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真珠湾で無線使わず 旧日本軍の「戦時日誌」 米で発見

2007年06月09日 23時59分22秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2007年06月08日09時58分 朝日COMより

 旧日本海軍が真珠湾を攻撃する際、米国に艦隊の位置を知られないようにするため、直前まで無線を一切使わない「無線封止」をしていたことを裏付ける「戦時日誌」が米国で見つかった。防衛省防衛研究所が米メリーランド大図書館で入手した。

 発見されたのは、南雲忠一中将率いる海軍機動部隊の中で通信を担当する戦艦「霧島」が属する「第3戦隊」と、航路の警戒などにあたる「第1水雷戦隊」のいずれも1941年12月1~31日の戦時日誌。無線封止が公文書で裏付けられたのは初めて。

 両戦隊の戦時日誌はこれまで42年以降の分しか見つかっていなかった。連合国軍総司令部(GHQ)の戦史室長として日本にいたゴードン・プランゲ教授(故人)が持ち帰ったとみられ、同教授の遺族が01年に同大に寄贈した。

 戦時日誌によると、12月8日(日本時間)の攻撃前の機動部隊の通信手段は、直前の偵察時の1回以外はすべて発光か手旗を意味する「信号」と記述され、無線・電波の発信を意味する「無電」との記述はなかった。戦後の飛行隊長の証言では、同月2日に一時行方不明となった潜水艦の捜索のために電波を発信したとの説もあったが、これについても「信号」と記述されていた。攻撃成功の原因として「機動部隊電波戦闘管制(無線封止)ノ適切ナル実施ハ敵ニ我ガ行動ヲ偵知セシムル隙ヲ与ヘズ」と記述している。

 無線封止の実施はこれまでも多数説として扱われてきたが、ルーズベルト大統領が事前に攻撃の日時、場所を察知していたとする「陰謀説」を唱える研究者が日米双方に一部おり、「南雲中将が無線封止を破って頻繁に電波を発信した」と主張していた。今回の文書はこの主張を覆す材料になりそうだ。

 防衛研究所は「部隊が戦時日誌の記述に反して無線封止を破ったとは考えにくい。米国は日本の攻撃が近いことは知っていたが、ピンポイントで真珠湾を攻撃されるとは知らなかったはずだ」と分析する。

 真珠湾攻撃に詳しい現代史家の秦郁彦氏は「無線封止破りは今までも話題になってきたが、行方不明だった戦時日誌の発見で破っていなかったとほぼ証明されたのは収穫だ。プランゲが収集した資料は他にもあると思われ、さらに調査を進めてほしい」としている。


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