元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

母(83歳)の青春(戦時下の国鉄勤務)

2006年11月10日 | ふるさとの母親
今も田舎に独り住まいの83歳の母は若い頃、国鉄(今のJR)に勤務していました。昭和13年~21年までの8年間が母の青春時代だったのです。保線区・機関区を抱える県内有数の駅でした。姉妹が女学校に進む中、勉強の嫌いな母は、祖父に頼んで国鉄に入ったのです。最初 交換手からはじめ最後は車両の編成も担当しました(戦争で男性が少なくなったため)。若い頃の母は写真を見ると、身内をほめる気恥ずかしさはありますが相当な美形でした。今の姿からは想像もできませんが、活発な娘だったらしいのです。当時の勤務ははかまが普通だったそうです。給料が出るとデパートの天満屋に布地を買いに行き、着物に仕立ててもらっていたいたそうです。

父親が交通事故でなくなって数年後、母が突然妹と一緒にある人に会ってくれとの連絡がありました。今から20年前母が60歳を越えた頃です。事情を聞くとその人は若い頃交際の申し込みをされた年下の男性だったのです。40年以上もたってその人が会いたいと言ってきたらしいのです。その人は母に交際を拒絶された後、国鉄をやめ、一念発起、勉強に専念し大学の研究者になっていたのです。ここからが女心です。母の言い分「この年になって会いたい気持ちだけれど、自分の若い頃のイメージを壊して欲しくないので会えない。その代わり自分の若い頃そっくりの娘(私の妹)と会って欲しい」、60歳を過ぎても、いつまでも女心はあるのだなと思った記憶があります。

しかし息子の私は嬉しかったのです。自由に遊んだ国鉄時代から田舎の舅・小姑のいる長男に嫁ぎ(9人兄弟)、苦労の連続であったであろう母に青春時代があり、またその思い出をしっかり持っていることに感動を覚えたのです。その母が今でも元気で(少し口うるさいけど)、食事は「丼めし」です。足は弱ってきましたが、ボケるどころではありません。いつまでも元気で居て欲しいと思っています。このような田舎のシニア(年配者)をNPOで支援していきたいのです。



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