被爆した女性を演じたことから原爆詩を朗読するようになった。7月31日には広島市での日本母親大会で「日本のような地震の多い国では原発はなくなってほしい」と発言。その姿勢は一貫している。

 田中教授は言う。「水俣の公害問題でも被害者が上京して訴えたことで運動が広がった。東北の被災地から出てきて座り込むのは大変なこと。どう息長くサポートしていくか。それが課題でしょう」

  ■

 福島の女性たちの座り込み集会が終わり、全国の女性に引き継がれた。再会を誓って抱き合い、記念撮影をする参加者たち。

 「うさぎ追いし、かのやーまー……」

 「故郷(ふるさと)」を口ずさむ声がどこからか聞こえてきた。

毎日新聞


「地震は克服」「原発で所得倍増」――そんなセリフ満載の「原発PR映画」上映会が開催

2011年11月01日 20時03分11秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2011年11月1日 11時00分
終わらない福島第一原子力発電所をめぐる混乱の中で開催が告知され、注目を集めていた原発PR映画上映会が10月30日、東京大学本郷キャンパスで 開催された。多くの人が駆け付けたが、そこで上映されたのはPRどころか、「プロパガンダ」と呼んだ方が適切な、衝撃的な映像の連発だった。

 この上映会は、前回の記事で記した通り、東京大学大学院情報学環などが行っている「記録映画アーカイブ・プロジェクト」の一環として開催されたもの。参加申込みが殺到し、告知から3日ほどで満員御礼になったという。冒頭、あいさつに立った東京大学大学院情報学環の丹羽美之准教授は、プロジェクトの概要を説明した上で、今回の企画意図を次のように語った。

「3.11以降、原発に批判的な映像作品が上映される機会は多いが、推進側の映像作品は、あまり注目されておらず、忘れ去られようとしている。そこで、推進側では原発がどう記録されているか考えてみようと思った」

 ちなみに丹羽教授によれば、原発を扱った記録映画は岩波映画製作所の手によるものだけで数十本存在し、そのほかを合わせると数百本にも数千本になるかもしれないとのこと。「(財)日本原子力文化振興財団(http://www.jaero.or.jp/)」では、現在も原発PR映像の無料貸し出しをしており、一般の人でも見ることができるという。

 さて、この日上映されたのは原発PR映画3本と、完成直後の福島第一原発を取材したテレビ番組の合計4本。

  最初に上映された『東海発電所の建設記録』は、タイトルの通り1966年に制作された日本初の商用原子力発電所の計画から完成までを描いた作品である。建 設記録なので『プロジェクトX』(NHK)のような展開が想像されるが、そんな要素は一切ない。昭和のドキュメンタリー特有の、怪獣映画のような、おどろ おどろしい音楽で原子炉と原子炉建屋を映し出し、何もなかった海岸に一つ一つ施設ができていく様子が描かれる。ここで建設されたのは、イギリスから輸入し た「黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉(チェルノブイリと同じタイプ)」。技術も輸入品で、ナレーションでも「先進国では~」という表現が出るあたり、日本が 経済的にまだ貧しく、原子力に何かしらの夢を持っていたことを感じさせる。この作品では、そもそも原子炉ではどうやって核分裂を発生させ、エネルギーを発 電まで導くのかが丁寧に説明される。あくまでノリは科学教育映画で、プロパガンダ色は薄い。
東京都教育映画コンクール金賞、科学技術映画祭入選、日本産業映画コンクール 日本産業映画賞など受賞歴が多いのも納得できる作品だ。

 ところが、 次に上映された『原子力発電所と地震』(1975年作品。企画:資源エネルギー庁 製作:鹿島映画)あたりから様子がおかしくなる。タイトル通り、内容は 「原発は地震がきても壊れないようになっています」と解説するものだ。映像では、繰り返し行われる耐震設計のための実験、建設にあたっての地質調査が描か れている。実際の建設にあたっては、岩盤まで掘り下げてから鉄骨とコンクリートによって、原子炉自体を岩盤と一体化させて揺れに耐えられるようになってい ることを解説していく。そして、ナレーションは「(原発は)宿命といわれる地震を克服した」と自画自賛する。3.11以降の状況の中で見ると、なぜ誰も津 波が押し寄せてくることを想定しなかったのか、という疑問がわき上がるばかりの作品である。

 続いての『海岸線に立つ日本の原子力発電 所』(1987年作品。企画:日本立地センター 製作:岩波映画製作所)は「鳥の見た島国のエネルギー」という副題で、各地の原発を空から眺めながら、原 発が地域社会の発展に役立っていることを示すものだ。この映画、冒頭で映し出されるのは、当時、福島第一原発で開催された「エネルギーフェア」なるイベン トだ。原発の安全性をPRするためのイベントなのだが、今見ると悪い冗談としか思えない。しかも、ナレーションは「原発が建設されたことで"浜通りのチ ベット"と呼ばれた、この地域では所得も増え生活が豊かになった」と解説するのだ。さらに、映像は四国電力の伊方原発、九州電力の玄海原発へと移り、風光 明媚な土地に原発が溶け込み、地域社会とも共存していることを語っていく。もちろん、まったくそのようには感じられない。むしろ「どこの原発も海岸線ギリ ギリ。ほかの原発も危ないんじゃないのか......」と余計な不安に駆られてしまいそうな作品である。

 最後に上映された『いま原子力 は...』(1976年。企画:放送番組センター 製作:岩波映画製作所)は打って変わって、原発は本当に大丈夫なのかという疑問を投げかける作品。当 時、3号機までが運転中の福島第一原発で取材に応じた担当者が「アメリカの学者が計算したところ大事故の起こる可能性は50億分の1」と力説している。

 上映後の討論では、『いま原子力は...』を製作した記録映画監督の羽田澄子氏が当時の思い出を語った。

「3.11まで自分がどんな映画をつくったかすっかり忘れていたので、急いで取り寄せた。取材の時に、説明してくれる人が一生懸命話してくれるうちに"これはウソだ"と思った」

 また、東京大学大学院情報学環教授の吉見俊哉氏は、かつて盛んに行われた「原子力平和利用博覧会」について触れ、いかに原子力の平和利用がPRされてきたかを力説。

「日本製の原発PR映画、広報では何がなされて、社会的に意味を持ってきたかは研究が行われていない」

 なお、本日の上映会は、僅かな期間で予約が満員になってしまったため「記録映画アーカイブ・プロジェクト」に参加している「一般社団法人 記録映画保存センター(http://kirokueiga-hozon.jp/index.html)」では、改めて上映を検討中とのこと。

 これらのPR映画を通じて感じるのは、日本ではこれまで原発がもたらす豊かな未来が広く信じられていたことだ。3.11以降の世界で、原発に託した夢は完全に断たれてしまったのか。PR映画を通して、もう一度考えてみてはいかがだろうか。


福島原発2号機で水素濃度上昇 実は今もガス発生が続いている

2011年11月01日 18時19分29秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2011/10/31 19:38

J-CAST ニュース

   「年内に冷温停止」が工程表改訂版に明記されたばかりだが、ここにきて福島第1原発の2号機について「水素濃度が上昇した」と、東京電力が発表した。

   東電は「爆発を心配するレベルではない」と説明しているが、インターネット上では、今回の「異変」について、ちょっとした不安を書き込む人も出ている。

「空気の流れの変化」が影響か

   東電は2011年10月30日、2号機の原子炉格納容器から吸い出したガス(気体)の水素濃度が、30日17時時点で2.7%に上昇したと発表。28日18時現在は約1%と安定していた。水素濃度は、爆発の危険をおさえるため、4%を上回らないよう調整されている。

   2号機では6月末から、水素濃度が上がらないよう格納容器へ窒素を注入している。水素濃度上昇が確認された10月29日夕からは、注入する窒素の量を増やした。31日10時現在の水素濃度は2.7%で、30日夕とくらべ横ばいとなっている。

   窒素注入は1、3号機でも以前から実施されている。

   当初より発生量は減っているが、今も水が分解され水素や酸素の発生は続いているとみられている。不燃性である窒素を注入することで、水素や酸素を格納容器から追い出している形だ。

   ここにきて水素濃度があがった理由は何なのか。水素の発生量が上昇するような原子炉内の異変が起きている可能性はないのだろうか。

   ネット上では、東電による「爆発を心配するレベルではない」との説明に対し、「本当かね?」「水素発生量が増えた可能性も考えろ」といった不信、不安の声も一部寄せられている。

   東電は31日現在、「詳しい原因は調査中」としながらも、「今回の数値上昇は想定の範囲内」と説明した。窒素の注入量の調整により、水素濃度を減らしていくことが可能、ともみているようだ。

   水素濃度が上昇する前の28日夕から、上昇がみられた29日にかけては、実は、2号機の「格納容器ガス管理システム」の本格運用が、28日夕に始まっている。

濃度4%上回っても「ただちに爆発するわけではない」

   この新システム稼働による格納容器内の「空気の流れの変化」が、今回の水素濃度上昇に関係していると、東電ではみているようだ。

   同システムは、格納容器から配管へ出るガス(水素など)について、処理装置を通すことで「放射性物質を99%除去」した上で屋外に放出する。

   稼働前は、窒素注入により格納容器から水素などを「押し出していた」が、稼働後は、新設配管の方へ「機械的に吸い出す」ことになった。このため、「空気の流れが変わった」ようだ。

   では、なぜ「流れ」が変わると水素濃度に変化が出るのか。ちなみに、濃度を測定している地点は、格納容器内ではなく、容器から出た気体を通す配管の途中のポイントだ。

   格納容器内の構造は複雑なため、内部の水素濃度は均一ではない。このため、東電では、新システムの稼働に伴う空気の流れの変化により、濃度数値がある程度変化する可能性を「想定」していた、というわけだ。

   さらに、水素濃度が4%を超えたとしても、「ただちに爆発するわけではない」。「一定濃度以上の酸素」などの条件が重なる必要があるが、「圧力は一定し、外部から酸素が入ってくる要因もなく、火元もない」として、「爆発を心配するレベルではない」と繰り返した。

   水素の発生量自体が増えているのでは、との疑問点については、少なくとも、そうした変化をうかがわせる「原子炉内の温度などの数値の変化」はみられないと説明した。もっとも、あくまで「詳しい原因は調査中」だそうだ。


記事のタイトルを入力してください(必須)千葉東方沖でM4か5級地震の可能性 気象庁が警戒呼びかけ

2011年11月01日 18時11分48秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2011/11/ 1 12:55

J-CAST ニュース

   千葉県の東方沖で、マグニチュード4、5ほどのやや規模の大きな地震が2011年11月に起きる可能性があるとして、気象庁が10月31日に注意を呼びかけた。

   それによると、10月26日ごろから小さな地震が相次ぎ、地下の岩盤の境目が少しずつずれ動いているという。フィリピン海プレートが陸側の岩 盤の下に沈み込んでいる影響で、6年おきぐらいに繰り返される現象だという。4年前の07年8月には、地震活動後に最大で震度5弱の揺れを観測している。


中曽根元首相、慰安所「取り計らい」 旧海軍資料に記述

2011年11月01日 18時00分15秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年11月1日8時43分朝日COM

 中曽根康弘元首相が旧海軍の主計中尉のころ、ボルネオのバリクパパン(現インドネシア)で慰安所の設置に関与したことを示す旧海軍の資料を市民団体「平 和資料館・草の家」(高知市)が入手し、発表した。中曽根氏は回顧録で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と記していることがすでに明らかになって いる。

 資料は「海軍航空基地第2設営班資料」。同館が防衛省防衛研究所の史料閲覧室で見つけた。「第二設営班 矢部部隊」の活動状況が25ページにわたり記されている。隊長、工営長、軍区長と並び、主計長として中曽根氏の氏名があった。

 資料によると、部隊はダバオに上陸した翌1942年にバリクパパンで飛行場の整備などに従事。その際、「(隊員の)気荒くなり、日本人同志けんか等起る 様になる」などとして、「主計長の取計(とりはからい)で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」と書かれている。慰安所の場所を示す 地図もあった。

 27日に記者会見した同館は「中曽根氏が現地の女性を集めて慰安所を設置するよう計らったことは明らか。軍の関与を示す重要な資料」と主張している。

 中曽根氏は「終りなき海軍 若い世代へ伝えたい残したい」(文化放送開発センター出版部、1978年刊)に回顧録を寄稿。設営隊の主計長としてバリクパ パンに上陸した当時を振り返り、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心 して、慰安所をつくってやったこともある」と記していた。

 中曽根氏の回顧録をめぐっては、辻元清美衆院議員(当時社民党)が2007年3月に質問主意書で取りあげたところ、政府は答弁書で「回顧録の中に(慰安所の)記述があることは承知しているが、関係者からの聞き取り調査については答弁を差し控えたい」と回答していた。

 朝日新聞は記者会見があった27日、中曽根康弘事務所にコメントを求めたが、31日までに回答はなかった。(中島嘉克)