のろや

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ウォルシンガム話6

2011-04-12 | 忌日
4/11の続きでございます。


ここでちょっと、我らがウォルシンガム長官と違っていささか間抜けだったスパイたちに触れておきましょう。

まず1人目、エドワード・スタッフォード。
ケンブリッジで学んだのち、セシルに目をかけられて議会入り。セシルの使いっ走りとして機密情報の伝達役などを勤めたのち、何がしかの指令を与えられて一時的に渡仏。1570年代後半から、エリザベスとフランス王弟の縁談交渉のため数回に渡ってフランスに派遣され、83年には爵位を与えられ、フランス大使に任命されます。

いやはやこの経歴、サー・フランシスのそれとずいぶん似ているではありませんか。
あるいはセシルは、今や政権中枢の座を占めた(そして必ずしも彼自身と意見の一致しない)後輩ウォルシンガムに代わる弟分を育成しようとしていたのかもしれません。残念ながらスタッフォードは、第二のウォルシンガムたりうるような能力も、自制心も、慎重さも、そして何より女王に対する忠誠心も欠いていたのですが。

セシルの後ろ盾を頼みに、スタッフォードは次第にウォルシンガムに対してあからさまに拒絶的な態度を取りはじめ、ウォルシンガムを迂回してセシルに情報を届けたり、ウォルシンガムの指揮下で進行中の諜報活動を邪魔だてする挙に出ます。ほおお、いい度胸ですな。

そもそもフランス大使への任命当初からこの男の適正に疑問を抱いていたウォルシンガム、早速エージェトを送り込んでスタッフォードの周辺を探らせます。スタッフォードの通信はエリザベス宛のものから母親宛のものまで、ウォルシンガムに傍受されることに。

パリでギャンブルに打ち込み、どっさり借金をこさえていたスタッフォードは、何とかお金を工面するために、メアリ・スチュアートと繋がりのあるギーズ家にイングランドの外交情報を売り渡すという、外交官にあるまじきことに手を染めておりました。
それでもなお借金浸けでもがいているスタッフォードに接近して来たのが誰あろう、スロックモートン事件で国外追放になっていた元駐英スペイン大使メンドーサです。イングランドの情報をくれれば報酬をやるぜというメンドーサの誘いに、スタッフォードは飛びつきます。

その一部始終をロンドンからじっ と見ていたウォルシンガム。
スタッフォードの首根っこを掴んでロンドン塔に放り込む...という早急なことはせず、例の「ひも付きで泳がせる作戦」を採ります。今回は疑似餌つきで。スタッフォードに嘘イングランド情報を掴ませて、それがそのままスペインに渡るという寸法です。しかもスタッフォード周辺からはまっとうなスペイン情報が入ってくる。ウハウハですな。

セシルの庇護、ひも付き作戦、そして1590年のウォルシンガムの死のおかげで、スタッフォードはロンドン塔も拷問台も経験することなく生涯を終えました。ラッキーな男だったとしか言いようがありません。

しかしもう1人の駄目スパイ、ウィリアム・パーリーは、スタッフォードほど幸運ではありませんでした。

パーリーはそもそも借金取りから逃げるのが目的でスパイになることを志願した、いたって情けない経歴の持ち主です。大陸に数回渡って旧教徒と親交を結んだたのち、1584年の帰国時にエリザベスに謁見して「実は私、大陸で女王陛下の暗殺計画に関わってました。これがその証拠の手紙です。でも、ひとえに陛下への陰謀を暴くために、わざとやったんですよ」てなことを報告します。

エリザベス、よくやったとパーリーに報酬を与えます。
それでもまだ借金が返せないパーリー、翌年サー・エドムンド・ネヴィルという人物を巻き込んで、再びエリザベス暗殺計画を練りはじめます。また「暗殺計画を暴露」して女王の覚えめでたくなろうとしたのか、それとも他者からの報酬をあてこんでいたのか、あるいは旧教徒と交わるうちに本気で彼らに肩入れするようになったのか。

ところが今回は大誤算が生じます。ネヴィルによって告発されたのです。
パーリー、前々からこのうさん臭い男の動向を横目で睨んでいたウォルシンガムのもとへしょっぴかれ、国務長官のロンドンはseething通りの自宅(ロンドン塔から徒歩3分)で尋問を受けます。一旦は自白したもののそれをまた覆したりと言を左右にしつつ、何とか女王に助けてもらおうと淡い期待をかけますが、下院は彼を反逆罪で処刑するという決議で一致。哀れパーリーは生きながら内蔵を抜かれることとあいなったのでした。

パーリーが本気でエリザベスを殺害するつもりだったのか、それとも報酬欲しさに二重スパイを気取っただけだったのか、本当の所は分かりません。
しかしたとえパーリーの暗殺計画が単に陰謀を暴くための偽装に過ぎなかったとしても、スパイ網の中央にいるウォルシンガムにとって、パーリーの姑息な立ち回りは目先にとらわれた個人プレー以外の何ものでもありませんでした。

またパーリーは大陸で、前の記事で触れたイエズス会士クライトンや後述のトマス・モーガンといった、本気でエリザベスを殺害しようとしている人物たちとも接触しております。パーリーの暗殺計画は本気であったとすれば充分に危険であり、偽装であったとしても、へまをやらかして、ウォルシンガムの密かな監視下にあるモーガンらを警戒させてしまう恐れがあったのです。

パーリーは結局の所、女王陛下のセキュリティのためには消えてもらった方がいい人物でした。
だからこそウォルシンガムは、有能な偽筆師に命じてパーリーの筆跡を偽造させ、陰謀の証拠を捏造までしてパーリーを確実に刑死へと追い込んだのです。

まったく、哀れなパーリー。
ウォルシンガム長官、そんな彼にひと言アドバイスをどうぞ。



そうなの。
『イギリス国民の歴史』(J.R.グリーン 1986 篠崎書店) から引用しましょう。

実際、たいていの場合、彼女は感謝ということを知らなかった。いまだ嘗て、いかなるイギリス国王にも与えられたことのないような奉仕を受けても、彼女はそれに報いることなど考えもしなかった。ウォルシンガムは、彼女の生命と王位を救うために全財産を投げだしたのに、窮乏のうちに死ぬままにほっておかれた。
p.137-138

ああ。
そうなのですよ。


次回に続きます。


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