直方の秋色散歩;(3)内が磯ダム~福智山ダム付近
直方の秋をぶらりと散歩してみました。
今回は、内が磯ダム~福智山ダム付近です。
1.鳥野神社付近に新しく設置された福智山登山ルート表示板です。
2.福智山ダム、内が磯ダム(福智山池)付近の拡大です。
江戸時代直方藩4代目黒田長清公(福岡本藩4代目長寛=綱政公の弟)は、
館から遠く離れた福智山の麓にある内が磯ダムそばの現在の「鳥野神社」に
参詣されて桜見物や和歌を詠んでいます。名君として知られています。
3.なお、直方は、江戸時代の約100年間(1623~1720年)に福岡藩の支藩が
あり、東蓮寺藩(殿町;4万石)、直方藩(御館山;5万石)と称していました。
福岡藩の黒田如水以来の系譜を次に示します(→⇒「直方」歴史紀行より抜粋)
こちらもご覧下さい
☆直方の初詣(その2);鳥野神社~近津神社☆
●冬の風景;「内が磯ダム」そして「福智山ダム」~●その1
◎「長崎街道レトロコースまち歩き」続き~◎その5(2);「江戸時代~直方藩のこと」
4.新しく設置された鷹取城跡の説明板です。
ご存知鷹取城主母里太兵衛友信の居城でした。
5.鷹取城の説明文を拡大しました。
6.図を拡大しました。鷹取城の復元図や出土品、山頂からの展望などです。
7.次に福智山ダムに登りました。ダムサイトにある「鷹取焼内が磯窯記念碑」です。
背景にダム湖と福智山の峰が見えます。右手管理棟の付近の斜面(湖面下)に
当時最新式の登り窯があり、発掘調査がなされています。
詳細は、こちらをご覧下さい
●「福智山ダム」のこと~●補足1
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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直方の秋をぶらりと散歩してみました。
今回は、内が磯ダム~福智山ダム付近です。
1.鳥野神社付近に新しく設置された福智山登山ルート表示板です。
2.福智山ダム、内が磯ダム(福智山池)付近の拡大です。
江戸時代直方藩4代目黒田長清公(福岡本藩4代目長寛=綱政公の弟)は、
館から遠く離れた福智山の麓にある内が磯ダムそばの現在の「鳥野神社」に
参詣されて桜見物や和歌を詠んでいます。名君として知られています。
3.なお、直方は、江戸時代の約100年間(1623~1720年)に福岡藩の支藩が
あり、東蓮寺藩(殿町;4万石)、直方藩(御館山;5万石)と称していました。
福岡藩の黒田如水以来の系譜を次に示します(→⇒「直方」歴史紀行より抜粋)
こちらもご覧下さい
☆直方の初詣(その2);鳥野神社~近津神社☆
●冬の風景;「内が磯ダム」そして「福智山ダム」~●その1
◎「長崎街道レトロコースまち歩き」続き~◎その5(2);「江戸時代~直方藩のこと」
4.新しく設置された鷹取城跡の説明板です。
ご存知鷹取城主母里太兵衛友信の居城でした。
5.鷹取城の説明文を拡大しました。
6.図を拡大しました。鷹取城の復元図や出土品、山頂からの展望などです。
7.次に福智山ダムに登りました。ダムサイトにある「鷹取焼内が磯窯記念碑」です。
背景にダム湖と福智山の峰が見えます。右手管理棟の付近の斜面(湖面下)に
当時最新式の登り窯があり、発掘調査がなされています。
詳細は、こちらをご覧下さい
●「福智山ダム」のこと~●補足1
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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花子とアンが終わりテレビで「安定して筑豊に触れる機会」がなくなったと思っていたところ、NHK総合テレビ中井貴一の“サラめし”がサプライズな贈り物!。
東筑軒・小南さんのお昼ご飯、東筑軒本社併設のうどん店でごぼう天うどんとお稲荷さんが登場しました。
小南さんのご活躍拝見はとても懐かしく嬉しいものです。
ただちょっと恥ずかしいことが…!。
働いていらっしゃる小南さんより、遊びに行った私の方がたくさん頂いていました。
東京に居ますと折尾も直方も別の場所に思えなくなっておりまして、かなり見当外れのコメント失礼致しました。