のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『トゥルー・グリット』

2011-05-01 | 映画
日常か。



それはさておき
『トゥルー・グリット』を観て参りました。
ワタクシ涙もろい方ではございますが
コーエン兄弟の映画で泣かされるとは思ってもみませんでした。

トゥルー・グリット


ご覧の通り西部劇でございます。しかし女の子が主役というのは何とも珍しい。
内容的にはわりと王道のエンターテイメントでございまして、ワクワク感と安心感とに引っぱられて、最後までたいへん面白く鑑賞いたしました。王道といっても暴力や死のごくドライな描き方、そして所々に漂う変なユーモアはまことにコーエン節でございまして、コーエンズが西部劇を撮るとこうなるよ、といういかにも感もファンには嬉しい所。

利発で頑固で度胸があって、やたら法律に詳しい14歳の少女マティ。「真の勇気」の持ち主と言われているものの、酒瓶を手放せない呑んだくれ保安官ルースター・コグバーン。この凸凹コンビ的な2人に、何かにつけて「俺たちテキサスレンジャーはなあ...」と切り出すいささかうっとうしいプライドの持ち主(しかもよく喋る)のラビーフという男が加わって,マティの父親を殺した犯人であるならず者チェイニーを追跡していくのでございます。

音楽や映像がいいのはもはや言わずもがなですが、本作で特筆したいのは、描き方は淡白でありながら奥行きを感じさせる人物造形でございます。
マティは大人顔負けの交渉術や度胸を見せるかと思えば、買った馬にさっそく名前をつけて友達のように話しかけたり、時には動揺がありありと顔に表れてしまったりと、子供と大人の中間にいる感じがよく表現されております。何と言っても、少女というステイタスを利用して周りに媚びるつもりが微塵もないのが実に清々しいですね。本作が映画デビューのヘイリー・スタインフェルドさん、評判通りの素晴らしい演技でした。今後のご活躍も楽しみです。

お互いを馬鹿にし合っているコグバーンとラビーフ、マティ視点で見るとどっちもいまいち頼りにならなさそうで、かつちょっと嫌な奴でもあるのですが、2人とも決める所はきちっと決めるというのがいいですね。じんわり可笑しく、じんわりカッコいいジェフ・ブリッジスも、口だけカッコマンかと思いきや終盤にぐんと男を上げるマット・デイモンも名演でございました。どうでもいいけどワタクシが映画の中で見るジェフ・ブリッジスってたいてい呑んだくれかドラッグ漬けだなあ。

一方マティたちに追跡される殺人犯チェイニー、「ならず者」なんて言うと何だか強そうですがこの男、悪漢というよりはケチなごろつきに過ぎず、颯爽とした所が全くない野郎でございます。よそでも法を犯して逃げ回ってはいるものの、当局からもお尋ね者連中からも、いっぱしの悪党とは見なされておりません。粗暴さと卑しさの入り交じる、そしてその卑しさゆえにどこか哀れでもあるチェイニーを、ジョシュ・ブローリンが小物くささ満点で演じております。『ノーカントリー』『ミルク』そして本作と、ワタクシの中ではブローリン=追いつめられるおっさんというイメージが定着してしまいそうです。でもこの人、『グーニーズ』のブランド兄ちゃんなんですよね。ああ、のろも歳をとるわけだ。
チェイニーと対照的に、悪党ながらも気骨とダンディズムを感じさせるのがバリー・ペッパー演じる無法者の頭目ラッキー・ネッド。登場するシーンはそう多くないのに、たいへん印象深い役どころでござました。

かくのごとく主役の3人はもちろん、ほんの少ししか登場しない脇役まで、登場人物の各々にしっかりした個性があり、しかも話が進むうちにはじめの印象とは少し違ったキャラクターをかいま見せるのでございます。そうした人物描写が、追跡→復讐→帰還というごくシンプルなストーリーに深みを与えておりました。

だからこそ、復讐行の果てに迎えたほろ苦いラストシークエンスで、人生という個別的なものの重み、と同時にそのかけがえのない個別的なものが大きな時間の流れの中に置かれた時の、どうしようもないちっぽけさが、胸に迫って来たのでございます。そのとてつもない重さとちっぽけさが、きびきびした足取りで去って行くマティの後ろ姿に刻まれているようで、次第に小さくなって行く彼女のシルエットを見ながら、思わず涙がこぼれたのでございました。



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