軍師官兵衛~中津城
●官兵衛ゆかりの中津市の中津城に行ってみました。
中津城の沿革は、黒田家~細川家~小笠原家~奥平家、と移り変わります。
①官兵衛は、豊前六郡の12万3000石の領主として天正16年(1588)に
中津川河口を利用して、正月から中津城の築城を始めました。
②関ヶ原合戦の慶長5年(1600)ののち、黒田氏は、筑前52万石に封じられ、
福岡へ移ります。従って、中津城での居城は12年間という期間です。
③その跡には、細川忠利が入城します。
その後、慶長9年(1604)に、忠利は小倉城に移り、父忠興が中津に隠居します。
忠興は、中津城の増改築を行い、元和6年(1620)今日の中津城の基礎をつくります。
④寛永9年(1632)に小笠原長次が中津6万石の城主として入城します。
⑤そして、享保2年(1717)に奥平昌成が、中津10万石の領主として入国します。
以後、中津藩主の居城として存続します。
⑥明治2年(1869)奥平昌邁が廃城とします。
⑦昭和39年に、奥平昌信が天守と二重櫓の再建を行い、現在の姿となります。
奥平家歴史資料館として、中津藩奥平家の甲冑や古文書などの資料が
主に展示されています。
1.中津城周辺のマップです。城下町の町割の面影を残しています。
2.中津城のマップです。
3.中津城です。左側が二重櫓、右側が天守です。
同じく中津城です。堀に写った中津城がお気に入りです。
4.今度は、東側駐車場に回ってみました。中津城をバックに官兵衛の像が新鮮です。
「中津で天下の夢を見た 黒田官兵衛孝高 ゆかりの地中津市」の旗も
はためいています。
5.黒田二十四騎の札もあります。
我が直方「鷹取山城主母里太兵衛」を真ん中に入れて撮りました(^_^)/~
6.本丸東側の石垣です。石垣にy字状に目地が通る場所があります。
右側が黒田時代の石垣で、四角く加工された石が使用されています。
左側が細川時代の石垣で、丸みを帯びた自然石が使用されています。
7、8.石垣の説明文です。
9.天守閣から、二重櫓のある西側を見下ろしました。
右手には、中津城で謀殺された宇都宮鎮房を祭る城井神社、
従臣を祭る扇城神社や、奥平神社、中津神社などがあります。
二重櫓に隣接して、「黒田官兵衛資料館」が平成26年に開館しています。
11.本丸の右手は、二重櫓とその手前の平成26年1月に開館した
「黒田官兵衛資料館」です。 左手は、中津大神宮です。
12、13、14.中津12年間の大きな出来事としては、
①「頻発した一揆~特に宇都宮鎮房との対立」
②「天下取りの夢?~九州制覇に向けて出陣~」などがあります。
このうち、②の「石垣原、大友軍との戦い」についての「黒田官兵衛資料館」の
掲示資料を引用します。
石垣原の合戦の模様が、描かれています。右手は、実相寺山からの黒田軍です。
左手は、大友軍です。
→⇒こちらもどうぞ!
●軍師官兵衛~別府石垣原の古戦場◎
●中津の城下町も歩いてみました。
1、2.「中津市歴史民俗資料館」です。
民族資料の他に、中津城出土遺物も展示されています。
「中津市歴史民俗資料館」は、慶應義塾で、福沢諭吉に次いで尊敬を集めた
小幡篤次郎の生誕地にあり、遺言により、以前は図書館として利用されてきた、
との事です。
3.南部小学校です。左手に中津城大手門跡の石垣が残っています。
南部小学校の以前の中津市学校時代には、福沢諭吉、小幡篤次郎、
慶應義塾との歴史的なつながりがあり、由緒ある学校、とのことです。
4、5.南部小学校の校門「生田門」です。元々は、奥平家中津藩の家老、
生田家の門、とのことです。
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●官兵衛ゆかりの中津市の中津城に行ってみました。
中津城の沿革は、黒田家~細川家~小笠原家~奥平家、と移り変わります。
①官兵衛は、豊前六郡の12万3000石の領主として天正16年(1588)に
中津川河口を利用して、正月から中津城の築城を始めました。
②関ヶ原合戦の慶長5年(1600)ののち、黒田氏は、筑前52万石に封じられ、
福岡へ移ります。従って、中津城での居城は12年間という期間です。
③その跡には、細川忠利が入城します。
その後、慶長9年(1604)に、忠利は小倉城に移り、父忠興が中津に隠居します。
忠興は、中津城の増改築を行い、元和6年(1620)今日の中津城の基礎をつくります。
④寛永9年(1632)に小笠原長次が中津6万石の城主として入城します。
⑤そして、享保2年(1717)に奥平昌成が、中津10万石の領主として入国します。
以後、中津藩主の居城として存続します。
⑥明治2年(1869)奥平昌邁が廃城とします。
⑦昭和39年に、奥平昌信が天守と二重櫓の再建を行い、現在の姿となります。
奥平家歴史資料館として、中津藩奥平家の甲冑や古文書などの資料が
主に展示されています。
1.中津城周辺のマップです。城下町の町割の面影を残しています。
2.中津城のマップです。
3.中津城です。左側が二重櫓、右側が天守です。
同じく中津城です。堀に写った中津城がお気に入りです。
4.今度は、東側駐車場に回ってみました。中津城をバックに官兵衛の像が新鮮です。
「中津で天下の夢を見た 黒田官兵衛孝高 ゆかりの地中津市」の旗も
はためいています。
5.黒田二十四騎の札もあります。
我が直方「鷹取山城主母里太兵衛」を真ん中に入れて撮りました(^_^)/~
6.本丸東側の石垣です。石垣にy字状に目地が通る場所があります。
右側が黒田時代の石垣で、四角く加工された石が使用されています。
左側が細川時代の石垣で、丸みを帯びた自然石が使用されています。
7、8.石垣の説明文です。
9.天守閣から、二重櫓のある西側を見下ろしました。
右手には、中津城で謀殺された宇都宮鎮房を祭る城井神社、
従臣を祭る扇城神社や、奥平神社、中津神社などがあります。
二重櫓に隣接して、「黒田官兵衛資料館」が平成26年に開館しています。
11.本丸の右手は、二重櫓とその手前の平成26年1月に開館した
「黒田官兵衛資料館」です。 左手は、中津大神宮です。
12、13、14.中津12年間の大きな出来事としては、
①「頻発した一揆~特に宇都宮鎮房との対立」
②「天下取りの夢?~九州制覇に向けて出陣~」などがあります。
このうち、②の「石垣原、大友軍との戦い」についての「黒田官兵衛資料館」の
掲示資料を引用します。
石垣原の合戦の模様が、描かれています。右手は、実相寺山からの黒田軍です。
左手は、大友軍です。
→⇒こちらもどうぞ!
●軍師官兵衛~別府石垣原の古戦場◎
●中津の城下町も歩いてみました。
1、2.「中津市歴史民俗資料館」です。
民族資料の他に、中津城出土遺物も展示されています。
「中津市歴史民俗資料館」は、慶應義塾で、福沢諭吉に次いで尊敬を集めた
小幡篤次郎の生誕地にあり、遺言により、以前は図書館として利用されてきた、
との事です。
3.南部小学校です。左手に中津城大手門跡の石垣が残っています。
南部小学校の以前の中津市学校時代には、福沢諭吉、小幡篤次郎、
慶應義塾との歴史的なつながりがあり、由緒ある学校、とのことです。
4、5.南部小学校の校門「生田門」です。元々は、奥平家中津藩の家老、
生田家の門、とのことです。
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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黒田官兵衛シリーズ
懐かしい風景と併せて堪能しました。
今年もよろしくお願いいたします。