のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ウォルシンガム話12

2011-04-24 | 忌日
今回で終了。
寂しいなあ。
でも、そろそろ日常に戻らなくては。


というわけで
4/19の続きでございます。


ご存知の通りエリザベス朝イングランドといえば、演劇文化が花開いた時代でもあります。意外な所に顔を出すウォルシンガム長官、こんな所にも足跡を残しておりました。
1583年、女王陛下専属の劇団「クイーンズ・メン」が編成されます。病欠のサセックス伯を引き継ぐ形でこの任に当たったのがウォルシンガム。1583年といえばエリザベス暗殺計画が活発になりはじめた頃。国務長官、スロックモートンの動向や駄目スパイウィリアム・パーリーの立ち回りを注視するかたわら、2、3ヶ月の間にちゃっちゃと事を取りまとめております。レスター伯を始め、裕福な貴族たちの擁していた劇団からトップスターを引っこ抜いて集めたというのですから、引き抜かれる側としては何ともはた迷惑な話です。でも、どんなに不満でもおおっぴらに文句は言えなかったことでしょう。相手が相手ですから。

劇団結成の背景には多分に政治的な意図があったものと見られております。そもそも女王陛下のお楽しみのためだけであったなら、よりにもよってウォルシンガムに任せられることはなかったでしょうしね。

この女王陛下の劇団、宮中でのパフォーマンスの他、夏には地方巡業も行っておりました。
宮中においては、女王のもとに最高の演劇人を集中させることによって、貴族たちが自らの擁する劇団を誇ってエゴを張り合うのを止めさせる効果がありました。地方においては、女王や枢密院の意図に叶う演目を最高のパフォーマーが演じることにより、エリザベスへの忠誠心や新教への信仰を高める目的があったのです。
また劇団がこのタイミングで、しかもウォルシンガムの指示によって結成されていることから、団員には巡業で訪れた地方において情報を集め、ロンドンで待つウォルシンガムのもとへ報告するという役割もあったものと見られております。この人どうしてもこれなしでは済まされないようですな。

俳優の社会的地位は全般的に低かったものの、クイーンズ・メンは王宮付きの劇団ですから、地方へ行ってもそう下々の者と交わることはなかったかもしれません。クイーンズ・メンとは別に、ウォルシンガムはもっと卑俗な所へも入りこめるドサ回りの役者や市井の芝居関係者もリクルートして、国内外の旧教徒の動向を探らせていました。
この時代の劇作家としてはシェイクスピアに次いで有名なクリストファー・マーロウもその内の1人であったとされております。弱冠29歳で謎めいた死をとげたことから、スパイ活動への関与が彼の死を早めたとも推測されております。

いかに思いがけない所へ顔を出すといっても、マーロウより3年も前に他界しているウォルシンガムが直接的な指令を出すのはさすがに無理というもの。とはいえ、マーロウが酒場でのいさかいの最中に殺害された時、4人の当事者のうち2人がマーロウ自身のようにかつてウォルシンガムの雇われスパイであったことを鑑みると、サー・フランシスが残した諜報機関がマーロウ殺害に関わっていた可能性は確かに否定できないものではあります。

とりわけ事件の目撃者とされるロバート・ポウリーという男、この名前覚えてらっしゃるでしょうか、バビントン・プロットにも深く関わったいわくつきの人物です。カモフラージュのためか本当に疑いをかけられていたためか、バビントンと一緒に逮捕されて一時はロンドン塔に繋がれていたポウリー、ウォルシンガムの口添えで釈放されたのち、愛人に対してこんなことを言っております。

Nay, he is more beholdinge vnto me then I am vnto him for there are further matters betwene hym& me then all the world shall knowe of.
いや、恩になっているのは、おれのほうより彼(ウォルシンガム)のほうさ。なにしろ、世間では知らぬようなことが、われわれ2人のあいだにはいろいろとあるのだからな

『マーロウ研究』北川悌二 1964 研究社出版 p.42

こんな証言に出くわすと、ウォルシンガムの私的な書類が政府によって全て処分されたのは、不要だったからというより、残しておくのがやばすぎたからじゃなかろうかと憶測したくなります。

ウォルシンガム自身が演劇を好んだかどうかは分かりませんが、そのまま芝居の台詞になりそうな金言や、比喩とウィットに富む言い回しをひねり出すのは得意だったようです。
例えば1573年にフランスから帰国した際、エリザベスに対してこんなことを言っております。

‘She had no reason,’ he told her by way of spur, ‘to fear the king of Spain, for although he had a strong appetite and a good digestion,’ yet he―her envoy―claimed to have ‘given him such a bone to pick as would take him up twenty years at least and break his teeth at last, so that her majesty had no more to do but to throw into the fire he had kindled some English fuel from time to time to keep it burning’
スペイン王を恐れることはありません。彼は旺盛な食欲と強い胃袋の持ち主ではあります。しかし私は彼の歯の間に少なくとも20年は取れないような骨を差し込んでやりましたから、ついにはその歯もへし折れることでしょう。陛下は私が起こした火が消えぬよう、時おりイングランドの薪を投げ入れてくださるだけで結構でございます。

これ言ったときは「薪」をこんなにも出し惜しみされるとは思ってなかったでしょう、長官。

しかしこの人、

An habit of secrecy is both policy and virtue
秘密厳守の習慣は賢明なことでもあり、美徳でもある

とか
Video et taceo / See and keep silent
知れ、そして語るな


などという金言を吐いているわりには、デイヴィソン君など信頼した相手には軽率なことをぽんぽん言ってしまうたちだったらしく、初めてフランス大使に任命された際にはレスター伯からその性質を注意されているというのが笑けます。

エリザベスは近しい人々にニックネームをつけるのが好きで、例えばウィリアム・セシルは「私の精霊」、彼の息子で父の後を継いだロバートは背が低かったので「私の小人」、ドレイク船長は「私の海賊」、求婚者フランソワは「私のカエルさん」いった具合でした。
我らが国務長官は「My Moor 私のムーア人」。オセローのイメージからムーア人=ネグロイドと思っておりましたが、アフリカ北西部に暮らすイスラム教徒の総称で、むしろアラブ人やベルベル人を指すのだそうで。今初めて知った。サー・フランシスがこう”命名”されたのは彼が小柄で肌が浅黒かったからだとも、いつも黒服を着ていたからだとも言われておりますが、確かな理由は不明です。
ご本人がこのあだ名をそれほどありがたがったとは思えませんが、時々「my native soil Ethiopia 生まれ故郷のエチオピア」を自虐ジョーク的に持ち出して女王に応酬しております。

エリザベスがちっとも自分の進言を聞き入れてくれないことをあてつけては
The laws of Ethiopia, my native soil are very severe against those that condemn a person unheard...I then be worthy to receive the most sharp punishment
私の生まれ故郷エチオピアでは、言うことを聞き入れてもらえないからといって他人を非難する人間は厳しく罰せられるのだそうです。してみると私などは最も重い罰に値することになりましょうな。

彼女の吝嗇ぶりをなじっては
There was no one that serveth in place of councillor...who would not wish himself rather in the furthest part of Ethiopia than to enjoy the fairest palace in England.
この調子では、陛下にお仕えする議員の中で、イングランドの王宮にいるよりはエチオピアの僻地にいた方がましだと思わぬ者はおりますまい。


furthestとfairest、EthiopiaとEnglandで頭韻を踏んでくるあたり、やりますな。
それにしてもサー・フランシス、絶対君主に対してほんとにこんなこと言ったのかね、とびっくりするほど率直な言葉をしばしばお吐きになります。

Your Majesty's delay used in resolving doth not only make me void of all good hope to do any good therein, the opportunity being lost, but also quite discourage me to deal in like causes, seeing mine and other your poor faithful servants' care for your safety fruitless.
陛下が物事をお決めになるにあたってご決断を先延ばしにされるので、解決のため少しでもお役に立とうとする私からはあらゆる希望が奪われますし、せっかくの機会も失われてしまいます。そればかりか、私の哀れな部下や同僚たちが忠義を尽くし、陛下の安全のために骨折っているというのに、それも無駄になるのを見るにつけ、私は全くやる気が削がれます。

えらく辛辣な言い方です。うまく訳せないのが残念ですが。
面と向かってぶしつけな物言いをするだけでなく、もちろんご本人がいない所でも飛ばしておりますよ。
1585年、ネーデルラント北部7州から代表団がやって来て、エリザベスに諸州の統治権を委ねたいという申し出の文書をウォルシンガムに託します。お伺いを立てるまでもなく女王に断られることは明白でしたが、国務長官、長々とした文書に一応目を通した上で「陛下は1ページ以上のものを読むの嫌がるから、もっと短くしてみたら?」と提案したのでした。代表団の皆さんも、こんなこと言われて思わず固まったことでしょう。

でもその一方で、例のメアリ処刑前のごたごたでポッキリ折れた心を抱えて休職している間に「処刑の遅延によって陛下が直面される危険のほどを思うと、他のあらゆる悲しみよりもそれが何より私の心を苦しめる」なんて泣かせることをレスター宛に書き送ったり。
えっ。レスター伯づてで女王の耳に入ることを期待したんじゃないかって。
うーむ、まあ、そういうことをしそうな人ではあります。

さておき、2つのものを併記して「前者の方が後者よりも危険が少ない」という言い回しをしたり「陛下の病状(優柔不断)は、ちょっとぐらいの治療では改善しそうにない」だの「陛下は病を治すよりむしろ隠そうとなさる」だの、病気の喩えがしょっちゅう出てくるのもサー・フランシスの作文の特徴のようで、分析的な考え方や、若い頃から常につきまとった健康問題の大きさが垣間見えて面白い。いや面白がっちゃ悪いか。

これまでの記事の中でも何度か触れておりますけれども、この人の病弱ぶりときたら、ひとかたならぬものだったようです(心臓だけはやたら強そうですが)。例の泌尿器系の持病の関連疾患か、あるいは他の病気やまずい治療によるものか、熱を出したり胃を悪くしたり頭痛に襲われたり足が腫れたり目に障害が出たり、脇腹の激痛で一晩中眠れないことがしばしば-----どれもこれも休職しなければならないほどの激しさで-----あったり、並べてみるとそりゃもうえらいこっちゃです。1587年にはとうとう仕事中に発作で倒れて、後でレスター伯に「死ぬかと思った」と書き送っております。

I hope I shall enjoy more ease in another world than I do in this.
あの世ではもっと楽に暮らせるといいのですが。


なんて、弱音をお吐きんなるのも無理はありません。



エリザベスお好みの長身の美男子でもなければ颯爽とした武人でもなく、甘い言葉を好んだという女王に対して他の誰もあえてしなかったほど率直な言葉を浴びせ、重要な外交政策においては彼女の意に染まないことばかり主張する上に、あれやこれやでやたら病欠の多いウォルシンガムを、女王がずっと側に置き続けたのは何故だったのでしょうか。

それはとりもなおさず、エリザベスが彼の有能さを高く評価していたためでもあり、またどんなに無礼な言葉を吐こうとも、彼の忠誠は疑うべくもないということが分かっていたからでありましょう。だからこそ、しばしばウォルシンガム自身の主張とは正反対の任務を当の本人に押しつけることにもなったとはいえ、そんな時でも「(leave my) private passions behind me and do here submit myself to the passions of my prince, to execute whatsoever she shall command me as precisery as I may 私自身の感情はさておき、陛下がお命じになることをできるかぎり正確に遂行します」(レスター伯宛書簡)というウォルシンガムの言葉を、女王は完全に信用することができたのです。

では、鋭い知性と大胆さ、広い人脈、高い語学力と緻密な情報網を持ち、時にはマキャベリアン的に仮借のない冷血さを発揮することもできたウォルシンガムが、セシルやレスター伯のように大派閥をこさえたり大邸宅を構えたりすることもなく、病身を押し私財を投げ打って、彼のことを決して好いてはいない主君に対して健気という言葉がふさわしいほどの忠誠を捧げ続けたのは何故だったのでしょうか。

小国イングランドを支えるためにはそこまでしなければならないという政治的確信ゆえか、ケチで優柔不断な女王の側には自分のような人間が必要だという切実な懸念ゆえか、生来の生真面目さゆえか、あるいは「ピューリタン的情熱」ゆえか。
資料をさんざんひっくり返してみたところで、本当の所は分からないのかもしれません。
同時代の著名な歴史家で、ウォルシンガムを個人的によく知っていたと見られるウィリアム・カムデンですら、こう言っているのですから。

He saw everyone, no one saw him.
彼はあらゆる者を見通したが、彼のことを見通す者はいなかった。


最後に、最近の映像作品におけるサー・フランシス像をちょっとご紹介しておきましょう。
数年前に話の持ち上がったメアリ・スチュアートの伝記映画(スカーレット・ヨハンソン主演)も気になる所ではありますが、監督が降りてしまった上に、2009年には出資元企業が倒産して資金のめどが立たなくなり、現在ではすっかり暗礁に乗り上げている模様。ウのつく誰かの呪いじゃないでしょうか。

そうそう、ちなみにワタクシは記事の中で何度もサー・フランシスと呼んではおりますが、ナイトに叙された後も、廷臣の誰もが彼のことを「サー・フランシス」や「サー・ウォルシンガム」ではなくMr. Secretary 国務長官殿」と呼んでいたのだそうです。secretaryの語源はラテン語で「秘密に関わる人」。なるほど。
では、Mr. Secretary、どうぞ。

まずはBBCのドラマVirgin Queenより。


ベン・ダニエルズ

Elizabeth I The Virgin Queen (part14/21)


何というかこれは
ダース・ウォルシンガム。
1570年、28歳で大使補佐官としてフランスに行った時にしてすでに「全身黒づくめで王族に対しても傲然とした態度とあけすけな物言い」という目撃証言(スペイン大使談)が残されている人ではありますから、コスチュームや物腰については次に挙げるウォルシンガムたちよりも実像に近いかもしれません。黒手袋はしてなかったでしょうけれど。普段は白いカラーすらつけず、唯一の”アクセサリー”が拡大鏡であるというのも面白い。ベン・ダニエルズという俳優はワタクシ全然知りませんでしたが、なかなかいい声の持ち主ですね。
エリザベス役のアン=マリー・ダフさん、顔が似ていないのは仕方がないとして(ジュディ・デンチだって似てはいない)、苛立ちを表現するのにわざとらしく指を噛んだりするのはやめていただきたい。それにお腹から声の出てないエリザベスというのもなんだかなあ。そしてこんな所にもトム・ハーディ(レスター伯役)。作品によってほんとに印象を変えて来ますね。たいした役者さんです。

次に
ヘレン・ミレンがエリザベス1世を演じたTV映画『エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~』(監督は『英国王のスピーチ』のトム・フーパー)より


パトリック・マラハイド

不健康そうでよろしい笑。

注意↓4:58から5:45まではバビントンたちの処刑シーンです。かなりエグイです。
エグイのが苦手な方は飛ばしてください。


Helen Mirren as Elizabeth I -- Mary Queen of Scots trial


エセックス伯がうっとうしいので(役者さんではなくキャラクターが)ワタクシは前編しか見ていないのですが、見た限りではヘレン・ミレンとジェレミー・アイアンズの上手さがとにかく光っておりました。
ウォルシンガムは歴戦の外交官にしてはちと感情が顔に出すぎな感じはします。しかし枢密議員らに無言で退席を指示するゼスチャーや、拷問台の上にかがみこんで「シー」とささやきながら、引き延ばされ中の若者の顔をやさしーく拭いてやる(もちろん口を割らないと分かるとさっさと行ってしまう)のは実によかった。

また教皇がエリザベスの暗殺を奨励しているとの報を受けて、セシルが「陛下にお知らせしなければ...だが、いつ?私たちのうちのどちらが?」と逡巡しているのを横目に「私が話す。この顔は悪報にふさわしい I have the right face to tell a bad newsと言いながら、群衆をかき分けて女王に近づいて行く場面、これは行動も台詞も実にウォルシンガムらしくていいですね。また議会を代表してメアリの処刑令状をエリザベスに差し出したり、「陛下に言うの、気が重いよう」と廊下で泣きついて来たレスター伯に代わって、メアリが処刑されたことをエリザベスに告げてやったりと、最終的にしんどい役回りを引き受ける人物として描かれておりました。

コスチュームは他の登場人物との差異化を図ったためか、あるいはピューリタン的であることを強調するためか、廷臣たちの中でウォルシンガムだけが、首をぐるりと囲むひだ襟ではなく、現代のシャツのカラーのような簡素な襟を垂らしております。デイヴィソン君も兄貴分とほぼ同じ、とはいえ襟元にフリルがあるなどちょっとだけ綾のついた格好をしているというのが面白い。
そうそう、何と言っても本作の見どころはデイヴィソン君ですよ笑。いかにも生真面目で実直、かつちょっとお人好しな雰囲気が漂っておりまして、どこから見てもスケープゴート役にぴったりの風貌をしておいでです。そりゃもうあまりにもデイヴィソン君らしいデイヴィソン君なので、画面に現れるたびにワタクシちょっと笑ってしまうのでした。

(追記:結局、後編も鑑賞しました。前編でアルマダ戦までやってしまっていたので、国務長官、あとはもう弱ってお亡くなりになるばかりかと思っていたら、これが意外に見せ場が多かったのですよ、嬉しいことに。女王陛下の上履き投げつけシーンもばっちり収められておりました。エリザベスからものすごい剣幕でののしられ、正面から上履きをぶつけられつつも「またかよ」的に無反応なウォルシンガム。女王が議会で倒れた際、押し寄せる議員たちを遠ざけるために短剣を抜き放つウォルシンガム(←右脇から右手で剣を抜くというのは何とも非実用的な気がしますが)。上機嫌の女王に冷や水を浴びせるようなひと言を言い放つウォルシンガム。うーむ、実にもってウォルシンガムです。)


最後に『エリザベス』と続編『エリザベス ゴールデン・エイジ』より


ジェフリー・ラッシュ

いつも思うんですが
ジェフリー・ラッシュってあんな縦に引き延ばしたぬっぺほふみたいな顔の持ち主なのに、時として何であんなにもかっこよくなってしまうんでしょうね。「謎だ」。

それぞれフランスとスペインに喧嘩売ってるような作品ではありますし、史実をかなーーーーーーり自由に脚色しているので、けしからんとお思いになる方がいらっしゃるのは分かります。しかし映画としてはなかなかによくできた作品ですので、割り切って見られる方には大いにお勧めします。衣装や美術も申しぶんありませんし、何と言ってもケイト・ブランシェットとジェフリー・ラッシュの演技が素晴らしすぎるので何もかもよしとしましょう。レスター伯とウォルター・ローリーをそれぞれ演じたジョゼフ・ファインズとクライヴ・オーウェンが、それぞれに暑苦しく魅力に乏しいという難点はありましたが、これはまあ好みの問題かと。

スターが起用されているだけあって、ウォルシンガム、ここでは準主役と言ってもいいほどの存在感で描かれております。台詞はそれほど多くないのものの、一言一言に重みがあって印象深い。反逆罪で捕えられたノーフォーク公に対する

You were the most powerful man in England ... but you had not the courage to be loyal.
あなたはイングランドで最も力ある人物だった。だが、忠実であるだけの勇気を持たなかった。


という台詞など、一見逆説的であるだけにハッとさせられました。
続編『ゴールデン・エイジ』の方では、メアリの処刑を嫌がって「法なんて平民のためのもの、王族は縛られない」と駄々をこねるエリザベスをきっと振り返って

The law, Your Majesty, is for the protection of your people.
法とは陛下、あなたの民を守るためにあるものです。


と啖呵を切るシーンがたいへんよろしかった。
まあ実際のウォルシンガムはもっとよく喋る、しかも機知に富みつつも相手がムカッ とするような余計なひと言を付け加えながら喋る人だったんじゃないかと思いますけれど。

youtubeを漁っていたら『エリザベス』の切り貼り映像に「007のテーマ」を被せて作ったクリップを発見しました。危篤な人もいるものです。嬉しいですね。

Walsingham, Francis Walsingham


あっはっはっはっは。
似合う、似合う。よく似合いますよ。
しかしこの作品でのウォルシンガムはエリザベスよりもかなり年上である上に(実際はほぼ同年齢)、一作目の方では無神論者で同性愛者であることを匂わせる描きかたをされておりますので、あの世でご本人がご覧になったらひっくり返ることでしょう。
ひっくり返るウォルシンガムというのは、ちょっと見てみたいけれど。


おわり。

長々しい記事をここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
軽い気持ちで書きはじめたウォルシンガム話。調べ出したらあまりにも面白い人だったのでのめりこんでしまい、この数週間というもの寝る間も惜しんでウォルシンガム漬けの日々でした。用事はたまるし視力は落ちるしのろさんあほみたい。でも、楽しかった。
次回から通常のプログラムに戻ります。

以下に記事を書くにあたって参照した文献およびサイトを列挙します。ちょっぴり感想つき。
記事ではなるべく複数の情報源に記載があったことのみをご紹介するようにしましたが、中にはあまりにも魅力的なエピソードだったので他のソースを見つけられなくても採用してしまったものもあります。
Hear all reports but trust not all.
全ての報告に耳を傾けよ、しかし全ては信じるな。

を信条とする諜報局長殿に怒られそうです。
当記事をお読みになってサー・フランシスに興味を持たれた方はぜひご自身でもいろいろ探ってみてくださいまし。はまりますよ。その際以下のリストが少しでもお役に立てば幸いです。

参考文献
『エリザベス1世 大英帝国の幕開け』青木道彦 講談社 2000
ワタクシが書店主なら「エリザベス時代が一冊でわかる!」というpopをつけて平置きしたことでしょう。当時のイングランドの内外を取り巻く文化的・政治的状況が概括的に、かつ簡潔でスピード感のある文体で書かれており、たいへん参考になりました。
『イギリス国民の歴史〈続〉―新王政の成立からエリザベスの時代まで』J.R.グリーン著 和田雄一訳 篠崎書林 1986
これはウォルシンガム話6 で少しご紹介しました。固いタイトルですが、中身はあたかも小説のような面白さ。歴史の縦糸横糸とその中に織り込まれた大小の人物が生き生きと描き出されていて、引き込まれます。
『紳士の国のインテリジェンス』川成洋 集英社 2007
ウォルシンガムについて一定量の情報がある日本語の書籍としては現在最も入手しやすいものではありますし、とっかかりとしては良書かと思います。しかし-----学者さんに喧嘩を売るつもりはありませんが-----、スロックモートン事件についてあまり正確ではないことが書かれていたり、「娘のレディ・シドニーも夫のサー・フィリップ・シドニーとともに父の遺志を継いで...」という記述があったり(もちろんフィリップ・シドニーはウォルシンガムよりも先に亡くなっておりますから「遺志を継」げるわけがありません)と、ちょっと首を傾げたくなる箇所があることも申し上げておかねばなりません。参考文献に映画『エリザベス』のノベライズが含まれているというのもいかがなものか。

スロックモートン Throckmorton の名がなぜか全て「ストックモートン」と記載されている。またスロックモートンが逮捕されたのは本書に書かれているように「スコットランド国境」ではなく、ロンドンの自宅にいる時です。「ロンドン塔の地下牢で密かに処刑」されてもおりません。スロックモートンは正式な裁判を経てから、タイバーンの処刑場で絞首刑となりました。それから「その後(”密かに処刑”した後)、自宅を捜索」したのでもありません。これではウォルシンガムがろくな物証もないのに勝手に容疑者を殺し、それから証拠を探したことになってしまうではありませんか。家宅捜索が行われたは逮捕の後、あるいはそれと同時であり、そこで見つかった証拠を並べ上げた上で尋問(拷問)がなされたのです。
『スパイの歴史 』 テリー・クラウディ著 日暮雅通訳 東洋書林 2010
『イギリス史2 近世 世界歴史大系』今井宏編 山川出版社 1990
『イングランド史II』D.M.グリュー著 林達也訳 学文社 1983
『イギリス史2』G.M.トレヴェリアン著 大野真弓訳 みすず書房 1974
『市民と礼儀 初期近代イギリス社会史』ピーター・バーク編 木邨和彦訳 牧歌舎 2008
『スコットランド絶対王政の展開』G.ドナルドソン著 飯島啓二訳 未来社 1972
『アルマダの戦い』マイケル・ルイス著 幸田礼雅訳 新評論 1996
『ドレイク 無敵艦隊を破った男 大航海者の世界4』ネヴィル・ウィリアムズ著 向井元子訳 副羊羹書店 1994
『マーロウ研究』北川悌ニ 研究社 1964
Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press 2004
たいへんお世話になりました。こんな人物辞典を持ってるなんて、イギリス人は幸せですな。
The Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 1917
こちら↓で全文読めます。おすすめ。スコットランド行きを嫌がるくだり(p.238)なんかもう最高です。
Walsingham, Francis (1530?-1590) (DNB00) - Wikisource
Stephen Budiansky, Her Majesty's Spy Master, Plume, 2006
図版(白黒)あり。情報量はそれほど多くはないものの、文章に彩りがあって、読んで楽しい一冊。
「国務長官殿は女王陛下のドアの開け方というものを心得ていた。決して大きく開け放つこともなければ、一旦は開けたものを閉めてしまうことさえある。そこで彼は、開いたドアの隙間につま先をねじ込むことに力を尽くす一方、裏口を確保しておくことにも気を配った」なんて、あまりにも即妙な喩えで笑ってしまうではありませんか。
Robert Hutchinson, Elizabeth's Spy master, Phoenix, 2006
カラー図版あり。詳細な索引や略年表、引用注、ウォルシンガムが使っていたスパイたちの略歴つきリストなども収録されており、ペーパーバックのくせになかなかの充実度。とはいえ紙質は悪くカバーデザイン最悪でノドの余白も大きくないくせに横目で製本されているという、ちょっぴりがっつり怒りたくなるような造本ではあります。
Peter Holmes, Who's Who in Tudor England, Shepheard-Walwyn, 1990
Stephen Alford, Burghley: William Cecil at The Court of Elizabeth I, Yale University Press, 2008
Paul F. Grendler,Encyclopedia of the Renaissance, C. Scribner's Sons, 1987
A. R. Braunmuller, Cambridge Companion to English Renaissance Drama, Cambridge University Press, 2003
John Guy, Tudor England, Oxford University Press, 1988
Matthew Spring, The Lute in Britain: A History of the Instrument and Its Music, Oxford University Press, 2006
Terry Crowdy, The Enemy Within : A History of Spies, Spymasters and Espionage Osprey Publishing, 2008

参考Website
Francis Walsingham - Wikipedia, the free encyclopedia
England Under The Tudors: Sir Francis Walsingham (c.1530-1590)
Francis WALSINGHAM (Sir)
↓ご本人の言葉とされるものがいろいろ紹介されています。
WORDS: BIOG: Walsingham, Sir Fhancis
↓ウォルシンガムからスタンデン宛の手紙。アルマダ戦の記事の中でもご紹介しました。
The National Archives | Research, education & online exhibitions | Exhibitions | Secrets and Spies
↓宗教に関するウォルシンガムの姿勢について書かれており、なかなか興味深い記事です。
Wes Weems 4/20/07 Individual Pro
↓演劇との関わり
Sir Francis Walsingham | politicworm


なお今後、以前の記事(ウォルシンガム話)の中で不正確な情報であることが判明した部分や、より詳しいことが明らかになった部分があった場合は、特にお断りをせずに追記や書き直しをしていくことになるかと思います。ご了承くださいませ。

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7 コメント

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Unknown (うえちゃん)
2018-07-29 01:10:32
「世界史を作った海賊」という本にウォルシンガムのことが出てきて、検索してこのサイトにきました。
すごく詳しくて読み物としても面白かったです。
たくさんの文献や資料(しかも英文まで!)を読んでまとめてらっしゃって尊敬します。
とても勉強になりました。ありがとうございました!
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それはそれは (のろ)
2017-08-03 22:48:07
よろしいですね。夏休みのご旅行でしょうか。
ワタクシもしイギリスへ行くことがあったら
ウォルシーがらみで、ロンドン塔とセント・ポール大聖堂と
ナショナル・ポートレート・ギャラリーにはぜひとも訪れたいものと思っております。
そして国務長官殿の足取りを想像しつつ、シージング・レーンからロンドン塔までをてくてくと歩いてみるのが夢です。
返信する
ありがとうございます (Bell)
2017-07-29 08:16:52
明日からイギリスにいってきます。
もっと早くに見つけたかったです。
またゆっくり拝見させてください。
返信する
いらっさいませ。 (のろ)
2011-10-13 23:30:47
ringringさま、はじめまして。
ウォルシンガム話、読んでいただいて、こちらこそありがとうございます。ワタクシも学生時代にこの人物と出会っていたならば、専攻を東洋史から西洋史に鞍替えしていたかもしれません。
イラストは、まあ、あの世でご本人にしばき倒されることを覚悟で。

国務長官殿が敵役で登場するということは、その小説の主人公達は反エリザベスな人々なのですね。だとすると、「主人公達を執拗に追いかけ回している嫌なヤツ」というのは非常に正しいウォルシー像ではないかと笑。しかし拙ブログをきっかけに、彼のことをちょっとでも好きになってくだすったら幸いです。あんまりお近づきにはなりたくない人ではありますが。

ウォルシンガムの人物像については、話の流れと時間の関係で記事には盛り込めなかった興味深いエピソードも色々あります。
「本というものは死んだ言葉の集まりに過ぎない。それらの言葉に生命を与え、自分の中に本当の知恵をもたらすのは、生きた人間の発する言葉であり、対話なのだよ」という、旅立つ若い甥へと宛てた手紙の中の言葉や、友人への手紙の中で「良き夫の条件は何たって僕らのように忍耐強くあることだよね。奥さん連中ってやかましいもんな...」と、家庭の愚痴をお得意の自虐ジョークにくるんでこぼしているのや、ギャンブル浸け駐仏大使スタッフォードとの壮絶な小競り合い(笑)の詳細、などなど。

もしウォルシンガムに興味を持ってくださり、また英語を読むのがご面倒でなかったら、参考文献に挙げましたOxford Dictionary of National Biographyか、Stephen Budiansky著 Her Majesty's Spy Masterをお勧めします。
「改装ウォルシンガム本3」(6/20)の記事でご紹介したThe Queen's Agent: Francis Walsingham at the Court of Elizabeth もじき拙宅に届くと思いますので、読んでみてこれはという新事実があったら、また記事にさせていただきます。
返信する
はじめまして (ringring)
2011-10-11 21:00:45
ウォルシンガム特集を読ませていただきました。
学生の頃にこれを読んでいたら、私は世界史に挫折しないでいたかも?と思うくらい楽しく興味深かったです。(挿絵には思わず吹き出してしまった)

こちらに出会ったきっかけは、読んでいる小説に彼が登場しているからです。
愛国心に溢れ「疑わしきは罰する」をモットーに主人公達を執拗に追いかけ回している嫌なヤツなんですが…こんなウォルシンガムを知ってしまうと、今後の読み方も変わりそうです(笑)

大量の参考文献から察するに多大な労力をかけての御執筆、お疲れ様でしたと共にいっぱいの「ありがとう」です。
返信する
ありがとうございます。 (のろ)
2011-04-26 10:41:03
何だかんだで予想外の長さになってしまいましたが、お楽しみいただけたなら幸いです。
ウォルシンガム、イケておりますでしょう。この人について詳しく書かれた日本語の文献が少ないというのが残念です。ちょっと前まで日本語版wikipediaにも「莫大な遺産を残した」と、なぜか事実と反対のことが書かれていましたし。拙ブログがウォルシンガムの知名度upにちょっとでも役立ってくれたら嬉しいなあなんて思っております。

lusopeso様のブログ、実を申せば日々読ませていただいております。ただ根が意気地なしなものでコメント投稿となると二の足を踏みがちで...。すみません、これでは応援になりませんね。クイーン話には「そうなのかあ~」としか申せませんが、ノミトークにはこれからなるべく拙コメントを寄せさせていただきますね。
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おつかれさま! (Lusopeso)
2011-04-25 21:24:51
ウォルシンガム話大変面白く拝見いたしました
彼の事については全く知らなかったのでこれで人に話せるぐらい知識付いたと思います、たぶん。

こっちもノミ話が勝手に増えつつあるので、応援していただければ、と思います。。。
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