軍師官兵衛~別府石垣原の古戦場
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」も12月21日50回目で「完」となりました。
このドラマに関しては、官兵衛を支えた重臣の一人の母里太兵衛が、
私の地元直方の鷹取山城主でもあったことから、色々と思い入れが
ありました。そこで、黒田官兵衛や母里太兵衛達のゆかりの地を
数か所訪ねましたので、その一部をピックアップします。
今回は、ドラマの49回「如水最後の勝負」の舞台でもある、別府市
石垣原の古戦場跡付近を取り上げます。
別府「石垣原の戦い」は、1600年「関ヶ原の天下分け目の戦い」のタイミングに
合わせて、官兵衛が、徳川家康の西軍に属しつつ、天下取りを胸に秘めて、
まず九州平定に乗り出し、中津→⇒国東→⇒別府→⇒水俣・・・と進軍します。
別府「石垣原の戦い」では、石田光成側の西軍に属した大友義統との激突となり、
戦略上の極めて重要な位置づけになります。
1.今回も、別府市在住の友人の歴史愛好家のYKR58さんから頂戴した略図で、
これを片手に古戦場跡を歩いてみました。YKR58さん、有難うございました。
右手側が、黒田如水の陣営です。左手が大友義統の陣営です。
2.同じ視点からの地図が、南立石公園古戦場跡に掲示されていましたので、
併せてアップします。
3.黒田軍の本陣となった実相寺山(169m)です。山上に建つパコダが目印です。
4.実相寺山から見た、石垣原合戦の配置図です。(山頂にある案内版です)
5.同じ視点から見た、山上からの写真です。正面の高い山が鶴見岳(1375m)です。
その右手に山焼きが美しい扇山です。
6、7 石垣原合戦の案内版です。
8.石垣原古戦場の真ん中を流れ、別府湾に注ぐ境川です。
9.今は市民の憩いの場所である南立石公園古戦場跡です。
背景には、鶴見岳(1375m)です。
10.真ん中に境川が流れ、古戦場橋が架かります。
右手の森は、南立石公園古戦場跡です。真ん中の遠景は高崎山です。
11.石垣原古戦場跡の碑です。
12.両軍の激戦地、七つ石稲荷のある広場です。この付近で、
黒田方からも称えられた大友方の忠義な猛将「吉弘統幸(嘉兵衛)」が、
最後の力を振り絞って戦います。
そして、かって官兵衛に招かれて黒田家の客となった際に、世話にもなっていた
旧知の井上九郎右衛門(黒崎城主)と、お互いに本意ではない戦いをして、
統幸は、井上九郎衛門に討ち取られます。
この統幸の死により、一気に形勢が変わり大友義統軍の敗北に繋がります。
13.ドラマの49回「如水最後の勝負」より引用
→⇒石垣原の戦いでの、大友軍の猛将吉弘統幸(左)と
黒田軍の井上九郎衛門(右)との一騎打ちの場面です。
こちらもどうぞ~直方鷹取山城主の母里太兵衛
●直方の秋色散歩;(4)「鷹取山麓永満寺(えいまんじ)地区」
●直方の秋色散歩;(3)内が磯ダム~福智山ダム付近
●直方の秋色散歩;(2)内が磯地区
◎JR博多駅前の「母里太兵衛の像」◎
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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このドラマに関しては、官兵衛を支えた重臣の一人の母里太兵衛が、
私の地元直方の鷹取山城主でもあったことから、色々と思い入れが
ありました。そこで、黒田官兵衛や母里太兵衛達のゆかりの地を
数か所訪ねましたので、その一部をピックアップします。
今回は、ドラマの49回「如水最後の勝負」の舞台でもある、別府市
石垣原の古戦場跡付近を取り上げます。
別府「石垣原の戦い」は、1600年「関ヶ原の天下分け目の戦い」のタイミングに
合わせて、官兵衛が、徳川家康の西軍に属しつつ、天下取りを胸に秘めて、
まず九州平定に乗り出し、中津→⇒国東→⇒別府→⇒水俣・・・と進軍します。
別府「石垣原の戦い」では、石田光成側の西軍に属した大友義統との激突となり、
戦略上の極めて重要な位置づけになります。
1.今回も、別府市在住の友人の歴史愛好家のYKR58さんから頂戴した略図で、
これを片手に古戦場跡を歩いてみました。YKR58さん、有難うございました。
右手側が、黒田如水の陣営です。左手が大友義統の陣営です。
2.同じ視点からの地図が、南立石公園古戦場跡に掲示されていましたので、
併せてアップします。
3.黒田軍の本陣となった実相寺山(169m)です。山上に建つパコダが目印です。
4.実相寺山から見た、石垣原合戦の配置図です。(山頂にある案内版です)
5.同じ視点から見た、山上からの写真です。正面の高い山が鶴見岳(1375m)です。
その右手に山焼きが美しい扇山です。
6、7 石垣原合戦の案内版です。
8.石垣原古戦場の真ん中を流れ、別府湾に注ぐ境川です。
9.今は市民の憩いの場所である南立石公園古戦場跡です。
背景には、鶴見岳(1375m)です。
10.真ん中に境川が流れ、古戦場橋が架かります。
右手の森は、南立石公園古戦場跡です。真ん中の遠景は高崎山です。
11.石垣原古戦場跡の碑です。
12.両軍の激戦地、七つ石稲荷のある広場です。この付近で、
黒田方からも称えられた大友方の忠義な猛将「吉弘統幸(嘉兵衛)」が、
最後の力を振り絞って戦います。
そして、かって官兵衛に招かれて黒田家の客となった際に、世話にもなっていた
旧知の井上九郎右衛門(黒崎城主)と、お互いに本意ではない戦いをして、
統幸は、井上九郎衛門に討ち取られます。
この統幸の死により、一気に形勢が変わり大友義統軍の敗北に繋がります。
13.ドラマの49回「如水最後の勝負」より引用
→⇒石垣原の戦いでの、大友軍の猛将吉弘統幸(左)と
黒田軍の井上九郎衛門(右)との一騎打ちの場面です。
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●直方の秋色散歩;(4)「鷹取山麓永満寺(えいまんじ)地区」
●直方の秋色散歩;(3)内が磯ダム~福智山ダム付近
●直方の秋色散歩;(2)内が磯地区
◎JR博多駅前の「母里太兵衛の像」◎
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