のろや

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ウォルシンガム話7

2011-04-13 | 忌日
4/12の続きでございます。


さて、いよいよバビントン・プロットです。

ウォルシンガムといえばバビントン・プロット。
バビントン・プロットといえばウォルシンガム。

バビントンの名を冠してはいるもののこの「プロット」、正確にはトマス・モーガンやバラード神父らベテランのメアリ・スチュアート支持者が計画したものであり、もっと正確には、ウォルシンガムがメアリを捕捉するためにモーガン、バラード、そしてバビントンを巻き込んで仕掛けた、大規模にして巧妙な罠だったのです。

世界の陰謀史に名を残すこの事件に立ち入る前にちょっとだけ、ウォルシンガムの数少ないプライベートの慶事に触れておきましょう。

1583年9月2日、ひとり娘のフランセスが、ウォルシンガムの歳若い友人で文人として誉れ高いサー・フィリップ・シドニーと結婚します。2人はウォルシンガム邸で新婚生活をスタートします。


シドニーとフランセス。

1585年、フランセスが娘を出産。
エリザベスと名付けます。
...いや、いいけどさ。
「おりこうさんだね~エリザベス」とか「いい子にしなさい、エリザベス!」とか言うの?国務長官。
いや、いいんだけどさ。

えっ
名付け親は女王とともに洗礼式に出席したレスター伯ですって。
ははあ成る程。他人の孫を使って女王に媚を売るとは、さすがはロビンさんよのう。

さておき。
しかし孫娘に目尻を下げている暇もあらばこそ、この年、例のだだ洩れフランス大使カステルノーが新任者と交代したことを受けて、ウォルシンガムは矢継ぎ早に新たな手を打ち、メアリ包囲網をひき締めます。

まずは9月、メアリと外部との通信を厳しく規制。その上で、メアリと彼女の支持者たちがその抜け道を見つけて手紙をやりとりし始めるのをじっと待ちます。抜け道を塞ぐためではありません。利用するためです。
大陸には、メアリと彼女の支持者との通信係をしていたトマス・モーガンという男がおりました。スロックモートン事件にも関わり、前回ご紹介したパーリーにはエリザベスの暗殺を勧めた人物です。メアリとの通信手段が断たれて困っていたモーガンのもとに、いいタイミングで現れたのがギルバート・ギフォードという旧教徒の青年。モーガンは彼にメアリとの通信役を頼み、手紙を託してイングランドに送り出します。

フランスからイングランド南東部の港町ライへと渡って来たギフォードを、ウォルシンガムのエージェントたちは捕え、ボスのもとにしょっぴきます。
ギフォードは旧教徒の家庭に生まれ、教皇のお膝元であるローマの大学で学んだ司祭見習いで、大陸のメアリ支持者たちとの付き合いもあり、「メアリ支持のカトリック青年」としての血統書は完璧でした。ウォルシンガムはそんな彼を寝返らせ、メアリのもとに二重スパイとして送り込むことに成功します。ギフォードがこれ以前からウォルシンガムのスパイであったとする説もありますが、確かな証拠がないので何とも言えません。
確かなのはウォルシンガムの手から放たれたとき、ギフォードはメアリ・スチュアート捕捉の決め手となる重大な任務を与えられていたということです。

鷹狩りが好きだったというウォルシンガム。遠くの獲物に向かって鷹を放つというこの狩りのスタイル、密令とともにスパイを差し向ける諜報局長としての彼の姿と重なるものがあるではありませんか。

この年の末、メアリは幽閉場所をこれまでとは別のチャートリ・ホールという所に移されます。
支持者たちとの通信を絶たれた上にこれまでよりも厳しい監視下に置かれることになったメアリのもとに、今やウォルシンガムのエージェントとなったギフォード青年がやってきます。いとも画期的な通信手段を携えて。
チャートリ・ホールの近くにはビール工場があり、そこからチャートリには定期的にビールが届けられておりました。そのビール樽の中に手紙を隠して外部とやり取りするという手段を、ギフォードは提案します。

翌1586年1月、このビール樽通信によって、メアリは密かにモーガンらとの通信を再開します。
ウォルシンガムの仕掛けた罠が、バネをいっぱいに引き延ばして彼女を待ちかまえているとも知らずに。

と言うのもこのビール樽の手紙、実は送信も返信も一通残らずウォルシンガムの手に渡っていたのです。ウォルシンガムのエージェントはもれなく手紙を開封し、コピーしたのち、再び封をして本来の受け取り手に届けていました。手紙は暗号で書かれておりましたが、そこは諜報局長ウォルシンガム、彼のオフィスは封鑞開けの名人の他、暗号解読のエキスパートをも擁しておりました。中でもとりわけ有能であったトマス・フェリッペスという人物、彼は暗号解読だけでなく偽筆の名人でもありました。前の記事でご紹介したパーリー事件の際にパーリーの筆跡で証拠を捏造したのもこの人物とされております。
フェリッペスによって解読された手紙はすぐさまウォルシンガムの手に届けられる手はずとなっておりました。この手紙と外部のスパイからの報告によって、国務長官はこの陰謀の進行具合を、女王やセシルにも詳しいことは知らせないままに、把握していたのです。

一方そんなこととは露知らぬパリのトマス・モーガンは、相も変わらずエリザベス暗殺計画を進行中。春にはメアリを崇拝する旧教徒の青年期族アンソニー・バビントンを抱き込み、今度こそはとこぶしを磨いておりました。

4月、モーガンはくだんのビール樽通信で、共謀者として脈のありそうな若者バビントンにハッパをかけるため、彼が喜ぶような手紙を書いてやるようにとメアリに勧めます。
この手紙を入手したウォルシンガム、近い将来これを有効に活用する機会があると見て、メアリには発送せずに引き出しにしまい込みます。

5月、イングランドに帰国していたバビントンをイエズス会士ジョン・バラードが訪ねます。初めは及び腰だったバビントンにバラード神父は計画の詳細を打ち明け、もと駐英スペイン大使メンドーサ(また出たよこの人)とのやりとりがあったことを示して、スペインが計画をバックアップしていることも教えてやるのでした。
陰謀というのはつまり「旧教徒蜂起&外国軍侵攻&エリザベス殺害&メアリ擁立」という例のあれ。オリジナリティがないなあ。ともあれ、これで乗り気になったバビントンは近しい友人たちに計画を打ち明けました。ハンサムで頭の回転がよく、人好きのする青年だったバビントンは、仲間たちの間でリーダー格になっていきます。
計画に深く関わるからにはイングランド国内にいるのは危険だと判断したバビントン、英国脱出のためパスポートの申請をします。

誰に申請するかって。
こういうことを司っている人にです。
つまり
国務長官ウォルシンガムにです。

ウォルシンガムはバビントンとの3度の面談の間に、何かやばいことに関わってるなら今のうちに打ち明けなさいよ、と水を向けるものの、バビントンはしらを切り通します。あーあ...。
ウォルシンガムがなかなか許可をくれない(そりゃそうだ)一方で、ロバート・ポウリーという親切な人物が近づいて来て、バビントンのためにいろいろと便宜を図ってくれました。彼と心易くなったバビントン、これは信用できる人物だと見て、エリザベス暗殺計画とその正当性についての主張をぺらぺら喋ってしまいます。

はい。
お分かりですね。
このポウリーもまたウォルシンガムのエージェントの一人だったのです。
しかしウォルシンガム、事ここに至ってもなお、バビントンを黙って野に放してやります。
大局的に見て重要なのは、暗殺計画の全容そのものよりも、計画に対するメアリ・スチュアートの関与の証拠だったからです。

スコットランドやスペインに対する戦闘的な姿勢から見ると意外な感じもしますが、ウォルシンガムは取り調べに際していきなり強硬な手段に訴えるということをしない人でした。
ただ「こいつはもはや救えない」と判断するや、以降は悪魔的なまでの非情さをもって事に当たるのです。

3回の面談ののちにバビントンを「もはや救えない」と見限ったウォルシンガム、4月から温存していた例のモーガンからの手紙をここで引き出しから取り出し、メアリに発送します。
それを受けてバビントンに温情ある文書を送るメアリ。
囚われの女王から暖かい手紙を頂戴して有頂天のバビントン。
ギフォードの後押しも受けて、バビントンは7月6日付けの手紙でとうとうメアリ自身に対してもエリザベス暗殺計画を打ち明けます。



バビントンからの手紙。暗号で書かれています。下の方にAnthonie Babingtonの署名がありますね。

7月18日付けのメアリからの返信には、暗殺計画を歓迎するという内容の、メアリ自身の文言が記されておりました。
耳を澄ませてください。バネの跳ねる音が聞こえるでしょう。

メアリの手紙は発送されたその日に暗号解読者フェリッペスの手に渡り、フェリッペスは翌日、解読した手紙のコピーをウォルシンガムへと届けます。その際フェリッペスは、とうとうメアリの首根っこを押さえたぞという高揚感からか、国務長官宛の翻訳文書に、〆印の代わりに絞首台の絵を描き入れたのでした。

メアリ捕捉のための充分な物証を手にしたウォルシンガムは、リスクの大きさを知りつつもう一歩先へと踏み込みます。7月29日付けのメアリ発バビントン宛の手紙には、この陰謀に関わる仲間たちの名前や、陰謀の進捗状況を教えてくださいという内容の「追伸」が記されておりました。暗号で書かれたこの一文はしかし、実はメアリの筆によるものではなく、フェリッペスによって加筆されたものでした。

この大胆な加筆によってバビントンが自分がはめられていることに気付き、全てが崩壊してしまう危険性は充分にありました。”Burley: William Cecil at the Court of Elizabeth I(2008)”に、この状況を巧みに述べた一文がありますので、ちょっとここで引用させてくださいまし。

The question now was whether Babington would write an answer to the Scottish Queen that told her all about the conspiracy. Or perhaps he would go silent, aware that Walsingham's hand was on his shoulder.
今や問題は、バビントンがスコットランド女王に対して陰謀の全てを打ち明けるかどうかだった。あるいは彼は、自分の肩にウォルシンガムの手が置かれていることに気付いて、口をつぐんでしまうかもしれなかった。
p.263

この危険性を充分に承知していた国務長官は、8月2日にはバビントンらの逮捕状を用意した上でとりあえず様子を見ます。翌3日、バビントン逃走の報を受けて追跡隊を繰り出し、4日にはすみやかに黒幕のバラード神父を拘束。数日のうちにバビントンと、一緒に逃亡していた2人の共謀者も捕縛。15日までには、バビントンの仲間らその他の共謀者をそっくり収監、書類を押収。その中には、メアリの手紙を書いた彼女の秘書2人も含まれておりました。

ぱちん、すとん
ときれいな音がして、メアリ・スチュアート捕捉の罠は閉じられたのでした。


次回に続きます。


(追記:このビール樽通信で使われた暗号は、アルファベットをそれぞれ別のアルファベットに置き換える換字式暗号というものでした。短縮化のためか、頻出する固有名詞は1文字の記号で表していたとのこと。Robert Hutchinson著 『Elizabeth's Spy Master』が挙げている例によると、フランス王は”#”、スペイン王は”X/”エリザベスは”V”、メアリは”Z”、ローマ教皇は”X”、「包み」は”8”、「手紙」は”y”で「秘密」は”e”。そしてフランシス・ウォルシンガムを表すのに使われたのはもちろんFでもWでもなく、”_”。なんかヴォルデモートみたいな扱いですな)


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