先週、銀座まで足を運んだので「エル・ブリ」と本作、2本見てきました。
私の世代は中学の国語や高校の漢文の時間に「論語」を読まされました。今はどうなんでしょう?
「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始め也」という「孔子の教え」をしっかり守り、
「かわいいピアスをしたいなぁ」と思いながら我慢していた私。
20代の頃、アメリカで出会った中国人(台湾)の友人がピアスをやっていたので、「えっ、孔子の教えは?」と聞いたら「はぁ~?なにそれ?」みたいな反応の上、「すごく簡単なので自分で開けたわ。やればいいのに」と勧められ、頭をぶんなぐられたようなショックを受けました
本家本元の中国人が「孔子」を忘れているのに、律儀に囚われていた私・・・っと、一大決心をしピアスを開けたのでした。
どうも洋の東西を問わず、生まれてすぐピアスを開ける女の子(もちろん親の意思ですが)って多いようです。
アメリカで出産したら頼んでもいないのに「開けときましたよ」って娘の耳に穴が開いていたって聞いたことがあります。
これっていつから? 何でなんでしょう?
目上の人を敬うという儒教思想が日本以上に残っているといわれる韓国で美容整形が盛んにおこなわれている由。「孔子の教え」はもう過去のものなんでしょうか?
パクリだの、偽装だの、手抜きだ、漁船の違法操業だと、様々な方面で他の国々と問題を起こしている中国では、「儒教」はすっかり忘れ去られているように思います。
**********************
孔 子 の 教 え
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< ストーリー >
紀元前501年の中国。晋・斉・楚の大国3国に隣接する小国・魯の国政は混乱していた。
君主・定公は国の安定を築くため、孔子(チョウ・ユンファ)に大司寇の位を授ける。
仁や礼をもって国を治めようとする孔子は、斉との同盟を締結し以前奪われた土地をも取り返す外交手腕を発揮した。
孔子の才能は各国に伝わり、他国の為政者たちも孔子を自国に迎えようと画策する。
国相代理となった孔子は、陰謀により失脚。魯を追放され、追ってきた顔回、子路ら多くの弟子たちと共に
14年に及ぶ諸国を巡る苦難の旅が始まる。
「我、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。・・・」
う~ん、恥ずかしながらこの年になっても惑いっ放しの人生です。
孔子って「思想家・哲学者」とばかり思っていました。
政治家として「礼や仁」をもって国を治めるという理想を追及、
隣国斉に奪われた土地を無血で取り返すという鮮やかな外交手腕。
今の日本に欲しいのは、こういう政治家やないの~。
しか~し、政治とはやっぱり高潔な政治思想では無理なのか・・・。
「白河の清きに魚の住みかねて 元の濁りの田沼恋しき~」やないけれど、
政治の世界は権力とお金のドロドロした世界なのは2500年前も今も何ら変わっていないようです。
14年の苦難の旅で有能な弟子を失った末、魯の国に再度迎えられた孔子が言ったのは・・・
「政治には関わりたくない。学問に専念したい」と。
何だかなぁ~、切ない。
孔子さまは、ええこと ようけ言うてはります。「子 曰わく(し のたまわく)」
「君子は言にとつにして、行に敏ならんと欲す」・・・口数少なく敏捷に行動せよ。
「成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず」・・・できてしまったことはとやかく言わず、諌めず、
過ぎてしまったことは咎めない。
「仁者は難きを先にし獲るを後にす、仁と謂うべし」・・・難しい仕事を進んで引き受け利益は気にしない。
これを仁と謂う。
「過ちては改むるに憚ることなかれ」
などなど、
ずしっと心に響く言葉ばかりです。
もっと勉強しといたらよかった・・・
なのに・・・
中華人民共和国では「儒教は革命に対する反動である」として弾圧され、マルクス主義とは相容れないと
捉えられていたとは。
21世紀に入って再評価され、文化大革命で破壊された儒教関連の史跡及び施設の修復作業が行われているらしいけれど、一度途切れてしまった思想を生き馬の目を抜く現代中国で取り戻すのは難しいでしょう。
だからこそ、儒教を見直し広める為に、この映画を撮ったんでしょうか?
失礼なことを言っちゃいますが・・・
現在のギリシャ人やイタリア人が、あの素晴らしい古代のギリシャ・ローマ文明を作り上げた人たちの末裔とはとても思えないし、今の中国を見ると「礼・仁・義・孝・忠」などの儒教を作り上げた人たちとの子孫とはえないんです。
民族の大移動とかで別の場所に移ってしまったんじゃぁないか?と疑いを持ってます。
あの民族は・・・いま何処?
日本でも、孔子の教えや、倫理や道徳、武士道など、どんどん薄れてきています。
とんでもないスピードで、どんどん価値観が変わっていく今だからこそ
「国家の品格」など品格シリーズが相次いで出版されたり、「正義について」語るのが
ブームになったのかも?
誰しも「人として、かくあるべき道」を探し求めているというか、
何か心の拠り所となるものが欲しいよね。
「論語」読まんとあかんなぁ~。
孔子をもってしても実現できなかった理想の政治を、今の日本の政治家に求めるなんて無茶なことは
言いませんが、もうちょっと何とか・・・ねぇ~。
「言にとつにして、行に敏ならんと欲す」
「難きを先にし獲るを後にす、仁と謂うべし」
あれこれ言うてんと、テキパキ、サクサク、機敏な行動できませんかー?
自分の損得勘定でなく、国益を考えてよ~!
私の世代は中学の国語や高校の漢文の時間に「論語」を読まされました。今はどうなんでしょう?
「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始め也」という「孔子の教え」をしっかり守り、
「かわいいピアスをしたいなぁ」と思いながら我慢していた私。
20代の頃、アメリカで出会った中国人(台湾)の友人がピアスをやっていたので、「えっ、孔子の教えは?」と聞いたら「はぁ~?なにそれ?」みたいな反応の上、「すごく簡単なので自分で開けたわ。やればいいのに」と勧められ、頭をぶんなぐられたようなショックを受けました
本家本元の中国人が「孔子」を忘れているのに、律儀に囚われていた私・・・っと、一大決心をしピアスを開けたのでした。
どうも洋の東西を問わず、生まれてすぐピアスを開ける女の子(もちろん親の意思ですが)って多いようです。
アメリカで出産したら頼んでもいないのに「開けときましたよ」って娘の耳に穴が開いていたって聞いたことがあります。
これっていつから? 何でなんでしょう?
目上の人を敬うという儒教思想が日本以上に残っているといわれる韓国で美容整形が盛んにおこなわれている由。「孔子の教え」はもう過去のものなんでしょうか?
パクリだの、偽装だの、手抜きだ、漁船の違法操業だと、様々な方面で他の国々と問題を起こしている中国では、「儒教」はすっかり忘れ去られているように思います。
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孔 子 の 教 え
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< ストーリー >
紀元前501年の中国。晋・斉・楚の大国3国に隣接する小国・魯の国政は混乱していた。
君主・定公は国の安定を築くため、孔子(チョウ・ユンファ)に大司寇の位を授ける。
仁や礼をもって国を治めようとする孔子は、斉との同盟を締結し以前奪われた土地をも取り返す外交手腕を発揮した。
孔子の才能は各国に伝わり、他国の為政者たちも孔子を自国に迎えようと画策する。
国相代理となった孔子は、陰謀により失脚。魯を追放され、追ってきた顔回、子路ら多くの弟子たちと共に
14年に及ぶ諸国を巡る苦難の旅が始まる。
「我、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。・・・」
う~ん、恥ずかしながらこの年になっても惑いっ放しの人生です。
孔子って「思想家・哲学者」とばかり思っていました。
政治家として「礼や仁」をもって国を治めるという理想を追及、
隣国斉に奪われた土地を無血で取り返すという鮮やかな外交手腕。
今の日本に欲しいのは、こういう政治家やないの~。
しか~し、政治とはやっぱり高潔な政治思想では無理なのか・・・。
「白河の清きに魚の住みかねて 元の濁りの田沼恋しき~」やないけれど、
政治の世界は権力とお金のドロドロした世界なのは2500年前も今も何ら変わっていないようです。
14年の苦難の旅で有能な弟子を失った末、魯の国に再度迎えられた孔子が言ったのは・・・
「政治には関わりたくない。学問に専念したい」と。
何だかなぁ~、切ない。
孔子さまは、ええこと ようけ言うてはります。「子 曰わく(し のたまわく)」
「君子は言にとつにして、行に敏ならんと欲す」・・・口数少なく敏捷に行動せよ。
「成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず」・・・できてしまったことはとやかく言わず、諌めず、
過ぎてしまったことは咎めない。
「仁者は難きを先にし獲るを後にす、仁と謂うべし」・・・難しい仕事を進んで引き受け利益は気にしない。
これを仁と謂う。
「過ちては改むるに憚ることなかれ」
などなど、
ずしっと心に響く言葉ばかりです。
もっと勉強しといたらよかった・・・
なのに・・・
中華人民共和国では「儒教は革命に対する反動である」として弾圧され、マルクス主義とは相容れないと
捉えられていたとは。
21世紀に入って再評価され、文化大革命で破壊された儒教関連の史跡及び施設の修復作業が行われているらしいけれど、一度途切れてしまった思想を生き馬の目を抜く現代中国で取り戻すのは難しいでしょう。
だからこそ、儒教を見直し広める為に、この映画を撮ったんでしょうか?
失礼なことを言っちゃいますが・・・
現在のギリシャ人やイタリア人が、あの素晴らしい古代のギリシャ・ローマ文明を作り上げた人たちの末裔とはとても思えないし、今の中国を見ると「礼・仁・義・孝・忠」などの儒教を作り上げた人たちとの子孫とはえないんです。
民族の大移動とかで別の場所に移ってしまったんじゃぁないか?と疑いを持ってます。
あの民族は・・・いま何処?
日本でも、孔子の教えや、倫理や道徳、武士道など、どんどん薄れてきています。
とんでもないスピードで、どんどん価値観が変わっていく今だからこそ
「国家の品格」など品格シリーズが相次いで出版されたり、「正義について」語るのが
ブームになったのかも?
誰しも「人として、かくあるべき道」を探し求めているというか、
何か心の拠り所となるものが欲しいよね。
「論語」読まんとあかんなぁ~。
孔子をもってしても実現できなかった理想の政治を、今の日本の政治家に求めるなんて無茶なことは
言いませんが、もうちょっと何とか・・・ねぇ~。
「言にとつにして、行に敏ならんと欲す」
「難きを先にし獲るを後にす、仁と謂うべし」
あれこれ言うてんと、テキパキ、サクサク、機敏な行動できませんかー?
自分の損得勘定でなく、国益を考えてよ~!
この映画で知らなかった孔子の政治家としての側面と、不遇の人生を知りました。
有能で清廉高潔でも恵まれるわけではないこの世、本当にこの世はなんとも・・・ねぇ。
複雑な気持ちになりました。
いま中国が世界中で中国語や中国文化の教育及び宣伝、中国との友好関係醸成を目的に設立している公的機関の名前は「孔子学院」です。
排斥し、すっかり忘れられた儒教思想家の名前を冠しているとは、何とも皮肉です。
どちらかというと、儒教というよりは、儒学として学問の方で発展したように思います。
となると、この思想を理解しようと努めるよりは、一つの手段として考えていた、と思います。
本家中国よりも、儒教精神をしっかり根付かせたのは朝鮮半島のように思います。
いつの時代でも、どこの国でも、物事の本質をわかり、正義を貫き、己の信じる道に邁進する・・という人は圧倒的に少ないと思います。
その中でも、孔子なんて人は世界の歴史の中でも5本の指に入る人物でしょうが。
そんな人物でさえ、不遇の人生を送らねばならなかった。。。げにこの世はなんと不完全なものかと思うことしきりです。