私の直方の風景

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★ 紫陽花の想い出その2;高塔山登り口「佐藤公園」と佐藤慶太郎のこと★

2016年07月23日 23時59分09秒 | 郷土の歴史
熊本~大分地区の地震災害のお見舞いと早期の復旧をお祈り申し上げます。

紫陽花の想い出その2;高塔山登り口「佐藤公園」と佐藤慶太郎のこと


高塔山の紫陽花を観賞する際には、登り口入口にあります「佐藤公園」にも訪れます。
「佐藤公園」は、アンドリュー・カーネギーを信奉して、数多くの膨大な社会奉仕をした
若松出身の石炭王「佐藤慶太郎」の邸宅跡です。
佐藤慶太郎の社会奉仕の代表的な案件は、日本で最初の美術館であり、上野の美術館として
親しまれている東京府美術館の建築費百万円を、54歳の時に、個人でポンと寄付(現在の三十数億円)
しており、美術館は、大正15年に竣工しています。

佐藤公園は、慶太郎が67歳の昭和13年に別府に転居する際、居宅を旧若松市に寄贈し、
以後、市民利用の、佐藤倶楽部、佐藤公園となっています。
佐藤慶太郎は、明治元~昭和15(1868~1940)で、享年73歳、別府市で没しています。
別府市でも、昭和25年(1950)には、佐藤慶太郎の寄付金と基金として、別府市美術館が
設立され、場所の変遷を経て、昭和59年(1984)に、現在地のJR「別府大学駅」近くの
上人ケ浜に移転、開館され現在に至っています。

1.高塔山の登り口入口にある「佐藤公園」です。早速、紫陽花です。


2.佐藤慶太郎の胸像が、まず目に入ります。


3.佐藤慶太郎の胸像と、説明文です。銅製の胸像は、彫刻の第一人者「朝倉文夫」作です。




4.「佐藤慶太郎」の邸宅跡です。左手に、記念碑、右手に佐藤慶太郎胸像があります。


5.昭和13年の記念碑です。慶太郎が67歳の昭和13年に別府に転居する際、居宅を
旧若松市に寄贈したことが、印されています。


6.「佐藤慶太郎」の邸宅跡とは、高塔山登山道を挟んで向い側にある「白山神社」です。




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佐藤慶太郎の社会奉仕の代表的な案件、とりわけ、上野の美術館の東京府美術館や
別府市美術館についての詳細は、以下の資料にweb上に無料公開で、詳細に
記載されていますので、クリックしてご覧頂ければ、と思います。
●西日本シティ銀行の「北九州に強くなろう」
佐藤慶太郎;日本最初の美術館 東京府美術館を個人で寄付した石炭の神さま


●「佐藤慶太郎と別府市美術館」 : 別府市美術館移転新設五周年にあたって
今村弥生(別府市美術館)  芸術学論叢 9 1989 p.3- 13  別府大学  


●「佐藤慶太郎と別府」: 別府史談会総会講演要旨 江藤, 明
別府史談  9  1995  p.1- 6  別府大学


次に、別府市美術館の入館パンフレットの一部です。





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上記の資料は、私も大好きな別府に在住されていて、私が日頃大変お世話になっている
YKRさんから教えて頂いたものです。YKRさん、いつも有難うございます。(^_^)/~
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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3 コメント

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鴎外と直方の縁 (nonbiri-arukuyama)
2016-07-25 23:49:31
(権太楼)さま、こんばんは、佐藤慶太郎や森鴎外、貝島太助のコメント有難うございます。
私も勉強になります。西日本シティ銀行の「北九州に強くなろう」も、面白いし、
内容的にも、興味有るエピソードで、なかなか読みごたえがありますね。
返信する
訂正です。 (権太楼)
2016-07-24 23:55:59
森鴎外の碑があるのは、新町公園ではなく、貝島太助邸跡の「多賀町公園」ですね。申し訳ありません。
返信する
森鴎外「我をして九州の富人たらしめば」 (権太楼)
2016-07-24 23:46:57
若松の佐藤慶太郎氏のことを知らなかったので、西日本シティ銀行の「北九州に強くなろう」をクリックして読んでいたら、森鴎外の「我をして九州の富人たらしめば」のエピソードが載っていたので思い出しました。
直方に縁のある文学者といえば、森鴎外がいましたね。新町公園に碑がありますよね。森鴎外は軍医部長として筑豊にもいろいろと足跡を残しており、多分、金田にも碑があったような気がします。今度「森鴎外と北九州」という本を読んで勉強してみようと思っております。
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